これも今は昔、人のもとに、ゆゆしくことごとしく斧を負ひ、法螺貝腰につけ、錫杖つきなどしたる山伏の、ことごとしげなるが入り来て、侍の立蔀の内の小庭に立ちけるを、侍、「あれはいかなる御坊ぞ」と問ひければ、「これは日ごろ白山に侍りつるが、御嶽へ参りて今二千日候はんと仕り候ひつるが、斎料尽きて侍り。まかりあづからんと申しあげ給へ」と言ひて立てり。
見れば額、眉の間のほどに、髪際に寄りて二寸ばかり傷あり。
いまだなま癒えにて赤みたり。
侍、問うて言ふやう、「その額の傷はいかなる事ぞ」と問ふ。山伏、いとたふとたふとしく声をなして言ふやう、「これは随求陀羅尼を籠めたるぞ」と答ふ。
侍の者ども、「ゆゆしき事にこそ侍れ。手足の指など切りたるはあまた見ゆれども、額破りて陀羅尼籠めたるこそ見るとも覚えね」と言ひ合ひたるほどに、十七八ばかりなる小侍のふと走り出でて、うち見て、
「あな、かたはらいたの法師や。なんでふ随求陀羅尼を籠めんずるぞ。あれは七条町に、江冠者が家の、大東に鋳物師が妻をみそかみそかに入り臥し入り臥しせしほどに、去年の夏入り臥したりけるに、男の鋳物師帰り合ひたりければ、取る物も取りあへず逃げて西へ走りしが、冠者が家の前ほどにて追ひつめられて、鎛して額打ち破られたりしぞかし。冠者も見しは」と言ふを、
あさましと人ども聞きて、山伏が顔を見れば、少しも事と思ひたる景色もせず、少しまのししたるやうにて、「そのついでに籠めたるたるぞ」と、つれなう言ひたる時に、集まれる人ども一度にはと笑ひたる粉れに逃げていにけり。