大和物語106段:故兵部卿の宮、この女のかかること

くらまの山 大和物語
第四部
106段
雲居
こと女

登場人物

 
 ♪♪♪♪♪故兵部卿の宮=親王=おなじ宮(陽成天皇第一皇子元良親王:894-943。百人一首20歌人)
 ♪♪♪♪♀この女(平中興の娘)
 ♪♀知らぬ女

原文

 
 
 故兵部卿の宮、
 この女のかかること、まだしかりける時、
 よばひ給ひけり。
 

 親王、
 

♪160
  荻の葉の そよぐごとにぞ 恨みつる
  風にうつりて つらき心を

 

 これも、おなじ宮、
 

♪161
  あさくこそ 人は見るらめ 関川の
  絶ゆる心は あらじとぞ思ふ

 

 女、返し、
 

♪162
  関川の 岩間をくぐる みづあさみ
  絶えぬべくのみ 見ゆる心を

 
 かくて、いでてもの聞こえなどすれど、あはでのみありければ、
 親王、おはしましたりけるに、
 月のいとあかかりければ、詠み給ひける。
 

♪163
  夜な夜なに いづと見しかど はかなくて
  入りにし月と いひてやみなむ

 
 と宣ひけり。
 
 かくて扇をおとし給へりけるを、とりて見れば、
 知らぬ女の手にて、かく書けり。
 

♪164
  忘らるる 身はわれからの あやまちに
  なしてだにこそ 君を恨みね

 
 と書けりけるを見て、
 そのかたはらに書きつけて奉りける。
 

♪165
  ゆゆしくも おもほゆるかな 人ごとに
  うとまれにける 世にこそありけれ

 
 となむ。
 

 また、この女、
 

♪166
  忘らるる ときはの山の 音をぞなく
  秋野の虫の 声にみだれて

 

 返し、
 

♪167
  なくなれど おぼつかなくぞ おもほゆる
  声聞くことの 今はなければ

 

 また、おなじ宮、
 

♪168
  雲居にて よをふるころは さみだれの
  あめのしたにぞ 生けるかひなき

 

 返し、
 

♪169
  ふればこそ 声も雲居に 聞こえけめ
  いとどはるけき 心地のみして

 
 

くらまの山 大和物語
第四部
106段
雲居
こと女