大和物語105段:中興の近江介がむすめ、もののけに

滋幹の少将 大和物語
第四部
105段
くらまの山
雲居

登場人物

 
 ♪♀中興の近江介がむすめ
 ♪浄蔵大徳(62段の祈祷師。三善清行の八男)
 ♪♪思ふ人

原文

 
 
 中興の近江介がむすめ、
 もののけにわづらひて、
 浄蔵大徳を験者にしけるほどに、人とかくいひけり。
 
 なほしも、はたあらざりけり。
 しのびてあり経て、人のものいひなども、うたてあり。
 なほ世にあり経じと思ひて、失せにけり。
 鞍馬といふ所にこもりて、いみじう行ひをり。
 

 さすがに、いと恋しうおぼえけり。
 京を思ひやりつつ、よろづのこと、いとあはれにおぼえて行ひけり。
 

 泣く泣くうちふして、かたはらを見れば、文なむ見えける。
 なぞの文ぞと思ひとりて見れば、このわが思ふ人の文なり。
 

 書けることは、
 

♪156
  すみぞめの くらまの山に 入る人は
  たどるたどるも かへり来ななむ

 
 と書けり。
 
 いとあやしく、たれしておこせつらむと思ひをり。
 もて来べきたよりもおぼえず、いとあやしかりければ、
 またひとり、まどひ来にけり。
 

 さて、おこせたりける。
 

♪157
  からくして 思ひわするる 恋しさを
  うたて鳴きつる うぐひすの声

 

 返し、
 

♪158
  さても君 わすれけりかし うぐひすの
  鳴くをりのみや 思ひいづべき

 
 となむいへりける。
 

 また、浄蔵大徳、
 

♪159
  わがために つらき人をば おきながら
  なにの罪なき 世をや恨みむ

 
 ともいひけり。
 
 この女は、になくかしづきて、
 みこたち、上達部よばひ給へど、
 帝に奉らむとてあはせざりけれど、
 このこといできにければ、親も見ずなりにけり。
 
 

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