男
♀女
♪♀女=今の妻
大和の国に、男女ありけり。
年月かぎりなく思ひてすみけるを、いかがしけむ、女を得てけり。
なほもあらず、この家に率て来て、壁を隔ててすゑて、わが方にはさらに寄り来ず。
いと憂しと思へど、さらに言ひもねたまず。
秋の夜の長きに、目をさまして聞けば、鹿なむ鳴きける。
ものも言はで聞きけり。
壁を隔てたる男、
「聞き給ふや、西こそ」
と言ひければ、
「なにごと」
と答へければ、
「この鹿の鳴くは、聞きたうぶや」
と言ひければ、
「さ聞き侍り」
といらへけり。
男、
「さて、それをばいかが聞き給ふ」
と言ひければ、
女、ふといらへけり。
♪264
われもしか なきてぞ人に 恋ひられし
今こそよそに 声をのみ聞け
とよみたりければ、
かぎりなくめでて、この今の妻をば送りて、
もとのごとなむ、すみわたりける。