♪♪♀女
男
♪主語なし
津の国の難波のわたりに家してすむ人ありけり。
あひ知りて年ごろありけり。
女も男も、いと下種にはあらざりけれど、
年ごろわたらひなどもいとわろくなりて、
家もこぼれ、使ふ人なども徳あるところにいきつつ、
ただふたりすみわたるほどに、
さすがに下種にもあらねば、
人にやとはれ、使はれもせず、
いとわびしかりけるままに、思ひわびて、
ふたりいひけるやう、
「なほいとかうわびしうては、えあらじ」、
男は、「かくはかなくてのみいますかめるを見捨てては、いづちもいづちも、えいくまじ」、
女も、「男を捨てては、いづちかいかむ」
とのみいひわたりけるを、
男、
「おのれは、とてもかくても経なむ。
女のかく若きほどに、かくてあるなむ、いといほとしき。
京にのぼり、宮仕へをもせよ。
よろしきやうにもならば、われをもとぶらへ。
おのれも人のごともならば、かならずたづねとぶらはむ」
など泣く泣くいひ契りて、たよりの人にいひつきて、女は京に来けり。
さしはへいづこともなくて来たれば、このつきて来し人のもとにゐて、いとあはれと思ひやりけり。
前に荻すすき、いとおほかる所になむありける。
風など吹けるに、かの津の国を思ひやりて、「いかであらむ」など、悲しくてよみける。
♪248
ひとりして いかにせましと わびつれば
そよとも前の 荻ぞ答ふる
となむひとりごちける。
さて、とかう女さすらへて、ある人のやむごとなき所に宮たてたり。
さて宮仕へしありくほどに、装束清げにし、むつかしきことなどもなくてありければ、いと清げに顔かたちもなりにけり。
かかれど、かの津の国をかた時も忘れず、いとあはれと思ひやりけり。
たより人に、文つけてやりたりければ、
「さいふ人も聞こえず」など、いとはかなくいひつつ来けり。
わがむつまじう知れる人もなかりければ、心ともえやらず、いとおぼつかなく、いかがあらむとのみ思ひやりけり。
かかるほどに、この宮仕へする所の北の方失せ給ひて、これかれある人を召し使ひ給ひなどする中に、この人を思う給ひけり。
思ひつきて、妻になりにけり。
思ふこともなく、めでたげにてゐたるに、ただ人知れず思ふことひとつなむありける。
「いかにしてあらむ。
あやしうてやあらむ。
よくてやあらむ。
わがあり所もえ知らざらむ。
人をやりてたづねさせむとすれど、うたてわが男聞きて、うたてあるさまにもこそあれ」
と念じつつありわたるに、
なほいとあはれにおぼゆれば、男にいひけるやう、
「津の国といふ所の、いとをかしかなるに、いかで難波に祓へしがてらまからむ」
といひければ、
「いとよきこと。われももろともに」
といひければ、
「そこにはなものし給ひそ。おのれひとりまからむ」
といひて、いでたちていにけり。
難波に祓へして、かへりなむとする時に、
「このわたりに見るべきことなむある」
とて、
「いますこし、とやれかくやれ」
といひつつ、この車をやらせつ。
家のありしわたりを見るに、屋もなし人もなし。
いづかたへいにけむ、と悲しう思ひけり。
かかる心ばへにて、ふりはへ来たれど、わがむつまじき従者もなし。
かかれば、たづねさすべき方もなし。
いとあはれなれば、車を立ててながむるに、
ともの人は、
「日暮れぬべし」とて、「御車うながしてむ」といふに、
「しばし」といふところに、
葦になひたる男のかたゐにやうなる姿なる、この車の前よりいきけり。
それが顔を見るに、その人といふべくもあらず、いみじきさまなれど、わが男に似たり。
これを見て、よく見まほしさに、
「この葦もちたるをのこよばせよ。かの葦買はむ」
といはせける。
さりければ、ようなき物買ひ給ふとは思ひけれど、主の宣ふことなれば、よびて買はす。
「車のもと近く荷なひ寄せさせよ。見む」
などいひて、この男の顔をよく見るに、それなりけり。
「いとあはれに、かかる物商ひて世に経る人いかならむ」
といひて泣きければ、
ともの人は、なほおほかたの世をあはれがる、となむ思ひける。
かくて、
「この葦の男に物など食はせよ。物いとおほく葦の値にとらせよ」
といひければ、
「すずろなる者に、なにか物おほくたばむ」
など、ある人々いひければ、しひてもいひにくくて、いかで物とらせむと思ふあひだに、下簾のはざまのあきたるより、この男まぼれば、わが妻に似たり。
あやしさに、心をとどめて見るに、顔も声もそれなりけると思ふに、思ひあはせて、わがさまのいといらなくなりたるを思ひけるに、いとはしたなくて、葦もうち捨てて走り逃げにけり。
「しばし」
といはせけれど、人の家に逃げて入りて、竃のしりへにかがまりをりける。
この車より、
「なほこの男、たづねて率て来」
といひければ、ともの人、手をあかちて、もとめさわぎけり。
人、
「そこなる家になむ侍りける」
といへば、この男に、
「かくおほせごとありて召すなり。
なにの、うちひかせ給ふべきにもあらず。
物をこそたまはせむとすれ。
をさなき者なり」
といふ時に、硯を乞ひて文を書く。
それに、
♪249
君なくて あしかりけりと 思ふにも
いとど難波の 浦ぞすみ憂き
と書きて封じて、
「これを御車に奉れ」
といひければ、あやしと思ひてもて来て奉る。
あけて見るに、悲しきことものに似ず、よよとぞ泣きける。
さて返しはいかがしたりけむ、知らず。
(車に着たりける衣脱ぎて、つつみに文など書き具してやりける。
さてなむかへりける。のちにはいかがなりにけむ、知らず。)
♪250
(あしからじ とてこそ人の わかれけめ
なにか難波の 浦もすみ憂き)