大和物語147段:むかし、津の国にすむ女ありけり

玉淵がむすめ 大和物語
第五部
147段
生田の川
あしかり

登場人物

 
 ♀津の国にすむ女
 男ふたり
 ♀故后の宮
 ♪♪♀伊勢の御息所
 ♪♪♀女一のみこ
 ♪♪♀宮
 ♪♪♀兵衛の命婦
 ♪♪♀糸所の別当

原文

 
 
 むかし、津の国にすむ女ありけり。
 

 それをよばふ男ふたりなむありける。
 ひとりは、その国にすむ男、姓はうばらになむありける。
 いまひとりは、和泉国の人になむありける。姓は、ちぬとなむいひける。
 

 かくてその男ども、としよはひ、顔かたち、人のほど、
 ただおなじばかりなむありける。
 心ざしのまさらむにこそはあらめと思ふに、心ざしのほど、ただおなじやうなり。
 暮るれはもろともに来あひ、物おこすれば、ただおなじやうにおこす。
 いづれまされりと、いふべくもあらず。
 

 女思ひわづらひぬ。
 この人の心ざしのおろかならば、いづれにもあふまじけれど、
 これもかれも、月日を経て家の門に立ちて、よろづに心ざしを見えければ、しわびぬ。
 これよりもかれよりも、おなじやうにおこする物ども、とりもいれねど、いろいろにもちて立てり。
 

 親ありて、
 「かく見苦しく年月を経て、人の嘆きをいたづらにおふもいとほし。
 ひとりひとりにあひなば、いまひとりが思ひは絶えなむ」
 といふに、
 女、
 「ここにもさ思ふに、人の心ざしのおなじやうなるになむ、思ひわづらひぬる。
 さらばいかがすべき」
 といふに、
 そのかみ、生田の川のつらに、女、平張りをうちてゐにけり。
 

 かかれば、そのよばひ人どもを呼びにやりて、親のいふやう、
 「たれもみ心ざしのおなじやうなれば、このをさなき者なむ思ひわづらひにてはべる。
 今日いかにまれ、このことを定めてむ。
 あるは遠き所よりいまする人あり。
 あるはここながらそのいたつきかぎりなし。
 これもかれもいとほしきわざなり」
 といふ時に、
 いとかしこくよろこびあへり。
 
 「申さむと思ひ給ふるやうは、この川に浮きてはべる水鳥を射給へ。
 それを射あて給へらむ人に奉らむ」
 といふ時に、
 「いとよきことなり」
 といひて射るほどに、
 ひとりは頭のかたを射つ。
 いまひとりは、尾のかたを射つ。
 

 そのかみ、
 いづれといふべくもあらぬに、
 

♪237
  すみわびぬ わが身投げてむ 津の国の
  生田の川の 名のみなりけり

 
 とよみて、
 この平張は川にのぞきてしたりければ、つぶりとおち入りぬ。
 

 親、あはてさわぎののしるほどに、
 このよばふ男ふたり、やがておなじ所におち入りぬ。
 ひとりは足をとらへ、いまひとりは手をとらへて死にけり。
 

 そのかみ、親いみじくさわぎて、
 とりあげてなき、ののしりてはぶりす。
 
 男どもの親も来にけり。
 この女の塚のかたはらに、また塚どもつくりてほりうづむ時に、
 津の国の男の親いふやう、
 「おなじ国の男をこそ、おなじ所にはせめ。
 こと国の人の、いかでかこの国の土をばをかすべき」
 といひてさまたぐる時に、
 和泉の方の親、和泉国の土を舟に運びて、
 ここにもて来てなむ、つひにうづみてける。
 

 されば、女の墓をばなかにて、左右になむ、男の墓ども今もあなる。
 
 
 

 かかることどものむかしありけるを、絵にみな書きて、
 故后の宮に、人の奉りたりければ、
 これがうへを、みな人々この人にかはりてよみける。
 

 伊勢の御息所、男の心にて、
 

♪238
  かげとのみ 水のしたにて あひ見れど
  魂なきからは かひなかりけり

 

 女になり給ひて、女一のみこ、
 

♪239
  かぎりなく ふかくしづめる わが魂は
  浮きたる人に 見えむものかは

 

 また、宮、
 

♪240
  いづこにか 魂をもとめむ わたつみの
  ここかしことも おもほえなくに

 

 兵衛の命婦、
 

♪241
  つかのまも もろともにとぞ 契りける
  あふとは人に 見えぬものから

 

 糸所の別当、
 

♪242
  かちまけも なくてや果てむ 君により
  思ひくらぶの 山はこゆとも

 
 生きたりしをりの女になりて、
 

♪243
  あふことの かたみに恋ふる なよ竹の
  たちわづらふと 聞くぞ悲しき

 
 また、
 

♪244
  身を投げて あはむと人に 契らねど
  うき身は水に かげをならべつ

 
 また、いまひとりの男になりて、
 

♪245
  おなじえに すみはうれしき なかなれど
  などわれとのみ 契らざりけむ

 

 返し、女、
 

♪246
  うかりける わがみなそこを おほかたは
  かかる契りの なからましかば

 
 また、ひとりの男になりて、
 

♪247
  われとのみ 契らずながら おなじえに
  すむはうれしき みぎはとぞ思ふ

 
 
 

 さてこの男は、くれ竹のよ長きを切りて、
 狩衣、袴、烏帽子、帯とを入れて、
 弓、胡ぐひ、太刀など入れてぞうづみける。
 
 いまひとりは、おろかなる親にやありけむ、さもせずぞありける。
 かの塚の名をば、をとめ塚とぞいひける。
 

 ある旅人、この塚のもとに宿りたりけるに、
 人のいさかひする音のしければ、
 あやしと思ひて、見せけれど、
 「さることもなし」といひければ、
 あやしと思ふ思ふ、ねぶりたるに、
 血にまみれたる男、
 前に来て、ひざまづきて、
 「われ、かたきにせめられて、わびにてはべり。
 はかし、しばしかし給はらむ。
 ねたき者のむくひしはべらむ」
 といふに、
 おそろしと思へど、かしてけり。
 
 さめて、夢にやあらむと思へど、
 太刀はまことにとらせてやりてける。
 とばかり聞けば、いみじうさきのごといさかふなり。
 
 しばしありて、はじめの男来て、いみじうよろこびて、
 「御徳に年ごろねたき者、うち殺しはべりぬ。
 いまよりは、ながき御まもりとなりはべるべき」
 とて、このことのはじめより語る。
 

 いとむくつけしと思へど、
 めづらしきことなれば問ひ聞くほどに、夜もあけにければ、人もなし。
 
 朝に見れば、塚のもとに、血などなむ流れたりける。
 太刀にも、血つきてなむありける。
 

 いとうとましくおぼゆることなれど、人のいひけるままなり。
 
 

玉淵がむすめ 大和物語
第五部
147段
生田の川
あしかり