大和物語141段:よしいゑといひける宰相のはらから

草枕 大和物語
第五部
141段
思はぬ山
御息所の御姉

登場人物

 
 よしいゑといひける宰相のはらから=大和の掾
 ♀もとの妻
 ♪♪♪♪♀今の妻=筑紫の妻

原文

 
 
 よしいゑといひける宰相のはらから、
 大和の掾といひてありけり。
 

 これがもとの妻のもとに、
 筑紫より女を率て来てすゑたりけり。
 
 もとの妻も、心いとよく、
 今の妻もにくき心なく、いとよく語らひてゐたりけり。
 

 かくてこの男は、ここかしこ人の国がちにのみ歩きければ、
 ふたりのみなむ、ゐたりける。
 

 この筑紫の妻、しのびて男したりける。
 それを、人のとかくいひければ、よみたりける。
 

♪223
  夜はにいでて 月だに見ずは あふことを
  知らずがほにも いはましものを

 
 となむ。
 

 かかるわざをすれど、
 もとの妻、
 いと心よき人なれば、男にもいはでのみありわたりけれども、
 ほかのたよりより、「かく男すなり」と聞きて、
 この男思ひたりけれど、心にもいれで、
 たださるものにて、おきたりけり。
 

 さて、この男、
 「女、こと人にものいふ」と聞きて、
 「その人とわれと、いづれをか思ふ」と問ひければ、
 

 女、
 

♪224
  花すすき 君がかたにぞ なびくめる
  思はぬ山の 風はふけども

 
 となむいひける。
 

 よばふ男もありけり。
 「世の中心憂し。なほ男せじ」
 など、いひけるものなむ、
 この男の返りごとなど、してやりて、
 
 このもとの妻のもとに
 文をなむ、ひき結びておこせたりける。
 見ればかく書けり。
 

♪225
  身を憂しと 思ふ心の こりねばや
  人をあはれと 思ひそむらむ

 
 となむ、
 こりずまによみたりける。
 

 かくて、心のへだてもなくあはれなれば、いとあはれと思ふほどに、男は心かはりにければ、
 ありしごともあらねば、かの筑紫に親はらからなどありければ、いきけるを、
 男も心かはりにければ、とどめでなむ、やりける。
 
 もとの妻なむ、もろともに、ありならひにければ、
 かくていくことを、いと悲しと思ひける。
 

 山崎にもろともにいきてなむ、舟に乗せなどしける。
 男も来たりけり。
 この、うはなり、こなみ、
 ひと日ひと夜、よろづのことをいひ語らひて、
 つとめて、舟に乗りぬ。
 
 いまは、男もとの妻は帰りなむ、とて車に乗りぬ。
 これもかれも、いと悲しと思ふほどに、
 舟に乗り給ひぬる人の文をなむ、もて来たる。
 かくのみなむ、ありける。
 

♪226
  ふたり来し 道とも見えぬ 浪の上を
  思ひかけでも かへすめるかな

 
 といへりければ、
 男も、もとの妻も、いといたうあはれがりて泣きけり。
 
 漕ぎいでていぬれば、え返りごともせず。
 車は舟のゆくを見てえいかず、
 舟に乗りたる人は、車を見るとておもてをさしいでて、漕ぎゆけば、
 遠くなるままに、顔はいとちひさくなるまで見おこせければ、
 いと悲しかりけり。
 
 

草枕 大和物語
第五部
141段
思はぬ山
御息所の御姉