大和物語139段:先帝の御時に、承香殿の

こやくしくそ 大和物語
第五部
139段
あくた川
草枕

登場人物

 
 先帝(通説:60代醍醐天皇。つまり61代朱雀天皇在位930-946年以降の記述と解す)
 ♀承香殿の御息所(源和子:58代光孝天皇皇女・醍醐天皇女御。としこが仕えたとされる人物)
 ♪♪♀中納言の君=女(女房の名。未詳(旧大系)、承香殿の御息所の女房(新編全集)、承香殿の女御の侍女(全訳注))
 故兵部卿の宮=わか男=一の宮(57代陽成天皇第一皇子元良親王:894-943。百人一首20歌人)

原文

 
 
 先帝の御時に、
 承香殿の御息所の御曹司に、
 中納言の君といふ人さぶらひけり。
 
 それを故兵部卿の宮、
 わか男にて、一の宮と聞こえて、色好み給ひけるころ、
 承香殿は、いとちかきほどになむりける。
 
 らうあり、をかしき人々ありと、聞き給うて、
 ものなど宣ひかはしけり。
 
 さりけるころほひ、
 この中納言の君に、しのびて寝給ひそめてけり。
 ときどきおはしましてのち、この宮、をさをさとひ給はざりけり。
 

 さるころ、女のもとよりよみて奉りける。
 

♪217
  人をとく あくた川てふ 津の国の
  なにはたがはぬ 君にぞありける

 

 かくて物も食はで、泣く泣く病になりて、恋ひ奉りける。
 

 かの承香殿の前の松に雪の降りかかりけるを折りて、
 かくなむ聞こえ奉りける。
 

♪218
  来ぬ人を まつの葉に ふる白雪の
  消えこそかへれ あはぬ思ひに

 
 とてなむ、
 「ゆめこの雪おとすな」と、使にいひてなむ、奉りける。
 
 

芥川の解釈

 

 あくた川(芥川)、この必ず京中枢の話題とセットの呼称(それ以外に用いられない。芥川龍之介姓の由来もそう)はセーヌ川的なドブ川と同義で、淀川上流の鴨川の京の視点での蔑称と解す(独自)。

 

 学説は、「大阪府三島郡にある川」(旧大系)、新編全集はそれに続け「淀川の支流」、講談社文庫全訳注は「現大阪府高槻市の西部を流れる淀川の支流」とするが、それは高次の文脈で解釈できず、日本の文献学的本末転倒アプローチで、そこらの地図に当てはめたにすぎない(高槻駅すぐ左に芥川町があり、それは旧三島郡)。言わば銀座の説明として、学者の住所に近い戸越銀座を挙げるようなもの。メジャーな用法を無視している。

 

 なぜ伊勢4段5段で二条の后が五条に通った文脈に続け、伊勢6段の芥河でその話に続け二条の后が外出した時の内裏がらみの話と書いてあるのに、大阪の川のしかも支流の話になる。ありえない。

 

 本段でも、なぜ京中枢の後宮の話をしているときに、大阪の川の話が出る。ありえない。京のメンタリティに反する。さすが東京さんは色々物知りだから発想が違うねという。京に住んだことはないが(記憶はあると思う)。

 

 古文学界は、一度学界全体で解釈の意義を英米トップ大の講師を招いて継続的に研修した方がいいと思う。

 

歌意

 

 して本段の「なにはたがはぬ」は難波潟に引っ掛けるが、そもそも前提の「津の國」の意味を学説は解せない(津の国の芥川と勝手にみなして限定しているに過ぎない)が、それはこういう訳である。

 

「人をとく あくた川てふ 津の国の なにはたがはぬ 君にぞありける」歌の意は、

 人をしてすぐポイ捨てふ ドブ川ちゅうように セッツの国の 名にたがわず臭くて汚いナニの セッスの君でありました。

 うわーこれはひどい。

 

 革命的解釈と思うが、あきれて相手にされないだろう。

「やり捨てか!」と怒った内容だが、蓋をあけてみないと分からないこともある。男は視覚=雰囲気。

 

「人」は世間の人と自分を引っ掛け、「とく」はリリースの「解く」と説明の「説く」を掛け、さらに「とし(早い)」の連用形(新全集)つまり「人をとく飽く」をかけている(全訳注)。

 

 この英語をからめる解釈を読者はありえないと思うだろうが、この下ネタナニ解釈は先例に根拠がある。竹取終盤の「葎はふ下にもとしは經ぬる身の なにかはたまのうてなをもみむ 」(うてな→台→キッチン。玉の小枝・皮衣と合わせ)、私は長いこと処理してませんが、貴朕のナニ(皮袋)の玉はきっちんと見えますかという含意で、まさに本段前提となる前段とほぼ同じ文脈。これは学者がどう説明したことにしようと、他人が説明できるものではない。

 新編全集はこれを「葎の這っているような賤しい家で年を過ごしてきた私が、どうして今さら、金殿玉楼を見て暮らせましょう」とするが金玉が入るのはタマタマか。

 その注釈で「玉のうてな(「うてな」は「台」)は金殿玉楼のこと」とし、根拠に宇津保の「玉のうてなにかしづかるる国王の女御・后」を挙げるが字義でも文脈でも通らない。宇津保の文脈で「玉のうてな」は立場が下の男。一般的な意味に置き換ええれば「宮」(独自。台から金殿を導くのは無理)。ただし宇津保は竹取を独自に理解し流用したものと思う。よって後発の宇津保を根拠にするのは論理的に不適当。自分達はこう思うからこうだというのと同じで、読解は後の他文献ではなく原文に根拠をもたせなければならない。それで、かぐや姫が金殿玉を本気でリスペクトした根拠は何か。

 

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