大和物語172段:亭子の帝、石山につねにまうで給ひ

大和 大和物語
末尾部
172段
岸を洗ふ
良岑宗貞

登場人物

 
 亭子の帝(宇多天皇)
 国の司
 近江守
 ♪黒主

原文

 
 
 亭子の帝、石山につねにまうで給ひけり。
 

 国の司、
 「民疲れ、国ほろびぬべし」
 となむわぶると聞こし召して、こと国々の御庄などにおほせごと給ひければ、
 もてはこびて、御まうけをつかうまつりて、まうで給ひけり。
 

 近江守、
 「いかに聞こし召したるにかあらむ」
 と、嘆きおそれて、
 また、
 「むげに、さてすぐし奉りてむや」
 とて、かへらせ給ふ打出の浜に、世のつねならずめでたき仮屋どもを作りて、
 菊の花のおもしろきを植ゑて、御まうけをつかうまつれりけり。
 

 国の守も、おぢおそれて、ほかにかくれをりて、
 ただ黒主をなむ、すゑおきたりける。
 おはしましすぐるほどに、
 
 殿上人、
 「黒主はなどて、さてはさぶらふぞ」
 と問ひけり。
 

 院も御車おさへさせ給ひて、
 「なにしに、ここにはあるぞ」
 と問はせ給ひければ、
 
 人々、問ひけるに申しける。
 

♪291
  ささら浪 まもなく岸を 洗ふめり
  なぎさ清くは 君とまれとか

 
 とよめりければ、
 これにめで給うてなむとまりて、
 人々に物給ひて、かへらせ給ひける。
 
 

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岸を洗ふ
良岑宗貞