『大和物語』(950年頃成立、著者未詳)。
全173段だが、最長の168段を内容に即し3分割して175段とするのが、対をなす伊勢物語125段にも沿うと思う。
後掲全段一覧参照。
末尾の切断一段を除き、各段必ず一首含む歌物語。
歌語りとする説もあるが、物語の「物」には、「ものす」のように一々言うに足らない・ちょっとしたという口語的意味があり本物語はそれを地で行くもので、平家のように語りメインにされたこともないので不適。これは時代が下り「物」が源氏を経て大層に物々しくなったことによる。
また本物語の各話は、独立しているように見えながら全く別々ではなく前の話は前提にされている(これは伊勢物語と同様のこと)。
本物語の古文史的に最重要の特徴は、物語最初の和歌が女性(伊勢の御)であること(独自。後述)。代表話は姥捨山。
伊勢物語における「昔男」のような中心性はないものの(これを業平とみなしたのは同時の社会と学説の根拠ない安易な誤読で、それを理論づけようと無理な誤りを拡大させている)、本物語では「としこ」なる身元不詳の女官が、冒頭3段から合計10段と全編通して頻出し(3,9,13,25,41,66,67,68,122,137段)、物語を代表する・代名詞的な人物として認知されていることがパラレルになっている(後撰集では俊子として2首)。
この「としこ」の重要性は、帝大系学者が並ぶ旧大系の校注者に連なり、大和物語プロパーの研究者・阿部俊子教授が唯一女性で、日本では立場が弱いと暗黙のうちにみなされる私大で名を連ねること(阪倉篤義;京都、大津有一;東京→金沢、築島裕;東京、阿部俊子;旧筑波→学習院、今井源衛;東京→九州)にもその重みが表されている(最も権威的とみなされる大系シリーズ約150名の校注者中、女性7人で5%未満でその最初の女性校注者が彼女。経歴的・実績的に特別な配慮があったと見ないとこの面子では通らない)。どういう訳か明示はないが配列から大和物語担当と思われる阿部俊子・今井源衛は、としこが初出で源大納言の依頼を受け染物を見繕った話の投影と見れる。人の中身は関係ないかもしれないが。
特に先頭が女子の和歌ということは非常に大きく、女性の歌を先頭にする例は後の女子作品(和泉式部日記・紫式部日記・更級日記、さらに源氏物語・桐壺)では通例でも、先行作品でそのような例は皆無・絶無であり、姥捨山という代表話、さらに評判の美人が老婆になる話(126~128段:檜垣の御)、さらわれて老けた自分に絶望する女性(155段:あさか山)の話が繰り返されることも加えると、著者は100%確実に女性で、蜻蛉日記に先行する日本最初(そして他例がなければ世界初)の女子文学かつ女子歌集と解すべきものである(独自)。
竹取物語はかぐや姫を話題の中心にするが、先頭和歌は石作皇子。本物語は落ちぶれた女子の話が複数あるが、男的にはそうした女性は基本眼中になくなるので一度二度ならともかく何度も描く動機がない。竹取でもおうなは端役。
また上記の老けた女性の話には、全て山が描かれ、そうした文脈と、大和という題を無関係には解せない。
また尼に掛け「あまの川」(103段)。これを単に「天の川」とすると、女性目線の発想ということを見過ごすのではないか。私的には天の川を尼に掛けるのはやめてもらいたいが、そういう男が萎えそうな生々しさを所々ぶちこんで気晴らしする所が女性的なをかしさと思う。
和歌一覧:295首。相当な多作。 伊勢の御は905年古今和歌集において女性で最も多作な歌人。 |
原文全文:173段。しかし168段を3分割して175段にすべきと思う。
高校教科書頻出の代表話は姥捨(156段)。これは新旧全集の題によるが原文かつ有名な「姥捨山」から山をあえて取るのはなぜなのか。 |