古事記の歌一覧。目次と配置はこちらから。
31字の和歌は少なく自由な長歌が多い。それで歌謡という。
上中下巻と巻が下るにつれ増え(9→43→61首)、歌物語の様相を呈する。つまり古事記の著者(太安万侶=稗田阿礼)は、歌人としての性質を強く備える(同じ歴史物語の平家物語は短歌和歌100首、今様連歌漢詩等異式含め106句)。
神と恋歌が歌風のこの時代の実力者とくれば柿本人麻呂だけ。つまり太安万侶こそ人麻呂本人。国の精神的根幹の古事記で113首も記した太安万侶(稗田阿礼でもいい)が万葉集で一首もないのは無理がある。つまり万葉集は万侶集。その語呂合わせ。このような説は皆無だが何の問題もなく証明できる。万侶=人麻呂(字形)、没723と724、共に素性不明の卑官、神話の著者と和歌の神で、共に絶対的影響力がある根幹作品の主。安万侶のペンネームが人麻呂(本を書いた本人)ということに、合理的な疑いを差し挟む余地はない(不合理な=不毛な疑いならいくらでも差し挟むことはできる)。
「伊勢國之三重婇」など無名で立場の弱い人々を出すのも著者が卑官だから。古事記・万葉冒頭で女子の歌が色々出てくるのも恋歌を好む人麻呂だから。赤人の歌風(四季と花鳥風月)や憶良と家持(男達の宴会)と比べても、当時の識字率を考えても、色んな(無名)女子の歌が普通とは言えない。
和歌的にまず重要なのは、古事記1、上巻最初の31字、古今仮名序・平家で参照される出雲八重垣の歌。続いて神武の「うちてしやまん」「神風」、神の枕詞「ちはやぶる」、天子の枕詞「高光る日の御子」「モモシキ」(=宮)、さらに「梓弓」「花橘」「あをによし」といった悲恋や恋歌(滑稽な笑い含む)の伝説的歌詞がちりばめられている。
これらは全て人麻呂歌風の中核をなす歌詞。
高校教科書の定番、ヤマトタケルの「国のまほろば」という思国の歌は中巻31。31は日の枕詞。万葉31は人麻呂の歌(楽浪(ささなみ)の志賀の大わだ淀むとも 昔の人にまたも逢はめやも:左散難弥乃 志我能大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛」)。
古事記の歌の目次と配置 上巻(9首) 中巻(43首) 下巻(61首) |
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上巻(9首) | |||||||||
1 須佐之男 |
2 大国主 |
3 沼河姫 |
4 沼河姫 |
5 大国主 |
6 須勢理姫 |
7 高日子根 |
8 豊玉姫 |
9 火遠理命 |
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中巻(43首) | |||||||||
10 神武 |
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11 神武 |
12 神武 |
13 神武 |
14 神武 |
15 神武 |
16 大久米命 |
17 神武 |
18 伊須氣余理姫 |
19 大久米命 |
20 神武 |
21 伊須氣余理姫 |
22 伊須氣余理姫 |
23 腰裳 少女 |
24 倭建命 |
25 弟橘姫命 |
26 倭建 |
27 御火燒之老人 |
28 倭建 |
29 美夜受姫 |
30 倭建 |
31 倭建 |
32 倭建 |
33 倭建 |
34 倭建 |
35 倭后及御子等 |
36 后及御子等 |
37 后及御子等 |
38 后及御子等 |
39 忍熊王 |
40 息長帶姫御祖 |
41 建内宿禰命 |
42 應神 |
43 應神 |
44 應神 |
45 應神 |
46 太子=大雀命 |
47 太子=大雀命 |
48 吉野之國主等 |
49 吉野之國主等 |
50 應神 |
51 弟王=大雀命 |
52 弟王=大雀命 |
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下巻(61首) | |||||||||
53 仁徳 |
54 仁徳 |
55 仁徳 |
56 黒姫 |
57 黒姫 |
58 大后=石之姫 |
59 大后=石之姫 |
60 仁徳 |
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61 仁徳 |
62 仁徳 |
63 口姫 |
64 仁徳 |
65 仁徳 |
66 八田若郎女 |
67 仁徳 |
68 女鳥王 |
69 女鳥王 |
70 速總別王 |
71 速總別王 |
72 仁徳 |
73 建内宿禰 |
74 建内宿禰 |
75 建内宿禰 |
76 履中 |
77 履中 |
78 一女人 |
79 木梨之輕太子 |
80 木梨之輕太子 |
81 木梨之輕太子 |
82 百官及天下人等 |
83 大前小前宿禰 |
84 輕太子 |
85 輕太子 |
86 輕太子 |
87 輕太子 |
88 衣通王=衣通姫 |
89 衣通王=衣通姫★ |
90 輕太子 |
91 輕太子★ |
92 雄略 |
93 雄略 |
94 雄略 |
95 赤猪子:老女 |
96 赤猪子:老女 |
97 雄略 |
98 無名の側近 |
99 無名の側近 |
100 雄略 |
101 伊勢國之三重婇 |
102 大后 |
103 雄略 |
104 雄略 |
105 袁杼姫 |
106 志毘臣 |
107 袁祁命 |
108 志毘臣 |
109 王子=袁祁命 |
110 志毘臣 |
111 王子=袁祁命 |
112 顯宗 |
113 置目老媼 |
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★89・91は万葉で引用(古事記89が万葉90で引用され古事記と明示される。仮名表記は異なるが同じ歌)。
上記の配置には、以下の特徴がある。
・後世代の歌集のように1つ1つ断片化させず、めりはりをつけて連続させること(万葉と同じ)。
・古事記は本来帝紀なのに、終盤の無名の女の歌が最長であること(伊勢國之三重婇・101)。
・古事記は本来帝紀なのに、歌が100首以上も収録されていること(これは歌集ではない古典として非常な多作であり、わが国の公の一般的な歴史の記し方とはいえない)。
・多く男女の恋愛歌・妻問い(恋)歌であること。
以上の点から古事記は歌人が記したもので、万葉冒頭はその続編と考える。万葉1は古事記下巻の雄略で、2が舒明(古事記最後の推古の次)。
日本書紀はこれらを踏まえて学者達が編纂したもの。最初の神から説をこれでもかと羅列する学者ぶりで、歌人のセンスではない。
番号 | 校定古事記 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (同) |
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八重垣(スサノオ)の歌 |
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故。是以 其速須佐之男命。 |
かれここを以ちて その速須佐の男の命、 |
かくして スサノヲの命は、 |
|
宮可造作之地。 | 宮造るべき地ところを | 宮を造るべき處を | |
求出雲國。 | 出雲の國に求まぎたまひき。 | 出雲の國でお求めになりました。 | |
茲大神 | この大神、 | この神が、 | |
初作須賀宮之時。 | 初め須賀の宮作らしし時に、 | はじめスガの宮をお造りになつた時に、 | |
自其地雲立騰。 | 其地そこより雲立ち騰りき。 | 其處から雲が立ちのぼりました。 | |
爾作御歌。 | ここに御歌よみしたまひき。 | 依つて歌をお詠みになりましたが、 | |
其歌曰。 | その歌、 | その歌は、 | |
♪1 | 夜久毛多都。 | や雲立つ | 雲の叢むらがり起たつ |
伊豆毛夜幣賀岐。 | 出雲八重垣。 | 出雲いずもの國の宮殿。 | |
都麻碁微爾。 | 妻隱つまごみに | 妻と住むために | |
夜幣賀岐都久流。 | 八重垣作る。 | 宮殿をつくるのだ。 | |
曾能夜幣賀岐袁 | その八重垣を。 | その宮殿よ。 | |
※ |
出雲の八重垣神社の神体は立ったオトコのシンボル。それで立つ(多都)と妻(都麻)と夜幣賀岐「袁」。 |
||
八千矛(大国主)の歌 |
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此八千矛神。 | この八千矛やちほこの神、 | このヤチホコの神(大國主の命)が、 | |
將婚高志國之 沼河比賣 幸行之時。 |
高志こしの國の 沼河比賣ぬなかはひめを 婚よばはむとして幸いでます時に、 |
越の國のヌナカハ姫と 結婚しようとしておいでになりました時に、 |
|
到其沼河比賣之家。 | その沼河比賣の家に到りて | そのヌナカハ姫の家に行いつて | |
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お詠みになりました歌は、 | |
♪2 | 夜知富許能 迦微能美許登波 | 八千矛やちほこの 神の命は | ヤチホコの 神樣は |
夜斯麻久爾 都麻麻岐迦泥弖 | 八島國 妻求まぎかねて | 方々の國で 妻を求めかねて | |
登富登富斯 故志能久邇邇 | 遠遠し 高志こしの國に | 遠い遠い 越こしの國に | |
佐加志賣遠 阿理登岐加志弖 | 賢さかし女めを ありと聞かして | 賢かしこい女がいると聞き | |
久波志賣遠 阿理登伎許志弖 | 麗くはし女めを ありと聞きこして | 美しい女がいると聞いて | |
佐用婆比邇 阿理多多斯 | さ婚よばひに あり立たし | 結婚にお出でましになり | |
用婆比邇 阿理迦用婆勢 | 婚ひに あり通はせ、 | 結婚にお通かよいになり、 | |
多知賀遠母 伊麻陀登加受弖 | 大刀が緒も いまだ解かずて、 | 大刀たちの緒おもまだ解かず | |
淤須比遠母 伊麻陀登加泥婆 | 襲おすひをも いまだ解かね、 | 羽織はおりをもまだ脱ぬがずに、 | |
遠登賣能 那須夜伊多斗遠 | 孃子をとめの 寢なすや板戸を | 娘さんの眠つておられる板戸を | |
淤曾夫良比 和何多多勢禮婆 | 押おそぶらひ 吾わが立たせれば、 | 押しゆすぶり立つていると | |
比許豆良比 和何多多勢禮婆 | 引こづらひ 吾わが立たせれば、 | 引き試みて立つていると、 | |
阿遠夜麻邇 奴延波那伎奴。 | 青山に ぬえは鳴きぬ。 | 青い山ではヌエが鳴いている。 | |
佐怒都登理 岐藝斯波登與牟 | さ野のつ鳥 雉子きぎしは響とよむ。 | 野の鳥の雉きじは叫んでいる。 | |
爾波都登理 迦祁波那久 | 庭つ鳥 鷄かけは鳴く。 | 庭先でニワトリも鳴いている。 | |
宇禮多久母 那久那留登理加 | うれたくも 鳴くなる鳥か。 | 腹が立つさまに鳴く鳥だな | |
許能登理母 宇知夜米許世泥 | この鳥も うち止やめこせね。 | こんな鳥はやっつけてしまえ。 | |
伊斯多布夜 阿麻波勢豆加比 | いしたふや 天馳使あまはせづかひ、 | 下におります走り使をする者の | |
許登能加多理其登母 許遠婆 | 事の語りごとも こをば。 | 事ことの語かたり傳つたえはかようでございます。 | |
ヌナカハ姫の歌 |
|||
爾其 沼河日賣。 |
ここにその 沼河日賣 ぬなかはひめ、 |
そこで、その ヌナカハ姫が、 |
|
未開戶。 | いまだ戸を開ひらかずて | まだ戸を開あけないで、 | |
自内歌曰。 | 内より歌よみしたまひしく、 | 家の内で歌いました歌は、 | |
♪3 | 夜知富許能 迦微能美許等 | 八千矛やちほこの神の命 | ヤチホコの神樣、 |
奴延久佐能 賣邇志阿禮婆 | ぬえくさの 女めにしあれば、 | 萎しおれた草のような女のことですから | |
和何許許呂 宇良須能登理叙 | 吾わが心 浦渚うらすの鳥ぞ。 | わたくしの心は 漂う水鳥、 | |
伊麻許曾婆 和杼理邇阿良米 | 今こそは 吾わ鳥にあらめ。 | 今いまこそわたくし鳥どりでも | |
能知波 那杼理爾阿良牟遠 | 後は 汝鳥などりにあらむを、 | 後のちにはあなたの鳥になりましよう。 | |
伊能知波 那志勢多麻比曾 | 命は な死しせたまひそ。 | 命いのち長ながくお生いき遊あそばしませ。 | |
伊斯多布夜 阿麻波世豆迦比 | いしたふや 天馳使、 | 下におります走り使をする者の | |
許登能 加多理碁登母 | 事の語りごとも | 事ことの語かたり傳つたえは | |
許遠婆 | こをば。 | かようでございます。 | |
♪4 | 阿遠夜麻邇 比賀迦久良婆 | 青山に 日が隱らば、 | 青い山やまに日ひが隱かくれたら |
奴婆多麻能 用波伊傳那牟 | ぬばたまの 夜は出でなむ。 | 眞暗まつくらな夜よになりましよう。 | |
阿佐比能 恵美佐加延岐弖 | 朝日の 咲ゑみ榮え來て、 | 朝のお日樣ひさまのようににこやかに來て | |
多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐 | たくづのの 白き腕ただむき | コウゾの綱のような白い腕、 | |
阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 | 沫雪の わかやる胸を | 泡雪のような若々しい胸を | |
曾陀多岐 多多岐麻那賀理 | そ叩だたき 叩きまながり | そつと叩いて手をとりかわし | |
麻多麻傳 多麻傳佐斯麻岐 | 眞玉手 玉手差し纏まき | 玉のような手をまわして | |
毛毛那賀爾 伊波那佐牟遠 | 股もも長に 寢いは宿なさむを。 | 足を伸のばしてお休みなさいましようもの。 | |
阿夜爾 那古斐支許志 | あやに な戀ひきこし。 | そんなにわびしい思おもいをなさいますな。 | |
夜知富許能 迦微能美許登 | 八千矛の 神の命。 | ヤチホコの神樣かみさま。 | |
許登能 迦多理碁登母 | 事の語りごとも | 事ことの語かたり傳つたえは、 | |
許遠婆 | こをば。 | かようでございます。 | |
スセリ姫への歌 |
|||
又其神之嫡后 須勢理毘賣命。 |
またその神の嫡后おほぎさき 須勢理毘賣すせりびめの命、 |
またその神のお妃きさき スセリ姫の命は、 |
|
甚爲嫉妬。 |
いたく嫉妬うはなり ねたみしたまひき。 |
大變たいへん嫉妬深し つとぶかい方かたでございました。 |
|
故其日子遲神 和備弖。〈三字以音〉 |
かれその日子ひこぢの神 侘わびて、 |
それを夫おつとの君は 心憂うく思つて、 |
|
自出雲。 | 出雲より | 出雲から | |
將上坐倭國而。 | 倭やまとの國に上りまさむとして、 | 大和の國にお上りになろうとして、 | |
束裝立時。 | 裝束よそひし立たす時に、 | お支度遊ばされました時に、 | |
片御手者。繋御馬之鞍。 | 片御手は御馬みまの鞍に繋かけ、 | 片手は馬の鞍に懸け、 | |
片御足蹈入其御鐙而。 | 片御足はその御鐙みあぶみに蹈み入れて、 | 片足はその鐙あぶみに蹈み入れて、 | |
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お歌うたい遊ばされた歌は、 | |
♪5 | 奴婆多麻能 久路岐美祁斯遠 | ぬばたまの 黒き御衣みけしを | カラスオウギ色いろの黒い御衣服おめしものを |
麻都夫佐爾 登理與曾比 | まつぶさに 取り裝よそひ | 十分に身につけて、 | |
淤岐都登理 牟那美流登岐 | 奧おきつ鳥 胸むな見る時、 | 水鳥のように胸を見る時、 | |
波多多藝母 許禮婆布佐波受 | 羽はたたぎも これは宜ふさはず、 | 羽敲はたたきも似合わしくない、 | |
幣都那美 曾邇奴岐宇弖 | 邊へつ浪 そに脱き棄うて、 | 波うち寄せるそこに脱ぎ棄て、 | |
蘇邇杼理能 阿遠岐美祁斯遠 | そにどりの 青き御衣みけしを | 翡翠色ひすいいろの青い御衣服おめしものを | |
麻都夫佐邇 登理與曾比 | まつぶさに 取り裝ひ | 十分に身につけて | |
於岐都登理 牟那美流登岐 | 奧つ鳥 胸見る時、 | 水鳥のように胸を見る時、 | |
波多多藝母 許母布佐波受 | 羽たたぎも こも宜ふさはず、 | 羽敲はたたきもこれも似合わしくない、 | |
幣都那美 曾邇奴棄宇弖 | 邊つ浪 そに脱き棄うて、 | 波うち寄せるそこに脱ぎ棄て、 | |
夜麻賀多爾 麻岐斯 | 山縣に 蒔まきし | 山畑やまはたに蒔まいた | |
阿多泥都岐 | あたねつき | 茜草あかねぐさを舂ついて | |
曾米紀賀斯流邇 | 染そめ木が汁しるに | 染料の木の汁で | |
斯米許呂母遠 | 染衣しめごろもを | 染めた衣服を | |
麻都夫佐邇 登理與曾比 | まつぶさに 取り裝ひ | 十分に身につけて、 | |
淤岐都登理 牟那美流登岐 | 奧つ鳥 胸見る時、 | 水鳥のように胸を見る時、 | |
波多多藝母 許斯與呂志 | 羽たたぎも 此こしよろし。 | 羽敲はたたきもこれはよろしい。 | |
伊刀古夜能 伊毛能美許等 | いとこやの 妹の命、 | 睦むつましのわが妻よ、 | |
牟良登理能 和賀牟禮伊那婆 | 群むら鳥の 吾わが群れ往いなば、 | 鳥の群むれのようにわたしが群れて行つたら、 | |
比氣登理能 和賀比氣伊那婆 | 引け鳥の 吾が引け往なば、 | 引いて行ゆく鳥のようにわたしが引いて行つたら、 | |
那迦士登波 那波伊布登母 | 泣かじとは 汝なは言ふとも、 | 泣かないとあなたは云つても、 | |
夜麻登能 比登母登須須岐 | 山跡やまとの 一本ひともとすすき | 山地やまぢに立つ一本薄いつぽんすすきのように、 | |
宇那加夫斯 那賀那加佐麻久 | 項うな傾かぶし 汝が泣かさまく | うなだれてあなたはお泣きになつて、 | |
阿佐阿米能 疑理邇多多牟敍 | 朝雨の さ霧に立たたむぞ。 | 朝の雨の霧に立つようだろう。 | |
和加久佐能 都麻能美許登 | 若草の 嬬つまの命。 | 若草のようなわが妻よ。 | |
許登能 加多理碁登母 | 事の 語りごとも | 事ことの語かたり傳つたえは、 | |
許遠婆 | こをば。 | かようでございます。 | |
神語:スセリ姫の歌 |
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爾其后。 | ここにその后きささ | そこで、そのお妃きさきが、 | |
取大御酒坏。 | 大御酒杯さかづきを取らして、 | 酒盃さかずきをお取りになり、 | |
立依指擧而。 | 立ち依り指擧ささげて、 | 立ち寄り捧げて、 | |
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お歌いになつた歌、 | |
♪6 | 夜知富許能 加微能美許登夜 | 八千矛の 神の命や、 | ヤチホコの神樣かみさま、 |
阿賀淤富久邇奴斯。 | 吾あが大國主。 | わたくしの大國主樣おおくにぬしさま。 | |
那許曾波 遠邇伊麻世婆 | 汝なこそは 男をにいませば、 | あなたこそ男ですから | |
宇知微流 斯麻能佐岐耶岐 | うち廻みる 島の埼埼 | 廻つている岬々みさきみさきに | |
加岐微流 伊蘇能佐岐淤知受 | かき廻みる 磯の埼おちず、 | 廻つている埼さきごとに | |
和加久佐能 都麻母多勢良米 | 若草の 嬬つま持たせらめ。 | 若草のような方をお持ちになりましよう。 | |
阿波母與 賣邇斯阿禮婆 | 吾あはもよ 女めにしあれば、 | わたくしは女おんなのことですから | |
那遠岐弖 遠波那志 | 汝なを除きて 男をは無し。 | あなた以外に男は無く | |
那遠岐弖 都麻波那斯 | 汝なを除て 夫つまは無し。 | あなた以外に夫おつとはございません。 | |
阿夜加岐能 布波夜賀斯多爾 | 文垣あやかきの ふはやが下に、 | ふわりと垂たれた織物おりものの下で、 | |
牟斯夫須麻 爾古夜賀斯多爾 | 蒸被むしぶすま 柔にこやが下に、 | 暖あたたかい衾ふすまの柔やわらかい下したで、 | |
多久夫須麻 佐夜具賀斯多爾 | たくぶすま さやぐが下に、 | 白しろい衾ふすまのさやさやと鳴なる下したで、 | |
阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 | 沫雪あわゆきの わかやる胸を | 泡雪あわゆきのような若々しい胸を | |
多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐 | たくづのの 白き臂ただむき | コウゾの綱のような白い腕で、 | |
曾陀多岐 多多岐麻那賀理 | そ叩だたき 叩きまながり | そつと叩いて手をさしかわし | |
麻多麻傳 多麻傳佐斯麻岐 | ま玉手 玉手差し纏まき | 玉のような手を廻して | |
毛毛那賀邇 伊遠斯那世 | 股長ももながに 寢いをしなせ。 | 足をのばしてお休み遊ばせ。 | |
登與美岐 多弖麻都良世 | 豐御酒とよみき たてまつらせ。 | おいしいお酒さけをお上あがり遊あそばせ。 | |
如此歌。 | かく歌ひて、 | そこで | |
即爲 宇伎由比〈四字以音〉而。 |
すなはち 盞うき結ゆひして、 |
盃さかずきを取とり交かわして、 | |
宇那賀氣理弖。 〈六字以音〉 |
項懸うながけりて、 | 手てを懸かけ合あつて、 | |
至今鎭坐也。 | 今に至るまで鎭ります。 | 今日までも鎭しずまつておいでになります。 | |
此謂之 神語也。 |
こを 神語かむがたりといふ。 |
これらの歌は 神語かむがたりと申す歌曲かきよくです。 |
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夷振:タカヒコネの歌 |
|||
故 阿治志貴高日子根神者。 |
かれ 阿治志貴高日子根の神は、 |
そこで アヂシキタカヒコネの神が |
|
忿而飛去之時。 | 忿いかりて飛び去りたまふ時に、 | 怒つて飛び去つた時に、 | |
其伊呂妹 高比賣命。 |
その同母妹いろも 高比賣たかひめの命、 |
その妹の 下照る姫が |
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思顯其御名。 | その御名を顯さむと思ほして | 兄君のお名前を顯そうと思つて | |
故歌曰。 | 歌ひたまひしく、 | 歌つた歌は、 | |
♪7 | 阿米那流夜 淤登多那婆多能 | 天なるや 弟棚機おとたなばたの | 天の世界の 若わかい織姫おりひめの |
宇那賀世流 多麻能美須麻流 | うながせる 玉の御統みすまる、 | 首くびに懸けている 珠たまの飾かざり | |
美須麻流能 阿那陀麻波夜 | 御統に あな玉はや。 | その珠の飾りの 大きい珠のような方 | |
美多邇 布多和多良須 | み谷たに 二ふたわたらす | 谷たに 二ふたつ一度にお渡りになる | |
阿治志貴 多迦比古泥能迦微曾也 |
阿遲志貴高日子根 あぢしきたかひこねの神ぞ。 |
アヂシキ タカヒコネの神でございます。 |
|
と歌いました。 | |||
此歌者夷振也。 | この歌は夷振ひなぶりなり。 | この歌は夷振ひなぶりです。 | |
豊玉姫の歌 |
|||
爾 豐玉毘賣命。 |
ここに 豐玉とよたま毘賣の命、 |
しかるに トヨタマ姫の命は |
|
知 其伺見之事。 |
その伺見かきまみたまひし事を 知りて、 |
窺見のぞきみなさつた事を お知りになつて、 |
|
以爲心恥。 | うら恥やさしとおもほして、 | 恥かしい事にお思いになつて | |
乃生置其御子而。 |
その御子を生み置きて 白さく、 |
御子を産み置いて | |
白妾 恆通海道。 |
「妾あれ、 恆は海道うみつぢを通して、 |
「わたくしは 常に海の道を通つて |
|
欲往來。 | 通はむと思ひき。 | 通かよおうと思つておりましたが、 | |
然。 伺見 吾形。 |
然れども 吾が形を 伺見かきまみたまひしが、 |
わたくしの形を 覗のぞいて御覽になつたのは |
|
是甚怍。 | いと怍はづかしきこと」とまをして、 | 恥かしいことです」と申して、 | |
之即塞海坂 而返入。 |
すなはち海坂うなさかを塞せきて、 返り入りたまひき。 |
海の道をふさいで 歸つておしまいになりました。 |
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是以名 其所產之御子。 |
ここを以ちて その産うみませる御子に名づけて、 |
そこで お産うまれになつた御子の名を |
|
謂 天津 日高日子 波限建 鵜葺草葺不合命。 |
天あまつ 日高日子ひこひこ 波限建なぎさたけ 鵜葺草葺合 うがやふきあへずの命 とまをす。 |
アマツ ヒコヒコ ナギサタケ ウガヤフキアヘズの命 と申し上げます。 |
|
〈訓波限云那藝佐。 訓葺草云加夜〉 |
|||
然後者。 | 然れども後には、 | しかしながら後には | |
雖恨 其伺情。 |
その伺見かきまみたまひし 御心を恨みつつも、 |
窺見のぞきみなさつた 御心を恨みながらも |
|
不忍 戀心。 |
戀こふる心に え忍あへずして、 |
戀しさに お堪えなさらないで、 |
|
因治養 其御子之縁。 |
その御子を 養ひたしまつる縁よしに因りて、 |
その御子を 御養育申し上げるために、 |
|
附 其弟 玉依毘賣而。 |
その弟いろと 玉依毘賣に 附けて、 |
その妹の タマヨリ姫を差しあげ、 それに附けて |
|
獻歌之。 | 歌獻りたまひき。 | 歌を差しあげました。 | |
其歌曰。 | その歌、 | その歌は、 | |
♪8 | 阿加陀麻波 袁佐閇比迦禮杼 | 赤玉は 緒さへ光ひかれど、 | 赤い玉は 緒おまでも光りますが、 |
斯良多麻能 岐美何余曾比斯 | 白玉の 君が裝よそひし | 白玉のような 君のお姿は | |
多布斗久阿理祁理 | 貴くありけり。 | 貴たつといことです。 | |
爾其 比古遲。 〈三字以音〉 |
かれその 日子 ひこぢ |
そこでその 夫の君が |
|
答歌曰。 | 答へ歌よみしたまひしく、 | お答えなさいました歌は、 | |
♪9 | 意岐都登理 加毛度久斯麻邇 | 奧おきつ鳥 鴨著どく島に | 水鳥みずとりの鴨かもが 降おり著つく島で |
和賀韋泥斯 伊毛波和須禮士 | 我が率寢ゐねし 妹は忘れじ。 | 契ちぎりを結んだ 私の妻は忘れられない。 | |
余能許登碁登邇 | 世の盡ことごとに。 | 世の終りまでも。 | |
番号 | 校定古事記 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (同) |
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宇陀の血原(歌の力) |
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然而。 其弟宇迦斯之 獻大饗者。 |
然して その弟宇迦斯おとうかしが 獻れる大饗おほみあへをば、 |
そうしてそのオトウカシが 獻上した御馳走を |
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悉賜其御軍。 | 悉にその御軍みいくさに賜ひき。 | 悉く軍隊に賜わりました。 | |
此時歌曰。 |
この時、 御歌よみしたまひしく、 |
その時に 歌をお詠みになりました。それは、 |
|
♪10 | 宇陀能 多加紀爾 | 宇陀の 高城たかきに | 宇陀の 高臺たかだいで |
志藝和那波留 | 鴫羂しぎわな張る。 | シギの網あみを張る。 | |
和賀麻都夜 志藝波佐夜良受 | 我わが待つや 鴫は障さやらず、 | わたしが待まつているシギは懸からないで | |
伊須久波斯 久治良佐夜流 | いすくはし 鷹くぢら障さやる。 | 思いも寄らないタカが懸かつた。 | |
古那美賀 那許波佐婆 | 前妻こなみが 菜な乞はさば、 | 古妻ふるづまが食物を乞うたら | |
多知曾婆能 微能那祁久袁 | たちそばの 實の無なけくを | ソバノキの實のように | |
許紀志斐惠泥 | こきしひゑね。 | 少しばかりを削つてやれ。 | |
宇波那理賀 那許婆佐婆 | 後妻うはなりが 菜乞はさば、 | 新しい妻が食物を乞うたら | |
伊知佐加紀 微能意富祁久袁 | いちさかき實みの大けくを | イチサカキの實のように | |
許紀陀斐惠泥 | こきだひゑね | 澤山に削つてやれ。 | |
疊疊〈音引〉志夜胡志夜 | ええ、しやこしや。 | ええ | |
此者伊碁能布曾。 〈此五字以音〉 |
こは いのごふぞ。 | やつつけるぞ。 | |
阿阿〈音引〉志夜胡志夜。 | ああ、しやこしや。 | ああ | |
此者嘲咲者也 | こは 嘲咲あざわらふぞ。 | よい氣味きみだ。 | |
故其 弟宇迦斯。 |
かれその 弟宇迦斯、 |
その オトウカシは |
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〈此者。宇陀 水取等之祖也〉 |
こは宇陀の 水取もひとり等が祖なり。 |
宇陀の 水取もひとり等の祖先です。 |
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うちてしやまんの歌 |
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自其地幸行。 | 其地そこより幸でまして、 | 次に、 | |
到忍坂 大室之時。 |
忍坂おさかの 大室に到りたまふ時に、 |
忍坂おさかの 大室おおむろにおいでになつた時に、 |
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生尾土雲 〈訓云具毛〉 八十建。 |
尾ある土雲 八十建 やそたける、 |
尾のある穴居の人 八十人の武士が |
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在其室 待伊那流。 〈此三字以音〉 |
その室にありて 待ちいなる。 |
その室にあつて 威張いばつております。 |
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故爾 天神御子之命以。 |
かれここに 天つ神の御子の命もちて、 |
そこで 天の神の御子の御命令で |
|
饗賜 八十建。 |
御饗みあへを 八十建やそたけるに賜ひき。 |
お料理を賜わり、 | |
於是 宛八十建。 設八十膳夫。 |
ここに 八十建に宛てて、 八十膳夫かしはでを設まけて、 |
八十人の武士に當てて 八十人の料理人を用意して、 |
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毎人佩刀。 誨其膳夫等曰。 |
人ごとに刀たち佩けて その膳夫かしはでどもに、 誨へたまはく、 |
その人毎に大刀を佩はかして、 その料理人どもに |
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聞歌之者。 | 「歌を聞かば、 | 「歌を聞いたならば | |
一時共斬。 |
一時もろともに斬れ」 とのりたまひき。 |
一緒に立つて武士を斬れ」 とお教えなさいました。 |
|
故明 將打其土雲之歌 曰。 |
かれその土雲を 打たむとすることを 明あかして歌よみしたまひしく、 |
その穴居の人を 撃とうとすることを 示した歌は、 |
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♪11 | 意佐加能 意富牟盧夜爾 | 忍坂おさかの 大室屋に | 忍坂おさかの大きな土室つちむろに |
比登佐波爾 岐伊理袁理 | 人多さはに 來き入り居り。 | 大勢の人が入り込んだ。 | |
比登佐波爾 伊理袁理登母 | 人多に 入り居りとも、 | よしや大勢の人がはいつていても | |
美都美都斯 久米能古賀 | みつみつし 久米の子が、 | 威勢のよい久米くめの人々が | |
久夫都都伊 伊斯都都伊母知 | 頭椎くぶつつい 石椎いしつついもち | 瘤大刀こぶたちの石大刀いしたちでもつて | |
宇知弖斯夜麻牟 | 撃ちてしやまむ。 | やつつけてしまうぞ。 | |
美都美都斯 久米能古良賀 | みつみつし 久米の子らが、 | 威勢のよい久米の人々が | |
久夫都都伊 伊斯都都伊母知 | 頭椎い 石椎いもち | 瘤大刀の石大刀でもつて | |
伊麻宇多婆余良斯 | 今撃たば善よらし。 | そら今撃つがよいぞ。 | |
如此歌而。 | かく歌ひて、 | かように歌つて、 | |
拔刀。 一時打殺也。 |
刀を拔きて、 一時に打ち殺しつ。 |
刀を拔いて 一時に打ち殺してしまいました。 |
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うちてし野蛮の歌 |
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然後 將撃 登美毘古之時。 |
然ありて後に、 登美毘古を 撃ちたまはむとする時、 |
その後、 ナガスネ彦を お撃ちになろうとした時に、 |
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歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お歌いになつた歌は、 | |
♪12 | 美都美都斯 | みつみつし | 威勢のよい |
久米能古良賀 | 久米の子らが | 久米の人々の | |
阿波布爾波 | 粟生あはふには | アワの畑はたけには | |
賀美良比登母登 | 臭韮かみら一莖もと、 | 臭いニラが一本ぽん生はえている。 | |
曾泥賀母登 | そねが莖もと | その根ねのもとに、 | |
曾泥米都那藝弖 | そね芽め繋つなぎて | その芽めをくつつけて | |
宇知弖志夜麻牟 | 撃ちてしやまむ。 | やつつけてしまうぞ。 | |
又歌曰。 | また、歌よみしたまひしく、 | また、 | |
♪13 | 美都美都斯。 | みつみつし | 威勢のよい |
久米能古良賀。 | 久米の子らが | 久米の人々の | |
加岐母登爾。 | 垣下もとに | 垣本かきもとに | |
宇惠志波士加美。 | 植うゑし山椒はじかみ、 | 植えたサンシヨウ、 | |
久知比比久。 | 口ひひく | 口がひりひりして | |
和禮波和須禮士。 | 吾われは忘れじ。 | 恨みを忘れかねる。 | |
宇知弖斯夜麻牟。 | 撃ちてしやまむ。 | やつつけてしまうぞ。 | |
うちてし野蛮神風の歌 |
|||
又歌曰。 | また、歌よみしたまひしく、 | また、 | |
♪14 | 加牟加是能 | 神風かむかぜの | 神風かみかぜの吹く |
伊勢能宇美能 | 伊勢の海の | 伊勢の海の | |
意斐志爾 | 大石おひしに | 大きな石に | |
波比母登富呂布 | はひもとほろふ | 這い廻まわつている | |
志多陀美能 | 細螺しただみの、 | 細螺しただみのように | |
伊波比母登富理 | いはひもとほり | 這い廻つて | |
宇知弖志夜麻牟 | 撃ちてしやまむ。 | やつつけてしまうぞ。 | |
又撃 兄師木。 弟師木之時。 |
また 兄師木えしき 弟師木おとしきを 撃ちたまふ時に、 |
また、 エシキ、 オトシキを お撃ちになりました時に、 |
|
御軍暫疲。 | 御軍暫しまし疲れたり。 | 御軍の兵士たちが、少し疲れました。 | |
爾歌曰。 | ここに歌よみしたまひしく、 | そこでお歌い遊ばされたお歌、 | |
♪15 | 多多那米弖。 | 楯並たたなめて | 楯たてを竝ならべて射いる、 |
伊那佐能夜麻能。 | 伊那佐いなさの山の | そのイナサの山の | |
許能麻用母。 | 樹この間よも | 樹この間まから | |
伊由岐麻毛良比。 | い行きまもらひ | 行き見守つて | |
多多加閇婆。 | 戰へば | 戰爭いくさをすると | |
和禮波夜惠奴。 | 吾われはや飢ゑぬ。 | 腹が減へつた。 | |
志麻都登理。 | 島つ鳥 | 島しまにいる | |
宇〈上〉加比賀登母。 | 鵜養うかひが徒とも、 | 鵜うを養かう人々よ | |
伊麻須氣爾許泥。 | 今助すけに來ね。 | すぐ助けに來てください。 | |
七乙女 |
|||
於是七媛女。 | ここに七媛女をとめ、 | ある時七人の孃子が | |
遊行於 高佐士野。 〈佐士二字以音〉 |
高佐士野 たかさじのに遊べるに、 |
大和の タカサジ野で遊んでいる時に、 |
|
伊須氣余理比賣 在其中。 |
伊須氣余理比賣 いすけよりひめその中にありき。 |
このイスケヨリ姫も 混まじつていました。 |
|
爾大久米命。 | ここに大久米の命、 | そこでオホクメの命が、 | |
見其伊須氣余理比賣而。 | その伊須氣余理比賣を見て、 | そのイスケヨリ姫を見て、 | |
以歌白於天皇曰。 | 歌もちて天皇にまをさく、 | 歌で天皇に申し上げるには、 | |
♪16 | 夜麻登能 | 倭やまとの | 大和の國の |
多加佐士怒袁 | 高佐士野を | タカサジ野のを | |
那那由久 | 七なな行く | 七人行く | |
袁登賣杼母 | 媛女をとめども、 | 孃子おとめたち、 | |
多禮袁志摩加牟 | 誰をしまかむ。 | その中の誰をお召しになります。 | |
爾 伊須氣 余理比賣者。 |
ここに 伊須氣 余理比賣は、 |
この イスケヨリ姫は、 |
|
立其媛女等 之前。 |
その媛女どもの 前さきに立てり。 |
その時に孃子たちの 前さきに立つておりました。 |
|
乃天皇見 其媛女等而。 |
すなはち天皇、 その媛女どもを見て、 |
天皇は その孃子たちを御覽になつて、 |
|
御心知 伊須氣余理比賣 立於最前。 |
御心に 伊須氣余理比賣の 最前いやさきに立てることを知らして、 |
御心に イスケヨリ姫が 一番前さきに立つていることを知られて、 |
|
以歌答曰。 | 歌もちて答へたまひしく、 | お歌でお答えになりますには、 | |
♪17 | 加都賀都母 | かつがつも | まあまあ |
伊夜佐岐陀弖流 | いや先立てる | 一番先に立つている娘こを | |
延袁斯麻加牟 | 愛えをしまかむ。 | 妻にしましようよ。 | |
入墨の秘密(黥≒刑) |
|||
爾大久米命。 | ここに大久米の命、 | ここにオホクメの命が、 | |
以天皇之命。 | 天皇の命を、 | 天皇の仰せを | |
詔其 伊須氣余理比賣之時。 |
その伊須氣余理比賣に 詔のる時に、 |
そのイスケヨリ姫に傳えました時に、 | |
見其大久米命 黥 利目而。 |
その大久米の命の 黥さける 利目とめを見て、 |
姫はオホクメの命の 眼の裂目さけめに 黥いれずみをしているのを見て |
|
思奇歌曰。 |
奇あやしと思ひて、 歌ひたまひしく、 |
不思議に思つて、 | |
♪18 | 阿米都都 | 天地あめつつ | 天地間てんちかんの |
知杼理麻斯登登 | ちどりましとと |
千人にん勝まさりの 勇士ゆうしだというに、 |
|
那杼佐祁流斗米 | など黥さける利目とめ。 |
どうして目めに 黥いれずみをしているのです。 |
|
と歌いましたから、 | |||
爾大久米命 答歌曰。 |
ここに大久米の命、 答へ歌ひて曰ひしく、 |
オホクメの命が答えて歌うには、 | |
♪19 | 袁登賣爾 | 媛女に | お孃さんに |
多陀爾阿波牟登 | 直ただに逢はむと | すぐに逢おうと思つて | |
和加佐祁流斗米 | 吾わが黥ける利目とめ | 目に黥いれずみをしております。 | |
と歌いました。 | |||
故其孃子。 | かれその孃子をとめ、 | かくてその孃子は | |
白之仕奉也。 | 「仕へまつらむ」とまをしき。 | 「お仕え申しあげましよう」と申しました。 | |
サヰ河(サギか) |
|||
於是其 伊須氣余理比賣命 之家。 |
ここにその 伊須氣余理比賣の命の家は、 |
その イスケヨリ姫のお家は |
|
在狹井河之上。 | 狹井さゐ河の上うへにあり。 | サヰ河のほとりにありました。 | |
天皇幸行 其伊須氣余理比賣 之許。 |
天皇、 その伊須氣余理比賣のもとに 幸いでまして、 |
この姫のもとに おいでになつて |
|
一宿御寢坐也。 | 一夜御寢みねしたまひき。 | 一夜お寢やすみになりました。 | |
〈其河謂 佐韋河由者。 |
(その河を 佐韋河といふ由は、 |
その河をサヰ河というわけは、 | |
於其河邊 山由理草 多在。 |
その河の邊に、 山百合草 多くあり。 |
河のほとりに 山百合やまゆり草が 澤山ありましたから、 |
|
故取其 山由理草之名。 |
かれその 山百合草の名を取りて、 |
その名を取つて | |
號佐韋河也。 | 佐韋河と名づく。 | 名づけたのです。 | |
山由理草之 本名云佐韋也〉 |
山百合草の 本の名佐韋といひき) |
山百合草のもとの名は サヰと言つたのです。 |
|
後其 伊須氣余理比賣。 |
後にその 伊須氣余理比賣いすけよりひめ、 |
後にその姫が | |
參入宮内之時。 | 宮内おほみやぬちにまゐりし時に、 | 宮中に參上した時に、 | |
天皇御歌曰。 | 天皇、御歌よみしたまひしく、 | 天皇のお詠みになつた歌は、 | |
♪20 | 阿斯波良能 | 葦原の | アシ原の |
志祁志岐袁夜邇 | しけしき小屋をやに | アシの繁つた小屋に | |
須賀多多美 | 菅疊すがたたみ | スゲの蓆むしろを | |
伊夜佐夜斯岐弖 | いや清さや敷きて、 | 清らかに敷いて、 | |
和賀布多理泥斯 | わが二人寢し。 | 二人ふたりで寢たことだつたね。 | |
故天皇崩後。 | かれ天皇崩かむあがりまして後に、 | 天皇がお隱れになつてから、 | |
其庶兄 當藝志美美命。 |
その庶兄まませ 當藝志美美 たぎしみみの命、 |
その庶兄ままあにの タギシミミの命が、 |
|
娶其嫡后 伊須氣余理比賣之時。 |
その嫡后おほぎさき 伊須氣余理比賣に娶あへる時に、 |
皇后の イスケヨリ姫と結婚した時に、 |
|
將殺 其三弟而。 |
その三柱の弟おとみこたちを 殺しせむとして、 |
三人の弟たちを 殺ころそうとして |
|
謀之間。 | 謀るほどに、 | 謀はかつたので、 | |
其御祖 伊須氣余理比賣 患苦而。 |
その御祖みおや 伊須氣余理比賣、 患苦うれへまして、 |
母君ははぎみの イスケヨリ姫が 御心配になつて、 |
|
以歌。 令知 其御子等。 歌曰。 |
歌もちて その御子たちに 知らしめむとして 歌よみしたまひしく、 |
歌で この事を御子たちに お知らせになりました。 その歌は、 |
|
♪21 | 佐韋賀波用 | 狹井河よ | サヰ河の方から |
久毛多知和多理 | 雲起ちわたり | 雲が立ち起つて、 | |
宇泥備夜麻 | 畝火山 | 畝傍うねび山の | |
許能波佐夜藝奴 | 木の葉さやぎぬ。 | 樹の葉が騷いでいる。 | |
加是布加牟登須 | 風吹かむとす。 | 風が吹き出しますよ。 | |
又歌曰。 | また歌よみしたまひしく、 | ||
♪22 | 宇泥備夜麻 | 畝火山 | 畝傍山は |
比流波久毛登韋 | 晝は雲とゐ、 | 晝は雲が動き、 | |
由布佐禮婆 | 夕されば | 夕暮になれば | |
加是布加牟登曾 | 風吹かむとぞ | 風が吹き出そうとして | |
許能波佐夜牙流 | 木の葉さやげる。 | 樹の葉が騷いでいる。 | |
少女の歌 |
|||
故大毘古命。 | かれ大毘古おほびこの命、 | その大彦の命が | |
罷往於 高志國之時。 |
高志こしの國に 罷り往いでます時に、 |
越の國に おいでになる時に、 |
|
服腰裳 少女。 |
腰裳こしも服けせる 少女をとめ、 |
裳もを穿はいた女が | |
立山代之 幣羅坂而 |
山代の 幣羅坂へらさかに立ちて、 |
山城やましろの ヘラ坂に立つて |
|
歌曰。 | 歌よみして曰ひしく、 | 歌つて言うには、 | |
♪23 | 古波夜 | ||
美麻紀伊理毘古波夜 | 御眞木入日子みまきいりびこはや、 | 御眞木入日子さまは、 | |
美麻紀伊理毘古波夜 | 御眞木入日子はや、 | ||
意能賀袁袁 | おのが命をを | 御自分の命を | |
奴須美斯勢牟登 | 竊ぬすみ殺しせむと、 | 人知れず殺そうと、 | |
斯理都斗用 伊由岐多賀比 | 後しりつ戸とよ い行き違たがひ | 背後うしろの入口から行き違ちがい | |
麻幣都斗用 伊由岐多賀比 | 前まへつ戸よ い行き違ひ | 前の入口から行き違い | |
宇迦迦波久 斯良爾登 | 窺はく 知らにと、 | 窺のぞいているのも知らないで、 | |
美麻紀伊理毘古波夜 | 御眞木入日子はや。 | 御眞木入日子さまは。 | |
於是倭建命。 | ここに倭建の命 | ここでヤマトタケルの命が、 | |
誂云 伊奢合刀。 |
「いざ刀合たちあはせむ」 と誂あとらへたまふ。 |
「さあ大刀を合わせよう」 と挑いどまれましたので、 |
|
爾各拔 其刀之時。 |
かれおのもおのも その刀を拔く時に、 |
おのおの 大刀を拔く時に、 |
|
出雲建。 不得拔詐刀。 |
出雲建、 詐刀こだちをえ拔かず、 |
イヅモタケルは 大刀を拔き得ず、 |
|
即倭建命。 拔其刀而。 |
すなはち倭建の命、 その刀を拔きて、 |
ヤマトタケルの命は 大刀を拔いて |
|
打殺 出雲建。 |
出雲建を 打ち殺したまひき。 |
イヅモタケルを 打ち殺されました。 |
|
爾御歌曰。 | ここに御歌よみしたまひしく、 | そこでお詠みになつた歌、 | |
♪24 | 夜都米佐須 | やつめさす | 雲くもの叢むらがり立つ |
伊豆毛多祁流賀 | 出雲建いづもたけるが | 出雲いづものタケルが | |
波祁流多知 | 佩ける刀たち、 | 腰にした大刀は、 | |
都豆良佐波麻岐 | 黒葛つづら多さは纏まき | 蔓つるを澤山卷いて | |
佐味那志爾阿波禮 | さ身み無しにあはれ。 | 刀の身が無くて、きのどくだ。 | |
弟橘の歌(逃げ場がない) |
|||
爾其后 歌曰。 |
ここにその后の 歌よみしたまひしく、 |
そこでその妃の お歌いになつた歌は、 |
|
♪25 | 佐泥佐斯 | さねさし | 高い山の立つ |
佐賀牟能袁怒邇 | 相摸さがむの小野をのに | 相摸さがみの國の野原で、 | |
毛由流肥能 | 燃ゆる火の | 燃え立つ火の、 | |
本那迦邇多知弖 | 火ほ中に立ちて、 | その火の中に立つて | |
斗比斯岐美波母 | 問ひし君はも。 | わたくしをお尋ねになつたわが君。 | |
東のみやつこ:月日経る歌 |
|||
即自其國越。 | すなはちその國より越えて、 | その國から越えて | |
出甲斐 坐 酒折宮之時。 |
甲斐に出でて、 酒折さかをりの宮に まします時に |
甲斐に出て、 酒折さかおりの宮に おいでになつた時に、 |
|
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お歌いなされるには、 | |
♪26 | 邇比婆理 | 新治にひばり | 常陸の新治にいはり・ |
都久波袁須疑弖 | 筑波つくはを過ぎて、 | 筑波つくばを過すぎて | |
伊久用加泥都流 | 幾夜か宿ねつる。 | 幾夜いくよ寢ねたか。 | |
爾其 御火燒之老人。 |
ここにその 御火燒みひたきの老人おきな、 |
ここにその 火ひを燒たいている老人が |
|
續御歌以歌曰。 | 御歌に續ぎて歌よみして曰ひしく、 | 續いて、 | |
♪27 | 迦賀那倍弖 | かがなべて | 日數ひかず重かさねて、 |
用邇波許許能用 | 夜には九夜ここのよ | 夜よは九夜ここのよで | |
比邇波登袁加袁 | 日には十日を。 | 日ひは十日とおかでございます。 | |
於是獻 大御食之時。 |
ここに大御食おほみけ 獻る時に、 |
ここで御馳走を 獻る時に、 |
|
其美夜受比賣。 | その美夜受みやず比賣、 | ミヤズ姫が | |
捧大御酒盞以獻。 | 大御酒盞さかづきを捧げて獻りき。 | お酒盃を捧げて獻りました。 | |
爾美夜受比賣。 | ここに美夜受みやず比賣、 | しかるにミヤズ姫の | |
於意須比之襴 〈意須比三字以音〉 著月經。 |
その襲おすひの襴すそに 月經さはりのもの著きたり。 |
打掛うちかけの裾に 月の物がついておりました。 |
|
故見其月經 御歌曰。 |
かれその月經を見そなはして、 御歌よみしたまひしく、 |
それを御覽になつて お詠み遊ばされた歌は、 |
|
♪28 | 比佐迦多能。 | ひさかたの | 仰あおぎ見る |
阿米能迦具夜麻。 | 天あめの香山かぐやま | 天あめの香具山かぐやま | |
斗迦麻邇。 | 利鎌とかまに | 鋭するどい鎌のように | |
佐和多流久毘。 | さ渡る鵠くび、 | 横ぎる白鳥はくちよう。 | |
比波煩曾。 | 弱細ひはぼそ | そのようなたおやかな | |
多和夜賀比那袁。 | 手弱たわや腕かひなを | 弱腕よわうでを | |
麻迦牟登波 阿禮波須禮杼 | 枕まかむとは 吾あれはすれど | 抱だこうとは わたしはするが、 | |
佐泥牟登波 阿禮波意母閇杼 | さ寢ねむとは 吾あれは思おもへど | 寢ねようとは わたしは思うが | |
那賀祁勢流。 | 汝なが著けせる | あなたの著きている | |
意須比能須蘇爾。 | 襲おすひの襴すそに | 打掛うちかけの裾に | |
都紀多知邇祁理。 | 月立ちにけり。 | 月つきが出ているよ。 | |
爾美夜受比賣。 | ここに美夜受みやず比賣、 | そこでミヤズ姫が、 | |
答御歌曰。 |
御歌に答へて 歌よみして曰ひしく、 |
お歌にお答えして お歌いなさいました。 |
|
♪29 | 多迦比迦流。 | 高光る | 照り輝く |
比能美古。 | 日の御子 | 日のような御子みこ樣 | |
夜須美斯志。 | やすみしし | 御威光すぐれた | |
和賀意富岐美。 | 吾わが大君、 | わたしの大君樣。 | |
阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆 | あら玉の 年が來經きふれば、 | 新しい年が來て過ぎて行けば、 | |
阿良多麻能 都紀波岐閇由久 | あら玉の 月は來經往きへゆく。 | 新しい月は來て過ぎて行きます。 | |
宇倍那宇倍那。 | うべなうべな | ほんとうにまあ | |
岐美麻知賀多爾。 | 君待ちがたに、 | あなた樣をお待ちいたしかねて | |
和賀祁勢流。 | 吾わが著けせる | わたくしのきております | |
意須比能須蘇爾。 | 襲おすひの裾すそに | 打掛の裾に | |
都紀多多那牟余。 | 月立たなむよ。 | 月も出るでございましようよ。 | |
尾津の一つ松の歌 |
|||
自其地。 |
其地そこより | 其處から | |
差少幸行。 | ややすこし幸でますに、 | なお少しおいでになりますのに、 | |
因甚疲 衝御杖。 |
いたく疲れませるに因りて、 御杖を衝つかして、 |
非常にお疲れなさいましたので、 杖をおつきになつて |
|
稍歩。 | ややに歩みたまひき。 | ゆるゆるとお歩きになりました。 | |
故號其地。 | かれ其地そこに名づけて | そこでその地を | |
謂杖衝坂也。 | 杖衝坂つゑつきざかといふ。 | 杖衝つえつき坂といいます。 | |
到坐 尾津前 一松之許。 |
尾津の前さきの 一つ松のもとに 到りまししに、 |
尾津おつの埼の 一本松のもとに おいでになりましたところ、 |
|
先御食之時。 |
先に、 御食みをしせし時、 |
先に食事をなさつた時に | |
所忘其地御刀。 | 其地そこに忘らしたりし御刀みはかし、 | 其處にお忘れになつた大刀が | |
不失猶有。 | 失うせずてなほありけり。 | 無くならないでありました。 | |
爾御歌曰。 | ここに御歌よみしたまひしく、 | そこでお詠み遊ばされたお歌、 | |
♪30 | 袁波理邇 | 尾張に | 尾張の國に |
多陀邇牟迦幣流 | 直ただに向へる | 眞直まつすぐに向かつている | |
袁都能佐岐那流 | 尾津の埼なる | 尾津の埼の | |
比登都麻都 | 一つ松、 | 一本松よ。 | |
阿勢袁 | 吾兄あせを。 | お前。 | |
比登都麻都 | 一つ松 | 一本松が | |
比登邇阿理勢婆 | 人にありせば、 | 人だつたら | |
多知波氣麻斯袁 | 大刀佩はけましを | 大刀を佩はかせようもの、 | |
岐奴岐勢麻斯袁 | 衣きぬ着せましを。 | 着物を著せようもの、 | |
比登都麻都 | 一つ松、 | 一本松よ。 | |
阿勢袁 | 吾兄を。 | お前。 | |
思國歌 |
|||
自其幸行而。 | そこより幸でまして、 | 其處からおいでになつて、 | |
到能煩野之時。 | 能煩野のぼのに到ります時に、 | 能煩野のぼのに行かれました時に、 | |
思國以歌曰。 | 國思しのはして歌よみしたまひしく、 | 故郷をお思いになつてお歌いになりましたお歌、 | |
♪31 | 夜麻登波 | 倭やまとは | 大和は |
久爾能麻本呂婆 | 國のまほろば、 | 國の中の國だ。 | |
多多那豆久 | たたなづく | 重かさなり合つている | |
阿袁加岐 | 青垣、 | 青い垣、 | |
夜麻碁母禮流 | 山隱ごもれる | 山に圍まれている | |
夜麻登志宇流波斯 | 倭し 美うるはし。 | 大和は美しいなあ。 | |
又歌曰。 | また、歌よみしたまひしく、 | ||
♪32 | 伊能知能 | 命の | 命が |
麻多祁牟比登波 | 全またけむ人は、 | 無事だつた人は、 | |
多多美許母 | 疊薦たたみこも | 大和の國の | |
幣具理能夜麻能 | 平群へぐりの山の | 平群へぐりの山の | |
久麻加志賀波袁 | 熊白檮くまかしが葉を | りつぱなカシの木の葉を | |
宇受爾佐勢 | 髻華うずに插せ。 | 頭插かんざしにお插しなさい。 | |
曾能古 | その子。 | お前たち。 | |
とお歌いになりました。 | |||
此歌者。 思國歌也。 |
この歌は 思國歌くにしのひうたなり。 |
この歌は 思國歌くにしのびうたという名の歌です。 |
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片歌 |
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又歌曰。 | また歌よみしたまひしく、 | またお歌い遊ばされました。 | |
♪33 | 波斯祁夜斯 | はしけやし | なつかしの |
和岐幣能迦多用 | 吾家わぎへの方よ | わが家やの方ほうから | |
久毛韋多知久母 | 雲居起ち來も。 | 雲が立ち昇つて來るわい。 | |
此者片歌也。 | こは片歌なり。 | これは片歌かたうたでございます。 | |
此時御病甚急, | この時御病いと急にはかになりぬ。 | この時に、御病氣が非常に重くなりました。 | |
爾御歌曰。 | ここに御歌よみしたまひしく、 | そこで、御歌みうたを、 | |
♪34 | 袁登賣能。 | 孃子をとめの | 孃子おとめの |
登許能辨爾。 | 床の邊べに | 床とこのほとりに | |
和賀淤岐斯。 | 吾わが置きし | わたしの置いて來た | |
都流岐能多知。 | つるぎの大刀、 | 良よく切れる大刀たち、 | |
曾能多知波夜。 | その大刀はや。 | あの大刀たちはなあ。 | |
歌竟即崩。 |
と歌ひ竟をへて、 すなはち崩かむあがりたまひき。 |
と歌い終つて、 お隱れになりました。 |
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爾貢上驛使。 |
ここに驛使はゆまづかひを 上たてまつりき。 |
そこで急使を上せて 朝廷に申し上げました。 |
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御葬の歌 |
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於是坐 倭后等。 及御子等。 |
ここに倭やまとにます 后たち、また御子たち |
ここに大和においでになる お妃たちまた御子たちが |
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諸。下到而。 | もろもろ下りきまして、 | 皆下つておいでになつて、 | |
作御陵。 | 御陵を作りき。 | 御墓を作つて | |
即匍匐廻 其地之 那豆岐田 〈自那下 三字以音〉而。 |
すなはち 其地そこの なづき田に 匍匐はらばひ廻もとほりて、 |
そのほとりの田に 這い廻つて |
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哭爲 歌曰。 |
哭みねなかしつつ 歌よみしたまひしく、 |
お泣きになつて お歌いになりました。 |
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♪35 | 那豆岐能 | なづきの | 周まわりの田の |
多能伊那賀良邇 | 田の稻幹いながらに、 | 稻の莖くきに、 | |
伊那賀良爾 | 稻幹いながらに | 稻の莖に、 | |
波比母登富呂布 | 蔓はひもとほろふ | 這い繞めぐつている | |
登許呂豆良 | ところづら。 | ツルイモの蔓つるです。 | |
於是化 八尋白智鳥。 〈智字以音〉 |
ここに 八尋白智鳥しろちどりになりて、 |
しかるに其處から 大きな白鳥になつて |
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翔天而 | 天翔あまがけりて、 | 天に飛んで、 | |
向濱飛行。 |
濱に向きて 飛びいでます。 |
濱に向いて 飛んでおいでになりましたから、 |
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爾其后及御子等。 | ここにその后たち御子たち、 | そのお妃たちや御子たちは、 | |
於其小竹之 苅杙。 |
その小竹しのの 苅杙かりばねに、 |
其處の篠竹しのだけの 苅株かりくいに |
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雖足䠊破。 | 足切り破るれども、 | 御足が切り破れるけれども、 | |
忘其痛以哭追。 |
その痛みをも忘れて、 哭きつつ追ひいでましき。 |
痛いのも忘れて 泣く泣く追つておいでになりました。 |
|
此時歌曰。 | この時、歌よみしたまひしく、 | その時の御歌は、 | |
♪36 | 阿佐士怒波良 | 淺小竹原あさじのはら | 小篠こざさが原を |
許斯那豆牟 | 腰こしなづむ。 | 行き惱なやむ、 | |
蘇良波由賀受 | 虚空そらは行かず、 | 空中からは行かずに、 | |
阿斯用由久那 | 足よ行くな。 | 歩あるいて行くのです。 | |
又入其海鹽而。 | またその海水うしほに入りて、 | また、海水にはいつて、 | |
那豆美 〈此三字以音〉 行時歌曰。 |
なづみ 行いでます時、 歌よみしたまひしく、 |
海水の中を 骨を折つておいでになつた時の 御歌、 |
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♪37 | 宇美賀由氣婆 | 海が行けば | 海うみの方ほうから行ゆけば |
許斯那豆牟 | 腰なづむ。 | 行き惱なやむ。 | |
意富迦波良能 | 大河原の | 大河原おおかはらの | |
宇惠具佐 | 植草うゑぐさ、 | 草のように、 | |
宇美賀波 | 海がは | 海や河かわを | |
伊佐用布 | いさよふ。 | さまよい行く。 | |
又飛居其磯之時。 | また飛びてその磯に居たまふ時、 | また飛んで、其處の磯においで遊ばされた時の | |
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | 御歌、 | |
♪38 | 波麻都知登理。 | 濱つ千鳥 | 濱の千鳥、 |
波麻用波由迦受。 | 濱よ行かず | 濱からは行かずに | |
伊蘇豆多布。 | 磯傳ふ。 | 磯傳いをする。 | |
是四歌者。 | この四歌は、 | この四首の歌は | |
皆歌其御葬也。 | みなその御葬みはふりに歌ひき。 | 皆そのお葬式に歌いました。 | |
故至今其歌者。 | かれ今に至るまで、 | それで今でも | |
歌天皇之 大御葬也。 |
その歌は天皇の 大御葬おほみはふりに歌ふなり。 |
その歌は天皇の 御葬式に歌うのです。 |
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於是其忍熊王 | ここにその忍熊の王、 | そこでそのオシクマの王が | |
與伊佐比宿禰。 | 伊佐比いさひの宿禰と | イサヒの宿禰と | |
共被追迫。 | 共に追ひ迫めらえて、 | 共に追い迫せめられて、 | |
乘船浮海 歌曰。 |
船に乘り、海に浮きて、 歌よみして曰ひしく、 |
湖上に浮んで 歌いました歌、 |
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♪39 | 伊奢阿藝 | いざ吾君あぎ九、 | さあ君きみよ、 |
布流玖麻賀 | 振熊ふるくまが | フルクマのために | |
伊多弖淤波受波 | 痛手負はずは | 負傷ふしようするよりは、 | |
邇本杼理能 | 鳰鳥にほどりの | カイツブリのいる | |
阿布美能宇美邇 | 淡海の海に | 琵琶の湖水に | |
迦豆岐勢那和 | 潛かづきせなわ。 | 潛り入ろうものを。 | |
即入海 共死也。 |
と歌ひて、 すなはち海に入りて共に死しにき。 |
と歌つて 海にはいつて死にました。 |
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酒楽の歌 |
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於是還上坐時。 | ここに還り上ります時に、 | 其處から還つてお上りになる時に、 | |
其御祖。 | その御祖みおや | 母君の | |
息長帶日賣命。 | 息長帶日賣の命、 | オキナガタラシ姫の命が | |
釀待酒以獻。 | 待酒を釀みて獻りき。 |
お待ち申し上げて 酒を造つて獻上しました。 |
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爾其御祖御歌曰。 |
ここにその御祖、 御歌よみしたまひしく、 |
その時にその母君の お詠み遊ばされた歌は、 |
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♪40 | 許能美岐波 | この御酒みきは | このお酒は |
和賀美岐那良受 | わが御酒ならず。 | わたくしのお酒ではございません。 | |
久志能加美 | 酒くしの長かみ | お神酒みきの長官、 | |
登許余邇伊麻須 | 常世とこよにいます | 常世とこよの國においでになる | |
伊波多多須 | 石いは立たたす | 岩になつて立つていらつしやる | |
須久那美迦微能 | 少名すくな御神の、 | スクナビコナ樣が | |
加牟菩岐 | 神壽かむほき | 祝つて祝つて | |
本岐玖琉本斯 | 壽き狂くるほし | 祝い狂くるわせ | |
登余本岐 | 豐壽とよほき | 祝つて祝つて | |
本岐母登本斯 | 壽きもとほし | 祝い廻まわつて | |
麻都理許斯美岐敍 | 獻まつり來こし 御酒みきぞ | 獻上して來たお酒なのですよ。 | |
阿佐受袁勢佐佐 | 乾あさずをせ。ささ。 | 盃をかわかさずに召しあがれ。 | |
如此歌而。 | かく歌ひたまひて、 | かようにお歌いになつて | |
獻大御酒。 | 大御酒獻りき。 | お酒を獻りました。 | |
爾建内宿禰命。 | ここに建内の宿禰の命、 | その時にタケシウチの宿禰が | |
爲御子答 歌曰。 |
御子のために答へて 歌ひして曰ひしく、 |
御子のためにお答え申し上げた 歌は、 |
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♪41 | 許能美岐袁 | この御酒を | このお酒を |
迦美祁牟比登波 | 釀かみけむ人は、 | 釀造した人は、 | |
曾能都豆美 | その鼓つづみ | その太鼓を | |
宇須邇多弖弖 | 臼に立てて | 臼うすに使つて、 | |
宇多比都都 迦美祁禮迦母 | 歌ひつつ釀かみけれかも、 | 歌いながら作つた故か、 | |
麻比都都 迦美祁禮加母 | 舞ひつつ釀かみけれかも、 | 舞いながら作つた故か、 | |
許能美岐能 美岐能 | この御酒の 御酒の | このお酒の | |
阿夜邇 宇多陀怒斯 | あやに うた樂だのし。 | 不思議に樂しいことでございます。 | |
佐佐 | ささ。 | ||
此者。 酒樂之歌也。 |
こは 酒樂さかくらの歌なり。 |
これは 酒樂さかくらの歌でございます。 |
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葛野の歌(数の歌) |
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一時天皇 | 或る時天皇、 | 或る時、 | |
越幸 近淡海國之時。 |
近つ淡海あふみの國に 越え幸でましし時、 |
天皇が近江の國へ 越えてお出ましになりました時に、 |
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御立宇遲野上。 |
宇遲野うぢのの上に 御立みたちして、 |
宇治野の上にお立ちになつて | |
望葛野。 | 葛野かづのを望みさけまして、 | 葛野かずのを御覽になつて | |
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お詠みになりました御歌、 | |
♪42 | 知婆能 | 千葉の | 葉の茂しげつた |
加豆怒袁美禮婆 | 葛野かづのを見れば、 | 葛野かずのを見れば、 | |
毛毛知陀流 | 百千足ももちだる | 幾千も富み榮えた | |
夜邇波母美由 | 家庭やにはも見ゆ。 | 家居が見える、 | |
久爾能富母美由 | 國の秀ほも見ゆ。 | 國の中での良い處が見える。 | |
ワニのカニの歌 |
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明日入坐。 | 明日あすのひ入りましき。 | あくる日においでになりました。 | |
故獻大御饗之時。 | かれ大御饗みあへ獻たてまつる時に、 | そこで御馳走を奉る時に、 | |
其女 矢河枝比賣。(命) |
その女 矢河枝やかはえ比賣の命に |
そのヤガハエ姫に | |
令取大御酒盞 而獻。 |
大御酒盞を取らしめて 獻る。 |
お酒盞さかずきを取らせて 獻りました。 |
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於是天皇。 | ここに天皇、 | そこで天皇が | |
任令取其大御酒盞而 | その大御酒盞を取らしつつ、 | その酒盞をお取りになりながら | |
御歌曰。 | 御歌よみしたまひしく、 | お詠み遊ばされた歌、 | |
♪43 | 許能迦邇夜 伊豆久能迦邇 | この蟹かにや 何處いづくの蟹。 | この蟹かにはどこの蟹だ。 |
毛毛豆多布 都奴賀能迦邇 | 百傳ふ 角鹿つぬがの蟹。 | 遠くの方の敦賀つるがの蟹です。 | |
余許佐良布 伊豆久邇伊多流 | 横よこさらふ 何處に到る。 | 横歩よこあるきをして何處へ行くのだ。 | |
伊知遲志麻 美志麻邇斗岐 | 伊知遲いちぢ島 美み島に著とき、 | イチヂ島・ミ島について、 | |
美本杼理能 迦豆伎伊岐豆岐 | 鳰鳥みほどりの 潛かづき息衝き、 | カイツブリのように水に潛くぐつて息いきをついて、 | |
志那陀由布 佐佐那美遲袁 | しなだゆふ 佐佐那美道ささなみぢを | 高低のあるササナミへの道を | |
須久須久登 和賀伊麻勢婆夜 | すくすくと 吾わが行いませばや、 | まつすぐにわたしが行ゆきますと、 | |
許波多能美知邇 阿波志斯袁登賣 | 木幡こはたの道に 遇はしし孃子をとめ、 | 木幡こばたの道で出逢つた孃子おとめ、 | |
宇斯呂傳波 袁陀弖呂迦母 | 後方うしろでは 小楯をだてろかも。 | 後姿うしろすがたは楯のようだ。 | |
波那美波志 比斯那須 | 齒並はなみは 椎菱しひひしなす。 | 齒竝びは椎しいの子みや菱ひしの實のようだ。 | |
伊知比韋能 和邇佐能邇袁 | 櫟井いちゐの 丸邇坂わにさの土にを、 | 櫟井いちいの丸邇坂わにさかの土つちを | |
波都邇波 波陀阿可良氣美 | 初土はつには 膚赤らけみ | 上うえの土つちはお色いろが赤い、 | |
志波邇波 邇具漏岐由惠 | 底土しはには に黒き故、 | 底の土は眞黒まつくろゆえ | |
美都具理能 曾能那迦都爾袁 | 三栗みつぐりの その中つ土にを | 眞中まんなかのその中の土を | |
加夫都久 麻肥邇波阿弖受 | 頭著かぶつく 眞火には當てず | かぶりつく直火じかびには當てずに | |
麻用賀岐 許邇加岐多禮 | 眉畫まよがき 濃こに書き垂れ | 畫眉かきまゆを濃く畫いて | |
阿波志斯袁美那 | 遇はしし女をみな。 | お逢あいになつた御婦人、 | |
迦母賀登 和賀美斯古良 | かもがと一五 吾わが見し兒ら | このようにもとわたしの見たお孃さん、 | |
迦久母賀登 阿賀美斯古邇 | かくもがと 吾あが見し兒に | あのようにもとわたしの見たお孃さんに、 | |
宇多多氣陀邇 牟迦比袁流迦母 | うたたけだに一六 向ひ居をるかも | 思いのほかにも向かつていることです。 | |
伊蘇比袁流迦母 | い副そひ居るかも。 | 添つていることです。 | |
髮長比賣(かみながひめ)の歌 |
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天皇。聞看豐明之日。 | 天皇の豐とよの明あかり聞こしめしける日一に、 | 天皇が御酒宴を遊ばされた日に、 | |
於髮長比賣令握大御酒柏。 | 髮長比賣に大御酒の柏かしはを取二らしめて、 | 髮長姫にお酒を注ぐ柏葉かしわを取らしめて、 | |
賜其太子。 | その太子に賜ひき。 | その太子に賜わりました。 | |
爾御歌曰。 | ここに御歌よみしたまひしく、 | そこで天皇のお詠み遊ばされた歌は、 | |
♪44 | 伊邪古杼母 怒毘流都美邇 | いざ子ども 野蒜のびる摘みに、 | さあお前まえたち、野蒜のびる摘つみに |
比流都美邇 和賀由久美知能 | 蒜ひる摘みに わが行く道の | 蒜ひる摘つみにわたしの行く道の | |
迦具波斯 波那多知婆那波 | 香ぐはし 花橘はなたちばなは、 | 香こうばしい花橘はなたちばなの樹、 | |
本都延波 登理韋賀良斯 | 上枝ほつえは 鳥居枯がらし、 | 上の枝は鳥がいて枯らし | |
志豆延波 比登登理賀良斯 | 下枝しづえは 人取り枯がらし、 | 下の枝は人が取つて枯らし、 | |
美都具理能 那迦都延能 | 三栗の 中つ枝の | 三栗みつぐりのような眞中まんなかの枝の | |
本都毛理 阿加良袁登賣袁 | ほつもり四 赤ら孃子を、 | 目立つて見える紅顏のお孃さんを | |
伊邪佐佐婆 余良斯那 | いざささば五 好よらしな。 | さあ手に入れたら宜いでしよう。 | |
又御歌曰。 | また、御歌よみしたまひしく、 | また、 | |
♪45 | 美豆多麻流 | 水渟たまる | 水のたまつている |
余佐美能伊氣能 | 依網よさみの池の | 依網よさみの池の | |
韋具比宇知「比斯」賀 | 堰杙ゐぐひ打ちが | 堰杙せきくいを打うつてあつたのを | |
「良能」佐斯祁流斯良邇 | 刺しける知らに、 | 知しらずに | |
奴那波久理 | ぬなは繰くり | ジュンサイを手繰たぐつて | |
波閇祁久斯良邇 | 延はへけく知らに、 | 手の延びていたのを知しらずに | |
和賀許許呂志(叙) | 吾が心しぞ | ||
伊夜袁許邇斯弖 | いやをこにして | 氣のつかない事をして | |
伊麻叙久夜斯岐 | 今ぞ悔しき。 | 殘念だつた。 | |
如此歌而賜也。 | と、かく歌ひて賜ひき。 | かようにお歌いになつて賜わりました。 | |
故被賜其孃子之後。 | かれその孃子を賜はりて後に、 | その孃子を賜わつてから後に | |
太子歌曰。 |
太子ひつぎのみこの 歌よみしたまひしく、 |
太子の お詠みになつた歌、 |
|
♪46 | 美知能斯理 | 道の後しり | 遠い國の |
古波陀袁登賣袁 | 古波陀孃子こはだをとめを、 | 古波陀こはだのお孃さんを、 | |
迦微能碁登 | 雷かみのごと | 雷鳴かみなりのように | |
岐許延斯迦杼母 | 聞えしかども | 音高く聞いていたが、 | |
阿比麻久良麻久 | 相枕あひまくら纏まく。 | わたしの妻つまとしたことだつた。 | |
又歌曰。 | また、歌よみしたまひしく、 | また、 | |
♪47 | 美知能斯理 | 道の後 | 遠い國の |
古波陀袁登賣波 | 古波陀孃子は、 | 古波陀こはだのお孃さんが、 | |
阿良蘇波受 | 爭はず | 爭わずに | |
泥斯久袁斯叙母 | 寢しくをしぞも、 | わたしの妻となつたのは、 | |
宇流波志美意母布 | 愛うるはしみ思おもふ。 | かわいい事さね。 | |
吉野のクズの歌 |
|||
又吉野之國主等。 | また、吉野えしのの國主くずども、 | また、吉野のクズどもが | |
瞻大雀命之 所佩御刀。 |
大雀の命の 佩はかせる御刀を見て、 |
オホサザキの命の 佩おびておいでになるお刀を見て |
|
歌曰。 | 歌ひて曰ひしく、 | 歌いました歌は、 | |
♪48 | 本牟多能 | 品陀ほむだの | 天子樣の |
比能美古 | 日の御子、 | 日の御子である | |
意富佐邪岐 | 大雀おほさざき | オホサザキ樣、 | |
意富佐邪岐 | 大雀。 | オホサザキ樣の | |
波加勢流多知 | 佩かせる大刀、 | お佩はきになつている大刀は、 | |
母登都流藝 | 本劍もとつるぎ | 本は鋭く、 | |
須惠布由 | 末すゑふゆ。 | 切先きつさきは魂あり、 | |
布由紀能須 | 冬木の | 冬木の | |
加良賀志多紀能 | すからが下した木の | すがれの下の木のように | |
佐夜佐夜 | さやさや。 | さやさやと鳴り渡る。 | |
又於 吉野之白檮上。 |
また、 吉野の白檮かしの生ふに |
また吉野のカシの木の | |
作横臼而。 | 横臼よくすを作りて、 | ほとりに臼を作つて、 | |
於其横臼。 | その横臼に | その臼で | |
釀大御酒。 | 大御酒おほみきを釀かみて、 | お酒を造つて、 | |
獻其大御酒之時。 | その大御酒を獻る時に、 | その酒を獻つた時に、 | |
撃口鼓 爲伎而 歌曰。 |
口鼓くちつづみを撃ち、 伎わざをなして、 歌ひて曰ひしく、 |
口鼓を撃ち 演技をして 歌つた歌、 |
|
♪49 | 加志能布邇 | 白檮かしの生ふに | カシの木の原に |
余久須袁都久理 | 横臼よくすを作り、 | 横の廣い臼を作り | |
余久須邇 | 横臼に | その臼に | |
迦美斯意富美岐 | 釀かみし大御酒、 | 釀かもしたお酒、 | |
宇麻良爾 | うまらに | おいしそうに | |
岐許志母知袁勢 | 聞こしもちをせ。 | 召し上がりませ、 | |
麻呂賀知 | まろが父ち。 | わたしの父とうさん。 | |
此歌者。 | この歌は、 | この歌は、 | |
國主等。 | 國主くずども | クズどもが | |
獻大贄之時時。 | 大贄にへ獻る時時、 | 土地の産物を獻る時に、 | |
恒至于今。 | 恆に今に至るまで | 常に今でも | |
詠之歌者也。 | 歌ふ歌なり。 | 歌う歌であります。 | |
ススコリの歌 |
|||
故是須須許理。 | かれこの須須許理、 | このススコリは | |
釀大御酒以獻。 | 大御酒を釀かみて獻りき。 | お酒を造つて獻りました。 | |
於是天皇。 | ここに天皇、 | 天皇が | |
宇羅宜 是所獻之大御酒而。 〈宇羅宜三字以音〉 |
この獻れる大御酒に うらげて、 |
この獻つたお酒に 浮かれて |
|
御歌曰。 | 御歌よみしたまひしく、 | お詠みになつた歌は、 | |
♪50 | 須須許理賀 | 須須許理が | ススコリの |
迦美斯美岐邇 | 釀かみし御酒に | 釀かもしたお酒に | |
和禮惠比邇祁理 | われ醉ひにけり。 | わたしは醉いましたよ。 | |
許登那具志 | 事無酒咲酒なぐし | 平和へいわなお酒、 | |
惠具志爾 | ゑぐしに、 | 樂しいお酒に | |
和禮惠比邇祁理 | われ醉ひにけり。 | わたしは醉いましたよ。 | |
渡到河中之時。 | 渡りて河中に到りし時に、 | さて、渡つて河中に到りました時に、 | |
令傾其船。 | その船を傾かたぶけしめて、 | その船を傾けさせて | |
墮入水中。 | 水の中に墮し入れき。 | 水の中に落し入れました。 | |
爾乃浮出。 | ここに浮き出でて、 | そこで浮き出て | |
隨水流下。 | 水のまにまに流れ下りき。 | 水のまにまに流れ下りました。 | |
即流歌曰。 | すなはち流れつつ歌よみしたまひしく、 | 流れながら歌いました歌は、 | |
♪51 | 知波夜夫流 | ちはやぶる | 流れの早い |
宇遲能和多理邇 | 宇治の渡に、 | 宇治川の渡場に | |
佐袁斗理邇 | 棹取りに | 棹を取るに | |
波夜祁牟比登斯 | 速はやけむ人し | 早い人は | |
和賀毛古邇許牟 | わが伴もこに來こむ。 | わたしのなかまに來てくれ。 | |
梓弓の歌 |
|||
爾掛出其骨之時。 | ここにその骨かばねを掛き出だす時に、 | その屍體を掛け出した時に | |
弟王歌曰。 | 弟王、御歌よみしたまひしく、 | 歌つた弟の王の御歌、 | |
♪52 | 知波夜比登 宇遲能和多理邇 | ちはや人 宇治の渡に、 | 流れの早い 宇治川の渡場に |
和多理是邇 多弖流 | 渡瀬わたりぜに 立てる | 渡場に立つている | |
阿豆佐由美 麻由美 | 梓弓あづさゆみ 檀まゆみ。 | 梓弓とマユミの木、 | |
伊岐良牟登 許許呂波母閇杼 | いきらむと 心は思もへど、 | 切ろうと心には思うが | |
伊斗良牟登 許許呂波母閇杼 | い取らむと 心は思もへど、 | 取ろうと心には思うが、 | |
母登幣波 岐美袁淤母比傳 | 本方もとべは 君を思ひ出で、 | 本の方では君を思い出し | |
須惠幣波 伊毛袁淤母比傳 | 末方すゑへは 妹を思ひ出で、 | 末の方では妻を思い出し | |
伊良那祁久 曾許爾淤母比傳 | いらなけく そこに思ひ出で、 | いらだたしく其處で思い出し | |
加那志祁久 許許爾淤母比傳 | 愛かなしけく ここに思ひ出で、 | かわいそうに其處で思い出し、 | |
伊岐良受曾久流 | いきらずぞ來くる。 | 切らないで來た | |
阿豆佐由美 麻由美 | 梓弓檀。 | 梓弓とマユミの木。 | |
故其 大山守命之骨者。 |
かれその 大山守の命の骨は、 |
その オホヤマモリの命の屍體をば |
|
葬于那良山也。 | 那良なら山に葬をさめき。 | 奈良山に葬りました。 | |
番号 | 校定古事記 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (同) |
---|---|---|---|
黒姫への歌(くろざやの歌) |
|||
爾天皇。 | ここに天皇、 | しかるに天皇、 | |
聞看。 吉備 海部直之女。 名黑日賣。 其容姿端正。 |
吉備きびの 海部あまべの直あたへが女、 名は黒日賣くろひめ それ容姿端正かほよしと 聞こしめして、 |
吉備きびの 海部あまべの直あたえの女、 黒姫くろひめという者が 美しいと お聞き遊ばされて、 |
|
喚上而使也。 | 喚上めさげて使ひたまひき。 | 喚めし上げてお使いなさいました。 | |
然畏其大后之嫉。 |
然れども その大后の嫉みますを畏かしこみて、 |
しかしながら 皇后樣のお妬みになるのを畏れて |
|
逃下本國。 | 本つ國に逃げ下りき。 | 本國に逃げ下りました。 | |
天皇坐高臺。 | 天皇、高臺どのにいまして、 | 天皇は高殿においで遊ばされて、 | |
望瞻 其黑日賣之。 船出浮海以。 |
その黒日賣の 船出するを 望み見て |
黒姫の 船出するのを 御覽になつて、 |
|
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お歌い遊ばされた御歌、 | |
♪53 | 淤岐幣邇波 | 沖方へには | 沖おきの方ほうには |
袁夫泥都羅羅玖 | 小舟つららく。 | 小舟おぶねが續いている。 | |
久漏邪夜能 | くろざやの | ||
摩佐豆古和藝毛 | まさづこ吾妹わぎも、 | あれは愛いとしのあの子こが | |
玖邇幣玖陀良須 | 國へ下らす。 | 國へ歸るのだ。 | |
故大后。 | かれ大后 | 皇后樣は | |
聞是之御歌。 | この御歌を聞かして、 | この歌をお聞きになつて | |
大忿。 | いたく忿りまして、 | 非常にお怒りになつて、 | |
遣人於大浦。 | 大浦に人を遣して、 | 船出の場所に人を遣つて、 | |
追下而。 | 追ひ下して、 | 船から黒姫を追い下して | |
自歩追去。 | 歩かちより追やらひたまひき。 | 歩かせて追いはらいました。 | |
淡路では出会わじの歌 |
|||
於是天皇。 | ここに天皇、 | ここに天皇は | |
戀其黑日賣。 | その黒日賣に戀ひたまひて、 | 黒姫をお慕い遊ばされて、 | |
欺大后。 | 大后を欺かして、のりたまはく、 | 皇后樣に欺いつわつて、 | |
曰 欲見 淡道嶋而。 |
「淡道島あはぢしま 見たまはむとす」 とのりたまひて、 |
淡路島を 御覽になる と言われて、 |
|
幸行之時。 | 幸いでます時に、 | ||
坐淡道嶋。 | 淡道島にいまして、 | 淡路島においでになつて | |
遙望歌曰。 |
遙はろばろに望みさけまして、 歌よみしたまひしく、 |
遙にお眺めになつて お歌いになつた御歌、 |
|
♪54 | 淤志弖流夜 | おしてるや、 | 海の照り輝く |
那爾波能佐岐用 | 難波の埼よ | 難波の埼から | |
伊傳多知弖 | 出で立ちて | 立ち出でて | |
和賀久邇美禮婆 | わが國見れば、 | 國々を見やれば、 | |
阿波志摩 | 粟島 | アハ島や | |
淤能碁呂志摩 | 淤能碁呂島おのごろしま、 | オノゴロ島 | |
阿遲摩佐能 | 檳榔あぢまさの | アヂマサの | |
志麻母美由 | 島も見ゆ。 | 島も見える。 | |
佐氣都志摩美由 | 佐氣都さけつ島見ゆ。 | サケツ島も見える。 | |
その心は吉備(機微。遠回り・遠慮) |
|||
乃自其嶋傳而。 | すなはちその島より傳ひて、 | そこでその島から傳つて | |
幸行吉備國。 | 吉備きびの國に幸でましき。 | 吉備の國においでになりました。 | |
爾黑日賣。 | ここに黒日賣、 | そこで黒姫が | |
令大坐 其國之山方地而。 |
その國の山縣やまがたの地ところに おほましまさしめて、 |
その國の山の御園に 御案内申し上げて、 |
|
獻大御飯。 | 大御飯みけ獻りき。 | 御食物を獻りました。 | |
於是爲 煮大御羹。 |
ここに大御羮 おほみあつものを煮むとして、 |
そこで羮あつものを 獻ろうとして |
|
採其地之 菘菜時。 |
其地そこの 菘菜あをなを採つむ時に、 |
青菜を採つんでいる時に、 | |
天皇。 到坐。 其孃子之採菘處。 |
天皇 その孃子の菘な採む處に 到りまして、 |
天皇が その孃子の青菜を採む處に おいでになつて、 |
|
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お歌いになりました歌は、 | |
♪55 | 夜麻賀多邇。 | 山縣がたに | 山の畑に |
麻祁流阿袁那母。 | 蒔ける菘あをなも、 | 蒔いた青菜も | |
岐備比登登。 | 吉備人と | 吉備の人と | |
等母邇斯都米婆。 | 共にし摘めば、 | 一緒に摘むと | |
多怒斯久母阿流迦。 | 樂たのしくもあるか。 | 樂しいことだな。 | |
黒姫の歌(あんたは誰の夫) |
|||
天皇上幸之時。 |
天皇上り 幸いでます時に、 |
天皇が京に上つて おいでになります時に、 |
|
黑日賣獻御歌曰。 | 黒日賣、御歌、獻りて曰ひしく、 | 黒姫の獻つた歌は、 | |
♪56 | 夜麻登幣邇 | 倭やまと方へに | 大和の方へ |
爾斯布岐阿宜弖 | 西風にし吹き上あげて、 | 西風が吹き上げて | |
玖毛婆那禮 | 雲離ばなれ | 雲が離れるように | |
曾岐袁理登母 | そき居をりとも、 | 離れていても | |
和禮和須禮米夜 | 吾われ忘れめや。 | 忘れは致しません。 | |
又歌曰。 | また歌ひて曰ひしく、 | また、 | |
♪57 | 夜麻登幣邇 | 倭やまと方へに | 大和の方へ行くのは |
由玖波多賀都麻 | 往くは誰が夫つま。 | 誰方樣どなたさまでしよう。 | |
許母理豆能 | 隱津こもりづの | 地の下の水のように、 | |
志多用波閇都都 | 下よ延はへつつ | 心の底で物思いをして | |
由久波多賀都麻 | 往くは誰が夫。 | 行くのは誰方樣どなたさまでしよう。 | |
サシぶ(佐斯夫)の歌 |
|||
即不入坐 宮而。 |
すなはち宮に 入りまさずて、 |
そうして皇居に おはいりにならないで、 |
|
引避 其御船 泝於堀江。 |
その御船を 引き避よきて、 堀江に泝さかのぼらして、 |
船を曲げて 堀江に溯らせて、 |
|
隨河而。 | 河のまにまに、 | 河のままに | |
上幸山代。 | 山代やましろに上りいでましき。 | 山城に上つておいでになりました。 | |
此時歌曰。 | この時に歌よみしたまひしく、 | この時にお歌いになつた歌は、 | |
♪58 | 都藝泥布夜 | つぎねふや | |
夜麻志呂賀波袁 | 山代やましろ河を | 山また山の山城川を | |
迦波能煩理 | 川のぼり | 上流へと | |
和賀能煩禮婆 | 吾がのぼれば、 | わたしが溯れば、 | |
迦波能倍邇 | 河の邊べに | 河のほとりに | |
淤斐陀弖流 | 生ひ立てる | 生い立つている | |
佐斯夫袁 | 烏草樹さしぶを。 | サシブの木、 | |
佐斯夫能紀 | 烏草樹さしぶの樹、 | そのサシブの木の | |
斯賀斯多邇 | 其しが下に | その下に | |
淤斐陀弖流 | 生ひ立てる | 生い立つている | |
波毘呂 由都麻都婆岐 | 葉廣ゆつ眞椿まつばき、 | 葉の廣い椿の大樹、 | |
斯賀波那能 弖理伊麻斯 | 其しが花の 照りいまし | その椿の花のように輝いており | |
芝賀波能 比呂理伊麻須波 | 其しが葉の 廣ひろりいますは、 |
その椿の葉のように 廣らかにおいでになる |
|
淤富岐美呂迦母 | 大君ろかも。 | わが陛下です。 | |
大和で若い男をつくるの歌 |
|||
即自山代廻。 | すなはち山代より廻りて、 | それから山城から廻つて、 | |
到坐那良山口。 | 那良の山口に到りまして、 | 奈良の山口においでになつて | |
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お歌いになつた歌、 | |
♪59 | 都藝泥布夜 | つぎねふや | |
夜麻志呂賀波袁 | 山代河を | 山また山の山城川を | |
美夜能煩理 | 宮上り | 御殿の方へと | |
和賀能煩禮婆 | 吾がのぼれば、 | わたしが溯れば、 | |
阿袁邇余志 | あをによし | うるわしの | |
那良袁須疑 | 那良を過ぎ、 | 奈良山を過ぎ | |
袁陀弖 | 小楯をだて | 青山の圍んでいる | |
夜麻登袁須疑 | 倭やまとを過ぎ、 | 大和を過ぎ | |
和賀美賀本斯久邇波 | 吾わが 見が欲し國は、 | わたしの見たいと思う處は、 | |
迦豆良紀多迦美夜 | 葛城かづらき 高宮たかみや | 葛城かずらきの高臺の御殿、 | |
和藝幣能阿多理 | 吾家わぎへのあたり。 | 故郷の家のあたりです。 | |
如此歌而還。 | かく歌ひて還らして、 | かように歌つてお還りになつて、 | |
暫入坐。 筒木韓人。 名奴理能美 之家也。 |
しまし 筒木つつきの韓から人、 名は奴理能美 ぬりのみが家に入りましき。 |
しばらく 筒木つつきの韓人の ヌリノミの家に おはいりになりました。 |
|
いけいけ鳥山の歌 |
|||
天皇。聞 看其大后。 自山代上幸而。 |
天皇、 その大后は 山代より上り幸でましぬと 聞こしめして |
天皇は 皇后樣が山城を通つて 上つておいでになつたと お聞き遊ばされて、 |
|
使舍人。 名謂鳥山人。 |
舍人名は 鳥山といふ人を使はして |
トリヤマという舍人とねりを お遣りになつて |
|
送御歌曰。 | 御歌を送りたまひしく、、 |
歌をお送りなさいました。 その御歌は、 |
|
♪60 | 夜麻斯呂邇 | 山代に | 山城やましろに |
伊斯祁登理夜麻 | いしけ鳥山、 | 追おい附つけ、トリヤマよ。 | |
伊斯祁伊斯祁 | いしけいしけ | 追い附け、追い附け。 | |
阿賀波斯豆麻邇 | 吾あが愛はし妻づまに | 最愛の我が妻に | |
伊斯岐阿波牟加母 | いしき遇はむかも。 | 追い附いて逢えるだろう。 | |
大猪子と向き合う時が来たようだの歌 |
|||
又續遣 丸邇臣 口子而。 |
また續ぎて 丸邇わにの臣 口子くちこを遣して |
續つづいて 丸邇わにの臣おみ クチコを遣して、 |
|
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | 御歌をお送りになりました。 | |
♪61 | 美母呂能 | 御諸みもろの | ミモロ山の |
曾能多迦紀那流 | その高城たかきなる | 高臺たかだいにある | |
意富韋古賀波良 | 大猪子おほゐこが原。 | オホヰコの原。 | |
意富韋古賀 | 大猪子が | その名のような大豚おおぶたの | |
波良邇阿流 | 腹にある、 | 腹にある | |
岐毛牟加布 | 肝向ふ | 向き合つている臟腑きも、 | |
許許呂袁陀邇迦 | 心をだにか | せめて心だけなりと | |
阿比淤母波受阿良牟 | 相思おもはずあらむ。 | 思わないで居られようか。 | |
大根知らずばわかるまいの歌 |
|||
又歌曰。 | また歌よみしたまひしく、 | またお歌い遊ばされました御歌、 | |
♪62 | 都藝泥布 | つぎねふ | 山やままた山やまの |
夜麻志呂賣能 | 山代女の | 山城の女が | |
許久波母知 | 木钁こくは持ち | 木の柄のついた鍬くわで | |
宇知斯淤富泥 | 打ちし大根、 | 掘つた大根、 | |
泥士漏能 | 根白 | その眞白まつしろな | |
斯漏多陀牟岐 | 白腕しろただむき、 | 白い腕を | |
麻迦受祁婆許曾 | 纏まかずけばこそ | 交かわさずに來たなら、 | |
斯良受登母伊波米 | 知らずとも言はめ。 | 知らないとも云えようが。 | |
クチ姫の歌 |
|||
爾 口子臣之妹。 口日賣。 |
ここに 口子の臣が妹 口比賣くちひめ、 |
そのクチコの臣の 妹のクチ姫は |
|
仕奉大后。 | 大后に仕へまつれり。 | 皇后樣にお仕えしておりましたので、 | |
故是 口日賣歌曰。 |
かれその 口比賣くちひめ歌ひて曰ひしく、 |
この クチ姫が歌いました歌、 |
|
♪63 | 夜麻志呂能 | 山代の | 山城やましろの |
都都紀能美夜邇 | 筒木の宮に | 筒木つつきの宮みやで | |
母能麻袁須 | 物申す | 申し上げている | |
阿賀勢能岐美波 | 吾あが兄せの君は、 | 兄上を見ると、 | |
那美多具麻志母 | 涙ぐましも。 | 涙ぐまれて參ります。 | |
大根サワサワの歌 |
|||
爾天皇。 | ここに天皇、 | そこで天皇が | |
御立 其大后所坐殿戶。 |
その大后のませる 殿戸に御立みたちしたまひて、 |
その皇后樣のおいでになる 御殿の戸にお立ちになつて、 |
|
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お歌い遊ばされた御歌、 | |
♪64 | 都藝泥布 | つぎねふ | 山また山の |
夜麻斯呂賣能 | 山代女の | 山城の女が | |
許久波母知 | 木钁こくは持もち | 木の柄のついた鍬で | |
宇知斯意富泥 | 打ちし大根、 | 掘つた大根、 | |
佐和佐和爾 | さわさわに | そのようにざわざわと | |
那賀伊幣勢許曾 | 汝なが言へせこそ、 | あなたが云うので、 | |
宇知和多須 | うち渡す | 見渡される | |
夜賀波延那須 | やがは枝えなす | 樹の茂みのように | |
岐伊理麻韋久禮 | 來き入り參ゐ來れ。 | 賑にぎやかにやつて來たのです。 | |
此天皇與大后 所歌之六歌者。 |
この天皇と大后と 歌よみしたまへる六歌は、 |
この天皇と皇后樣と お歌いになつた六首の歌は、 |
|
志都歌之歌返也。 | 志都しつ歌の歌ひ返しなり。 | 靜歌の歌い返しでございます。 | |
すげーはらの歌 |
|||
天皇。 | 天皇、 | 天皇、 | |
戀 八田若郎女。 |
八田やたの 若郎女わかいらつめに 戀ひたまひて、 |
ヤタの若郎女を お慕いになつて |
|
賜遣御歌。 | 御歌を遣したまひき。 | 歌をお遣しになりました。 | |
其歌曰。 | その御歌、 | その御歌は、 | |
♪65 | 夜多能 | 八田の | ヤタの |
比登母登須宜波 | 一本菅ひともとすげは、 | 一本菅は、 | |
古母多受 | 子持たず | 子を持たずに | |
多知迦阿禮那牟 | 立ちか荒れなむ。 | 荒れてしまうだろうが、 | |
阿多良須賀波良 | あたら菅原すがはら。 | 惜しい菅原だ。 | |
許登袁許曾 | 言ことをこそ | 言葉でこそ | |
須宜波良登伊波米 | 菅原すげはらと言はめ。 | 菅原というが、 | |
阿多良須賀志賣 | あたら清すがし女め。 | 惜しい清らかな女だ。 | |
ひとりはヤダの歌 |
|||
爾八田若郎女 答歌曰。 |
ここに八田の若郎女、 答へ歌よみしたまひしく、 |
ヤタの若郎女の お返しの御歌は、 |
|
♪66 | 夜多能 | 八田の | 八田やたの |
比登母登須宜波 | 一本菅は | 一本菅いつぽんすげは | |
比登理袁理登母 | 獨居りとも。 | ひとりで居りましても、 | |
意富岐彌斯 | 天皇おほきみし | 陛下が | |
與斯登岐許佐婆 | よしと聞こさば | 良いと仰せになるなら、 | |
比登理袁理登母 | 獨居りとも。 | ひとりでおりましても。 | |
それおれの?歌 |
|||
是以 速總別王。 不復奏。 |
ここを以ちて 速總別の王 復奏かへりごとまをさざりき。 |
それですから ハヤブサワケの王は 御返事申しませんでした。 |
|
爾天皇。 | ここに天皇、 | ここに天皇は | |
直幸 女鳥王之 所坐而。 |
直ただに 女鳥の王の います所にいでまして、 |
直接に メトリの王の おいでになる處に行かれて、 |
|
坐其殿戶之閾上。 |
その殿戸の 閾しきみの上にいましき。 |
その戸口の 閾しきいの上においでになりました。 |
|
於是女鳥王。 坐機而 織服。 |
ここに女鳥の王 機はたにまして、 服みそ織りたまふ。 |
その時メトリの王は 機はたにいて 織物を織つておいでになりました。 |
|
爾天皇歌曰。 | ここに天皇、歌よみしたまひしく、 | 天皇のお歌いになりました御歌は、 | |
♪67 | 賣杼理能 | 女鳥の | メトリの女王の |
和賀意富岐美能 | 吾が王おほきみの | ||
淤呂須波多 | 織おろす機はた、 | 織つていらつしやる機はたは、 | |
他賀多泥呂迦母 | 誰たが料たねろかも。 | 誰の料でしようかね。 | |
ちゃう(鳥)の歌 |
|||
女鳥王答歌曰。 | 女鳥の王、答へ歌ひたまひしく、 | メトリの王の御返事の歌、 | |
♪68 | 多迦由久夜 | 高行くや | 大空おおぞら高たかく飛とぶ |
波夜夫佐和氣能 | 速總別の | ハヤブサワケの王の | |
美淤須比賀泥 | みおすひがね。 | お羽織の料です。 | |
故天皇。 | かれ天皇、 | それで天皇は | |
知其情。 | その心を知らして、 | その心を御承知になつて、 | |
還入於宮。 | 宮に還り入りましき。 | 宮にお還りになりました。 | |
とったれの歌 |
|||
此時。 | この時、 | この後に | |
其夫速總別王。 到來之時。 |
その夫ひこぢ速總別の王の 來れる時に、 |
ハヤブサワケの王が 來ました時に、 |
|
其妻 女鳥王歌曰。 |
その妻みめ 女鳥の王の歌ひたまひしく、 |
メトリの王の お歌いになつた歌は、 |
|
♪69 | 比婆理波 | 雲雀ひばりは | 雲雀は |
阿米邇迦氣流 | 天あめに翔かける。 | 天に飛び翔ります。 | |
多迦由玖夜 | 高行くや | 大空高く飛ぶ | |
波夜夫佐和氣 | 速總別、 | ハヤブサワケの王樣、 | |
佐邪岐登良佐泥 | 鷦鷯さざき取らさね。 | サザキをお取り遊ばせ。 | |
天皇聞此歌。 | 天皇この歌を聞かして、 | 天皇はこの歌をお聞きになつて、 | |
即興軍欲殺。 |
軍を興して、 殺とりたまはむとす。 |
兵士を遣わして お殺しになろうとしました。 |
|
君と一緒ならの歌 |
|||
爾 速總別王。 女鳥王。 共逃退而。 |
ここに 速總別の王、 女鳥の王、 共に逃れ退きて、 |
そこで ハヤブサワケの王と メトリの王と、 共に逃げ去つて、 |
|
騰于 倉椅山。 |
倉椅山くらはしやまに 騰あがりましき。 |
クラハシ山に 登りました。 |
|
於是 速總別王 歌曰。 |
ここに 速總別の王 歌ひたまひしく、 |
そこで ハヤブサワケの王が 歌いました歌、 |
|
♪70 | 波斯多弖能。 | 梯立ての | 梯子はしごを立てたような、 |
久良波斯夜麻袁。 | 倉椅山を | クラハシ山が | |
佐賀志美登。 | 嶮さがしみと | 嶮けわしいので、 | |
伊波迦伎加泥弖。 | 岩かきかねて | 岩に取り附きかねて、 | |
和賀弖登良須母。 | 吾わが手取らすも。 | わたしの手をお取りになる。 | |
又歌曰。 | また歌ひたまひしく、 | また、 | |
♪71 | 波斯多弖能。 | 梯立ての | 梯子はしごを立てたような |
久良波斯夜麻波。 | 倉椅山は | クラハシ山は | |
佐賀斯祁杼。 | 嶮しけど、 | 嶮しいけれど、 | |
伊毛登能爐禮波。 | 妹と登れば | わが妻と登れば | |
佐賀斯玖母阿良受。 | 嶮しくもあらず。 | 嶮しいとも思いません。 | |
故自其地逃亡。 | かれそこより逃れて、 | それから逃げて、 | |
到宇陀之 蘇邇時。 |
宇陀うだの 蘇邇そにに到りましし時に、 |
宇陀うだの ソニという處に行き到りました時に、 |
|
御軍追到 而殺也。 |
御軍追ひ到りて、 殺しせまつりき。 |
兵士が追つて來て 殺してしまいました。 |
|
そらみつ大和の歌 |
|||
亦一時。 | またある時、 | また或る時、 | |
天皇爲 將豐樂而。 |
天皇 豐の樂あかりしたまはむとして、 |
天皇が 御宴をお開きになろうとして、 |
|
幸行 日女嶋之時。 |
日女ひめ島に 幸でましし時に、 |
姫島ひめじまに おいでになつた時に、 |
|
於其嶋雁生卵。 | その島に雁かり卵こ生みたり。 | その島に雁が卵を生みました。 | |
爾召 建内宿禰命。 |
ここに 建内の宿禰の命を召して、 |
依つて タケシウチの宿禰を召して、 |
|
以歌問 雁生卵之状。 |
歌もちて、 雁の卵生める状を 問はしたまひき。 |
歌をもつて 雁の卵を生んだ樣を お尋ねになりました。 |
|
其歌曰。 | その御歌、 | その御歌は、 | |
♪72 | 多麻岐波流 | たまきはる | |
宇知能阿曾 | 内の朝臣あそ、 | わが大臣よ、 | |
那許曾波 | 汝なこそは | あなたは | |
余能那賀比登 | 世の長人ながひと、 | 世にも長壽の人だ。 | |
蘇良美都 | そらみつ | ||
夜麻登能久邇爾 | 日本やまとの國に | この日本の國に | |
加理古牟登岐久夜 | 雁子こ産むと 聞くや。 |
雁が子を生んだのを 聞いたことがあるか。 |
|
於是建内宿禰。 | ここに建内の宿禰、 | ここにタケシウチの宿禰は | |
以歌語白。 | 歌もちて語りて白さく、 | 歌をもつて語りました。 | |
♪73 | 多迦比迦流 比能美古 | 高光る 日の御子、 | 高く光り輝く日の御子樣、 |
宇倍志許曾 斗比多麻閇 | 諾うべしこそ 問ひたまへ。 | よくこそお尋ねくださいました。 | |
麻許曾邇 斗比多麻閇 | まこそに 問ひたまへ。 | まことにもお尋ねくださいました。 | |
阿禮許曾波 余能那賀比登 | 吾あれこそは 世の長人、 |
わたくしこそは この世の長壽の人間ですが、 |
|
蘇良美都 夜麻登能久邇爾 | そらみつ 日本の國に | この日本の國に | |
加理古牟登 伊麻陀岐加受 | 雁かり子こ産むと いまだ聞かず。 |
雁が子を生んだとは まだ聞いておりません。 |
|
如此白而。 | かく白して、 | かように申して、 | |
被給御琴。 | 御琴を賜はりて、 | お琴を戴いて續けて歌いました。 | |
歌曰。 | 歌ひて曰ひしく、 | ||
♪74 | 那賀美古夜 | 汝なが王みこや | 陛下へいかが |
都毘邇斯良牟登 | 終に知らむと、 | 初はじめてお聞き遊ばしますために | |
加理波古牟良斯 | 雁は子産らし。 | 雁は子を生むのでございましよう。 | |
と歌ひき。 | |||
此者。 本岐歌之片歌也。 |
こは 壽歌ほきうたの片歌なり。 |
これは 壽歌ほぎうたの片歌かたうたです。 |
|
カラの船歌 |
|||
茲船破壞以 燒鹽。 |
この船の壞やぶれたるもちて、 鹽を燒き、 |
この船が壞こわれましてから、 鹽を燒き、 |
|
取其燒遺木。 | その燒け遺のこりの木を取りて、 | その燒け殘つた木を取つて | |
作琴。 | 琴に作るに、 | 琴に作りましたところ、 | |
其音響七里。 | その音七里ななさとに聞ゆ。 | その音が七郷に聞えました。 | |
爾歌曰。 | ここに歌よみて曰ひしく、 | それで歌に、 | |
♪75 | 加良怒袁 | 枯野からぬを | 船ふねのカラノで |
志本爾夜岐 | 鹽に燒き、 | 鹽を燒いて、 | |
斯賀阿麻理 | 其しが餘あまり | その餘りを | |
許登爾都久理 | 琴に造り、 | 琴に作つて、 | |
賀岐比久夜 | 掻き彈くや | 彈きなせば、 | |
由良能斗能 | 由良ゆらの門との | 鳴るユラの海峽の | |
斗那賀能伊久理爾 | 門中となかの 海石いくりに | 海中の岩に | |
布禮多都 | 振れ立つ | 觸れて立つている | |
那豆能紀能 | 浸漬なづの木の、 | 海の木のように | |
佐夜佐夜 | さやさや。 | さやさやと鳴なり響く。 | |
と歌いました。 | |||
此者。 志都歌之 歌返也。 |
こは 志都歌の 歌ひ返しなり。 |
これは 靜歌しずうたの 歌うたい返かえしです。 |
|
屏風ももってこいの歌 |
|||
爾天皇歌曰。 | ここに天皇歌よみしたまひしく、 | そこで天皇がお歌いになつた御歌、 | |
♪76 | 多遲比怒邇 | 丹比野たぢひのに | タヂヒ野で |
泥牟登斯理勢婆 | 寢むと知りせば、 | 寢ようと知つたなら | |
多都碁母母 | 防壁たつごもも | 屏風をも | |
母知弖許麻志母能 | 持ちて來ましもの。 | 持つて來たものを。 | |
泥牟登斯理勢婆 | 寢むと知りせば。 | 寢ようと知つたなら。 | |
あれ燃えてるのウチの歌 |
|||
到於 波邇賦坂。 |
波邇賦 はにふ坂に到りまして、 |
ハニフ坂においでになつて、 | |
望見難波宮。 | 難波の宮を見放さけたまひしかば、 | 難波の宮を遠望なさいましたところ、 | |
其火猶炳。 | その火なほ炳もえたり。 | 火がまだ燃えておりました。 | |
爾天皇亦歌曰。 | ここにまた歌よみしたまひしく、 | そこでお歌いになつた御歌、 | |
♪77 | 波邇布邪迦 | 波邇布はにふ坂 | ハニフ坂に |
和賀多知美禮婆 | 吾が立ち見れば、 | わたしが立つて見れば、 | |
迦藝漏肥能 | かぎろひの | ||
毛由流伊幣牟良 | 燃ゆる家群むら、 | 盛んに燃える家々は | |
都麻賀伊幣能阿多理 | 妻つまが家いへのあたり。 | 妻が家のあたりだ。 | |
女人の歌 |
|||
故到幸大坂 山口之時。 |
かれ大坂の 山口に到りましし時に、 |
かくて二上山ふたかみやまの 大坂の 山口においでになりました時に、 |
|
遇一女人。 | 女人をみな遇へり。 | 一人の女が來ました。 | |
其女人白之。 | その女人の白さく、 | その女の申しますには、 | |
持兵人等。 | 「兵つはものを持てる人ども、 | 「武器を持つた人たちが | |
多塞茲山。 | 多さはにこの山を塞さへたれば、 | 大勢この山を塞いでおります。 | |
自當岐麻道。 | 當岐麻道たぎまぢより廻りて、 | 當麻路たぎまじから廻つて、 | |
廻應越幸。 |
越え幸でますべし」 とまをしき。 |
越えておいでなさいませ」 と申し上げました。 |
|
爾天皇歌曰。 | ここに天皇歌よみしたまひしく、 | 依つて天皇の歌われました御歌は、 | |
♪78 | 於富佐迦邇。 | 大坂に | 大坂で |
阿布夜袁登賣袁。 | 遇ふや孃子をとめを。 | 逢あつた孃子おとめ。 | |
美知斗閇婆。 | 道問へば | 道を問えば | |
多陀邇波能良受。 | 直ただには告のらず、 | 眞直まつすぐにとはいわないで | |
當藝麻知袁能流。 | 當岐麻路たぎまぢを告る。 | 當麻路たぎまじを教えた。 | |
志良宜歌 |
|||
天皇 崩之後。 |
天皇 崩りまして後、 |
天皇が お隱かくれになつてから後のちに、 |
|
定 木梨之輕太子。 所知日繼。 |
木梨の輕の太子、 日繼知らしめすに 定まりて、 |
キナシノカルの太子が 帝位におつきになるに 定まつておりましたが、 |
|
未即位之間。 |
いまだ位に 即つきたまはざりしほどに、 |
まだ位に おつきにならないうちに |
|
奸其伊呂妹 輕大郎女而。 歌曰。 |
その同母妹いろも 輕の大郎女に奸たはけて、 歌よみしたまひしく、 |
妹のカルの大郎女に 戲れて お歌いになつた歌、 |
|
♪79 | 阿志比紀能 | あしひきの | |
夜麻陀袁豆久理 | 山田をつくり | 山田を作つて、 | |
夜麻陀加美 | 山高だかみ | 山が高いので | |
斯多備袁和志勢 | 下樋びをわしせ、 | 地の下に樋ひを通わせ、 | |
志多杼比爾 | 下どひに | そのように心の中で | |
和賀登布伊毛袁 | 吾わがとふ妹を、 | わたしの問い寄る妻、 | |
斯多那岐爾 | 下泣きに | 心の中で | |
和賀那久都麻袁 | 吾が泣く妻を、 | わたしの泣いている妻を、 | |
許存許曾婆 | 昨夜こぞこそは | 昨夜こそは | |
夜須久波陀布禮 | 安やすく肌觸れ。 | 我が手に入れたのだ。 | |
此者。 志良宜歌也。 |
こは 志良宜しらげ歌なり。 |
これは 志良宜歌しらげうたです。 |
|
夷振之上歌 |
|||
又歌曰。 | また歌よみしたまひしく、 | また、 | |
♪80 | 佐佐波爾 | 笹葉ささはに | 笹ささの葉はに |
宇都夜阿良禮能 | うつや霰の、 | 霰あられが音おとを立たてる。 | |
多志陀志爾 | たしだしに | そのようにしつかりと | |
韋泥弖牟能知波 | 率寢ゐねてむ後のちは | 共に寢た上は、 | |
比登波加由登母 | 人は離かゆとも。 | よしや君きみは別わかれても。 | |
♪81 | 宇流波斯登 | うるはしと | いとしの妻と |
佐泥斯佐泥弖婆 | さ寢ねしさ寢てば | 寢たならば、 | |
加理許母能 | 刈薦ごもの | 刈り取つた薦草こもくさのように | |
美陀禮婆美陀禮 | 亂れば亂れ。 | 亂れるなら亂れてもよい。 | |
佐泥斯佐泥弖婆 | さ寢しさ寢てば。 | 寢てからはどうともなれ。 | |
此者。 夷振之上歌也。 |
こは夷振ひなぶりの 上歌あげうたなり。 |
これは夷振ひなぶりの 上歌あげうたです。 |
|
加那斗加宜の歌 |
|||
於是穴穂御子。 興軍 圍 大前小前 宿禰之家。 |
穴穗の御子みこ 軍を興して、 大前小前の 宿禰の家を 圍かくみたまひき。 |
ここにアナホの御子が 軍を起して 大前小前の 宿禰の家を 圍みました。 |
|
爾到其 門時。 |
ここにその 門かなとに到りましし時に |
そしてその 門に到りました時に |
|
零大氷雨。 | 大氷雨ひさめ降りき。 | 大雨が降りました。 | |
故歌曰。 | かれ歌よみしたまひしく、 | そこで歌われました歌、 | |
♪82 | 意富麻幣 | 大前 | 大前 |
袁麻幣須久泥賀 | 小前宿禰が | 小前宿禰の | |
加那斗加宜 | かな門陰とかげ | 家の門のかげに | |
加久余理許泥 | かく寄より來こね。 | お立ち寄りなさい。 | |
阿米多知夜米牟 | 雨立ち止やめむ。 | 雨をやませて行きましよう。 | |
宮人振の歌 |
|||
爾其 大前小前宿禰。 |
ここにその 大前小前の宿禰、 |
ここにその 大前小前の宿禰が、 |
|
擧手打膝。 |
手を擧げ、 膝を打ち、 |
手を擧げ膝を打つて | |
儛訶那傳 〈自訶下 三字以音〉 |
舞ひかなで、 | 舞い奏かなで、 | |
歌參來。 | 歌ひまゐ來く。 | 歌つて參ります。 | |
其歌曰。 | その歌、 | その歌は、 | |
♪83 | 美夜比登能 | 宮人の | 宮人の |
阿由比能古須受 | 足結あゆひの小鈴こすず。 | 足に附けた小鈴が | |
淤知爾岐登 | 落ちにきと | 落ちてしまつたと | |
美夜比登登余牟 | 宮人とよむ。 | 騷いでおります。 | |
佐斗毘登母由米 | 里人もゆめ。 |
里人さとびとも そんなに騷がないでください。 |
|
此歌者。 | この歌は | この歌は | |
宮人振也。 | 宮人曲みやひとぶりなり。 | 宮人曲みやびとぶりです。 | |
天田振の歌 |
|||
故大前小前宿禰。 | かれ大前小前の宿禰、 | かくて大前小前の宿禰が | |
捕其輕太子。 | その輕の太子を捕へて、 | カルの太子を捕えて | |
率參出以貢進。 | 率ゐてまゐ出て獻りき。 | 出て參りました。 | |
其太子。 | その太子、 | その太子が | |
被捕歌曰。 | 捕はれて歌よみしたまひしく、 | 捕われて歌われた歌は、 | |
♪84 | 阿麻陀牟 | 天飛だむ | 空そら飛とぶ雁かり、 |
加流乃袁登賣 | 輕の孃子、 | そのカルのお孃さん。 | |
伊多那加婆 | いた泣かば | あんまり泣くと | |
比登斯理奴倍志 | 人知りぬべし。 | 人が氣づくでしよう。 | |
波佐能夜麻能 | 波佐はさの山の | それでハサの山の | |
波斗能 | 鳩の、 | 鳩のように | |
斯多那岐爾那久 | 下泣きに泣く。 | 忍び泣きに泣いています。 | |
又歌曰。 | また歌よみしたまひしく、 | また歌われた歌は、 | |
♪85 | 阿麻陀牟 | 天飛あまだむ | 空飛ぶ雁かり、 |
加流袁登賣 | 輕孃子かるをとめ、 | そのカルのお孃さん、 | |
志多多爾母 | したたにも | しつかりと | |
余理泥弖登富禮 | 倚り寢ねてとほれ。 | 寄つて寢ていらつしやい | |
加流袁登賣杼母 | 輕孃子ども。 | カルのお孃さん。 | |
故其輕太子者。 | かれその輕の太子をば、 | かくてそのカルの太子を | |
流於伊余湯也。 | 伊余いよの湯ゆに放ちまつりき。 | 伊豫いよの國の温泉に流しました。 | |
亦將流之時。 | また放たえたまはむとせし時に、 | その流されようとする時に | |
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | 歌われた歌は、 | |
♪86 | 阿麻登夫 | 天飛あまとぶ | 空を飛ぶ |
登理母都加比曾 | 鳥も使ぞ。 | 鳥も使です。 | |
多豆賀泥能 | 鶴たづが音ねの | 鶴の聲が | |
岐許延牟登岐波 | 聞えむ時は、 | 聞えるおりは、 | |
和賀那斗波佐泥 | 吾わが名問はさね。 | わたしの事をお尋ねなさい。 | |
此三歌者。 | この三歌は、 | この三首の歌は | |
天田振也。 | 天田振あまだぶりなり。 | 天田振あまだぶりです。 | |
夷振之片下(ひなぶりのへんげ)の歌 |
|||
又歌曰。 | また歌よみしたまひしく、 | また歌われた歌は、 | |
♪87 | 意富岐美袁 | 大君を | わたしを |
斯麻爾波夫良婆 | 島に放はぶらば、 | 島に放逐ほうちくしたら | |
布那阿麻理 | 船ふな餘り | 船の片隅に乘つて | |
伊賀幣理許牟叙 | い歸がへりこむぞ。 | 歸つて來よう。 | |
和賀多多彌由米 | 吾わが疊ゆめ。 |
わたしの座席は しつかりと護つていてくれ。 |
|
許登袁許曾 | 言をこそ | 言葉でこそ | |
多多美登伊波米 | 疊と言はめ。 | 座席とはいうのだが、 | |
和賀都麻波由米 | 吾が妻はゆめ。 |
わたしの妻を 護つていてくれというのだ。 |
|
此歌者。 | この歌は、 | この歌は | |
夷振之 片下也。 |
夷振ひなぶりの 片下かたおろしなり。 |
夷振ひなぶりの 片下かたおろしです。 |
|
衣通王の歌 |
|||
其衣通王。 | その衣通そとほしの王、 | その時に衣通しの王が | |
獻歌。 | 歌獻りき。 | 歌を獻りました。 | |
其歌曰。 | その歌、 | その歌は、 | |
♪88 | 那都久佐能 | 夏草の | 夏の草は萎なえます。 |
阿比泥能波麻能 | あひねの濱の | そのあいねの濱の | |
加岐加比爾 | 蠣貝かきかひに | 蠣かきの貝殼に | |
阿斯布麻須那 | 足踏ますな。 | 足をお蹈みなさいますな。 | |
阿加斯弖杼富禮 | 明あかしてとほれ。 | 夜が明けてからいらつしやい。 | |
ヤマ多豆の歌 |
|||
故後亦 不堪戀慕而。 |
かれ後にまた 戀慕しのひに堪へかねて、 |
後に 戀しさに堪えかねて |
|
追往時。 | 追ひいでましし時、 | 追つておいでになつて | |
歌曰。 | 歌ひたまひしく、 | お歌いになりました歌、 | |
♪89 | 岐美賀由岐。 | 君が行き | おいで遊ばしてから |
氣那賀久那理奴。 | け長くなりぬ。 | 日數が多くなりました。 | |
夜麻多豆能。 | 山たづの | ニワトコの木のように、 | |
牟加閇袁由加牟。 | 迎むかへを行かむ。 | お迎えに參りましよう。 | |
麻都爾波麻多士。 | 待つには待たじ。 | お待ちしてはおりますまい。 | |
〈此云山多豆者。 | (ここに山たづといへるは、 | ||
是今造木者也〉 | 今の造木なり) | ||
読歌(黄泉歌) |
|||
故追到之時。 |
かれ追ひ 到りましし時に、 |
かくて追つて おいでになりました時に、 |
|
待懷而歌曰。 |
待ち懷おもひて、 歌ひたまひしく、 |
太子がお待ちになつて 歌われた歌、 |
|
♪90 | 許母理久能 | 隱國こもりくの | 隱れ國の |
波都世能夜麻能 | 泊瀬はつせの山の | 泊瀬の山の | |
意富袁爾波 波多波理陀弖 | 大尾おほをには 幡はた張はり立て | 大きい高みには旗をおし立て | |
佐袁袁爾波 波多波理陀弖 | さ小尾ををには 幡張り立て | 小さい高みには旗をおし立て、 | |
意富袁爾斯 那加佐陀賣流 | 大尾おほをよし ながさだめる | おおよそにあなたの思い定めている | |
淤母比豆麻阿波禮 | 思ひ妻あはれ。 | 心盡しの妻こそは、ああ。 | |
都久由美能 許夜流許夜理母 | 槻つく弓の伏こやる伏りも、 | あの槻つき弓のように伏すにしても | |
阿豆佐由美 多弖理多弖理母 | 梓弓立てり立てりも、 | 梓あずさの弓のように立つにしても | |
能知母登理美流 | 後も取り見る | 後も出會う | |
意母比豆麻阿波禮 | 思ひ妻あはれ。 | 心盡しの妻は、ああ。 | |
又歌曰。 | また歌ひたまひしく、 | またお歌い遊ばされた歌は、 | |
♪91 | 許母理久能 | 隱國こもりくの | 隱れ國の |
波都勢能賀波能 | 泊瀬はつせの川の | 泊瀬の川の | |
加美都勢爾 伊久比袁宇知 | 上かみつ瀬せに 齋杙いくひを打ち、 | 上流の瀬には清らかな柱を立て | |
斯毛都勢爾 麻久比袁宇知 | 下しもつ瀬に ま杙くひを打ち、 | 下流の瀬にはりつぱな柱を立て、 | |
伊久比爾波 加賀美袁加氣 | 齋杙いくひには 鏡を掛け、 | 清らかな柱には鏡を懸け | |
麻久比爾波 麻多麻袁加氣 | ま杙には ま玉を掛け、 | りつぱな柱には玉を懸け、 | |
麻多麻那須 阿賀母布伊毛 | ま玉なす 吾あが思もふ妹、 | 玉のようにわたしの思つている女、 | |
加賀美那須 阿賀母布都麻 | 鏡なす 吾あが思もふ妻、 | 鏡のようにわたしの思つている妻、 | |
阿理登伊波婆許曾爾 | ありと いはばこそよ、 | その人がいると言うのなら | |
伊幣爾母由加米 | 家にも行かめ。 | 家にも行きましよう、 | |
久爾袁母斯怒波米 | 國をも偲しのはめ。 | 故郷をも慕いましよう。 | |
如此歌。 | かく歌ひて、 | かように歌つて、 | |
即共 自死。 |
すなはち共に みづから死せたまひき。 |
ともに お隱れになりました。 |
|
故此二歌者。 | かれこの二歌は | それでこの二つの歌は | |
讀歌也。 | 讀歌なり。 | 讀歌よみうたでございます。 | |
クサ下部の歌 |
|||
於是 若日下部王。 |
ここに 若日下部の王、 |
この時に ワカクサカベの王が |
|
令奏天皇。 | 天皇に奏まをさしめたまはく、 | 申し上げますには、 | |
背日 幸行之事。 |
「日に背そむきて いでますこと、 |
「日を背中にして おいでになることは |
|
甚恐。 | いと恐し。 | 畏れ多いことでございます。 | |
故己 直參上而仕奉。 |
かれおのれ 直ただにまゐ上りて仕へまつらむ」 とまをさしめたまひき。 |
依つてわたくしが 參上してお仕え申しましよう」 と申しました。 |
|
是以。 還上坐於宮之時。 |
ここを以ちて 宮に還り上ります時に、 |
かくして 皇居にお還りになる時に、 |
|
行立 其山之坂上 歌曰。 |
その山の坂の上に 行き立たして、 歌よみしたまひしく、 |
その山の坂の上に お立ちになつて、 お歌いになりました御歌、 |
|
♪92 | 久佐加辨能 | 日下部の | |
許知能夜麻登 | 此方こちの山と | この日下部くさかべの山と | |
多多美許母 | 疊薦たたみこも | ||
幣具理能夜麻能 | 平群へぐりの山の、 | 向うの平群へぐりの山との | |
許知碁知能 | 此方此方こちごちの | あちこちの | |
夜麻能賀比爾 | 山の峽かひに | 山のあいだに | |
多知邪加由流 | 立ち榮ざかゆる | 繁つている | |
波毘呂久麻加斯 | 葉廣はびろ熊白檮くまかし、 | 廣葉のりつぱなカシの樹、 | |
母登爾波 | 本には | その樹の根もとには | |
伊久美陀氣淤斐 | いくみ竹だけ生ひ、 | 繁つた竹が生え、 | |
須惠幣爾波 | 末すゑへは | 末の方には | |
多斯美陀氣淤斐 | たしみ竹生ひ、 | しつかりした竹が生え、 | |
伊久美陀氣 | いくみ竹 | その繁つた竹のように | |
伊久美波泥受 | いくみは寢ず、 | 繁くも寢ず | |
多斯美陀氣 | たしみ竹 | しつかりした竹のように | |
多斯爾波韋泥受 | たしには率宿ゐねず、 | しかとも寢ず | |
能知母久美泥牟 | 後もくみ寢む | 後にも寢ようと思う | |
曾能淤母比豆麻 | その思妻、 | 心づくしの妻は、 | |
阿波禮 | あはれ。 | ああ。 | |
即 令持此歌 而返使也。 |
すなはち この歌を持たしめして、 返し使はしき。 |
この歌を その姫の許に持たせて お遣りになりました。 |
|
志都歌①②ゆゆしき歌 |
|||
於是。 天皇大驚曰 |
ここに 天皇、いたく驚かして、 |
そこで 天皇が非常にお驚きになつて、 |
|
吾 既忘先事。 |
「吾は 既に先の事を忘れたり。 |
「わたしは とくに先の事を忘れてしまつた。 |
|
然汝守志 待命。 |
然れども汝いまし志を守り 命を待ちて、 |
それだのにお前が志を變えずに 命令を待つて、 |
|
徒過盛年。 | 徒に盛の年を過ぐししこと、 | むだに盛んな年を過したことは | |
是甚愛悲。 | これいと愛悲かなし」とのりたまひて、 | 氣の毒だ」と仰せられて、 | |
心裏欲婚。 |
御心のうちに召さむと 欲おもほせども、 |
お召しになりたくは お思いになりましたけれども、 |
|
憚其極老。 |
そのいたく老いぬるを 悼みたまひて、 |
非常に年寄つているのを おくやみになつて、 |
|
不得 成婚而。 |
え召さずて、 | お召しになり得ずに | |
賜御歌。 | 御歌を賜ひき。 | 歌をくださいました。 | |
其歌曰。 | その御歌、 | その御歌は、 | |
♪93 | 美母呂能 | 御諸みもろの | 御諸みもろ山の |
伊都加斯賀母登 | 嚴白檮いつかしがもと、 | 御神木のカシの樹のもと、 | |
賀斯賀母登 由由斯伎加母 | 白檮かしがもと ゆゆしきかも。 | そのカシのもとのように憚られるなあ、 | |
加志波良袁登賣 | 白檮原かしはら孃子をとめ。 | カシ原はらのお孃さん。 | |
又歌曰。 | また歌よみしたまひしく、 | またお歌いになりました御歌は、 | |
♪94 | 比氣多能 | 引田ひけたの | 引田ひけたの |
和加久流須婆良 | 若栗栖原くるすばら、 | 若い栗の木の原のように | |
和加久閇爾 | 若くへに | 若いうちに | |
韋泥弖麻斯母能 | 率寢ゐねてましもの。 | 結婚したらよかつた。 | |
淤伊爾祁流加母 | 老いにけるかも。 | 年を取つてしまつたなあ。 | |
志都歌③④クサカエの歌(盛りを返せ・老い返せ) |
|||
爾赤猪子之 泣涙。 |
ここに赤猪子が 泣く涙、 |
かくて赤猪子の 泣く涙に、 |
|
悉濕。 其所服之 丹摺袖。 |
その服けせる 丹摺にすりの袖を 悉ことごとに濕らしつ。 |
著ておりました 赤く染めた袖が すつかり濡れました。 |
|
答其大御歌 而歌曰。 |
その大御歌に答へて 曰ひしく、 |
そうして天皇の御歌にお答え 申し上げた歌、 |
|
♪95 | 美母呂爾 | 御諸に | 御諸山に |
都久夜多麻加岐 | 築つくや玉垣たまかき、 | 玉垣を築いて、 | |
都岐阿麻斯 | 築つきあまし | 築き殘して | |
多爾加母余良牟 | 誰たにかも依らむ。 | 誰に頼みましよう。 | |
加微能美夜比登 | 神の宮人。 | お社の神主さん。 | |
又歌曰。 | また歌ひて曰ひしく、 | また歌いました歌、 | |
♪96 | 久佐迦延能 | 日下江くさかえの | 日下江くさかえの |
伊理延能波知須 | 入江の蓮はちす、 | 入江に蓮はすが生えています。 | |
波那婆知須 | 花蓮はなばちす | その蓮の花のような | |
微能佐加理毘登 | 身の盛人、 | 若盛りの方は | |
登母志岐呂加母 | ともしきろかも。 | うらやましいことでございます。 | |
爾 多祿給 其老女以。 |
ここに その老女おみなに 物多さはに給ひて、 |
そこで その老女に 物を澤山に賜わつて、 |
|
返遣也。 | 返し遣りたまひき。 | お歸しになりました。 | |
故此四歌。 | かれこの四歌は | この四首の歌は | |
志都歌也。 | 志都歌なり。 | 靜歌しずうたです。 | |
吉野の舞子(芸者)の歌 |
|||
天皇。 | 天皇 | 天皇が | |
幸行吉野宮之時。 | 吉野えしのの宮にいでましし時、 | 吉野の宮においでになりました時に、 | |
吉野川之濱。 | 吉野川の邊に、 | 吉野川のほとりに | |
有童女。 其形姿美麗。 |
童女をとめあり、 それ形姿美麗かほよかりき。 |
美しい孃子がおりました。 | |
故婚是童女而。 | かれこの童女を召して、 | そこでこの孃子を召して | |
還坐於宮。 | 宮に還りましき。 | 宮にお還りになりました。 | |
後更亦 幸行吉野之時。 |
後に更に 吉野えしのにいでましし時に、 |
後に更に 吉野においでになりました時に、 |
|
留 其童女之所遇。 |
その童女の遇ひし所に 留まりまして、 |
その孃子に遇いました處に お留まりになつて、 |
|
於其處立 大御呉床而。 |
其處そこに 大御呉床あぐらを立てて、 |
其處に お椅子を立てて、 |
|
坐其御呉床。 | その御呉床にましまして、 | そのお椅子においでになつて | |
彈御琴。 | 御琴を彈かして、 | 琴をお彈きになり、 | |
令爲儛其孃子。 | その童女に儛はしめたまひき。 | その孃子に舞まわしめられました。 | |
爾因 其孃子之好儛。 |
ここに その童女の好く儛へるに因りて、 |
その孃子は好く舞いましたので、 | |
作御歌。 | 御歌よみしたまひき。 | 歌をお詠みになりました。 | |
其歌曰。 | その御歌、 | その御歌は、 | |
♪97 | 阿具良韋能 | 呉床座あぐらゐの | 椅子にいる |
加微能美弖母知 | 神の御手もち | 神樣が御手みてずから | |
比久許登爾 | 彈く琴に | 彈かれる琴に | |
麻比須流袁美那 | 舞する女をみな、 | 舞を舞う女は | |
登許余爾母加母 | 常世とこよにもがも。 | 永久にいてほしいことだな。 | |
蜻蛉島の歌(飽きず) |
|||
即幸 阿岐豆野而。 |
すなはち 阿岐豆野あきづのにいでまして、 |
それから 吉野のアキヅ野においでになつて |
|
御猟之時。 | 御獵したまふ時に、 | 獵をなさいます時に、 | |
天皇。 坐御呉床。 |
天皇、 御呉床にましましき。 |
天皇が お椅子においでになると、 |
|
爾虻 咋御腕。 |
ここに、虻あむ、 御腕ただむきを咋くひけるを、 |
虻あぶが 御腕を咋くいましたのを、 |
|
即蜻蛉來。 咋其虻而飛。 〈訓蜻蛉云阿岐豆〉 |
すなはち蜻蛉あきづ來て、 その虻あむを咋くひて、 飛とびき。 |
蜻蛉とんぼが來て その虻を咋つて 飛んで行きました。 |
|
於是作御歌。 | ここに御歌よみしたまへる、 | そこで歌をお詠みになりました。 | |
其歌曰。 | その御歌、 | その御歌は、 | |
♪98 | 美延斯怒能 | み吉野えしのの | 吉野の |
袁牟漏賀多氣爾 | 袁牟漏をむろが嶽たけに | ヲムロが嶽たけに | |
志斯布須登 | 猪鹿しし伏すと、 | 猪ししがいると | |
多禮曾 | 誰たれぞ | 陛下に申し上げたのは誰か。 | |
意富麻幣爾麻袁須 | 大前に申す。 | ||
夜須美斯志 | やすみしし | 天下を知ろしめす | |
和賀淤富岐美能 | 吾わが大君の | 天皇は | |
斯志麻都登 | 猪鹿しし待つと | 猪を待つと | |
阿具良爾伊麻志 | 呉床あぐらにいまし、 | 椅子に御座ぎよざ遊ばされ | |
斯漏多閇能 | 白栲しろたへの | 白い織物の | |
蘇弖岐蘇那布 | 袖そで著具きそなふ | お袖で裝うておられる | |
多古牟良爾 | 手腓たこむらに | 御手の肉に | |
阿牟加岐都岐 | 虻あむ掻き著き、 | 虻が取りつき | |
曾能阿牟袁 | その虻を | その虻を | |
阿岐豆波夜具比 | 蜻蛉あきづ早咋くひ、 | 蜻蛉とんぼがはやく食い、 | |
加久能碁登 | かくのごと | かようにして | |
那爾於波牟登 | 名に負はむと、 | 名を持とうと、 | |
蘇良美都 | そらみつ | ||
夜麻登能久爾袁 | 倭やまとの國を | この大和の國を | |
阿岐豆志麻登布 | 蜻蛉島あきづしまとふ。 | 蜻蛉島あきづしまというのだ。 | |
故自其時。 | かれその時より、 | その時からして、 | |
號其野。 | その野に名づけて | その野を | |
謂阿岐豆野也。 | 阿岐豆野あきづのといふ。 | アキヅ野というのです。 | |
猪を恐れる歌(帝≠猪=司死=神) |
|||
又一時天皇。 登幸 葛城之山上。 |
またある時、天皇 葛城かづらきの山の上に 登り幸でましき。 |
また或る時、天皇が 葛城山の上に お登りになりました。 |
|
爾大猪出。 | ここに大きなる猪出でたり。 | ところが大きい猪が出ました。 | |
即天皇。 以鳴鏑。 射其猪之時。 |
すなはち天皇 鳴鏑なりかぶらをもちて その猪を射たまふ時に、 |
天皇が 鏑矢かぶらやをもつて その猪をお射になります時に、 |
|
其猪怒而。 | その猪怒りて、 | 猪が怒つて | |
宇多岐依來。 〈宇多岐 三字以音〉 |
うたき 依り來。 |
大きな口をあけて 寄つて來ます。 |
|
故天皇。 | かれ天皇、 | 天皇は、 | |
畏其宇多岐。 | そのうたきを畏みて、 | そのくいつきそうなのを畏れて、 | |
登坐榛上。 | 榛はりの木の上に登りましき。 | ハンの木の上にお登りになりました。 | |
爾歌曰。 | ここに御歌よみしたまひしく、 | そこでお歌いになりました御歌、 | |
♪99 | 夜須美斯志 | やすみしし | 天下を知ろしめす |
和賀意富岐美能 | 吾わが大君の | 天皇の | |
阿蘇婆志斯 | 遊ばしし | お射になりました | |
志斯能夜美斯志能 | 猪の、病猪やみししの | 猪の手負い猪の | |
宇多岐加斯古美 | うたき畏み、 | くいつくのを恐れて | |
和賀爾宜能煩理斯 | わが逃げ登りし、 | わたしの逃げ登つた | |
阿理袁能 | あり岡をの | 岡の上の | |
波理能紀能延陀 | 榛はりの木の枝。 | ハンの木の枝よ。 | |
金でスキにする(させる)歌 |
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又天皇。 | また天皇、 | また天皇、 | |
婚 丸邇之 佐都紀臣之女。 袁杼比賣。 |
丸邇わにの 佐都紀さつきの臣が女、 袁杼をど比賣を 婚よばひに、 |
丸邇わにの サツキの臣の女の ヲド姫と 結婚をしに |
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幸行于 春日之時。 |
春日に いでましし時、 |
春日に おいでになりました時に、 |
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媛女逢道。 | 媛女をとめ、道に逢ひて、 | その孃子が道で逢つて、 | |
即見幸行而。 | すなはち幸行いでましを見て、 | おでましを見て | |
逃隱岡邊。 | 岡邊をかびに逃げ隱りき。 | 岡邊に逃げ隱れました。 | |
故作御歌。 | かれ御歌よみしたまへる、 | そこで歌をお詠みになりました。 | |
其歌曰。 | その御歌、 | その御歌は、 | |
♪100 | 袁登賣能 | 孃子をとめの | お孃さんの |
伊加久流袁加袁 | い隱かくる岡を | 隱れる岡を | |
加那須岐母 | 金鉏かなすきも | じようぶな鉏すきが | |
伊本知母賀母 | 五百箇いほちもがも。 | 澤山あつたらよいなあ、 | |
須岐波奴流母能 | 鉏すき撥はぬるもの。 | 鋤すき撥はらつてしまうものを。 | |
故號其岡。 | かれその岡に名づけて、 | そこでその岡を | |
謂金鉏岡也。 | 金鉏かなすきの岡といふ。 | 金鉏かなすきの岡と名づけました。 | |
天語①巫女の神への陳情(みなコロコロしてる歌) |
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又天皇。 | また天皇、 | また天皇が | |
坐 長谷之 百枝槻下。 |
長谷の 百枝槻ももえつきの下に ましまして、 |
長谷の 槻の大樹の下に おいでになつて |
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爲豐樂之時。 | 豐の樂あかりきこしめしし時に、 | 御酒宴を遊ばされました時に、 | |
伊勢國之 三重婇。 |
伊勢の國の 三重の婇うねめ |
伊勢の國の 三重から出た采女うねめが |
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指擧 大御盞 以獻。 |
大御盞おほみさかづきを 捧げて 獻りき。 |
酒盃さかずきを 捧げて 獻りました。 |
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爾其 百枝槻葉落 浮於大御盞。 |
ここにその 百枝槻の葉落ちて、 大御盞に浮びき。 |
然るにその 槻の大樹の葉が落ちて 酒盃に浮びました。 |
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其婇 不知 落葉 浮於盞。 |
その婇 落葉の 御盞みさかづきに浮べるを 知らずて、 |
采女は 落葉が 酒盃に浮んだのを 知らないで |
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猶獻 大御酒。 |
なほ大御酒 獻りけるに、 |
大御酒おおみきを 獻りましたところ、 |
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天皇。 | 天皇、 | 天皇は | |
看行。 其浮盞之葉。 |
その御盞に浮べる葉を 看そなはして、 |
その酒盃に浮んでいる葉を 御覽になつて、 |
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打伏其婇。 | その婇を打ち伏せ、 | その采女を打ち伏せ | |
以刀刺充其頸。 | 御佩刀はかしをその頸に刺し當てて、 | 御刀をその頸に刺し當てて | |
將斬之時。 | 斬らむとしたまふ時に、 | お斬り遊ばそうとする時に、 | |
其婇 白天皇。 |
その婇 天皇に白して曰さく、 |
その采女が 天皇に申し上げますには |
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曰莫殺吾身。 | 「吾が身をな殺したまひそ。 | 「わたくしをお殺しなさいますな。 | |
有應白事。 | 白すべき事あり」とまをして、 | 申すべき事がございます」と言つて、 | |
即歌曰。 | すなはち歌ひて曰ひしく、 | 歌いました歌、 | |
♪101 | 麻岐牟久能 | 纏向まきむくの | 纏向まきむくの |
比志呂乃美夜波 | 日代ひしろの宮は、 | 日代ひしろの宮は | |
阿佐比能 比傳流美夜 | 朝日の 日照でる宮。 | 朝日の照り渡る宮、 | |
由布比能 比賀氣流美夜 | 夕日の 日陰がける宮。 | 夕日の光のさす宮、 | |
多氣能泥能 泥陀流美夜 | 竹の根の 根足ねだる宮。 | 竹の根のみちている宮、 | |
許能泥能 泥婆布美夜 | 木この根ねの 根蔓ねばふ宮。 | 木の根の廣がつている宮です。 | |
夜本爾余志 | 八百土やほによし | 多くの土を築き堅めた宮で、 | |
伊岐豆岐能美夜 | い杵築きづきの宮。 | りつぱな材木の檜ひのきの御殿です。 | |
麻紀佐久 | ま木きさく | ||
比能美加度 | 日の御門、 | ||
爾比那閇夜爾 | 新嘗屋にひなへやに | その新酒をおあがりになる御殿に | |
淤斐陀弖流 | 生ひ立だてる | 生い立つている | |
毛毛陀流 都紀賀延波 | 百足だる 槻つきが枝えは、 | 一杯に繁つた槻の樹の枝は、 | |
本都延波 阿米袁淤幣理 | 上ほつ枝えは 天を負おへり。 | 上の枝は天を背おつています。 | |
那加都延波 阿豆麻袁淤幣理 | 中つ枝は 東あづまを負へり。 | 中の枝は東國を背おつています。 | |
志豆延波 比那袁於幣理 | 下枝しづえは 鄙ひなを負へり。 | 下の枝は田舍いなかを背おつています。 | |
本都延能 延能宇良婆波 | 上ほつ枝えの 枝えの末葉うらばは | その上の枝の枝先の葉は | |
那加都延爾 淤知布良婆閇 | 中つ枝に 落ち觸らばへ、 | 中の枝に落ちて觸れ合い、 | |
那加都延能 延能宇良婆波 | 中つ枝の 枝の末葉は | 中の枝の枝先の葉は | |
斯毛都延爾 淤知布良婆閇 | 下しもつ枝に 落ち觸らばへ、 | 下の枝に落ちて觸れ合い、 | |
斯豆延能 延能宇良婆波 | 下しづ枝の 枝の末葉は | 下の枝の枝先の葉は、 | |
阿理岐奴能 美幣能古賀 | あり衣ぎぬの 三重の子が | 衣服を三重に著る、 | |
佐佐賀世流 | 捧ささがせる |
その三重から來た子の 捧げている |
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美豆多麻宇岐爾 | 瑞玉盃みづたまうきに | りつぱな酒盃さかずきに | |
宇岐志阿夫良 | 浮きし脂あぶら | 浮いた脂あぶらのように | |
淤知那豆佐比 | 落ちなづさひ、 | 落ち漬つかつて、 | |
美那許袁呂許袁呂爾 | 水みなこをろこをろに、 | 水音もころころと、 | |
許斯母 | こしも | これは | |
阿夜爾加志古志 | あやにかしこし。 | 誠に恐れ多いことでございます。 | |
多加比加流 比能美古 | 高光る日の御子。 | 尊い日の御子樣。 | |
許登能 | 事の | 事の | |
加多理碁登母 | 語りごとも | 語り傳えは | |
許袁婆 | こをば。 | かようでございます。 | |
故獻此歌者。 | かれこの歌を獻りしかば、 | この歌を獻りましたから、 | |
赦其罪也。 | その罪を赦したまひき。 | その罪をお赦しになりました。 | |
天語②高光る日の御子に獻らせの歌 |
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爾大后歌。 | ここに大后の歌よみしたまへる、 | そこで皇后樣のお歌いになりました | |
其歌曰。 | その御歌、 | 御歌は、 | |
♪102 | 夜麻登能 許能多氣知爾 | 倭やまとの この高市たけちに | 大和の國の この高町で |
古陀加流 伊知能都加佐 | 小高こだかる 市いちの高處つかさ、 | 小高くある 市の高臺の、 | |
爾比那閇夜爾 | 新嘗屋にひなへやに | 新酒をおあがりになる御殿に | |
淤斐陀弖流 | 生ひ立だてる | 生い立つている | |
波毘呂 由都麻都婆岐 | 葉廣はびろ ゆつま椿つばき、 | 廣葉の清らかな椿の樹、 | |
曾賀波能 比呂理伊麻志 | そが葉の 廣りいまし、 | その葉のように廣らかにおいで遊ばされ | |
曾能波那能 弖理伊麻須 | その花の 照りいます | その花のように輝いておいで遊ばされる | |
多加比加流 比能美古爾 | 高光る 日の御子に、 | 尊い日の御子樣に | |
登余美岐 多弖麻都良勢 | 豐御酒とよみき 獻らせ。 | 御酒をさしあげなさい。 | |
許登能 | 事の | 事の | |
加多理碁登母 | 語りごとも | 語り傳えは | |
許袁婆 | こをば。 | かようでございます。 | |
天語③小鳥(コトリ)の歌 |
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即天皇 歌曰。 |
すなはち天皇 歌よみしたまひしく、 |
天皇の お歌いになりました御歌は、 |
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♪103 | 毛毛志記能 | ももしきの | |
淤富美夜比登波 | 大宮人おほみやひとは、 | 宮廷に仕える人々は、 | |
宇豆良登理 | 鶉鳥うづらとり | 鶉うずらのように | |
比禮登理加氣弖 | 領布ひれ取り掛けて | 頭巾ひれを懸けて、 | |
麻那婆志良 | 鶺鴒まなばしら | 鶺鴒せきれいのように | |
袁由岐阿閇 | 尾行き合へ | 尾を振り合つて | |
爾波須受米 | 庭雀にはすずめ、 | 雀のように | |
宇受須麻理韋弖 | うずすまり居て | 前に進んでいて | |
祁布母加母 | 今日もかも | 今日もまた | |
佐加美豆久良斯 | 酒さかみづくらし。 | 酒宴をしているもようだ。 | |
多加比加流 | 高光る | りつぱな | |
比能美夜比登 | 日の宮人。 | 宮廷の人々。 | |
許登能 | 事の | 事の | |
加多理碁登母 | 語りごとも | 語り傳えは | |
許袁婆 | こをば。 | かようでございます。 | |
此三歌者。 | この三歌は、 | この三首の歌は | |
天語歌也。 | 天語あまがたり歌なり。 | 天語歌あまがたりうたです。 | |
宇岐(ウキ憂きの)歌 |
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故於此豐樂。 | かれ豐とよの樂あかりに、 | その御酒宴に | |
譽其三重婇而。 | その三重の婇を譽めて、 | 三重の采女を譽めて、 | |
給多祿也。 | 物多さはに給ひき。 | 物を澤山にくださいました。 | |
是豐樂之日。 | この豐の樂の日、 | この御酒宴の日に、 | |
亦春日之袁杼比賣。 | また春日の袁杼比賣をどひめが | また春日のヲド姫が | |
獻大御酒之時。 | 大御酒獻りし時に、 | 御酒を獻りました時に、 | |
天皇歌曰。 | 天皇の歌ひたまひしく、 | 天皇のお歌いになりました歌は、 | |
♪104 | 美那曾曾久 | 水灌みなそそく | 水みずのしたたるような |
淤美能袁登賣 | 臣おみの孃子をとめ、 | そのお孃さんが、 | |
本陀理登良須母 | ほだり取らすも。 | 銚子ちようしを持つていらつしやる。 | |
本陀理斗理 | ほだり取り | 銚子を持つなら | |
加多久斗良勢 | 堅く取らせ。 | しつかり持つていらつしやい。 | |
斯多賀多久 | 下堅したがたく | 力ちからを入れて | |
夜賀多久斗良勢 | 彌堅やがたく取らせ。 | しつかりと持つていらつしやい。 | |
本陀理斗良須古 | ほだり取らす子。 | 銚子を持つていらつしやるお孃さん。 | |
此者。 宇岐歌也。 |
こは 宇岐うき歌なり。 |
これは 宇岐歌うきうたです。 |
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志都歌(いたのの歌) |
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爾袁杼比賣獻歌。 | ここに袁杼比賣、歌獻りき。 | ここにヲド姫の獻りました歌は、 | |
其歌曰。 | その歌、 | ||
♪105 | 夜須美斯志 | やすみしし | 天下を知ろしめす |
和賀淤富岐美能 | 吾が大君の | 天皇の | |
阿佐斗爾波 伊余理陀多志 | 朝戸あさとには い倚り立だたし、 | 朝戸にはお倚より立ち遊ばされ | |
由布斗爾波 伊余理陀多須 | 夕戸には い倚り立だたす | 夕戸ゆうどにはお倚り立ち遊ばされる | |
和岐豆岐賀斯多能 | 脇几わきづきが 下の | 脇息きようそくの下の | |
伊多爾母賀 | 板にもが。 | 板にでもなりたいものです。 | |
阿世袁 | 吾兄あせを。 | あなた。 | |
此者志都歌也。 | こは志都しづ歌なり。 | これは志都歌しずうたです。 | |
歌垣(歌合戦) |
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故將 治天下之間。 |
かれ 天の下 治らしめさむとせしほどに、 |
そこで 天下を お治めなされようとしたほどに、 |
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平群臣之祖。 | 平群へぐりの臣が祖おや、 | 平群へぐりの臣の祖先の | |
名志毘臣。 | 名は志毘しびの臣、 | シビの臣が、 | |
立于歌垣。 | 歌垣うたがきに立ちて、 | 歌垣の場で、 | |
取其袁祁命。 | その袁祁をけの命の | そのヲケの命の | |
將婚之 美人手。 |
婚よばはむとする 美人をとめの手を取りつ。 |
結婚なされようとする 孃子の手を取りました。 |
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其孃子者。 | その孃子は、 | その孃子は | |
菟田首等之女。 | 菟田うだの首おびと等が女、 | 菟田うだの長の女の | |
名者大魚也。 | 名は大魚おほをといへり、 | オホヲという者です。 | |
爾袁祁命亦立 歌垣。 |
ここに袁祁の命も 歌垣に立たしき。 |
そこでヲケの命も 歌垣にお立ちになりました。 |
|
於是。 志毘臣歌曰。 |
ここに 志毘の臣歌ひて曰ひしく、 |
ここに シビが歌いますには、 |
|
♪106 | 意富美夜能 | 大宮の | 御殿の |
袁登都波多傳 | をとつ端手はたで | ちいさい方の出張りは、 | |
須美加多夫祁理 | 隅すみ傾かたぶけり。 | 隅が曲つている。 | |
如此歌而。 | かく歌ひて、 | かく歌つて、 | |
乞其歌末之時。 | その歌の末を乞ふ時に、 | その歌の末句を乞う時に、 | |
袁祁命歌曰。 | 袁祁の命歌ひたまひしく、 | ヲケの命のお歌いになりますには、 | |
♪107 | 意富多久美 | 大匠おほたくみ | 大工が |
袁遲那美許曾 | 拙劣をぢなみこそ | 下手へただつたので | |
須美加多夫祁禮 | 隅傾けれ。 | 隅が曲つているのだ。 | |
シビの柴垣の歌 |
|||
爾志毘臣。 | ここに志毘の臣、 | シビが | |
亦歌曰。 | また歌ひて曰ひしく、 | また歌いますには、 | |
♪108 | 意富岐美能 | 大君の | 王子樣の |
許許呂袁由良美 | 心をゆらみ、 | 御心がのんびりしていて、 | |
淤美能古能 | 臣の子の | 臣下の | |
夜幣能斯婆加岐 | 八重の柴垣 | 幾重にも圍つた柴垣に | |
伊理多多受阿理 | 入り立たずあり。 | 入り立たずにおられます。 | |
於是。 王子。 |
ここに 王子 |
ここに 王子が |
|
亦歌曰。 | また歌ひたまひしく、 | また歌いますには、 | |
♪109 | 斯本勢能。 | 潮瀬しほぜの | 潮の寄る瀬の |
那袁理袁美禮婆。 | 波折なをりを見れば、 | 浪の碎けるところを見れば | |
阿蘇毘久流。 | 遊び來る | 遊んでいる | |
志毘賀波多傳爾。 | 鮪しびが端手はたでに | シビ魚の傍に | |
都麻多弖理美由。 | 妻立てり見ゆ。 | 妻が立つているのが見える。 | |
爾志毘臣。 | ここに志毘の臣、 | シビが | |
愈怒歌曰。 | いよよ忿りて歌ひて曰ひしく、 | いよいよ怒いかつて歌いますには、 | |
♪110 | 意富岐美能 | 大君の | 王子樣の |
美古能志婆加岐 | 王みこの柴垣、 | 作つた柴垣は、 | |
夜布士麻理 | 八節結やふじまり | 節だらけに | |
斯麻理母登本斯 | 結しまりもとほし | 結び廻してあつて、 | |
岐禮牟志婆加岐 | 截きれむ柴垣。 | 切れる柴垣の | |
夜氣牟志婆加岐 | 燒けむ柴垣。 | 燒ける柴垣です。 | |
爾王子。 | ここに王子 | ここに王子が | |
亦歌曰。 | また歌ひたまひしく、 | また歌いますには、 | |
♪111 | 意布袁余志。 | 大魚おふをよし | 大おおきい魚の |
斯毘都久阿麻余。 | 鮪しび衝つく海人あまよ、 | 鮪しびを突く海人よ、 | |
斯賀阿禮婆。 | 其しがあれば | その魚が荒れたら | |
宇良胡本斯祁牟。 | うら戀こほしけむ。 | 心戀しいだろう。 | |
志毘都久志毘。 | 鮪衝く鮪。 | 鮪しびを突く鮪しびの臣おみよ。 | |
置目(老き女)の歌 |
|||
爾作御歌。 | ここに御歌よみしたまへる、 | そこでお歌をお詠みなさいました。 | |
其歌曰。 | その歌、 | その御歌は、 | |
♪112 | 阿佐遲波良 | 淺茅原 | 茅草ちぐさの低い原や |
袁陀爾袁須疑弖 | 小谷をだにを過ぎて、 | 小谷を過ぎて | |
毛毛豆多布 | 百傳ふ | ||
奴弖由良久母 | 鐸ぬて搖ゆらくも。 | 鈴のゆれて鳴る音がする。 | |
於岐米久良斯母 | 置目來くらしも。 | 置目がやつて來るのだな。 | |
於是置目老媼。 | ここに置目の老媼、 | ここに置目が | |
白僕 甚耆老。 |
「僕 いたく老いにたれば、 |
「わたくしは 大變年をとりましたから |
|
欲退本國。 |
本つ國に退まからむとおもふ」 とまをしき。 |
本國に歸りたいと思います」 と申しました。 |
|
故隨白退時。 | かれ白せるまにまに、 |
依つて申す通りに お遣わしになる時に、 |
|
天皇見送。 | 退まかりし時に天皇見送りて | 天皇がお見送りになつて、 | |
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お歌いなさいました歌は、 | |
♪113 | 意岐米母夜 | 置目もや | 置目よ、 |
阿布美能於岐米 | 淡海の置目、 | あの近江の置目よ、 | |
阿須用理波 | 明日よりは | 明日からは | |
美夜麻賀久理弖 | み山隱がくりて | 山に隱れてしまつて | |
美延受加母阿良牟 | 見えずかもあらむ。 | 見えなくなるだろうかね。 | |