原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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爾掛出其骨之時。 | ここにその骨かばねを掛き出だす時に、 | その屍體を掛け出した時に |
弟王歌曰。 | 弟王、御歌よみしたまひしく、 | 歌つた弟の王の御歌、 |
知波夜比登 宇遲能和多理邇 | ちはや人 宇治の渡に、 | 流れの早い 宇治川の渡場に |
和多理是邇 多弖流 | 渡瀬わたりぜに 立てる | 渡場に立つている |
阿豆佐由美 麻由美 | 梓弓あづさゆみ 檀まゆみ。 | 梓弓とマユミの木、 |
伊岐良牟登 許許呂波母閇杼 | いきらむと 心は思もへど、 | 切ろうと心には思うが |
伊斗良牟登 許許呂波母閇杼 | い取らむと 心は思もへど、 | 取ろうと心には思うが、 |
母登幣波 岐美袁淤母比傳 | 本方もとべは 君を思ひ出で、 | 本の方では君を思い出し |
須惠幣波 伊毛袁淤母比傳 | 末方すゑへは 妹を思ひ出で、 | 末の方では妻を思い出し |
伊良那祁久 曾許爾淤母比傳 | いらなけく そこに思ひ出で、 | いらだたしく其處で思い出し |
加那志祁久 許許爾淤母比傳 | 愛かなしけく ここに思ひ出で、 | かわいそうに其處で思い出し、 |
伊岐良受曾久流 | いきらずぞ來くる。 | 切らないで來た |
阿豆佐由美 麻由美 | 梓弓檀。 | 梓弓とマユミの木。 |
故其 大山守命之骨者。 |
かれその 大山守の命の骨は、 |
その オホヤマモリの命の屍體をば |
葬于那良山也。 | 那良なら山に葬をさめき。 | 奈良山に葬りました。 |
是大山守命者。 | この大山守の命は | このオホヤマモリの命は、 |
〈土形君。 弊岐君。 榛原君等之祖〉 |
土形ひぢかたの君、 幣岐へきの君、 榛原はりはらの君等が祖なり。 |
土形ひじかたの君・ 幣岐へきの君・ 榛原はりはらの君等の祖先です。 |
ここでは古事記と伊勢物語24段梓弓の共通点から、その歌詞の本質となる要素を摘示して解説する(梓弓は、古代より口寄せする巫女の持ち物とされる小弓(世界大百科事典「梓巫女」)。神器のような象徴的アイテムで武具ではない。よって矢を用いない)。
これらから、人が死ぬ文脈での歌詞で、最愛の妻を思って悲しむ歌詞ということになる(弓はつまびくと掛かるので現代の妹ではなく、かつこの文脈では兄の暗示)。
最後の点は「阿豆佐由美麻由美」なので、物理的な弓(梓弓と檀弓)をいう意味ではなく、由美という小さい女性形容(あるいは固有名詞)を強調していると見れる。梓弓も檀弓(真弓)も弓の美称。
死をいう文脈なので、上のいきらむ・いとらむは、訳のように梓や檀の木を切り取るではなく、生きらむ・射とらむに見る。渡し場にたてる弓は、弓を射る時の仕草。しかしその弓で射とれるのか(無理)という文脈である。
伊勢物語での「梓弓ま弓つき弓」は、「梓弓ま弓」で上記の古来の文脈を読み込み(引き歌)、つきユミで、今でも好きという文脈を付加している。
梓弓で象徴される「口寄せ」は、物的霊的に引き寄せる意味があるが、男女の文脈では、そっとしたキス(スキ)という意味。
よって梓弓で当然導かれる引く(弓→引)は、惹きあう及び、妻引く×爪弾く(ポロポロ奏でる)という意味で、涙ポロポロでハープのような語り口ということである。それと夫婦でもう争わない。それで弓を引くならぬ身を引いた。矢を用いないから歌い手は文屋。安万侶=人麻呂の系譜(卑官で女権力者に近い)。
なお、恐山で梓弓はビヨンビヨン音をならすための道具(いわゆる鳴弦。楽器未満)として用いられていたという(『あずさ弓』カーメン・ブラッカー)。