古事記 但馬国・天之日矛の系譜~原文対訳

難波のアカル姫 古事記
中巻⑧
15代 応神天皇
新羅の天之日矛物語
3 但馬国
玉巾鏡
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
於是天之日矛。  ここに天の日矛、  そこで天の日矛が
聞其妻遁。 その妻めの遁れしことを聞きて、 その妻の逃げたことを聞いて、
乃追渡來。 すなはち追ひ渡り來て、 追い渡つて來て
將到難波之間。 難波に到らむとする間ほどに、 難波にはいろうとする時に、
其渡之神。 その渡の神 その海上の神が、
塞以不入。 塞さへて入れざりき。 塞いで入れませんでした。
     
故更還泊
多遲摩國。
かれ更に還りて、
多遲摩たぢまの國に泊はてつ。
依つて更に還つて、
但馬たじまの國に船泊はてをし、
即留其國而。 すなはちその國に留まりて、 その國に留まつて、

多遲摩之
俣尾之女。
名前津見。
多遲摩の
俣尾またをが女、
名は前津見まへつみに娶あひて
但馬の
マタヲの女の
マヘツミと結婚して
生子。多遲摩母呂須玖。 生める子、多遲摩母呂須玖もろすく。 生うんだ子はタヂマモロスクです。
此之子。多遲摩斐泥。 これが子多遲摩斐泥ひね。 その子がタヂマヒネ、
此之子。多遲摩比那良岐。 これが子多遲摩比那良岐ひならき。 その子がタヂマヒナラキ、
此之子。多遲麻毛理。 これが子多遲摩毛理もり五、 その子は、タヂマモリ・
次多遲摩比多訶。 次に多遲摩比多訶ひたか、 タヂマヒタカ・
次清日子。 次に清日子きよひこ キヨ彦の
〈三柱〉 三柱。 三人です。
     
此清日子。 この清日子、 このキヨ彦が
娶當摩之咩斐。 當摩たぎまの咩斐めひに娶ひて タギマノメヒと結婚して
生子。 生める子、 生うんだ子が
酢鹿之諸男。 酢鹿すがの諸男もろを、 スガノモロヲと
次妹菅竈〈上〉
由良度美。
〈此四字以音〉
次に妹
菅竈由良度美
すがかまゆらどみ、
スガカマ
ユラドミです。
     
故上云
多遲摩比多訶。
かれ上にいへる
多遲摩比多訶、
上に擧げたタヂマヒタカが
娶其姪
由良度美。
その姪
由良度美に娶ひて
その姪めいの
ユラドミと結婚して
生子。 生める子、 生んだ子が
葛城之
高額比賣命。
葛城かづらきの
高額たかぬか比賣の命。
葛城の
タカヌカ姫の命で、
〈此者
息長帶比賣命之
御祖〉
(こは
息長帶比賣の命の
御祖なり)
これがオキナガタラシ姫の命
(神功皇后)の
母君です。
難波のアカル姫 古事記
中巻⑧
15代 応神天皇
新羅の天之日矛物語
3 但馬国
玉巾鏡