原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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其大后 息長帶日賣命者。 |
その太后 息長帶日賣の命は、 |
皇后の オキナガタラシ姫の命 (神功皇后)は |
當時歸神。 |
當時そのかみ 神歸よせしたまひき。 |
神懸かみがかりを なさつた方でありました。 |
故天皇坐 筑紫之 訶志比宮。 |
かれ天皇 筑紫の訶志比かしひの宮にましまして |
天皇が 筑紫の香椎の宮においでになつて |
將撃熊曾國之時。 | 熊曾の國を撃たむとしたまふ時に、 | 熊曾の國を撃とうとなさいます時に、 |
天皇。 控御琴而。 |
天皇 御琴を控ひかして、 |
天皇が 琴をお彈ひきになり、 |
建内宿禰大臣。 | 建内の宿禰の大臣 | タケシウチの宿禰が |
居於沙庭。 | 沙庭さにはに居て、 | 祭の庭にいて |
請神之命。 | 神の命を請ひまつりき。 | 神の仰せを伺いました。 |
於是大后 歸神。 |
ここに太后、 神歸よせして、 |
ここに皇后に神懸りして |
言教覺詔者。 | 言教へ覺さとし詔りたまひつらくは、 | 神樣がお教えなさいましたことは、 |
西方有國。 | 「西の方に國あり。 | 「西の方に國があります。 |
金銀爲本。 | 金くがね銀しろがねをはじめて、 | 金銀をはじめ |
目之炎耀。 | 目耀まかがやく | 目の輝く |
種種珍寶。 | 種種くさぐさの珍寶うづたから | 澤山の寶物が |
多在其國。 | その國に多さはなるを、 | その國に多くあるが、 |
吾今歸賜其國。 |
吾あれ今その國を。歸よせたまはむ」 と詔りたまひつ |
わたしが今その國をお授け申そう」 と仰せられました。 |
爾天皇答白。 | ここに天皇、答へ白したまはく、 | しかるに天皇がお答え申されるには、 |
登高地見西方者。 | 「高き地ところに登りて西の方を見れば、 | 「高い處に登つて西の方を見ても、 |
不見國土。 | 國は見えず、 | 國が見えないで、 |
唯有大海。 | ただ大海のみあり」と白して、 | ただ大海のみだ」と言われて、 |
謂爲詐神而。 | 詐いつはりせす神と思ほして、 | 詐いつわりをする神だとお思いになつて、 |
押退御琴。 | 御琴を押し退そけて、 | お琴を押し退けて |
不控。 | 控きたまはず、 | お彈きにならず |
默坐。 | 默もだいましき。 | 默つておいでになりました。 |
妻に憑依し、夫が拒絶し、第三の男が質問(審尋・審神・サニワ)するという構図は、大和の中山みきの構図と同様。
息長帶比賣(おきながらたらし姫)と中山みき。名前は微妙だが、情況はよく掛かっている。
息長(おきながら)は彼女の享年100歳を意味し、中山みきも115年生きれると言いつつ、数え90歳まで生きた。
みきがトランス状態で従わないと、この家を粉にすると言い、夫(中山善兵衛)が抵抗しつつ従ったのは、次の段とリンクする(啓示を無視し天皇死亡)。
一般的な説明でみきが嫁いだ「中山家は古くから村の庄屋や年寄といった村役人をつとめる家」とされるのは、次の段の神託「ここにその神いたく忿りて詔りたまはく、「およそこの天の下は、汝の知らすべき國にあらず、汝は一道に向ひたまへ」 と詔りたまひき」に対応している。
みきは御神楽歌(みかぐら歌)なるものをおろしたが、神功皇后の歌は、酒楽歌(さかぐら歌)。
古事記で神楽にかかる歌はこれが初めて。歌を記した教祖というのも珍しいのではないか。
みきおろして曰く「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり」とされるが、元の神(最初の神)が日本の片田舎の屋敷に因縁あるというのは全く不相応なので、これは物理的な屋敷ではなく、家・ファミリー(家系)という意味に見る。それが彼女の言語野では屋敷に変換されたと。
こう見ると、その大和の家のあり方はかつての大和ファミリーの象徴的意味があり、「家財や道具を貧民に施したり、屋敷を取り払ったと言われる」とされるのはその償いといえる(カルマの清算)。
してみると、邪馬台国(やまたいこく・やまとのくに)のひみことも、何となく掛かっている。邪馬台国の所在は畿内説と九州説とがあるらしいが、いずれにしても問題ない。