原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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凡此大帶日子 天皇之御子等。 |
およそこの 大帶日子おほたらしひこの 天皇の御子たち、 |
すべて天皇の 御子たちは、 |
所録 廿一王。 |
録しるせるは 廿一王はたちまりひとはしら、 |
記したのは 二十一王、 |
不入記 五十九王。 |
記さざる 五十九王いそぢまりここのはしら、 |
記さないのは 五十九王、 |
并 八十王 之中。 |
并はせて 八十王はしら います中に、 |
合わせて 八十の御子みこが おいでになりました中に、 |
若帶日子命。 | 若帶日子の命と | ワカタラシ彦の命と |
與倭建命。 | 倭建やまとたけるの命、 | ヤマトタケルの命と |
亦。五百木之 入日子命。 |
また五百木いほきの 入日子いりひこの命と、 |
イホキノイリ彦の命と、 |
此三王。 負太子之名。 |
この三王みはしらは 太子ひつぎのみこの名を負はし、 |
このお三方は、 皇太子と申す御名を負われ、 |
自其餘 七十七王者。 |
それより餘ほか 七十七王 ななまりななはしらのみこは、 |
他の七十七王は |
悉別賜。 國國之國造。 亦和氣。及稻置。 縣主也。 |
悉に國國の國の造、 また別わけ、稻置いなぎ、 縣主あがたぬし七に別け賜ひき。 |
悉く諸國の國の造みやつこ・ 別わけ・稻置いなき・ 縣主あがたぬし等として お分け遊ばされました。 |
若帶日子=成務天皇 |
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故 若帶日子命者。 治天下也。 |
かれ若帶日子 わかたらしひこの命は、 天の下治らしめしき。 |
そこでワカタラシ彦の命は 天下をお治めなさいました。 |
小碓=倭建 |
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小碓命者。 | 小碓をうすの命は、 | ヲウスの命は |
平東西之荒神。 | 東西の荒ぶる神、 | 東西の亂暴な神、 |
及不伏人等也。 |
また伏まつろはぬ人どもを 平ことむけたまひき。 |
また服從しない人たちを 平定遊ばされました。 |
次櫛角別王者。 | 次に櫛角別くしつのわけの王は、 | 次にクシツノワケの王は、 |
〈茨田下連等之祖〉 | 茨田の下の連等が祖なり。 | 茨田の下の連等の祖先です。 |
次大碓命者。 | 次に大碓おほうすの命は | 次にオホウスの命は、 |
〈守君。 大田君。 嶋田君之祖〉 |
守の君、 太田の君、 島田の君が祖なり。 |
守の君・ 太田の君・ 島田の君の祖先です。 |
次神櫛王者。 | 次に神櫛かむくしの王は、 | 次にカムクシの王は |
〈木國之酒部阿比古。 | 木の國の酒部の阿比古、 | 木の國の酒部の阿比古・ |
宇陀酒部之祖〉 | 宇陀の酒部が祖なり。 | 宇陀の酒部の祖先です。 |
次豐國別王者。 | 次に豐國別とよくにわけの王は、 | 次にトヨクニワケの王は、 |
〈日向國造之祖〉 | 日向の國の造が祖なり。 | 日向の國の造の祖先です。 |