原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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爾天皇。 詔之。 |
ここに天皇 詔りたまはく、 |
そこで天皇は |
吾 殆見 欺乎。 |
「吾は ほとほとに 欺かえつるかも」 とのりたまひて、 |
「わたしは あぶなく 欺あざむかれるところだつた」 と仰せになつて、 |
乃興軍 撃 沙本毘古王之時。 |
軍を興して、 沙本毘古さほびこの王を 撃うちたまふ時に、 |
軍を起して サホ彦の王を お撃ちになる時、 |
其王作 稻城以 待戰。 |
その王 稻城いなぎを作りて、 待ち戰ひき。 |
その王が 稻の城を作つて 待つて戰いました。 |
垂仁天皇の段では、後にサホ姫がこの稲の城で生んだホムチワケが、鳥をアレと言い、その使いが鳥を取るために、紀の國から、稲羽(因幡=鳥取)を折返し地点にして東に回り、越の国に至って鳥を取ったとあるように、鳥取の掛かりが強調されている。
よって、ここでの稲は、一文字で稲羽(因幡)の略称と見れる。
普通に考えて、稲でも俵でも合戦用の城は作れない。だからその稲ではない。そもそもサホ彦が持っていた「八鹽折之紐小刀」の「八鹽折」とは、スサノオの出雲での八俣の大蛇で出てきた形容詞である(八鹽折之酒)。だからその小刀を振るわれた天皇の夢に蛇が出てきたのであるし、スサノオ同様に幼稚なホムチワケもこの後で出雲に参拝することになるのである。