原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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爾其后 | ここにその后、 | そこでその皇后が |
以爲不應爭。 | 爭ふべくもあらじとおもほして、 | 隱しきれないと思つて |
即白天皇言。 | すなはち天皇に白して言さく、 | 天皇に申し上げるには、 |
妾兄 沙本毘古王。 |
「妾が兄 沙本毘古さほびこの王、 |
「わたくしの兄の サホ彦の王が |
問妾曰。 孰愛夫與兄。 |
妾に、 夫と兄とはいづれか愛はしきと問ひき。 |
わたくしに、 夫と兄とはどちらが大事かと尋ねました。 |
是不勝面問 |
ここに え面勝たずて、 |
目の前で尋ねましたので、 |
故妾答曰 愛兄歟。 |
かれ妾、 兄を愛しとおもふと答へ曰へば、 |
仕方しかたがなくて、 兄が大事ですと答えましたところ、 |
爾誂妾曰。 | ここに妾に誂あとらへて曰はく、 | わたくしに註文して、 |
吾與汝共。 治天下。 |
吾と汝と 天の下を治らさむ。 |
自分とお前とで 天下を治めるから、 |
故當殺 天皇云而。 |
かれ天皇を 殺しせまつれといひて、 |
天皇を お殺し申せと言つて、 |
作八鹽折之 紐小刀。 授妾。 |
八鹽折やしほりの 紐小刀を作りて 妾に授けつ。 |
色濃く染めた 紐をつけた小刀を作つて わたくしに渡しました。 |
是以欲刺。 御頸。 |
ここを以ちて 御頸を刺しまつらむとして、 |
そこでお頸をお刺し申そうとして |
雖三度擧。 | 三度擧ふりしかども、 | 三度振りましたけれども、 |
哀情忽起。 | 哀しとおもふ情忽に起りて、 | 哀かなしみの情がたちまちに起つて |
不得刺頸而。 | 頸をえ刺しまつらずて、 | お刺し申すことができないで、 |
泣涙落。 | 泣く涙の落ちて、 | 泣きました涙が |
洽於御面。 | 御面を沾らしつ。 | お顏を沾ぬらしました。 |
必有是表焉。 |
かならずこの表しるしにあらむ」 とまをしたまひき。 |
きつとこのあらわれでございましよう」 と申しました。 |