原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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宮(石上廣高宮) |
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豐御食 炊屋比賣命。 |
妹いも 豐御食炊屋 とよみけかしぎや比賣の命、 |
妹の トヨミケカシギヤ姫の命 (推古天皇)、 |
坐小治田宮。 | 小治田をはりだの宮にましまして、 |
大和の 小治田の宮においでになつて、 |
治天下 參拾漆歲。 |
三十七歳 みそとせまりななとせ 天の下治らしめしき。 |
三十七年 天下をお治めなさいました。 |
陵(大野岡上→科長大陵) |
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(戊子の年 三月十五日 癸丑の日 崩りたまひき) |
戊子つちのえねの年の 三月十五日 癸丑みずのとうしの日に お隱れなさいました。 |
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御陵在 大野岡上。 |
御陵は 大野の岡の上にありしを、 |
御陵は 初めは大野の岡の上にありましたが、 |
後遷 科長大陵也。 |
後に 科長しながの大陵に遷しまつりき。 |
後に 科長の大陵にお遷し申し上げました。 |
【古事記・終】 |
推古で最後。参照した帝紀がここで終わっているためだろう、というのは推測で根拠がない。
古事記は113の歌を含む物語。土佐日記の60首と奥の細道の66首、同じ歴史物語の平家物語114首と比較しても、これらの祖となる人物で、相当多作で練達の歌人であることを表している。つまり安万侶は人麻呂(字形。没年一致)。平家は人麻呂と赤人は名を挙げて讃えている(貫之ではなく)。
古事記は元明帝という女帝の下で書いていること、最初から女性を重んじる姿勢(例えばイザナミと天照といった別格に重んじられる存在の連続)から、最初の女帝で終わらせていることは意図的である。人麻呂は妻の死を全力で嘆いたのが万葉での歌風。同時代の歌人、赤人・憶良はそのような歌は歌わない。家持は万葉の占奪者。だから実力者達は認めていない。
古事記と万葉で女性が重んじられたのは、ひとえに人麻呂=安万侶と、その精神を受け継いだ一部の実力者の影響力が大きかったためで、それが当時の日本の普通で一般だったわけではないし、この時期女帝が散発するのも一過性のもので、この国の基本思想では全くない(端的に女性のトップは好まれない)。万葉は人麻呂とその歌集が圧倒的に支配的な内容から一般民衆の本ではない人麻呂と赤人の私選歌集であり、より一般情勢を反映したといえる公的歌集の古今の女性比率は男の10分の1程度である。
しかしここにきて女帝の流れ。名のかかりも良い。これで偶然というのは、さすがにナンセンス。この種の天意を認めないのに、それを冠した家系を語るのは根本的におかしい。権力者の地位と世襲が正統の根拠なら、どの国のどんな暗愚でも正当化できる。領土保全と称し貧民に命じ周辺弱国を武器を用い私物化する暴挙も正当化できる。堂々神と称した根拠、人間宣言とは何なのか。不敬にも僭称していたと認めたのか。人への不敬をどのように定めていたか。この国の統治の責任とは投票日の経過か。神のように振舞い、神に屈服させられた雄略。日本書紀では得意の併記もせず、なれ合いの文脈に全力で曲げる。万葉1は雄略。万葉2が推古の次の舒明。最初は全体の象徴。だから土にまみれる無名の民の歌。無名の民々を重んじた理想像、そう解釈できる記録上の人格的根拠は全くない。
象徴とは、全体像の集約・些末の捨象という意味である。トロフィーのような形骸的な意味ではないし(トロフィーは器の象徴)、その形を相続すれば力の内実を手にするものでもない。トップに起きることは全体の縮図。必ず背後に相応の原因がある。それが象徴性の理解。全体像を理解できない、それが群盲象を評すの例え。パズルのピース(文言)をいくら分解・分類しても、全体像・大意を理解したことにはならない。その細部の意味も、全体の配置・位置づけにおいて決まる相対的なもの。だから視野が狭くて全体の想定が自分達に都合がいいと、細部の解釈も全部都合がよくなる。そして神即ち天・天道・自然の摂理は、本質的に人に都合で動かない。人の説や解釈で摂理は左右されない。八百万は万象の象徴で、最高神・摂理(the divine ruler)はその最初の存在。始祖、古の原型(ancestor)、造物主、創造主、author。全てのauthorityの源、Almighty。