原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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故其老媼所 住屋者。 |
かれその老媼の住む屋をば、 | その老婆の住む家を |
近作宮邊。 | 宮の邊へ近く作りて、 | 宮の邊近くに作つて、 |
毎日必召。 | 日ごとにかならず召す。 | 毎日きまつてお召しになりました。 |
故鐸懸大殿戶。 | かれ大殿の戸に鐸ぬりてを掛けて、 | そこで宮殿の戸に鈴を掛けて、 |
欲召其老媼之時。 | その老媼を召したまふ時は、 | その老婆を召そうとする時は |
必引鳴其鐸。 |
かならずその鐸ぬりてを 引き鳴らしたまひき。 |
きつとその鈴を お引き鳴らしなさいました。 |
爾作御歌。 | ここに御歌よみしたまへる、 | そこでお歌をお詠みなさいました。 |
其歌曰。 | その歌、 | その御歌は、 |
阿佐遲波良 | 淺茅原 | 茅草ちぐさの低い原や |
袁陀爾袁須疑弖 | 小谷をだにを過ぎて、 | 小谷を過ぎて |
毛毛豆多布 | 百傳ふ | |
奴弖由良久母 | 鐸ぬて搖ゆらくも。 | 鈴のゆれて鳴る音がする。 |
於岐米久良斯母 | 置目來くらしも。 | 置目がやつて來るのだな。 |
於是置目老媼。 | ここに置目の老媼、 | ここに置目が |
白僕 甚耆老。 |
「僕 いたく老いにたれば、 |
「わたくしは 大變年をとりましたから |
欲退本國。 |
本つ國に退まからむとおもふ」 とまをしき。 |
本國に歸りたいと思います」 と申しました。 |
故隨白退時。 | かれ白せるまにまに、 |
依つて申す通りに お遣わしになる時に、 |
天皇見送。 | 退まかりし時に天皇見送りて | 天皇がお見送りになつて、 |
歌曰。 | 歌よみしたまひしく、 | お歌いなさいました歌は、 |
意岐米母夜 | 置目もや | 置目よ、 |
阿布美能於岐米 | 淡海の置目、 | あの近江の置目よ、 |
阿須用理波 | 明日よりは | 明日からは |
美夜麻賀久理弖 | み山隱がくりて | 山に隱れてしまつて |
美延受加母阿良牟 | 見えずかもあらむ。 | 見えなくなるだろうかね。 |
ここで、老女置目を重んじているが、これは若い娘(八田若郎女)を好んだ仁徳や、老女になった美女(引田部赤猪子)冷たくあしらった雄略と、対比された話。
加えて、冒頭の大殿戶の鈴(大殿→寝る所=履中での用法)、毎日必召、もも伝ふ、顕宗天皇には子がないこと、これらはこの老女に入れ込んだことを示唆している。それ以外に老女を毎日・必ず・鈴で呼ぶ理由があるだろうか。この表現を普通の側用人の老女に向けられたものと見るのは、先代、特に雄略の文脈から離れている。顕宗天皇の物語は、雄略に殺害された父王の追悼から始まり、雄略の陵を暴こうとして終わることからも、両者を全く無関係に見ることはできない(関連づけて見ることが適当)。
淺茅は後世の歌でもそのように男女が寝る用法として用いられるし、小谷・もも伝ふ、もそういう文脈で見れる。
もともと老女の置目がとても年をとったから引退したいと申し出たことも、雄略天皇に八十歳になった赤猪子が自分をもらってくれと突撃してきて追い返したこと対比され、つまり顕宗天皇は、老女に拒まれてしまった。