原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
---|---|---|
歌垣 |
||
故將 治天下之間。 |
かれ 天の下 治らしめさむとせしほどに、 |
そこで 天下を お治めなされようとしたほどに、 |
平群臣之祖。 | 平群へぐりの臣が祖おや、 | 平群へぐりの臣の祖先の |
名志毘臣。 | 名は志毘しびの臣、 | シビの臣が、 |
立于歌垣。 | 歌垣うたがきに立ちて、 | 歌垣の場で、 |
取其袁祁命。 | その袁祁をけの命の | そのヲケの命の |
將婚之 美人手。 |
婚よばはむとする 美人をとめの手を取りつ。 |
結婚なされようとする 孃子の手を取りました。 |
其孃子者。 | その孃子は、 | その孃子は |
菟田首等之女。 | 菟田うだの首おびと等が女、 | 菟田うだの長の女の |
名者大魚也。 | 名は大魚おほをといへり、 | オホヲという者です。 |
歌①曲がったアソコの歌 |
||
爾袁祁命亦立 歌垣。 |
ここに袁祁の命も 歌垣に立たしき。 |
そこでヲケの命も 歌垣にお立ちになりました。 |
於是。 志毘臣歌曰。 |
ここに 志毘の臣歌ひて曰ひしく、 |
ここに シビが歌いますには、 |
意富美夜能 | 大宮の | 御殿の |
袁登都波多傳 | をとつ端手はたで | ちいさい方の出張りは、 |
須美加多夫祁理 | 隅すみ傾かたぶけり。 | 隅が曲つている。 |
如此歌而。 | かく歌ひて、 | かく歌つて、 |
乞其歌末之時。 | その歌の末を乞ふ時に、 | その歌の末句を乞う時に、 |
袁祁命歌曰。 | 袁祁の命歌ひたまひしく、 | ヲケの命のお歌いになりますには、 |
意富多久美 | 大匠おほたくみ | 大工が |
袁遲那美許曾 | 拙劣をぢなみこそ | 下手へただつたので |
須美加多夫祁禮 | 隅傾けれ。 | 隅が曲つているのだ。 |
歌②御門には入れれない歌 |
||
爾志毘臣。 | ここに志毘の臣、 | シビが |
亦歌曰。 | また歌ひて曰ひしく、 | また歌いますには、 |
意富岐美能 | 大君の | 王子樣の |
許許呂袁由良美 | 心をゆらみ、 | 御心がのんびりしていて、 |
淤美能古能 | 臣の子の | 臣下の |
夜幣能斯婆加岐 | 八重の柴垣 | 幾重にも圍つた柴垣に |
伊理多多受阿理 | 入り立たずあり。 | 入り立たずにおられます。 |
於是。 王子。 |
ここに 王子 |
ここに 王子が |
亦歌曰。 | また歌ひたまひしく、 | また歌いますには、 |
斯本勢能。 | 潮瀬しほぜの | 潮の寄る瀬の |
那袁理袁美禮婆。 | 波折なをりを見れば、 | 浪の碎けるところを見れば |
阿蘇毘久流。 | 遊び來る | 遊んでいる |
志毘賀波多傳爾。 | 鮪しびが端手はたでに | シビ魚の傍に |
都麻多弖理美由。 | 妻立てり見ゆ。 | 妻が立つているのが見える。 |
歌③シバくぞガキの歌 |
||
爾志毘臣。 | ここに志毘の臣、 | シビが |
愈怒歌曰。 | いよよ忿りて歌ひて曰ひしく、 | いよいよ怒いかつて歌いますには、 |
意富岐美能 | 大君の | 王子樣の |
美古能志婆加岐 | 王みこの柴垣、 | 作つた柴垣は、 |
夜布士麻理 | 八節結やふじまり | 節だらけに |
斯麻理母登本斯 | 結しまりもとほし | 結び廻してあつて、 |
岐禮牟志婆加岐 | 截きれむ柴垣。 | 切れる柴垣の |
夜氣牟志婆加岐 | 燒けむ柴垣。 | 燒ける柴垣です。 |
爾王子。 | ここに王子 | ここに王子が |
亦歌曰。 | また歌ひたまひしく、 | また歌いますには、 |
意布袁余志。 | 大魚おふをよし | 大おおきい魚の |
斯毘都久阿麻余。 | 鮪しび衝つく海人あまよ、 | 鮪しびを突く海人よ、 |
斯賀阿禮婆。 | 其しがあれば | その魚が荒れたら |
宇良胡本斯祁牟。 | うら戀こほしけむ。 | 心戀しいだろう。 |
志毘都久志毘。 | 鮪衝く鮪。 | 鮪しびを突く鮪しびの臣おみよ。 |
如此歌而。 | かく歌ひて、 | かように歌つて |
鬪明 各退。 |
鬪かがひ明して、 おのもおのも散あらけましつ。 |
歌を掛け合い、 夜をあかして別れました。 |
シビ、ウタれる |
||
明旦之時。 | 明くる旦時あした、 | 翌朝、 |
意富祁命。 | 意祁おけの命、 | オケの命・ |
袁祁命。 | 袁祁をけの命 | ヲケの命 |
二柱議云。 | 二柱議はかりたまはく、 | お二方が御相談なさいますには、 |
凡朝廷人等者。 | 「およそ朝廷みかどの人どもは、 | 「すべて朝廷の人たちは、 |
旦參赴於朝廷。 | 旦あしたには朝廷に參り、 | 朝は朝廷に參り、 |
晝集於志毘門。 | 晝は志毘が門かどに集つどふ。 | 晝はシビの家に集まります。 |
亦今者 志毘必寢。 |
また今は 志毘かならず寢ねたらむ。 |
そこで今は シビがきつと寢ねているでしよう。 |
亦其門無人。 | その門に人も無けむ。 | その門には人もいないでしよう。 |
故非今。 | かれ今ならずは、 | 今でなくては |
者難可謀。 | 謀り難けむ」とはかりて、 | 謀り難いでしよう」と相談されて、 |
即興軍。 | すなはち軍を興して、 | 軍を興して |
圍志毘臣之家。 | 志毘の臣が家を圍かくみて、 | シビの家を圍んで |
乃殺也。 | 殺とりたまひき。 | お撃ちになりました。 |
歌垣最初の歌の、「袁登都(ヲトツ)」は、字義からすると、都に登ってきたヲケの凹凸、つまりさえないでっぱりを意味しており、古事記最初で最大の象徴表現、イザナギイザナミ以来の性のシンボルを表現している(この先例がないと固い読者には失礼な曲解とされるだろう)。
意富美夜能 | 大宮の | 御殿の |
袁登都波多傳 | をとつ端手はたで | ちいさい方の出張りは、 |
須美加多夫祁理 | 隅すみ傾かたぶけり。 | 隅が曲つている。 |
ここでその隅が傾いている(曲がっている)というのは、清寧天皇が后も御子もなく没したことを受けており、おまえにはサセない・入れれないということ(2番目の歌。シビはヲケが求婚した女性を片手にしている設定)。シビは朝廷と同等の求心力を持っている家臣という表現と合わせて、その血統種を否定した表現(実際ヲケには子ができない)。物理的な宮殿のでっぱりや工事のことを言っているわけではないが、最初の返しはそれを表面的に返した。
先代・先々代(雄略・安康)なら、この最初の短い歌と行動だけでまず誅殺されていたところ、女性の前で三回位やりとりして一夜明けて誅殺されるところが、これまでの朝廷の権威が揺らいでいることを表している。まず面前で求婚した女性の手を取られるということ自体が、完全にナメられた示威的言動(それにヲケは少し前まで人民シジムの家で牛や馬を世話していた。これをありえないとする学者もいたようだが、どう思うかはともかく古事記にはそう書いてある)。
ここでシビは、上記のような挑発に出ているが、この背後・裏付けには、朝昼(旦)は朝廷、夜には「集於志毘門」とされるのは、御門=帝に匹敵する求心力を持っていたという描写がある。つまり国レベルの影響力を持ったチンピラ。
ヲケは履中天皇の孫で忍歯王の子であるが、忍歯王自体が先帝雄略によりその言動が不審(生意気・不敬)として誅殺され、その子供であるオケとヲケ兄弟はそれで逃れていたのだった。その後に宮に跡継ぎとして迎え入れられたが、ヲケは兄ではなく弟でもある。
シビにとってその断絶に瀕した血統は従える対象ではなかった。そのロジックでは即位しても従う動機がない。そこでクーデターの芽を絶ったというのが最後の文脈。
そしてはからずもヲケには子ができず、オケの息子武烈で途絶え、10代も前の応神血統に戻るのだった。
この点について、日本書紀では2代後の武烈天皇にシビを挿入するが、これは家臣の予言めいたことに従わせることを良しとせず、非道を尽くす描写で血統が絶える武烈天皇に入れることで、応報の論理として用いた日本書紀の作為として説明できる。以下のシビの説明も参照。色付き括弧は本ページで挿入。
『古事記』では武烈天皇の叔父である顕宗天皇と平群臣の祖である志毘臣の話と争ったとする類似の話が載せられる一方(シビの父の)真鳥の滅亡には触れられておらず、『古事記』の出典となった『旧辞』もこの見解を取っていた可能性が高い。このため、鮪(志毘)と争った天皇の名前については2つの説が伝えられていたが、「大伴金村が平郡真鳥に代わって政権を掌握した話を正当化するために、鮪の一件と真鳥の滅亡を結びつけて描かれた大伴氏の伝承に基づいた武烈天皇との逸話を『日本書紀』の編者が採用したのではないか?」とする説がある