原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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即幸行。 其若日下部王之 許。 |
すなはち その若日下部の王の 御許みもとにいでまして、 |
そこで そのワカクサカベの王の 御許おんもとにおいでになつて、 |
賜入其犬。 | その犬を賜ひ入れて、 | その犬をお贈りになつて |
令詔。 | 詔らしめたまはく、 | 仰せられますには、 |
是物者。 | 「この物は、 | 「この物は |
今日得道之 奇物。 |
今日道に得つる 奇めづらしき物なり。 |
今日道で得た めずらしい物だ。 |
故 都摩杼比 〈此四字以音〉 之物云 而賜入也。 |
かれ 妻問つまどひの物」 といひて、 賜ひ入れき。 |
贈物としてあげましよう」 と言つて、 くださいました。 |
於是 若日下部王。 |
ここに 若日下部の王、 |
この時に ワカクサカベの王が |
令奏天皇。 | 天皇に奏まをさしめたまはく、 | 申し上げますには、 |
背日 幸行之事。 |
「日に背そむきて いでますこと、 |
「日を背中にして おいでになることは |
甚恐。 | いと恐し。 | 畏れ多いことでございます。 |
故己 直參上而仕奉。 |
かれおのれ 直ただにまゐ上りて仕へまつらむ」 とまをさしめたまひき。 |
依つてわたくしが 參上してお仕え申しましよう」 と申しました。 |
是以。 還上坐於宮之時。 |
ここを以ちて 宮に還り上ります時に、 |
かくして 皇居にお還りになる時に、 |
行立 其山之坂上 歌曰。 |
その山の坂の上に 行き立たして、 歌よみしたまひしく、 |
その山の坂の上に お立ちになつて、 お歌いになりました御歌、 |
久佐加辨能 | 日下部の | |
許知能夜麻登 | 此方こちの山と | この日下部くさかべの山と |
多多美許母 | 疊薦たたみこも | |
幣具理能夜麻能 | 平群へぐりの山の、 | 向うの平群へぐりの山との |
許知碁知能 | 此方此方こちごちの | あちこちの |
夜麻能賀比爾 | 山の峽かひに | 山のあいだに |
多知邪加由流 | 立ち榮ざかゆる | 繁つている |
波毘呂久麻加斯 | 葉廣はびろ熊白檮くまかし、 | 廣葉のりつぱなカシの樹、 |
母登爾波 | 本には | その樹の根もとには |
伊久美陀氣淤斐 | いくみ竹だけ生ひ、 | 繁つた竹が生え、 |
須惠幣爾波 | 末すゑへは | 末の方には |
多斯美陀氣淤斐 | たしみ竹生ひ、 | しつかりした竹が生え、 |
伊久美陀氣 | いくみ竹 | その繁つた竹のように |
伊久美波泥受 | いくみは寢ず、 | 繁くも寢ず |
多斯美陀氣 | たしみ竹 | しつかりした竹のように |
多斯爾波韋泥受 | たしには率宿ゐねず、 | しかとも寢ず |
能知母久美泥牟 | 後もくみ寢む | 後にも寢ようと思う |
曾能淤母比豆麻 | その思妻、 | 心づくしの妻は、 |
阿波禮 | あはれ。 | ああ。 |
即 令持此歌 而返使也。 |
すなはち この歌を持たしめして、 返し使はしき。 |
この歌を その姫の許に持たせて お遣りになりました。 |
最後の「返使」は、白い犬を返したと解する。立派な白い犬が、日下の誰かを服従させた証のものであること、その誰かを若日下部王は賢明に察知し、その者でなく自らが仕えると申し出た(身代わりとなり大縣主と地元の誇りが失われないようにした)。
日に背くことが恐れ多いという表現「背日幸行之事甚恐 故己直參上而仕奉」は、日下部が日の下にあることを受け、逆らう意志はないことを言っており、その心意気(服従自体ではなく、上記の含み)を受けて、服従の象徴たる犬を元の所に返したと見る。
なお、武田訳は最後に歌を姫に持たせてとしているが、この種の訳は読者達の補いで、原文にはないことを極めて強く留意したい。主体と客体が明示されていない曖昧な文では、その補いを自明のドグマとすることなく常に妥当性を検証する必要がある。また本来なら、これは注や私見としてつけるもので、訳としてつけるものではない(越権行為)。武田訳でこの種の訳は他の人々よりかなり謙抑的ではあるが、微妙な部分になると安易な補いが多発することは一般的な傾向であり、それが文脈を著しく歪めて矮小化する。ちなみに武田訳はここでの犬を贈った「大縣主」を村長としている(が、これは一人の見解というより朝廷寄りの一般的な見解の果てだろう。それらは実に安易に言葉を曲げて下の人々の心の機微を全く解さない。万葉の存在意義も万葉1の歌の解釈も同様)。