古事記 吉備で青菜摘む歌~原文対訳

おしてるや難波の歌 古事記
下巻①
16代 仁徳天皇
イワヒメ皇后の嫉妬
4 吉備で青菜摘む歌
黒姫の返し歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
乃自其嶋傳而。  すなはちその島より傳ひて、  そこでその島から傳つて
幸行吉備國。 吉備きびの國に幸でましき。 吉備の國においでになりました。
     
爾黑日賣。 ここに黒日賣、 そこで黒姫が
令大坐
其國之山方地而。
その國の山縣やまがたの地ところに
おほましまさしめて、
その國の山の御園に
御案内申し上げて、
獻大御飯。 大御飯みけ獻りき。 御食物を獻りました。
     
於是爲
煮大御羹。
ここに大御羮
おほみあつものを煮むとして、
そこで羮あつものを
獻ろうとして
採其地之
菘菜時。
其地そこの
菘菜あをなを採つむ時に、
青菜を採つんでいる時に、
天皇。
到坐。
其孃子之採菘處。
天皇
その孃子の菘な採む處に
到りまして、
天皇が
その孃子の青菜を採む處に
おいでになつて、
歌曰。 歌よみしたまひしく、 お歌いになりました歌は、
     
夜麻賀多邇。 山縣がたに  山の畑に
麻祁流阿袁那母。 蒔ける菘あをなも、 蒔いた青菜も
岐備比登登。 吉備人と  吉備の人と
等母邇斯都米婆。 共にし摘めば、 一緒に摘むと
多怒斯久母阿流迦。 樂たのしくもあるか。 樂しいことだな。
おしてるや難波の歌 古事記
下巻①
16代 仁徳天皇
イワヒメ皇后の嫉妬
4 吉備で青菜摘む歌
黒姫の返し歌

菘菜(あおな)の意義

 
 
 ここで天皇が農作業をしているのは、表面的には、天皇でも庶民の土にまみれる生活を分かっている(隣国のように貧しい人民に近い君主)とアピールする文脈だが、聖帝の三年租税免除のエピソード同様100%ありえない内容なので、実際の行動を讃えているのではなく、理想と庶民の生活を知る戒めを示している(万葉1の雄略天皇の歌も同旨)。
 

 歌詞としての「山縣に蒔ける菘(あをな)」は「つぎねふ山代女の」大根の歌の伏線とみる。
 大根は大猪子(おおいこ・ダイイコ)と掛けその太い腹(イワヒメ)と対比し、クロヒメの白くて太い足。それをさわさわ(意富泥佐和佐和)する。意富泥=おほね=大根
 猪は腹は太いが足は細い。そして毛むくじゃら。大根はツルツルしている。このような内容は、恐らく学者の解釈の限界を超えているだろう。