原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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雁のタマゴ |
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亦一時。 | またある時、 | また或る時、 |
天皇爲 將豐樂而。 |
天皇 豐の樂あかりしたまはむとして、 |
天皇が 御宴をお開きになろうとして、 |
幸行 日女嶋之時。 |
日女ひめ島に 幸でましし時に、 |
姫島ひめじまに おいでになつた時に、 |
於其嶋雁生卵。 | その島に雁かり卵こ生みたり。 | その島に雁が卵を生みました。 |
爾召 建内宿禰命。 |
ここに 建内の宿禰の命を召して、 |
依つて タケシウチの宿禰を召して、 |
以歌問 雁生卵之状。 |
歌もちて、 雁の卵生める状を 問はしたまひき。 |
歌をもつて 雁の卵を生んだ樣を お尋ねになりました。 |
其歌曰。 | その御歌、 | その御歌は、 |
多麻岐波流 |
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多麻岐波流 | たまきはる | |
宇知能阿曾 | 内の朝臣あそ、 | わが大臣よ、 |
那許曾波 | 汝なこそは | あなたは |
余能那賀比登 | 世の長人ながひと、 | 世にも長壽の人だ。 |
蘇良美都 | そらみつ | |
夜麻登能久邇爾 | 日本やまとの國に | この日本の國に |
加理古牟登岐久夜 | 雁子こ産むと 聞くや。 |
雁が子を生んだのを 聞いたことがあるか。 |
多迦比迦流 |
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於是建内宿禰。 | ここに建内の宿禰、 | ここにタケシウチの宿禰は |
以歌語白。 | 歌もちて語りて白さく、 | 歌をもつて語りました。 |
多迦比迦流 比能美古 | 高光る 日の御子、 | 高く光り輝く日の御子樣、 |
宇倍志許曾 斗比多麻閇 | 諾うべしこそ 問ひたまへ。 | よくこそお尋ねくださいました。 |
麻許曾邇 斗比多麻閇 | まこそに 問ひたまへ。 | まことにもお尋ねくださいました。 |
阿禮許曾波 余能那賀比登 | 吾あれこそは 世の長人、 |
わたくしこそは この世の長壽の人間ですが、 |
蘇良美都 夜麻登能久邇爾 | そらみつ 日本の國に | この日本の國に |
加理古牟登 伊麻陀岐加受 | 雁かり子こ産むと いまだ聞かず。 |
雁が子を生んだとは まだ聞いておりません。 |
本岐歌之片歌 |
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如此白而。 | かく白して、 | かように申して、 |
被給御琴。 | 御琴を賜はりて、 | お琴を戴いて續けて歌いました。 |
歌曰。 | 歌ひて曰ひしく、 | |
那賀美古夜 | 汝なが王みこや | 陛下へいかが |
都毘邇斯良牟登 | 終に知らむと、 | 初はじめてお聞き遊ばしますために |
加理波古牟良斯 | 雁は子産らし。 | 雁は子を生むのでございましよう。 |
と歌ひき。 | ||
此者。 本岐歌之片歌也。 |
こは 壽歌ほきうたの片歌なり。 |
これは 壽歌ほぎうたの片歌かたうたです。 |
「たまきはる」は「たかひかる(日の御子=皇子)」(多麻岐波流・多迦比迦流)と対になった枕詞で、賜きはる(たまわりました)と解する。
「き」は過去形。「はる」は何々「しはる」というくだけた関西弁で、「なさる」と同義。
たまわったで命にかかる。この命は命令。
よって「たまきはる命」は、賜りました命。
高光る日の御子は、皇子の美称。
仁徳天皇は既に皇子ではないが、タケシウチは先々代からの家臣なのでこう呼んだ。いまでいう「若」。端的にそういう文脈である(吾こそは 世の長人)。
高光る日の御子を天皇と見るのは、字義から本来ではないし、そのような思い込みの見立てでは、文脈を全く読みこめない(暗記教育の典型的弊害)。だから光る源氏の物語で高光る日の御子というのに、その場にいる源氏を無視して天皇と訳し疑問にも思わない。これが現状の読解。文脈を無視したドグマ的解釈。
重要な枕詞は、まず古事記を検索することが基本。万葉ではなく。古事記が揺るがない先例で、かつ十分な文脈があるのだから。
枕詞を飾りとか訳さないという説明は、その知見では意味がわからず訳せないの誤り。理解のなさを正当化しても理解したことにはならない。