原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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故隨教少行。 |
かれ教へしまにまに、 少し行いでましけるに、 |
依よつて教えた通り、 すこしおいでになりましたところ、 |
備如其言。 | つぶさにその言の如くなりき。 | すべて言つた通りでしたから、 |
即登其香木 以坐。 |
すなはちその香木に 登りてまします。 |
その桂の木に 登つておいでになりました。 |
爾海神之女。 | ここに海わたの神の女 | ここに海神の女むすめの |
豐玉毘賣之 從婢。 |
豐玉毘賣とよたまびめの 從婢まかだち、 |
トヨタマ姫の 侍女が |
持玉器 將酌水之時。 |
玉器たまもひを持ちて、 水酌まむとする時に、 |
玉の器を持つて、 水を汲くもうとする時に、 |
於井有光。 | 井に光かげあり。 | 井に光がさしました。 |
仰見者。 | 仰ぎ見れば、 | 仰いで見ると |
有麗壯夫。 〈訓壯夫云 遠登古。 下效此〉 |
麗うるはしき 壯夫 をとこあり。 |
りつぱな男がおります。 |
以爲甚異奇。 | いと奇あやしとおもひき。 | 不思議に思つていますと、 |
爾火遠理命。 | ここに火遠理の命、 | ホヲリの命が、 |
見其婢。 | その婢まかだちを見て、 | その侍女に、 |
乞欲得水。 | 「水をたまへ」と乞ひたまふ。 | 「水を下さい」と言われました。 |
婢乃酌水。 | 婢すなはち水を酌みて、 | 侍女がそこで水を汲くんで |
入玉器 貢進。 |
玉器たまもひに入れて 貢進たてまつる。 |
器に入れてあげました。 |
爾不飮水。 | ここに水をば飮まさずして、 | しかるに水をお飮みにならないで、 |
解御頸之璵。 |
御頸の 璵たまを解かして、 |
頸くびにお繋けになつていた 珠をお解きになつて |
含口。 | 口に含(ふふ)みて | 口に含んで |
唾入 其玉器。 |
その玉器に 唾つばき入いれたまひき。 |
その器に お吐き入れなさいました。 |
於是其璵 著器。 |
ここにその璵 器もひに著きて、 |
しかるにその珠が 器について、 |
婢不得離璵。 |
婢璵を え離たず、 |
女が珠を 離すことが出來ませんでしたので、 |
故璵任著以。 | かれ著きながらにして | ついたままに |
進豐玉毘賣命。 | 豐玉毘賣の命に進りき。 | トヨタマ姫にさし上げました。 |
爾見其璵。 | ここにその璵を見て | そこでトヨタマ姫が珠を見て、 |
問婢曰。 | 婢に問ひて曰く、 | 女に |
若人有 門外哉。 |
「もし門かどの外とに人ありや」 と問ひしかば、 |
「門の外に人がいますか」 と尋ねられましたから、 |
答曰。 | 答へて曰はく、 | |
有人坐。 我井上香木之上。 |
「我が井の上の香木の上に 人います。 |
「井の上の桂の上に 人がおいでになります。 |
甚麗壯夫也。 | いと麗しき壯夫なり。 | それは大變りつぱな男でいらつしやいます。 |
益我王而甚貴。 | 我が王にも益りていと貴し。 | 王樣にも勝まさつて尊いお方です。 |
故其人。 | かれその人 | その人が |
乞水故。 | 水を乞はしつ。 | 水を求めましたので、 |
奉水者。 | かれ水を奉りしかば、 | さし上げましたところ、 |
不飮水。 | 水を飮まさずて、 | 水をお飮みにならないで、 |
唾入此璵。 | この璵を唾き入れつ。 | この珠を吐き入れましたが、 |
是不得離故。 | これえ離たざれば、 | 離せませんので |
任入 將來而獻。 |
入れしまにま 將もち來て獻る」 とまをしき。 |
入れたままに 持つて來てさし上げたのです」 と申しました。 |
この段のような一見おかしな箇所には、高度な暗示が含まれている。
そういう場合、大抵大勢に対する批判的文脈と思ってもらってまず間違いない。
端的には、綺麗な珠(豊玉)に唾をつけるという象徴表現(俺のもの、他にはやらないという汚いマーキング)。
一般には、何かを数える時に指を舐める行為がこれに該当する。玉=金。
「於是其璵著器(ここにその璵、器もひに著きて)」の部分に、訳者は「水を汲んだ椀に樹上にいた神の靈がついたのである」としている。
しかし、ついたのは唾でしかない。それは文言からも明白。「唾入其玉器」。それがなぜに神の霊。
そういう人は、権力が一見明白に汚い行為をしても、きっと深い心があるなどと美化するのだろう。
しかしホオリのこれまでの言動に深い心はあったか。その系譜はどうであったか。全て反逆の系譜。
唾が霊とかいう霊的な理解はない。ツバを吐くのは霊的な行為か。そういう解釈は、ホオリの言動と一致するか。
ホオリは途中で放りなげる名前。自ら積極的に作りだした原因、その責任をとらない。これは入念に描写されている。
親のニニギが石長姫とサクヤを拒絶したことと同様の構図。自らに不都合なことを、ないことにしてしまう。ここでは曲げてしまう。
唾が入った器は、「唾壺(ダコ)」というタコみたいな名称に掛けてみれば、タンツボの話。
「これを離すことができない(唾入此璵。是不得離)」とは、ネバつくタンから、ネバーリリース。
玉「を」離すことができないではなく、玉「から」離すことができない。
水を飲むかと思いつつ、クチュクチュペをした。あのフィンガーボウルを上回った逸話。
文化を表わしているのではなく汚さ・野蛮度を表わしている。
みみ見てください、こんな汚いことを! あらまあ! この者は作法を全く知らないわ。なので見ないことにする(慈悲)。
しかし何も言わなくても、それで良い訳ではない。
あの謎の容器は何だろう? どこかから飛んできた、やたら臭い飛沫は何だったのだろう?
それでも綺麗な国だという。それどころか、その飛沫を神の霊にしてしまう。その神はやはりツバの神だろうか。
地上を穢いとすると、完全に無視して曲げたり、偽書とか生意気とかいうのも竹取同様の解釈。なのでここでは徹底して行為の描写にとどめている。
次の段で、玉にも、玉についたのにも豊玉は一切触れない(アンタッチャブル)。
しかし至高の天を想定した視点に対し、なぜそこまで癪にさわるのか。天から見ればそうだろうと思えない。
一言で言えば、やはりそれが野蛮の習性。この世の有様がそこまで洗練されているのかは、問うまでもない。
璵は、古代中国、魯(ろ)の国に産した宝玉の名とされる。
この「魯」を魚に掛けている。
このことからも、前段で説明したように、豊玉姫が古代の大陸由来(八尋=大陸)ということが一層確実になる。
最後に「香木」とは臭う珊瑚のこと。この段は表現がすべて反転している。
つまり麗しい大人(麗壯夫)としているが、実は幼稚な男児という暗示。それが内実というのに全く問題ない。しかしそうは書けない。
我井とは私が居るの意味。井戸ではない。どうして突如井戸が出てくるのか。文字は通るように解釈しなければならない。