原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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故後 木花之 佐久夜毘賣。 |
かれ後に 木この花はなの 佐久夜さくや毘賣、 |
かくして後に 木の花の 咲くや姫が參り出て申すには、 |
參出白。 | まゐ出て白さく、 | |
妾妊身。 |
「妾あは 妊はらみて、 |
「わたくしは 姙娠にんしんしまして、 |
今臨產時。 | 今産こうむ時になりぬ。 | 今子を産む時になりました。 |
是天神之御子。 | こは天つ神の御子、 | これは天の神の御子ですから、 |
私不可產。 |
私ひそかに 産みまつるべきにあらず。 |
勝手にお生み 申し上あぐべきではございません。 |
故請。 |
かれ請まをす」 とまをしたまひき。 |
そこでこの事を申し上げます」 と申されました。 |
爾詔。 | ここに詔りたまはく、 | そこで命が仰せになつて言うには、 |
佐久夜毘賣。 | 「佐久夜毘賣、 | 「咲くや姫よ、 |
一宿哉妊。 | 一宿ひとよにや妊める。 | 一夜で姙はらんだと言うが、 |
是非我子。 | こは我が子にあらじ。 | |
必國神之子。 |
かならず國つ神の子にあらむ」 とのりたまひき。 |
國の神の子ではないか」 と仰せになつたから、 |
爾答白。 | ここに答へ白さく、 | |
吾妊之子。 | 「吾が妊める子、 | 「わたくしの姙んでいる子が |
若國神之子者。 | もし國つ神の子ならば、 | 國の神の子ならば、 |
產不幸。 | 産こうむ時幸さきくあらじ。 | 生む時に無事でないでしよう。 |
若天神之 御子者幸。 |
もし天つ神の御子にまさば、 幸くあらむ」とまをして、 |
もし天の神の御子でありましたら、 無事でありましよう」と申して、 |
即作無戶八尋殿。 | すなはち戸無し八尋殿を作りて、 | 戸口の無い大きな家を作つて |
入其殿内。 | その殿内とのぬちに入りて、 | その家の中におはいりになり、 |
以土塗塞而。 | 土はにもちて塗り塞ふたぎて、 | 粘土ねばつちですつかり塗りふさいで、 |
方產時。 | 産む時にあたりて、 | お生みになる時に當つて |
以火著其殿 而產也。 |
その殿に火を著けて 産みたまひき。 |
その家に火をつけて お生みになりました。 |
ここで「木花之佐久夜毘賣」の由来が明らかになる。
つまり昨夜に掛け佐久夜姫。
木の花で可愛いことを象徴させ、かつ地上の存在であることを表わしている(大山津見神之女=大山津見は後の海の綿津見と対比)。
なので、天神の御子は私には産めない、私一人では産めない、海用が無い(だからあなたの子)と言っている。
一人では物理的精神的に産めないから報告しているのではない。
宿ったことで宿った(前段の「一宿爲婚」)。それを報告している。
これに対しニニギは、それは私の子ではない、必ず国つ神の子だと返す(是非我子。必國神之子)。
国つ神の子ではないかと疑問を呈しているのではない。断固拒絶。
こういうところでマイルドに丸めると、文脈が完全にそこなわれる。これは竹取などでも言えること。
上では「我が子にあらじ」を現代語訳で完全に欠落させているが、こういう不都合な部分を欠落させ、丸めることは訳者の基本スタンス。
必ずと書いている。それを「ではないか」にする。確信犯。
最後に産屋に入り入口を塞ぎ、火を放って生んだとは、明らかにみずから死んだ暗示。その対照表現。
そしてこれ以降、サクヤは出てこない。
出産後に産屋を焼く風習があることを説明しているなどと訳注にあるが、素朴に見てそれはここでの説明として当を得ているか。
それにここでは出産後に焼いているのではない。
その風習は、産屋の入口を塞いで(土で埋めて)、まさに産む時に火を放つのか。
産屋を焼く風習が実際にあって、その風習がここで取り上げるほど一般的なのかはさておき、その風習の説明として、この情況は適当か。
サクヤが産んだのは産屋ではない。戸無し八尋殿。つまり現実にありえない。
したがってこれは風習の説明ではない。
物語上の意味は上記の意味でしか通らない。
加えて古事記の目的は風習の説明にない。物事の神髄を描き出すことにある。