原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
---|---|---|
爾豐玉毘賣命 思奇。 |
ここに豐玉毘賣の命、 奇しと思ほして、 |
そこでトヨタマ姫が 不思議にお思いになつて、 |
出見。 | 出で見て | 出て見て |
乃見感。 | 見感めでて、 | 感心して、 |
目合而。 | 目合まぐはひして、 | そこで顏を見合つて、 |
白其父曰。 | その父に、白して曰はく、 | 父に |
吾門有麗人。 |
「吾が門に麗しき人あり」 とまをしたまひき。 |
「門の前にりつぱな方がおります」 と申しました。 |
爾海神自出見。 | ここに海わたの神みづから出で見て、 | そこで海神が自分で出て見て、 |
云此人者。 | 「この人は、 | 「これは |
天津日高之御子。 | 天つ日高の御子、 | 貴い御子樣だ」と言つて、 |
虛空津日高矣。 | 虚空つ日高なり」といひて、 | |
即於内率入而。 | すなはち内に率て入れまつりて、 | 内にお連れ申し上げて、 |
美智皮之 疊敷八重。 |
海驢みちの皮の 疊八重を敷き、 |
海驢あじかの皮 八枚を敷き、 |
亦絁疊八重。 | また絁きぬ疊八重を | その上に絹きぬの敷物を八枚 |
敷其上。 | その上に敷きて、 | 敷いて、 |
坐其上而。 | その上に坐ませまつりて、 | 御案内申し上げ、 |
具百取 机代物。 |
百取の 机代つくゑしろの物を具へて、 |
澤山の 獻上物を具えて |
爲御饗。 | 御饗みあへして、 | 御馳走して、 |
即令婚 其女豐玉毘賣。 |
その女豐玉とよたま毘賣に 婚あはせまつりき。 |
やがてその女トヨタマ姫を 差し上げました。 |
故至三年 | かれ三年に至るまで、 | そこで三年になるまで、 |
住其國。 | その國に住みたまひき。 | その國に留まりました。 |
ここで「目合」とあるが、これを後段の「婚」と区別し、目を合わせる=結婚というお決まりのおかしな解釈を否定している。
その延長にある行為としても、同義ではない。目があった!結婚!なわけがない。道理に外れている。
「麗人」ともあるが、側女の報告(器につばを吐いた)を完全に無視していることからも、そのままの意味ではない。
姫の目線では配慮。むしろ幼稚な人が来たという暗示。
「海神」は、ここに来る前出現した「鹽椎神」(塩土神で、海底の神)。
どちらもホオリの別名・天津日高を「虛空津日高」という特有語で呼んでいることからそう言える。
このように前に登場した存在が、実は目的地の主というのも特有の構図(因幡の白兎=八上姫)。
自らの分身(分霊)。だから事情を知っている。海は諸国に通じているというのもある。つまり大陸(大国)の暗示。
「虛空津日高」は蔑称。むなしそらつひこ。この国の主を正面からクサしているのもそういう訳。
このような表記をどうみるか、いわば試されている。普通は都合の良いことだけ見て無視する。だから親切に目に入るよう対照表記している。
肝心な部分でこのような真逆の情報を織り込んでいる意味を考えるように。古事記で名前は命。
「三年」というのもしばしば出てくる象徴表現。意味は文脈による。
ここでは先代のニニギが石長姫を拒絶したことに掛け(意志が続かない)、石の上に三年ではなく、全部お膳立てされ、ぬくぬく暮らしたという意味。
自分の意志がない。他人にやらせて、自分は楽できればそれでいい。だから苦しんで働けというのではなく、全体が楽になるようにしなければならない。