原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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故。 此大國主神之兄弟。 |
かれ この大國主の神の兄弟はらから |
この大國主の命の兄弟は、 |
八十神坐。 | 八十やそ神ましき。 | 澤山おいでになりました。 |
然皆國者 避於 大國主神。 |
然れども みな國は大國主の神に 避さりまつりき。 |
しかし 國は皆大國主の命に お讓り申しました。 |
所以避者。 | 避りし所以ゆゑは、 | お讓り申し上げたわけは、 |
其八十神。各。 | その八十神おのもおのも | その大勢の神が皆みな |
有欲婚 稻羽之 八上比賣之心 共行稻羽時。 |
稻羽いなばの 八上やかみ比賣を 婚よばはむとする心ありて、 共に稻羽に行きし時に、 |
因幡いなばの ヤガミ姫ひめと 結婚しようという心があつて、 一緒に因幡いなばに行きました。 |
於 大穴牟遲神 負帒。 |
大穴牟遲 おほあなむぢの神に 帒ふくろを負せ、 |
時に大國主の命に 袋を負わせ |
爲從者。 | 從者ともびととして | 從者として |
率往。 | 率ゐて往きき。 | 連れて行きました。 |
於是到 氣多之前時。 |
ここに 氣多けたの前さきに到りし時に、 |
そして ケタの埼に行きました時に |
裸菟伏也。 | 裸あかはだなる菟うさぎ伏せり。 | 裸になつた兎が伏しておりました。 |
爾八十神謂 其菟云。 |
ここに八十神 その菟に謂ひて云はく、 |
大勢の神が その兎に言いましたには、 |
汝將爲者。 | 「汝いまし爲せまくは、 | 「お前は |
浴此海鹽。 | この海鹽うしほを浴み、 | この海水を浴びて |
當風吹而。 | 風の吹くに當りて、 | 風の吹くのに當つて |
伏高山尾上。 |
高山の尾の上に伏せ」 といひき。 |
高山の尾上おのえに寢ているとよい」 と言いました。 |
故。其菟。 | かれその菟、 | それでこの兎が |
從八十神之 教而伏。 |
八十神の 教のまにまにして伏しつ。 |
大勢の神の 教えた通りにして寢ておりました。 |
爾其鹽隨乾。 | ここにその鹽の乾くまにまに、 | ところがその海水の乾かわくままに |
其身皮 悉風見吹拆。 |
その身の皮 悉に風に吹き拆さかえき。 |
身の皮が 悉く風に吹き拆さかれたから |
故痛苦泣伏者。 | かれ痛みて泣き伏せれば、 | 痛んで泣き伏しておりますと、 |
最後之來 大穴牟遲神。 |
最後いやはてに來ましし 大穴牟遲の神、 |
最後に來た 大國主の命が |
見其菟言 | その菟を見て、 | その兎を見て、 |
何由汝泣伏。 |
「何とかも汝が泣き伏せる」 とのりたまひしに、 |
「何なんだつて泣き伏しているのですか」 とお尋ねになつたので、 |
菟答言。 | 菟答へて言さく | 兎が申しますよう、 |
僕在淤岐嶋。 | 「僕あれ、淤岐おきの島にありて、 | 「わたくしは隱岐おきの島にいて |
雖欲度此地。 |
この地くにに度らまく ほりすれども、 |
この國に渡りたいと 思つていましたけれども |
無度因。 | 度らむ因よしなかりしかば、 | 渡るすべがございませんでしたから、 |
故。欺海和邇 〈此二字以音下效此〉言。 |
海の 鰐を欺きて言はく、 |
海の鰐わにを 欺あざむいて言いましたのは、 |
吾與汝。 | 吾われと汝いましと | わたしはあなたと |
競欲計 族之多小。 |
競ひて 族やからの多き少きを計らむ。 |
どちらが一族ぞくが多いか 競くらべて見ましよう。 |
故汝者。 | かれ汝は | あなたは |
隨其族在悉率來。 | その族のありの悉ことごと率ゐて來て、 | 一族を悉く連れて來て |
自此嶋至于氣多前。 | この島より氣多けたの前さきまで、 | この島からケタの埼さきまで |
皆列伏度。 | みな列なみ伏し度れ。 | 皆竝んで伏していらつしやい。 |
爾吾蹈其上。 | ここに吾その上を蹈みて | わたしはその上を蹈んで |
走乍讀度。 | 走りつつ讀み度らむ。 | 走りながら勘定をして、 |
於是知 與吾族孰多。 |
ここに吾が族といづれか多き といふことを知らむと、 |
わたしの一族とどちらが多いか ということを知りましよう |
如此言者。 | かく言ひしかば、 | と言いましたから、 |
見欺而。 | 欺かえて | 欺かれて |
列伏之時。 | 列なみ伏せる時に、 | 竝んで伏している時に、 |
吾蹈其上。 | 吾その上を蹈みて | わたくしはその上を蹈んで |
讀度來。 | 讀み度り來て、 | 渡つて來て、 |
今將下地時。 | 今地つちに下りむとする時に、 | 今土におりようとする時に、 |
吾云汝者 我見欺。 |
吾、汝いましは 我に欺かえつと |
お前はわたしに欺だまされたと |
言竟。 | 言ひ畢をはれば、 | 言うか言わない時に、 |
即伏最端和邇。 | すなはち最端いやはてに伏せる鰐、 | 一番端はしに伏していた鰐わにが |
捕我。 | 我あれを捕へて、 | わたくしを捕つかまえて |
悉剥我衣服。 | 悉に我が衣服きものを剥ぎき。 | すつかり着物きものを剥はいでしまいました。 |
因此泣患者。 |
これに因りて 泣き患へしかば、 |
それで困こまつて 泣いて悲しんでおりましたところ、 |
先行 八十神之命以。 |
先だちて行でましし 八十神の命もちて |
先においでになつた 大勢の神樣が、 |
誨告。 | 誨をしへたまはく、 | |
浴海鹽 當風伏。 |
海鹽うしほを浴みて、 風に當りて伏せと のりたまひき。 |
海水を浴びて 風に當つて寢ておれと お教えになりましたから |
故爲如教者。 | かれ教のごとせしかば、 | その教えの通りにしましたところ |
我身悉傷。 |
我あが身 悉に傷そこなはえつ」 とまをしき。 |
すつかり身體からだをこわしました」 と申しました。 |
於是大穴牟遲神。 | ここに大穴牟遲の神、 | そこで大國主の命は、 |
教告其菟。 | その菟に教へてのりたまはく、 | その兎にお教え遊ばされるには、 |
今急往此水門。 | 「今急とくこの水門みなとに往きて、 | 「いそいであの水門に往つて、 |
以水洗汝身。 | 水もちて汝が身を洗ひて、 | 水で身體を洗つて |
即取 其水門之蒲黃。 |
すなはち その水門の蒲かまの黄はなを取りて、 |
その 水門の蒲がまの花粉を取つて、 |
敷散而。 | 敷き散して、 | 敷き散らして |
輾轉其上者。 | その上に輾こい轉まろびなば、 | その上に輾ころがり廻まわつたなら、 |
汝身如本膚 必差。 |
汝が身本の膚はだのごと、 かならず差いえなむ」 とのりたまひき。 |
お前の身はもとの膚はだのように きつと治るだろう」 とお教えになりました。 |
故爲如教。 | かれ教のごとせしかば、 | 依つて教えた通りにしましたから、 |
其身如本也。 | その身本の如くになりき。 | その身はもとの通りになりました。 |
此 稻羽之素菟 者也。 |
こは 稻羽いなばの素菟しろうさぎ といふものなり。 |
これが 因幡いなばの白兎 というものです。 |
於今者謂 菟神也。 |
今には 菟神といふ。 |
今では 兎神といつております。 |
故其菟白 大穴牟遲神。 |
かれその菟、 大穴牟遲の神に白さく、 |
そこで兎が喜んで 大國主の命に申しましたことには、 |
此八十神者。 | 「この八十神は、 | 「あの大勢の神は |
必不得八上比賣。 | かならず八上やがみ比賣を得じ。 | きつとヤガミ姫を得られないでしよう。 |
雖負帒。 | 帒ふくろを負ひたまへども、 | 袋を背負つておられても、 |
汝命獲之。 |
汝が命ぞ獲たまはむ」 とまをしき。 |
きつとあなたが得るでしよう」 と申しました。 |
最後に、白兎がヤガミ姫(八上比賣)について突如言及し、直後にその通りになる。
これは白兎が、ヤガミ姫の化身だから、と解するのが素直な見方。
つまりヤケドの兎ガミでヤガミ姫。だからわざわざ菟神と書いている。
皮を衣服といっているのもその表われ。
動物の皮を衣服という。だから兎が姫になったのではない。姫が兎になっている。
つまりどういうことかというと、高等な神が下界に受肉した。その例え。
ただのおとぎ話を出す意味がない。
古事記で「天降」というのも全て受肉の例え。
だから天命を受けて下降しながら、帰ってこないとか、天の使の雉を射殺する話も、人として生まれて天(道)を忘れ、認めなくなったことを意味している。
順に説明しよう。
冒頭の八十神(ヤソ神)は、天の神々(八百万)の作用を、この国で一般的に理解できる範囲で見た時の表現。なので十(テン)。
ヤソは外国の神をヤソ(ヤツ)というあれ。つまり天の神は、物理的には渡来の思想と人して大陸を経て、この国に入った。それが本来の天孫降臨。
ヤソは神々の一般代名詞なのでキリストではない。それは大体大国主やスサノオと同じ位置にある。
ここで大国主が末弟にされているのは、スサノオの系譜だから。
荷物を持たされているのは、天照を汚し、天界を汚した責任の表われ。
国を任されているのは、その土地の者だから。それが治めるべき土地だから。収めさせるのは先頭に立って騒いだから。
「大勢の神が皆みな因幡いなばのヤガミ姫ひめと結婚しようという心があつて、 一緒に因幡いなばに行きました」という。
なぜ突如八上姫が出てきて、結婚する文脈になるか? それは八上姫が天照の分身だから。それがその特別の名称に示されている。
つまり、スサノオの言うことをそのまま聞いて傷ついた(堕ちた)、その地に堕ちた意識が八上姫。服がないと言って堕ちたイブと同じ構図。
八十神が海塩をあびて、山上に伏せておけというのは、海の主のスサノオの振舞いを、天界で黙って受容し痛い目を見たことを象徴させた表現。
だから神がイジワルしたのではない。この表現によりこれまでの経緯を説明し、八上姫の身上を説明している。イジワルと見るのが神の世界の無理解。
そこで兎の姫がヒーヒー泣いている所に、スサノオの末裔たる大国主が来て、なぜ泣いているかと問う。
これは償いの機会。
結局八上姫が認めているので、口だけのアドバイスだが一応良かった。大国主唯一の功績が、兎への助言。
しかし天照は基本すぐ認めてしまう。これまでしてきたことは性悪なのに性善に見る。
人は性悪か性善か? 人による。普段の言動による。人類レベルでは、間違いなく性悪の要素が強い。
兎が隠岐(沖)から渡って、和邇の上を踏んで(飛んで)来た(吾蹈其上。讀度來)という。これは渡来人を介した受肉を象徴している。
蹈んできたのが稻羽の文字と掛かり、飛んで来たの意味。つまり受肉と転生のこと。
そして捕えて身ぐるみ剥がされた(捕我。悉剥我衣服)という。それが渡来人の扱いとも見れる。
またこの兎に掛け鳥取ともいえる。ウサギは一羽と数える。つまり鳥取の鳥は白兎。羽というのは稻羽に掛けて。つまり兎を鳥でなく羽とするのは白兎由来。
そしてウサギの音を、ウソとサギにもかけたというのが、ここでのワニを欺いた表現。ただし罪はない嘘。幼さ・無邪気さでそうなった。
和邇とは動物のワニではない。動物のワニでもそれを言いたいのではない。その名で渡来人を象徴させている。
つまり渡来人たちの体を利用して、渡来の神の精神を宿した者がこの国に入った。それで文明が発展する。
数の多さは人口とか八百万とかの価値観、ワニにされたことは渡来の際にされたことの揶揄。
数が豊かさなら、その論理を推し進めればどうなるか。そんなことも考えられない。豊かさとは数の次元ではない。心を無視し数を見る、それが貧しさ。
しかし天照の化身が兎神と見れば、この国の家々がウサギ小屋と評されたのには、感慨を感じる。
因幡辺りの地方(郊外)の家はともかく、都市部の家は新天地的視点からみれば、ウサギ小屋。
天照の理解が兎レベルともいえる。神話の表現の意味、象徴表現という発想・理解がまるでない。少しでもあるのが彼我の差。
だから動物のワニについてあれこれいう。ワニはそこにいない。どう考えても例えでしかない。
そしてわずかでも信仰があれば、国の礎を築いた神話を、単なる民俗的伝承や、土着の風習の説明とは見ない。
この信仰とは、天道をリスペクトする真っ当な心のことである。
創世記を、土着民の風習の例え話などと言ったら、恐らく心の底から品性教養を疑われ、万象に宿る神性の神秘の無知を確信され、無言で憐れに思われる。
この国には真っ当な信仰がない。危機に陥ってもこの国は民を守らない。見て見ぬふりをする。それを正当化する。目をそらし続ける。
自己責任、自助だ共助だといって自分では助けない。そういう話。
古事記における大国主は、この国の地上の権力者を象徴している。
天照(御祖)は、当初その無知を憐れみ、木の俣の子を傷つく度に手づから守っていたが、八上姫はその子を木の俣に挟んで帰ってしまった。