原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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於是 二柱神 議云。 |
ここに 二柱の神 議はかりたまひて、 |
かくて 御二方で 御相談になつて、 |
今吾所 生之子不良。 |
「今、吾が 生める子ふさはず。 |
「今わたしたちの 生うんだ子こがよくない。 |
猶宜白 天神之御所。 |
なほうべ 天つ神の御所みもとに 白まをさな」とのりたまひて、 |
これは 天の神樣のところへ行つて 申しあげよう」と仰せられて、 |
即共參上。 |
すなはち 共に參まゐ上りて、 |
御一緒ごいつしよに 天に上のぼつて |
請 天神之命。 |
天つ神の命みことを 請ひたまひき。 |
天の神樣の 仰せをお受けになりました。 |
爾 天神之命以。 |
ここに 天つ神の命みこと以ちて、 |
そこで 天の神樣の御命令で |
布斗麻邇爾 〈上。此五字以音〉 |
太卜ふとまにに |
鹿の肩の骨をやく 占うらない方かたで |
ト相而詔之。 | 卜うらへてのりたまひしく、 | 占いをして仰せられるには、 |
因女先言 而不良。 |
「女をみなの先立ち言ひしに 因りてふさはず、 |
「それは女の方ほうが 先さきに物を言つたので 良くなかつたのです。 |
亦還降 改言。 |
また還り降あもりて 改め言へ」 とのりたまひき。 |
歸り降くだつて 改めて言い直したがよい」 と仰せられました。 |
故 爾反降。 |
かれ ここに降りまして、 |
そういうわけで、 また降つておいでになつて、 |
更往廻其 天之御柱 如先。 |
更に その天の御柱を 往き廻りたまふこと、 先の如くなりき。 |
またあの柱を 前のように お廻りになりました。 |
於是 伊邪那岐命。 |
ここに 伊耶那岐いざなぎの命、 |
今度は イザナギの命みことが |
先言 阿那邇夜志 愛袁登賣袁。 |
まづ 「あなにやし、 えをとめを」 とのりたまひ、 |
まず 「ほんとうに美うつくしい お孃さんですね」 とおつしやつて、 |
後妹 伊邪那美命。 |
後に 妹伊耶那美いざなみの命、 |
後に イザナミの命が |
言 阿那邇夜志 愛袁登古袁。 |
「あなにやし、 えをとこを」 とのりたまひき。 |
「ほんとうに りつぱな青年ですね」 と仰せられました。 |
如此言 竟而。 |
かくのりたまひ 竟へて、 |
かように 言い終つて |
御合。 | 御合みあひまして、 | 結婚をなさつて |
生子。 淡道之 穗之狹別嶋。 |
子みこ 淡道あはぢの 穗ほの狹別さわけの島 を生みたまひき。 |
御子の 淡路あわじの ホノサワケの島を お生みになりました。 |
〈訓別云和氣。 下效此〉 |
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次生 伊豫之 二名嶋。 |
次に伊豫いよの 二名ふたなの島を 生みたまひき。 |
次に伊豫いよの 二名ふたなの島(四國) をお生うみになりました。 |
此嶋者 身一而 有面四。 |
この島は 身一つにして 面おも四つあり。 |
この島は 身み一つに 顏かおが四つあります。 |
每面有名。 | 面ごとに名あり。 | その顏ごとに名があります。 |
故伊豫國謂 愛〈上〉比賣。 〈此三字以音 下效此。(也)〉 |
かれ伊豫の國を 愛比賣 えひめといひ、 |
伊豫いよの國を エ姫ひめ といい、 |
讚岐國謂 飯依比古。 |
讚岐さぬきの國を 飯依比古 いひよりひこといひ、 |
讚岐さぬきの國を イヒヨリ彦ひこ といい、 |
粟國謂 大宜都比賣。 〈此四字以音〉 |
粟あはの國を、 大宜都比賣おほげつひめ といひ、 |
阿波あわの國を オホケツ姫 といい、 |
土左國謂 建依別。 |
土左とさの國を 建依別たけよりわけ といふ。 |
土佐とさの國を タケヨリワケ といいます。 |
次生 隱伎之 三子嶋。 |
次に 隱岐おきの 三子みつごの島を 生みたまひき。 |
次に 隱岐おきの 三子みつごの島を お生みなさいました。 |
亦名 天之忍許呂別。 〈許呂二字以音〉 |
またの名は 天あめの 忍許呂別おしころわけ。 |
この島は またの名を アメノオシコロワケ といいます。 |
次生 筑紫嶋。 |
次に 筑紫つくしの島を 生みたまひき。 |
次に 筑紫つくしの島(九州) をお生うみになりました。 |
此嶋亦 身一而 有面四。 |
この島も 身一つにして 面四つあり。 |
やはり 身み一つに 顏が四つあります。 |
每面 有名。 |
面ごとに 名あり。 |
顏ごとに 名がついております。 |
故筑紫國 謂白日別。 |
かれ筑紫の國を 白日別しらひわけといひ、 |
それで筑紫つくしの國を シラヒワケといい、 |
豐國謂 豐日別。 |
豐とよの國くにを 豐日別 とよひわけといひ、 |
豐とよの國を トヨヒワケといい、 |
肥國謂 建日向 日豐久士比泥別。 〈自久至泥以音〉 |
肥ひの國くにを 建日向 日豐久士比泥別 たけひむかひ とよくじひねわけといひ、 |
肥ひの國を タケヒムカヒ トヨクジヒネワケといい、 |
熊曾國謂 建日別 〈曾字以音〉 |
熊曾くまその國を 建日別 たけひわけといふ。 |
熊曾くまその國を タケヒワケといいます。 |
次生 伊伎嶋。 |
次に 伊岐いきの島を 生みたまひき。 |
次に 壹岐いきの島を お生みになりました。 |
亦名謂 天比登都柱。 〈自比至都以音 訓天如天〉 |
またの名は 天比登都柱 あめひとつはしらといふ。 |
この島はまたの名を 天一あめひとつ柱はしら といいます。 |
次生 津嶋。 |
次に 津島つしまを 生みたまひき。 |
次に 對馬つしまを お生みになりました。 |
亦名謂 天之 狹手依比賣。 |
またの名は 天あめの 狹手依比賣さでよりひめといふ。 |
またの名を アメノ サデヨリ姫といいます。 |
次生 佐度嶋。 |
次に 佐渡さどの島を生みたまひき。 |
次に 佐渡さどの島を お生みになりました。 |
次生 大倭 豐秋津嶋。 |
次に 大倭豐秋津 おほやまと とよあきつ島を生みたまひき。 |
次に 大倭豐秋津島 おおやまと とよあきつしま(本州) をお生みになりました。 |
亦名謂 天御 虛空 豐秋津根別。 |
またの名は 天あまつ 御虚空豐秋津根別 みそらとよあきつねわけ といふ。 |
またの名を アマツ ミソラ トヨアキツネワケ といいます。 |
故因此八嶋 先所生 |
かれこの八島の まづ生まれしに因りて、 |
この八つの島が まず生まれたので |
謂 大八嶋國。 |
大八島おほやしま國 といふ。 |
大八島國おおやしまぐに というのです。 |
然後 還坐之時。 |
然ありて後 還ります時に、 |
それから お還かえりになつた時に |
生 吉備兒嶋。 |
吉備きびの兒島こじまを 生みたまひき。 |
吉備きびの兒島こじまを お生みになりました。 |
亦名謂 建日方別。 |
またの名は 建日方別 たけひがたわけといふ。 |
またの名なを タケヒガタワケといいます。 |
次生 小豆嶋。 |
次に 小豆島あづきしまを 生みたまひき。 |
次に 小豆島あずきじまを お生みになりました。 |
亦名謂 大野手〈上〉比賣。 |
またの名は 大野手比賣おほのでひめといふ。 |
またの名を オホノデ姫ひめといいます。 |
次生 大嶋。 |
次に 大島おほしまを 生みたまひき。 |
次に 大島を お生うみになりました。 |
亦名謂 大多麻〈上〉流別 〈自多至流以音〉 |
またの名は 大多麻流別 おほたまるわけといふ。 |
またの名を オホタマルワケといいます。 |
次生 女嶋。 |
次に 女島ひめじまを 生みたまひき。 |
次に 女島ひめじまを お生みになりました。 |
亦名謂 天一根。 〈訓天如天〉 |
またの名は 天一根 あめひとつねといふ。 |
またの名を 天あめ一つ根といいます。 |
次生 知訶嶋。 |
次に 知訶ちかの島を 生みたまひき。 |
次に チカの島を お生みになりました。 |
亦名謂 天之忍男。 |
またの名は 天あめの忍男おしをといふ。 |
またの名を アメノオシヲといいます。 |
次生 兩兒嶋。 |
次に 兩兒ふたごの島を 生みたまひき。 |
次に 兩兒ふたごの島を お生みになりました。 |
亦名謂 天兩屋。 |
またの名は 天あめの兩屋ふたやといふ。 |
またの名を アメフタヤといいます。 |
〈自吉備兒嶋 至天兩屋嶋 并六嶋〉 |
吉備の兒島より 天の兩屋の島まで 并はせて六島。 |
吉備の兒島から フタヤの島まで 合わせて六島です。 |
ここで冒頭で相談される「天神(天つ神)」は、天之御中主神(あめのみなかぬし)の略。最初の最高神。
ここでその神に相談するイザナギ・イザナミは、いずれも地上(正確にはこの国)の神々の産みの親であり、対になる高ムスビ(高御產巢日神)・神ムスビ(神產巢日神)の投影であるからこう言える。
相談しうる存在がこの神しかいない。
別天神には、天之常立神(あめのとこたち)という存在がいるが、これも同様の構図。
つまり実質は天之御中主で別名。常にある神はいわば遍在ということ。世界共通の神。