目次
・成立:880頃~886年頃(文屋が縫殿に戻ったのが880年)。順次リリース。当時を知る由もない後撰以後の認定は、伊勢の無名抽象性に乗じ古今に劣後させ業平認定を維持するための破壊工作。その整合性を考えず反射的に真に受けるから段階的に増補したとか、無名も歌分類も全く重んじない家持が万葉を編纂したとかになる。
・著者:文屋=昔男。二条の后は仕えた相手。その有名な無名性に乗じ、貴族目線で昔男に業平が代入して認定された。だからその解釈・筋・世界観が貴族目線で「けぢめ見せぬ心」である。16段の有常に対する「あてなる」はただの皮肉。藤原の大臣の娘の妻に捨てられた文脈で、それは全体でも一貫している。伊勢で「あて」なる男は有常の枕詞で、107段は有常の娘に敏行(後の義理の息子)が誘いにきて有常が娘になりすましておい返したバカ話で、そこにけぢめ見せぬ心の在五と非難された業平(有常の義理の息子で、敏行の義理の兄)を当然のように代入するのは物事を論理的に総合する思考能力がなく、それ以前に人としておかしい。
・全体あらすじ:文屋の宮仕え記録と諸国見聞録。判事だから法律論に富み(武蔵野:予断排除、梓弓:失踪・婚姻・信義則等)、縫殿だから狩衣や信夫摺や唐衣の歌がある。陸奥の歌は源融の歌ではなく、陸奥に実際に赴任した昔男(14段・15段、115段)の代作。という根拠しかない。筒井筒(大和の筒井の話)と梓弓は幼馴染の妻の話。ここが最も和歌が厚い部分で初冠と東下りの背景。これを虚構で後日の付け足しというのは歌物語の伊勢の根幹を否定している。伊勢は業平目線でどこまでも好き勝手に分断・破壊されてきた。伊勢を正面から認めるわけにはいかなかった。貴族社会に重大な衝撃を与えたのは斎宮との逢瀬でもなんでもない。69段は重大な衝撃を与える内容でも全くない。衝撃だったのはその無名の実力の脅威である。掛詞を技巧などといって苦労するのは一般の話で昔男ではない。伊勢は昔男の言葉遊び。その調子を受けて土佐がある。小町の歌も昔男の歌。小町は縫殿にいたから小町針というエピソードがあり(言い寄る男を断固拒絶する話)、それがかぐやのモデル。だから小町は衣通姫のりうという(ともに光を放つ)。だから伊勢竹取は別格。何の問題もない。業平と見て、あらゆる記録を無理に曲げてそれを維持しようとするから、全ての認定がおかしくなる。
・登場人物
876頃~886頃。都度リリース。905年成立の古今の20~30年前。
後宮の暇な女達(女御達=御達)に手習いがてら書写させ、大量に流布した。それで影響力をもった。
女達が興味を持てるように男女で恋愛の内容。
後宮というのは、文屋の象徴的職場の縫殿、それが後宮の女官人事担当とされることから。
伊勢は和歌最高の実力者が書いた。それが順当な道理。
淫奔貴族のツギハギコピーで原初の古典になり、紫に「伊勢の海の深き心」とされると思えることがおかしい。伊勢は万葉すら直接引用していないのに。
昔男は後宮の女達の仕事と世話を担当していた。そういう描写はいくつもある。
(女御達の法要・死:4段、39段、45段、77段、女達の日常+巻き込まれる昔男:5段、31段、95段、96段、100段、業平に孕ませられた姪の噂:79段)
こういう類の話を、どうやって男が何度も描写するのか。それは淫奔だからではない。
文面だけでも、在原なりける男が人目を憚らず後宮で靴を放り投げあがりこみ、女につきまとって笑われ流された描写だけでも、そう言える。
貫之の土佐日記冒頭(男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて)は、明らかにその影響を受けている。
それは古今の伊勢だけ突出した詞書から明らか。業平の歌だから有名になったのではなく、伊勢を当たり障りなくするために問題児の業平の歌とされた。
その証拠に古今の突出した詞書最長は無名女の筒井筒の歌。宮中の歌集なのに無名の田舎女の歌が古今最長。業平とされるものではない。業平の否定。
古今で歌を5首以上もつ上位20人に女性は2人だけ(伊勢の御と小町)。でありながら、この両者ですらない。それが伊勢の別格性。
一般の古今の業平認定に、貫之は配置で対抗した。文屋・小町・敏行(秋下・恋二・物名)のみ巻先頭連続、業平は恋三で敏行(義弟)により連続を崩す。
貫之は業平を絶対認めてなどいない。
成立の876年頃とは、藤原高子の子、陽成が即位したのがその年。そこから后と称されうる。
冒頭3段に「二条の后」表記があり、その近辺から書き始められた。彼女の身が安泰になったので。
真っ先にそこから始めているので、この点の弁明をしたかったことが大きい動機であった。と見れる。
つまり西の対・関守の話は、幼少の高子の夜の外出に男が付き添った時に兄達が大袈裟に警備した話であり、駆け落ち熱愛云々は外野の妄想(6段)。
しかし今に至るまで前後の文脈無視。それどころか全部業平認定。狩衣も唐衣も当時の流行にされる。流行を喜ぶ人は100年前の万葉など参照しない。
こうした著者の特別性を無視し、当時の流行と本末転倒させる見立ては源氏でも同様。
前世思想が一般に流行などしていたわけがない。今も昔も、物語で前世とのリンクが厚く語られることはあっても、その理解が流行しているわけではない。
証拠に、前世用語の基本「玉の緒」すら誰も解釈できない。玉に糸を通すなど意味不明。玉とは古来魂の象徴。つまり魂の糸(意図・つながり)のこと。
古を重んずる古典の元祖が、流行に流される凡人なわけない。そう思えないのが凡。
流行を受け書いたのではなく、書いたことが理解されずとも流行している。
末尾が886年頃とは、114段の仁和帝が、それ以前の帝と区別して生存時の呼称であるから。
それ以前の帝は、順に、西院・深草・田村・水尾が記されるが、仁和以降は登場していない。
その他の実名の登場人物達も、860年頃が中核。さらに、物語の展開と人物の推移は、一貫して符合している。
唯一の例外が、39段・源の至の末尾に源順という950年頃の人物記述があるが(至は順が祖父なり)、本筋と全く関係なく、ここだけは後日の付け足し。
まったく本筋と無関係の、しかも39段末尾一箇所の注記のみで、全体の成立が左右されることなどありえない。そうすることを、本末転倒という。
一般に、伊勢以外の歌集の認定を自明の前提のように持ち出し、成立が論じられているが、全て誤り。
それらは全て業平の歌であるという認定を前提にしている。そしてそれは、業平を全力で否定している伊勢の記述と真っ向から矛盾している。
この根本の矛盾を無視したまま外部の業平認定を根拠にはできない。この矛盾はなぜ生じたのか検討しなければならないが、それを無視し続けるから更に矛盾していく。
なぜ業平の話と歌とみなされたかというと、全ては、最初の二条の后のお忍びの話が、頓珍漢に業平の夜這い話と決めつけられたことによっている。
夜這い→あの淫奔に違いない、と決めつけられたわけだが、それを危うく思った著者が、様々な角度から反論したが、無視し続けられるという構図。
その噂の荒唐無稽さが6段の内容。説明しても無視。
「伊勢が史実通りなら」みたいな表現があるが、そもそもそうした一般の解釈は、伊勢の表現をまるで無視し、業平ありきで話をこじつけている。
それは読者達の妄想で、伊勢ではない。
事実(伊勢の記述)を元に伊勢を論ずるのではなく、伊勢を一切無視し、古今という外部の認定に無条件に従い、それを事実と混同するからおかしくなる。
確かに、伊勢の内容の真実性(他の歴史的事実との多角的符合)は、伊勢の記述だけでは論じ得ないし、そのレベルでは伊勢の記述だけで事実とはいえない。
しかし伊勢の記述内容を論ずるのに、一番の事実は伊勢の記述だろう。それなのに根底で矛盾する外部の認定を、無条件で前提にする時点で伊勢論ではない。
つまり前提事実の誤認。土台がおかしいから積み重ねるほどおかしくなる。114段の歌の行平認定のように。
見立てが支離滅裂なのは、著者がおかしいからではない。伊勢と同じ実績・歌の実力もなく失礼すぎる。自分は千年残せるという実力があるならともかく。
それを残せると思う人達が、頭の軽い業平でも不思議と歌は上手いという人達。古来の詩人に頭が軽いのは誰一人いない。
そして伊勢の著者は業平に対し怒っている。その集大成が以下の103段(と106段)。
むかし、男ありけり。いとまめにじちようにて、あだなる心なかりけり。
心あやまりやしたりけむ、 みこたちの使ひ給ひける人を あひいへり。…さる歌のきたなげさよ。
この非難されるあだなる(不埒な)心というのが、古来より業平の評判。
「世の常のあだことのひきつくろひ飾れるに圧されて、業平が名をや朽たすべき」と、争ひかねたり。
これが紫の源氏における「伊勢の海の深き心」と対置した、「伊勢をの海人(無名の男)の名をや沈めむ」を理解できない「浅はかなる若人」の表現。
文屋。
伊勢は文屋の歌物語。
歌をもとより知らない(101段)とし、乱行を非難し続けた業平の歌を引用しまくる動機がない。全て著者の作で翻案。101段だけでもそう言える。
「もとより歌のことは知らざりければ、すまひけれど、強ひてよませければ、かくなむ」
初段の陸奥の歌も、81段の河原の六条邸で地下の翁がトリを務め講義する描写、忍ぶことを重んずる物語の一貫性から、文屋の代作。
でなければ家も何もない卑官が、宮中の誉れである歌仙と称されたりはしない。彼のための称号。仮名序でいう一人二人は文屋と小町のこと。二人で一人。
なぜ頭が緩いとされる業平が歌仙にされているか? 伊勢があるからだろう。そしてそれは業平の話ではない。そういうのは誤り。ただの噂。
根拠がない。古今の認定とその派生物しかない。そしてその認定に根拠はない。だから一般的な記録と全く整合しない。
文屋の没年が885頃とされ、物語末尾が仁和帝の886頃と符合する。
業平は880年没でこの点記しえず、後撰集はそこだけ苦肉で兄の行平の歌ということに勝手に認定するが、無理がありすぎる。
場当たり的に前の歌に抱き合わせて認定。業平関連は全てこう。独立性も整合性も何もない。
伊勢は、行平登場時は二回とも名前を明示している(79段・101段)。それは無視。無条件で勅撰認定が正しいと思い込む。
それは学問ではない。問うことないから。ましてその認定と伊勢本体の記述が相容れないのに。問いを設定しても勅撰維持ありきでは無意味。
他方で、文屋にはいくつも独立した多角的な証拠がある。
古今で、二条の后の完全独立した詞書を二つも持つ。これは文屋のみ。配置でも近い(4と8。これは9の貫之による配置)。
貫之は、一般の認定に、配置と詞書で対抗した。なお、仮名序の文屋評の一般の訳は完全な誤読。前後の掛かりを完全に無視している。
縫殿つまり後宮に勤め、服に詳しく(初段の狩衣、東下りの唐衣)、女達の世話もする(95段・96段等多数)。
冒頭3段以降の二条の后の話はその一貫。
伊勢物語は、まずはその女達を興じさせるためのもの。
それと同時に文章教育の一環(この影響力に貫之が触発され「女もしてみむとて」という土佐日記を記す)。
他方、後宮に上がりこみ暴れてつきまとった女が帝に陳情し、流された「在原なりける男」(65段)、「在五」「けぢめ見せぬ心」(63段)。
何度拒絶しても無視され続け、業平を称える人物の作などと驚天動地の評をされ、死にそうな心地で死んだ。
文屋の人生回顧録。
後宮や地方(三河・陸奥)への赴任を描く。
特に大事な女性が二人いる。妻(20~24段)と伊勢斎宮(60段・62段、69段~)。契という言葉を出した女性は、この二人だけ。
二条の后は仕える相手(95段)。
二条后、仕事と家族と友人。
前々半:東下りとその理由。昔男が随行した二条の后に立てられた業平熱愛云々の風評(6段)、筒井の妻との死別(24段:梓弓)。ここまでで一区切り。
前後半:小町や有常との友情。有常=友情。小町=うるわしき友。44段・馬の餞は三人での小町の送別会。
59段東山で、24段の清水で果てた妻を回想し自分も死にそうになる。清水はきよみずに掛けているのであって、湧き水のことではない。
前半ここまで。
①伊勢斎宮との出会いと契り(続松の盃)。
60段(花橘・宇佐の使)、62段(古の匂は)は、69段(狩の使)の伏線。前世の話。いやしくも斎宮と初見で夫婦のように懇ろになるわけはない。
②同時に、前半の話が業平の話と混同され続けたことへの抵抗。63段以降で何度も否定(「在五」「けぢめ見せぬ心」)。
最低限の作法として名を直接出して非難はしない。しかし周囲はそんな苦慮など毛先もわからず、功を奏さず、語調が強くなっていく。
伊勢斎宮も、業平に一夜で孕まされ子を生んだなどという驚天動地の卑しい噂で辱めを受け、そのせいかは不明だが、尼になってしまう(102段)。
なお、60段「花橘」は極めて重要な段で、源氏物語で頻繁に前世を象徴する言葉として歌われ、かつ尼になることを彼女(紫)は連発する。つまり前世。
つまり光る源氏は、彼女に刻まれた昔(の)男の記憶。竹取の光も合わせて光っているから、斎宮は聞いていた(その暗示は16段の有常にもある)。
と、こんなことは第三者はしるよしもない。花橘・袖の香が前の記憶を暗示しているとも全く理解されていない。それどころか主を女主人などという頓珍漢。
玉の緒、下紐、これらは全て魂の意図、みえないつながり(紐帯)、運命の糸の象徴表現。それらの言葉や玉蔓などを紫が継承しているのも、全てその意味。
だからそれがわかる二人は別格。神話の系譜(別天神)。業平は論外。いうなれば神話を汚したスサノオ。天照と子を作ろうと言い寄るアホな話もある。
物語は、119段の形見で区切りをつけ、120~125はダイジェスト。
121段は、梅壷=後宮へのモグリの人物(後宮の著者と混同された在五)。
122段は、妻。井出の玉水で筒井の子。
123~124段の深草で伊勢斎宮。
最後にむかし男の失意の125段。そこでも「まさか昨日今日で死にそうになるとは!」と、抜けた内容にされて終わる。
全く報われない人生。人は誰でもいつかは死ぬとは思うけれど、それが昨日今日とは誰も思わないよな、という内容なのだが。
己の死期を直前まで悟れない知性で伊勢を記せるか。1000年たってその解釈とは。言語能力は思考能力そのものなのに。
口先でない歴史の裏づけある最高の先達から謙虚に学び、さらなる高みを目指す、不断の精進、といった崇高な言葉の意味を、全く知らないのだろうか。
なぜ自分達の意味不明な決めつけで知ったかできるのか、不思議でしょうがない。それどころか物語の始祖を幼稚だ下衆だなどという論外がまかり通る。
そういうのは何も進歩しない。なぜなら時代を超えた普遍的な良し悪しが全くわかってない、どころか、それに全力で逆らっているから。
仕える相手。3段~、39段、76段、95段等。したがって車とセットで登場し、率いていくとされる。西の対・関守の話も、その一環。
妻。20~24段で描かれる。この子が果てたのが、男が東に下った理由。つましあればという歌の背景。
ここが伊勢で最も和歌が厚い。23段筒井筒が馴れ初め話。59段・94段・122段でも回想。
縫殿での同僚。歌を一緒に作る。8-9段、25段~。多少やりとりして、微妙にいちゃつくも(前後半)、他の県に行ってしまう(馬の餞:44段)。
親友。女に弱い男同士で、ボケあう仲。13段・16段等多数。
主人公とタッグを組んで、82段・渚の院で、恐らく、この国初の歌合戦(業平にダメだし)をする。
著者の歌弟子、近衛大将の立場で業平をいじる。77段・78段・87段。有常と常行で対になっている。有常→常行→行平→業平
せっかく帝の女にした娘を、弟の業平に孕まされたとされる(79段)。兄弟そろって礼儀作法がまるでないと描かれる(101段)。
後宮で女につきまとい流された淫奔(65段)。伊勢に来た二条后に対し、藤原の氏神を出して小ばかにし(76段)、その車に帝の面前で言い寄る(99段)。
それで前代未聞、自らケジメをつけろという歌が「ちはやぶる」(106段)
四六時中酒とセットで遊んでる描写の人達。81段~85段。主人公が歌要員で呼ばれた話をネタにし、81段で国についての講義をする。