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第96段 天の逆手 |
伊勢物語 第四部 第97段 四十の賀 |
第98段 梅の造り枝 |
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むかし、堀川大臣(藤原基経)と申す者がいらした(全然上げてない)。
四十の賀(誕生会)が九条の家でされた日に、
さくら花 散りかひ曇れ 老いらくの 来むといふなる 道まがふがに
桜が散って曇る日に 老人に 来いというから 道に迷ったわ
~
本段は明確に次の段とリンクしている。
「むかし、太政大臣と聞ゆるおはしけり」。
左右付かない大臣、不自然に上げてないことも同様。
九条は、中央(二条)から離れているという意味。
散って曇るも、ハレの日に相応しくないので、完全に喧嘩売っている。
(この点で前段「天の逆手」とかかるギャグ。逆手はグッドと逆のサイン。それをしたいわけではないが、そういう流れ)
だからこの歌は、公にしたものではありえない。
だから主体も示さず、「詠む」ともしていない。これは次段で明確に「よみて奉り」としていることからも明らか。
この時点で、公に詠んだ風にしている古今349の認定は明確に誤り。そもそも公の歌集に載せるに相応しいものではない。
撰者達の読解はその程度。業平という認定も、もちろん誤り。
著者がなぜここに呼ばれたかというと仕事。義務。
次の段で「仕うまつる男」と明確にされているが、直接の配下という意味は薄い。
異動でかかわりあったかもしれないが、男が主に伊勢で拠り所としている居場所は後宮。ずっとそう記してきた。
仕事以外の行事で声がかかっている。それは事実上断れない。
歌の実力が宮中で知られ(親王達にも呼ばれる。81・82段)、それが帝にも認められ(69段「よく労われ」)。
伊勢を記すほどの随一の実力者だから、だからこそ、無名の下級役人なのにかかわらず、歌仙と称されている。
これはつまり、人麻呂と同程度の実力ということ(赤人は専属なのでそこまでではない。片手間なのにズバ抜けることに意味がある)。
六歌仙で何の後ろ盾もない、そんな人は一人しかいない。
つまり歌仙たる実力者は、この伊勢の著者(とコンビの小町)しかいない。
(小町とは二人でセット。同じ職場・後宮。この物語でいう「おなじ所」19段)
あとは調子こいて群がってきただけ。
その気になれば、人を集めて何とでも言わせられる。大伴は万葉時代から懲りていない。
一番の無名の実力に、直接のっかって一番調子こいたのが業平。
だから伊勢に根拠が全くないどころか、完全に矛盾している。
皇族だから上から目線で書いているのではない。もしそうなら、一貫して名を伏せる動機がない。
藤原云々も関係ない。人としての器が足りない・実力がないと思ったから、このように詠んでいる。
九条云々は人次第。そんなことは本来どうでもいい。
つまり、そういう形ばかりのことで勝負しようとしていたから、当てつけている。
基経より先輩の藤原常行は、比較的好意的に描いている(87段・77段・78段)。
下手でも自分で歌を詠もうとする、高い地位にかかわらず、慕ってくれるというのは大きい。
下手でも謙虚に頑張れる人。結果だけ欲する人は、長い目でみれば上手く行かない。
下々で苦しんでいる人々の話に聞く耳を全然もたない、そういう人はちょっとない。
だから、下にもちゃんとへり下れる賢い人が良い。偉そうにするのはバカでもできるもの。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第97段 四十の賀 | |||
むかし、 | むかし、 | 昔。 | |
♂ | 堀川のおほいまうちぎみと申す | ほりかはのおほいまうちぎみと申、 | ほり川のおほいまうちぎみと申 |
いまそかりけり。 | いまそかりけり。 | いまそかりけり。 | |
四十の賀、九条の家にて | 四十の賀、九条の家にて | 四十の賀九でうの家にて | |
せられける日、 | せられける日、 | せられける屛風に。 | |
中将なりけるおきな、 | 中將なりけるおきな。 | ||
♪ 172 |
さくら花 散りかひ曇れ老いらくの |
さくらばな ちりかひくもれおいらくの |
櫻花 散かひまかへ老らくの |
来むといふなる 道まがふがに |
こむといふなる みちまがふがに |
こんといふなる みちまとふまて (まとふやに一本、かふかに古今) |
|
むかし、
堀川のおほいまうちぎみと申す、いまそかりけり。
むかし
堀川のおほいまうちぎみと申す
堀川の大臣と申す(者が)
つまり全然上げていない。申し上げていない。
藤原基経(836-891≒55歳)
著者(not○平)より確実に年下。だからこの表現。
四十の時には、左近衛大将だが、著者にとっては地位は関係ない。
親王でも別に重んじてはいない。
(一般の訳はそうみないが、ざっくりいえば、親王達は常に酒とセットで記述されること、自分達で歌う描写が一つもないことから、そう言える)
いまそかりけり
いた。
「いまそがり」は一般に、いらっしゃったとされるが、ニュアンスが違う。
よくて「いました」。敬語というより、ただの丁寧語。限りなく普通。上げていない。だからただ「申す」。
つまり著者にとって、良い印象がない。むしろダメ。
四十の賀、九条の家にてせられける日、
さくら花 散りかひ曇れ老いらくの
来むといふなる 道まがふがに
四十の賀
四十の誕生会を
つまり876年
九条の家にて
九条の家にて
これを端的に明示することは、京では比較的外れという意味。
大事なことほど包む。包まないことは大したことではない。
せられける日(▲△中将なりけるおきな)
されていた日
ここで、本によって中将云々が付加されている。
一般の認識では不可欠な要素にもかかわらず、一つの本でも(しかも定家で)存在しない以上、付加されたもの。
つまり古今349の認定を受け、その影響で付け足されたという他ない。
定家以外の本でどう変化しようと、認定に影響はしない。
塗籠や真名は単体で参照するに値しない注釈本。微妙な記述の所で、安易な方向にすぐブレる。
この物語で「中将」「在五」にまつわる言葉が、フラットな文脈で存在することは一度もない。
全て女と無理にでも寝る文脈で、かつ人格を完全否定する文脈で出してきた(63段、65段、79段)。
そのような野蛮な文脈は、伊勢物語ではその三段しかない。したがって、ここで突如出てくることはありえない。
最後に「中将」が出てくる99段でも、一方的に女に言い寄ろうとする。
さくら花 散りかひ曇れ 老いらくの
桜も散り 曇った日なのに 老人に
おいらく 【老いらく】
:年老いること。老年。
来むといふなる 道まがふがに
来いというとはな 道も迷ったわ
えー九条? 遠いわ。
ね、だから皮肉だって。
ただし著者は貴族ではないし、
藤原対抗意識云々も全く関係ない。
近衛大将・藤原常行とは布引の滝(87段)で行楽を共にしていると思われる(衛府の督。この物語で大将とされるのは常行のみ。77段)。
でも面倒は困るので、主体は書かない。
しかし業平ではない。古今は伊勢を業平の日記と解したからそう認定しているが、そうではない。
詳しくは著者を参照。