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第115段 みやこしま |
伊勢物語 第四部 第116段 浜びさし |
第117段 住吉行幸 |
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むかし男(著者)が、東国からの赴任から戻る際、京にいる思い人(小町)に歌を送る。
すゞろにみちの国まで惑ひいにけり
→当てもなく惑いながら行ったというのは、9段・東下りの冒頭を受けている。
というのも自分の家の、大和の妻が亡くなって(24段)、京付近にいる理由が無くなった。
その直後の25段で、小町に話相手になってもらい(同じ職場。女方)、心を慰めたという事情がある(小町は戸惑っていた)。
歌の内容はほぼ万葉。
波の間ゆ 見ゆる小島の 浜久木 久しくなりぬ 君に逢はずして
(万葉集11/2753)
浪間より 見ゆる小島の浜びさし ひさしくなりぬ 君に逢ひみで
(伊勢116段)
これは、
①「ひさぎ」を「ひさし」にし、久々しという流れを作り、
②末尾「して」(原文・四手)を、見で(三手)に変える。
③三手で、最初の「浪間従」を、波間よりという訓読に修正。
その心は、久々だね、この浜庇(浜屋)に掛けた文屋の文、見てみてください。
「なに事も皆よくなりにけりと、なむゐひやりける」
おちこんだりもしたけれど、私は元気です。
どうかな~わかるかな~、和歌る人にはわかるってか常識っしょ。
だからこの万葉は、当時は魔女宅レベルの知名度はあったんでないんですか。
微妙でしょ。わからなければ、なにそれで終わりだけど、知ってればおーってなる(はず)。
だって構図が同じでしょ。
~
なお、著者は114段で業平ではないことが確定し、本段までその流れを続けている。
(仁和帝の鷹匠→前段・多賀城→本段冒頭。仁和元号は業平存命時には出現しえない)
これらは、明らかに業平説を斥ける意図がある。つまり当時からそのように目されていた。
加えて、東下りの内容(前段都島、9段都鳥の符合)から、物語前半から全てそいつの話ではないと確定する意図がある。
(要所を押さえて、乗っ取られないようにする)
一般の認定(後撰集)は、114段の歌を、業平の兄行平の歌と場当たり的に認定するが、それではこのような流れを一切説明できない。
説明できないというか、流れを全く見れていないから、そのような認定を堂々とできる。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第116段 はまびさし(浜びさし) | 欠落 | ||
♂ | むかし、男、 | 昔、男、 | |
すゞろにみちの国まで惑ひいにけり。 | すゞろにみちのくにまでまどひいにけり。 | ||
京の思ふ人にいひやる。 | 京に、おもふ人にいひやる。 | ||
♪ 197 |
浪間より 見ゆる小島の浜びさし |
浪まより 見ゆるこじまのはまひさし |
|
ひさしくなりぬ 君に逢ひみで |
ひさしくなりぬ きみにあひ見で |
||
なに事も皆よくなりにけり | なにごとも、みなよくなりにけり、 | ||
となむゐひやりける。 | となむいひやりける。 | ||
むかし、男、
すゞろにみちの国まで惑ひいにけり。
むかし男
むかし男が
著者。
114段で仁和帝(在位・885-887)が出てきて業平ではないことが確定。
その段の帝の「鷹飼」から鷹匠、前段の沖の井のある多賀城(都島)でリンク。
この話も前段の延長。
すゞろにみちの国まで惑ひいにけり
当てもなく陸奥の国まで惑って行った。
「惑ひいにけり」というが、多賀城が出てくるように、仕事でしかない。
それなりに希望は出しているはずだが、この時代簡単にフラフラしていたら、まず死ぬしかない。
それができるのは仕事を無視できる皇族くらいなもの。だが、男は身はいやし(84段・93段)、宮仕えの身と何度もしてきているのだから違う。
すずろに行く、から道に掛けているわけだが、これは東下りの中盤の話とリンクしている。
つまり9段冒頭で、
「むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ。あづまの方に住むべき国もとめに」
として、三河八橋まで行き、燕子花の歌を詠んだあと、
「行き行きて駿河の国にいたり…すゞろなるめを見ることと思ふに…かゝる道はいかでかいまする」
そして最後は隅田川の都鳥のエピソードでしめられたこと。
つまり、ここでは多賀城の都島から、遡って戻っている。
京の思ふ人にいひやる。
浪間より 見ゆる小島の浜びさし
ひさしくなりぬ 君に逢ひみで
京の思ふ人にいひやる
京の思う人とは、以下の理由で女だが(人とするのは、前段の女と異なり、端的な男女の関係ではないという意味もあるだろう)、
男が思う対象となる女達は、四人いる。
前段(14-15段)の陸奥の女、20-24段の梓弓の子(妻)、25段以降の小町、69段以降の伊勢斎宮。
まず陸奥の女は、前段で送別会をしてきたので違う。
梓弓の子は果ててしまい、それが9段でいう京付近にいる理由がなくなったこと。よって違う。
伊勢斎宮は、京にいた描写は一度もない。
そして小町。
前段の馬の餞が出てきたが、44段の馬の餞で送られたのは小町。
9段で燕子花として、その「花」が恐らく小町。
10段では、「空ゆく月の めぐりあふまで」として、また次に廻り合うまで、としていた。
その後の30段以降で厚く描写されるのだが、ここでは、この描写に掛けている。
続く浪も、三河に行く時の「かへる浪」の内容に掛かっている。
浪間より 見ゆる小島の浜びさし
波間から 見える小島の浜ひさし
浜びさし(浜庇)
:浜にある屋根が主体の構造物。
ひさしくなりぬ 君に逢ひみで
もう随分になった 君に会い見で
描写としては単純。ひさしひさしと続け、ひさびさ。
これは万葉と照らして読む。
流用・改変しているのではない。微妙に違う部分に意味を持たせている。
万葉集11/2753
浪間従 所見小嶋 濱久木 久成奴 君尓不相四手
波の間ゆ 見ゆる小島の 浜久木 久しくなりぬ 君に逢はずして
なみのまゆ みゆるこしまの はまひさぎ ひさしくなりぬ きみにあはずして
つまり、久木をひさし(庇)にして通りを良くし、四手を三手に変えていることを見てほしい。
ひさびさ~、よくみてみて~。
著者はいつもこれで小町を困らせていた。25段。
なに事も皆よくなりにけり
となむゐひやりける。
なに事も皆よくなりにけり
何事もみな良くなった(?)
となむゐひやりける
と言いやったのである。
ここままだと意味不明。惑いとのつながりが一切ない。
なので通るように解釈する必要がある。万葉の引用で終わるわけない。
つまり掛かりを見なくてはならない。これは勝手に想像することではなく、周囲の文字の根拠に基づいてする。
何事もと万葉に掛かかれば、万事しかない。
万事に掛かるのは、休すしかない。
しかるにこの休すを久木の久にかけ、長らく都から離れ気も多少休まるかと思ったがと解く、
その心は、おちこんだりもしたけれど、私は元気です。
えっ、構図似てない?
気心がしれていれば、こんなしょうもない、気の利かないこと(しょうもない見て見て)を送ってしまうのである。
だからダメになるんだって。だからかな~? 違うかな~?
好きな人といれば無意味なこと言いたくなるってね。今度一緒にジ○リみよーね。なんてな。