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第54段 つれなかりける女 |
伊勢物語 第二部 第55段 思ひかけたる女 |
第56段 草の庵 |
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むかし、男、思ひかけたる女の、え得まじうなりての世に
むかし、思いかけた女を手にできないこの世のつれなさに。
思はずは ありもすめらど 言の葉の をりふしごとに 頼まるゝかな
思わないことなどないと、時々言葉の端々で、当てて(表現して)みようかな、と。
この世でつれないと補うことは、前段「つれなかりける女」の文脈(53-57段は一続き)。
冷たい女というのは誤り。そういう描写は存在しないし、そういう文脈でもない。
手にする(≒得)とは、ここでは抱く(愛す)という意味(前段は夜の話)。
肉体だけの意味ではない。それが「思ひかけたる」という言葉の、意味するところ(心)。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
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第55段 思ひかけたる女 言の葉 | 欠落 | ||
♂ | むかし、男、 | むかし、おとこ、 | |
思ひかけたる女の、 | 思ひかけたる女の、 | ||
え得まじうなりての世に、 | えうまじうなりてのよに、 | ||
♪ 101 |
思はずは ありもすめらど言の葉の |
おもはずは ありもすらめどことのはの |
|
をりふしごとに 頼まるゝかな |
をりふしごとに たのまるゝかな |
||
むかし、男、
思ひかけたる女の、え得まじうなりての世に、
思はずは ありもすめらど 言の葉の
をりふしごとに 頼まるゝかな
むかし男
むかし男が
思ひかけたる女の
思いかけた女の、
おもひかく 【思ひ懸く】
:心にとめる
この点、一般の辞書で「恋い慕う」としてこの伊勢の部分を出典にするが、厳密にいえば違う。
なぜなら、そのように安易な恋愛ごとに限定しないことにこそ、「思いかける」の意味があるから。
普通に「思いかける」で読めば足りる。その「思い」はなんだろうか、という話。
因みに、この言葉は、93段(高き賤しき)に出てきて、内容もほぼ完全に符号する。つまりこの段を具体化した話が、93段。
むかし、男、身はいやしくて、いとになき人を思ひかけたりけり。
すこし頼みぬべきさまにやありけむ、臥して思ひ、起きて思ひ、思ひわびてよめる
「身はいやし」とは、
むかし、男ありけり。 身はいやしながら、母なむ宮なりける
(84段・さらぬ別れ。母が藤原本流でも極貧がありうることは、41段参照)
むかし、男……父はなほびとにて、母なむ藤原なりける
(10段・みよし野。だからここで母は、良い相手を紹介しようとしている)
さらに関連して、
むかし、いやしからぬ男、我よりはまさりたる人を思ひかけて
(89段・なき名)
以上より、
「思いかけたる」とは、実際の生活事情と密接不可分な言葉と言える。
加えて、以上の認定により、主人公は業平ではない。
古今は84段の「身はいやし」にもかかわらずその段の内容を業平に認定するが、その段に限らず、業平自体、古今の認定以外に根拠がない(現状と同じ)。
こういう伊勢の緻密に符合する細部を無視しながら、なぜか伊勢を業平のものと決めつけるのが業平説。
男女=恋愛=言い寄る話と決めてみるからそうなる。細かいことはどうでもいいなら、「思いかける」内容は、わかりようもない。
え得まじうなりての世に
手にもできないという、この世のつれなさに
え+得+まじ+う+なりて+の+世に
この文は超濃縮。最初から、えと得をかけることから始まり、
「ての世」を「この世」の形にかけて、女を手にできない(得る=手に入れる)、
つまり思いあっても、簡単には(よう≒え得)「抱けない」と言っている。
なぜなら、貧しいから。それで最後まで幸せにできなかったから(24段・梓弓)。
働いた(田舎から宮仕えに出た)ことで、そうなったから。
それに男は、そういう類の(自分の手柄を多くあげる等)に興味がある性格でもない。むしろしたくない。だから匿名。
他方で、その仕事先にいたのが、ここでの女。小町(前段参照)。
つまり小町とは仕事から離れると上手く行かなくなる関係を暗示している。それが大体そとおりひめ(織姫)の話。
最後につれなさを補うのは、前段からの「つれなかりける女」とかけて。冷淡な女ではなく、思うままにならないという意味。
この解釈の妥当性が「思ひかけたる」という先頭の符合で裏づけられる。
思はずは ありもすめらど
思わないことなど あるわけもないが、
ありもすめらど:ありもすなる+めり+ど
→語調をみやびに整えて。
言の葉の をりふしごとに
言葉の端の 節々で
頼まるゝかな
言葉に当てて表わしてみようかな。
ちょっとずつでも、好きな気持ち。なんとも思ってないわけじゃないって。とっても特別。それが「思いかけたる」。