この段は、男が女方で、仕事をしている女をなだめすかしている内容。
鳥の子を 十づゝ十は 重(かさ)ぬとも 思はぬ人を おもふものかは
とは、
鳥頭の子達の羽のばしを、束ねる十把一絡げにかけ、思い思いに思わぬ方に動き回ると解き、全く面倒みきれん。「重ぬ≒おもぬ≒思わぬ」
ゆく水に 数かくよりも はかなきは 思はぬ人を 思ふなりけり
の
「数掻く」は、鳥が羽をバタバタさせる様子。それとかけてバカバカ言わんで! しかしその言葉の心は秘めた恋心? あ~もう。ここ仕事場。
つまり、三助的に縫殿で女を監督補助する立場の男、それが「むかし男」(縫殿助。六歌仙参照)。
だから女達に引っ張りダコにされ、最後にポイされるというのが47段の大幣。よそにも甘くしてなどと、恨みをかったのが19段の天雲のよそ。
冒頭の「うらむる人」というのは、このような文脈。かまってちゃん。
それに男はうらみ言で返しているわけだが、内容は「頼むからちゃんと仕事して」という意味。
ハーレム(後宮)=目を離せば動き回る鳥頭の子達がたはむれ・ただ群れている所。でもある意味では可愛いと思っている(ヒナ達)。
だから、お局が局で怒っている時、いらんのになんとな~く庇ったらそこでも妬まれた、というのが、31段の忘草(忘れ癖)。
なお、上記「ゆく水」の歌は古今522に収録されているが、上述した連結(目次部分も参照)からも、古今が伊勢を参照したと解するほかない。
こうした一連の流れを悉く分断して、古今を利用したツギハギ作品と捉えることは極めて不自然、というか古今が先という前提が成り立たない。
伊勢に登場する帝は、39段の西院(淳和)を筆頭に、114段の仁和まで、全て850頃~886頃までにおさまっている。
これで905年の古今後と見る方が無理。
そして上述した六歌仙の没年は885頃とされ、何の問題もない。
他方で、業平は880年没なので、仁和の帝の114段を記せない。
だからそこは兄の行平の歌などと場当たり的認定をしだす(後撰集)。主人公業平説はそのような場当たり的勅撰認定に由来している(古今集)。
伊勢が行平を出すときは、二回とも実名で明示しているが(79段・101段)、それ以外に登場しない。それに何より著者は在五を非難している(63段)。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第50段 あだくらべ 鳥の子 | |||
♂ | むかし、男ありけり。 | むかし、おとこ有けり。 | むかし男有けり。 |
恨むる人を恨みて、 | うらむる人をうらみて、 | 人をうらみて。 | |
♪ 92 |
鳥の子を 十づゝ十は重ぬとも |
とりのこを とをづゝとをはかさぬとも |
鳥のこを とをつゝ十はかさぬとも |
思はぬ人を おもふものかは |
おもはぬ人を 思ふものかは |
思はぬ人を 思ふものかは |
|
といへりければ、 | といへりければ | といへりければ。をんな。 | |
♪ 93 |
朝露は 消え残りてもありぬべし |
あさつゆは きえのこりてもありぬべし |
朝露は 消のこりても有ぬへし |
誰かこの世を 頼みはつべき |
たれかこのよを たのみはつべき |
誰か此世を たのみはつへき |
|
又、男、 | 又、おとこ、 | 又おとこ。 | |
♪ 94 |
吹く風に 去年の桜は散らずとも |
ふくかぜに こぞのさくらはちらずとも |
吹風に こそのさくらはちらすとも |
あな頼みがた 人の心は |
あなたのみがた 人の心は |
あなたのみかた 人の心や |
|
又、女、返し、 | 又、女、返し、 | 又返し。女。 | |
♪ 95 |
ゆく水に 数かくよりもはかなきは |
ゆく水に かずかくよりもはかなきは |
行水に かすかくよりもはかなきは |
思はぬ人を 思ふなりけり |
おもはぬひとを おもふなりけり |
思はぬ人を 思ふなりけり |
|
又、男、 | 又、おとこ、 | 又おとこ。 | |
♪ 96 |
ゆく水と 過ぐるよはひと散る花と |
行みづと すぐるよはひとちる花と |
行水と すくる齡とちる花と |
いづれ待ててふ ことを聞くらむ |
いづれまてゝふ ことをきくらむ |
いつれまててふ ことをきくらん |
|
あだ比べ、 | あだくらべ、 | あだにて。 | |
かたみにしける男女の、 | かたみにしけるおとこ女の、 | たがひに | |
忍びありきしけることなるべし。 | しのびありきしけることなるべし。 | しのびありきすることをいふなるべし。 | |
むかし、男ありけり。
うら(恨)むる人をうら(恨)みて、
むかし男ありけり
むかし、男がいた。
うらむる(△塗籠欠落)人を
男(の仕打ち)を不満に思っている人を、
うらみ 【恨み・怨み】
①(能動的)恨みに思うこと。=相手の仕打ちを憎く思ったり、不平・不満を感じたりすること。
②(受動的)不満。残念。嘆き。悲しみ。
→ここでは①
うらみて
残念に思って。
→ここでは②
このように「うらむる人をうらみ」と同音異義で用いるのは、「色好みと知る知る女」と同様(42段)。
つまり言葉を面白く用いている。前段も全く同様の文脈。だから本段も、深刻なうらみつらみ(愛憎)の話ではない。
参考:「人の呪ひごとは、 負ふものにやあらむ、 負はぬものにやあらむ」(96段「天の逆手」)
このように表現を区別して、戒めていることからも確実。
鳥の子を 十づゝ十は 重ぬとも
思はぬ人を おもふものかは
といへりければ、
心:思い思いに動き回るヒナ鳥達は面倒みきれません。そういう子達は十把まとめて知りません。あとは野となれ山となれ。
鳥の子を
烏合の衆を
「鳥」とは、頭(=記憶力)が悪いことの例え。
例えば、14段(陸奥の国)で女が自称する「くたかけ」=ばかどり。
「鳥の子」とは、そういう子達がワラワラと集まっている様子。ただし、可愛いという意味も込めている。
十づゝ十は
十把一絡げに
十づつ:一絡げ
十は:十把
十把一絡げ(じっぱひとからげ):
一つ一つ取り上げるほどの価値がないものとして、ひとまとめに扱うこと。
鳥の羽と把を、子と合わせるとかけ、その心は、女子ども一々全部把握しきれん。
※著者は女所で女子を監督・補助している立場(縫殿助。六歌仙参照)。
そうでなければ、
信夫摺の狩衣(初段)・唐衣(≒十二単衣・9段)、倭文(麻)のをだまき(糸巻)・下紐・上の衣の洗い張りと紫色(41段)・女の装束(44段)など
宮中の女物の服、しかも素地や糸の種類・その細部の小道具にまで頻繁に言及する説明がつかない。しかも男が。
男が、女所で目をかけている様子が、19段天雲、47段大幣等。
それに恨むのは基本的には、男より女だろう(31段・忘草)。多分。
なお、業平は女方に入ること許されたところ、女につきまとって失笑をかった、そんな存在(65段)。
重ぬとも
集めても
思はぬ人を
目がない人に
おもふものかは
目をかけてもしょうがない
といへりければ
といえば、
(女=鳥の子がこれに返し)
朝露は 消え残りても ありぬべし
誰かこの世を 頼みはつべき
心:朝露のように露と消ゆ私の儚い心。そんな気持ちも露知らんで! ヨヨヨ(しくしく)…もう何にも頼みません!
つまり露を消える心と、涙(ありぬ)にかけている。う~ん、並ですなあ~。並みの涙ですなあ~。あ、やばい?
朝露は
朝露は(消える定めだが)
消え残りても
消えても残っても
ありぬべし
あるんだって
(なんじゃらほい? え、クイズじゃなくて?)
誰かこの世を
は~もう誰がこの用に
頼みはつべき
頼んだりするものか。
頼み+果つ(る)+べくもあらず
→あ~もうこの世に用なんてない。
→あ~もー頼まない。ワタシもう○ぬ。露のように儚く消え果つる。ああなんて儚くあはれなワタシ。
あ~もうしょうがない。
いやみんな可愛いんだけど、頑張る気がない人まで面倒みきれないって。ちっとは自力でやってみて。
又、男、
吹く風に 去年の桜は 散らずとも
あな頼みがた 人の心は
心:いや、あなたは年中散らない桜のようにいつでも綺麗でしょ(しぶといでしょ)。頼むよ(仕事して)。
又男
吹く風に
ふくからに、じゃなかった、
風が吹いても
去年の桜は
去年からいるあなたは
(儚く散る花とかけて、綺麗だよと暗黙のうちに褒めてなだめている)
散らずとも
まだ残ってるじゃん?
あな頼みがた
だから頼むよ(お願いよ。まじめにやってね)。確かに難しいことだけど(仕事の技術的に)。
あな+頼み+がたき(こと)
あな:まあなんとも
人の心は
人の心は難しいね(心の声)
(心の声が女に聞こえてしまうのは、前段と同じ)
又、女、返し、
ゆく水に 数かくよりも はかなきは
思はぬ人を 思ふなりけり
心:え、散らない桜だ、頼むだなんて…。今度はキュン死にしそう(おーい、結局そうなる?)
何とも思ってないのに意識させるなんて。(それはこっちのセリフや!)
又女返し
また女が返し
ゆく水に
流れ行く水に
(私を見ずにゆくなんて)
数かくよりも はかなきは
数を書くよりも、儚いのは、
(というのは表面的な意味。水にモジは書くわけない。その心は)
数掻く(かずかく)
:鳥が明け方霜を払うため何度も羽ばたきをすること。カモが羽をシゴくこと。
また、そのように床の中でモジモジ自分で慰めて夜をあかす、人に見せられないことのたとえ、とのこと。
ここでは縫物を、いじいじ、いじくることと掛けて、オンナの話。
思はぬ人を
思いもよらない人を
思ふなりけり
思うことよん(あ、恋?)
→桜のパワーおそるべし。
又、男、
ゆく水と 過ぐるよはひと 散る花と
いづれ待ててふ ことを聞くらむ
心:流れる水にも花にもハナ水(ハナタレ)にも、チョまてよ、なんて言えないよ~。でも好きでもないよ~。
又男
また男(が思うには)
ゆく水と 過ぐるよはひと
水の様に過ぎ続ける年齢と
過ぐるよはひと 散る花と
歳月が過ぎて散る桜と
いづれ待ててふ
一体どちらに待てといえるのか(つまり、チョ待てよ、といえますか? いや無理。言えるわけがない。原始的不能)
いづれ 【何れ】
:どれ。いつ。どこ。
ことを聞くらむ
なんてことを聞けるだろうか。
水を差してもあかんし…。
あだ比べ、
かたみにしける男女の、忍びありきしけることなるべし。
あだ比べ
あだくらべ(徒比べ)
:男女が互いの不実不貞を責め合うこと。
ここでは、
不実→男が目をかけないこと。ただしメカケという意味ではなく、仕事の意味。
他方で、女は男に頼ってばかりで自分で仕事しようとしないこと。仕事と色恋の区別が全くできないこと。(多少は人の情でも)
不貞→女が「かずかく」などとおおっぴらに言って、何とも思ってないこと。
他方、男は不貞である理由が何もない。仕事だから。色目を使っているわけでもない。なだめているだけ。(これって言い訳?)
かたみにしける男女の
今は昔と懐かしく思い出す、男女の間で
かたみ 【形見】
:思い出の種。昔を思い出す手がかり。
忍びありきしけることなるべし
忍んでコソコソしていた話であった(なぜなら、それが新たな火種を生みかねないからである)。
忍び+あり(存在)+き
「ありき」を歩きというのは少し違う。
こういう意味の微妙なずらしは、この物語のむしろ基本(それが冒頭の二つのうらみ)。
というのも、「忍び歩き(外出)」だと、著者(男)と女の内情(女所での話という、物語全体の流れ)を無視しているから。
歩いていると見ても屋外の話ではない。この物語ではそれを「わたり」と表記している(31段。宮の内で局の前に来た時の話)
参考
しのびありき 【忍び歩き】
:人目を避けて外出すること。お忍び。
という訳があてられているが、その出典はこの伊勢。
よって違う。外出ではない。そういう文脈で他の本の解釈に用いるならともかく、ここでは違う。
それでは「鳥の子」とか「十づつ十は」とかいう言葉の意味が、十分に拾えない。
といっても業平説に立つ以上、その文脈を読むのは無理だけども。