地方に行く人の送別会を開く。
家の女の人に盃をもたせ、女物の装束をやる。
家の主が「君のために脱いだ」と歌を詠み、先の十二単衣の裳につける。この歌は中々面白いな、という内容。
しかるに、ここで見送る人は女性と解さなければ通らない。
男に女の服を贈ってどうする。何より素朴な常識に反するし、加えてその解釈に基づく見立ては悉く脈絡がなく、あまりに無秩序で頭がクラクラする。
送る相手を女性とする解釈に合わせて、盃も家の女(家刀自)にもたせている。
酌をさせるのは童子ではない(文脈で子供を出す意味が全くないし、客をあまりに軽んじている)。
主が「脱ぎつ」というのは、宮中の服を贈ったのだから、一肌脱いだといっている(41段の文脈)。著者なりの言葉遊び。
それを、来ていた服を脱いで贈るとしたり、前途を祝する宴席での、最高にみやびな服の裳を「喪」にかけてみるのは、もはや若干恐怖を感じる。
この物語は、前後を緻密にかけて書かれている。単体だけ見ても絶対にわかりようがない。
何より、一つ一つの言葉の意味をよく吟見せず、漫然と決めてみるから、苦し紛れの解釈でもおかしいと思えない。
しかるに、ここで地方に行く人とは小町であり、家の主とは紀有常である。
業平は全く関係ない。根拠は以下に示す通り。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第44段 馬のはなむけ | |||
? | むかし、県へゆく人に | むかし、あがたへゆく人に | 昔あがたへゆく人に。 |
馬のはなむけせむとて、 | むまのはなむけせむとて、 | 馬のはなむけせんとて。 | |
呼びて、 | よびて、 | よびたりけるに。 | |
疎き人にしあらざりければ、 | うとき人にしあらざりければ、 | うとき人にしあらざりければ。 | |
家刀自、盃さゝせて | いゑとうじさか月さゝせて、 | いへとうじして。さかづきさゝせなどして。 | |
女の装束かづけむとす。 | 女のさうぞくかづけむとす。 | 女のさうぞくかづく。 | |
主の男、歌詠みて、 | あるじのおとこ、うたよみて、 | あるじの男うたをよみて。 | |
裳の腰に結ひつけさす。 | ものこしにゆひつけさす。 | ものこしにゆひつけさす。 | |
♪ 83 |
いでてゆく 君がためにと脱ぎつれば |
いでゝゆく きみがためにとぬぎつれは |
いてゝゆく 君か爲にとぬきつれは |
我さへもなく なりぬべきかな |
我さへもなく なりぬべきかな |
我さへもなく 成ぬへき哉 |
|
この歌は、あるがなかに面白ければ、 | このうたは、あるがなかにおもしろければ、 | ||
心とゞめてよまず、腹に味はひて。 | 心とゞめてよます、はらにあぢはひて。 | ||
むかし、県へゆく人に馬のはなむけせむとて、呼びて、
疎き人にしあらざりければ、家刀自、盃さゝせて女の装束かづけむとす。
むかし県(あがた)へゆく人に
むかし、地方へ行く人に
県(あがた)
:平安時代、国司など地方官の任地。
この物語は、800年代前半(平安初期)を中心にした話。
この物語で「人」とする時、意図的に男女をぼかしていることを表している表現。
つまり周囲に伏せておきたい人。それが42段の文脈(「色好みと知る知る女」)。
あえて男のような表現を続けていることはそういうブラフ。しかし内実はそうではないということは、続く女物の服に示される通り。
馬のはなむけせむとて
馬のはなむけをしようといって、
うまのはなむけ 【馬の餞】
:①餞別の品を贈ったり、②送別の宴を行うこと。
古代、旅立=馬で行く、その鼻を向けるにかけ、
旅先でも上手くいくようにと花を送る(たむける)習慣から。
ウマを省略して、はなむけ。
ここでは、①が女の装束で、②が盃として表わされる。
呼びて
(その人を)呼んで
疎き人にしあらざりければ
疎遠な人でもなかったので、
この近いとか遠いという微妙な文脈は42段の内容。これは京的にいえば、とても近しい関係ということ。
そこから紐付けて(37段・28段・25段)、小町。色好みなる女。
女としていないのは、42段にも暗示されるように、彼女は変な男達につきまとわれたからである。
(小町針のエピソード。それを話にしたのが竹取。だから、かぐや姫は次々に言い寄ってくる男達の求婚を拒み、出仕を拒否した)
28段では、「むかし、色好みなりける女、出でていにければ などてかく あふごかたみになりにけむ」。
家刀自(いえとうじ)盃さゝせて
家の女(中)に杯をさせて
(あえてこのような言葉を出すのは、相手も女という暗示)
いへとうじ 【家刀自】
:主婦。家内(家乃至に当てたのだろう。家にずっといる人)。
(家の童子ではない。文脈に合わないし、出す意味がない)
主婦や妻と解されるのが一般だが、ここでは字義に忠実かつ、外れない範囲で、常に家にいる女性=女中と解する。
このようなずらしは、この物語の基本。
(40段の解釈の(家の息子が好いたのになぜか家から追い払われた女、つまり)女中の話とかけて、これは確実な解釈。むしろそう見ないと一貫しない。
40段では女中と明示されていないが、それこそが問題だから(意味が大きい)。そこでは「けしうはあらぬ」=おかしくはない=普通=女中となった。
このような物語前後の解釈問題を連動させている。前が解けないと、後々も意味不明。しかし簡単ではないのだから、よく考えられなければ。
ここで妻ではなくあえて女中にすることにも意味がある。つまり、家の主も、背後の「むかし男」も、共に妻はいなくなったという描写をしてきたから。)
刀自:
①年輩の女性への敬称 ②主婦 ③家に仕えて家事を扱う女性。
ここで、いつもの「むかし、男」の妻は24段梓弓で果てているので、男の妻ではない。
しかも田舎出身で人を雇う身分ではない(23段・筒井筒にあるように女の親の頼みがなくなった生計のために、別れを惜しんで宮仕えに出た話が24段)。
だからこの関係を明示するために、この段においては、「むかし、男」から始まらない。
刀自の意味を、家の中の女=女中と解し(40段)、紀有常が女性(妻の貧しい妹)に衣を贈ろうと著者とした話(41段)とかけ、
刀自の家の「主の男」は、有常と見るべき。
そして有常の妻は、尼になるなどと言って姉の所に家出している(16段)。つまりこれらの関係性の描写は、全て伏線。
そして、この物語で小町と有常はセットで配置される(37段・38段、83段・82段)。
つまり両者が著者にとって、同様に近しい、離れがたい特別な存在だったということを、配置によって表わしている。
なお、業平は関係ない。加えて、有常は業平を良く思っていない(82段・渚の院)。
女の装束かづけむとす
女の衣服をあげようとした。
かづく【被く】
:(服にかけて)あげる。与える。
ここではただ「あげる」という意味。
左肩にかける云々は関係ない。肩にかける特別な意味が、その文脈であるならともかく。
そういう解釈は、「服にかけている」言葉を、「服をかけること」と誤解していると思う(実際に実行されたのかはともかく)。
被服という言葉に掛けているだけで、必ずしも実際の人にかけるわけではない。実態に即さないだろう。それに不自然。
ちなみに、ここで贈物として衣服が出てくるのは、著者と小町の共通の話ということを裏づける(縫殿。六歌仙参照。小町は小町針)。
この時代、服を贈られていたことが一般とかいうのは違う。伊勢がどれほど後世に影響を及ぼしたか。
それに伊勢の著者の感性のレベルは一般のそれではない。だから残っている。
原因と派生を逆転させて、軽んじて見なされることは、伊勢にはつきもの。最たるのが、主人公業平説。
主の男、歌詠みて、裳の腰に結ひつけさす。
いでてゆく 君がためにと 脱ぎつれば
我さへもなく なりぬべきかな
主の男、歌詠みて
家の主の男が歌を詠んで、
(これはいつもの「むかし、男」とは違う、という意味の表現でもある)
裳の腰に結ひつけさす
裳の腰に結びつけさせた。
裳 :
十二単を構成する着物の一部。下の衣の腰につける紐状のもの(37段・下紐とかかる。これも小町の話)。
(喪とかける解釈→× 完全に意味不明。
しかも不吉。つまりありえない。よって間違い。
場当たり的に全く脈絡なく解釈して、苦し紛れに真逆の方向に走って、作品をクサしてはいけない。)
この「裳」によるダメ押しで、送った相手は宮中にいた女性と確定。つまり小町。
地方に行くどこかの男に、宮中の女物の衣服を送り、そこに歌を結びつけるとかいうのは、完全に意味不明。
まして、自分の妻のお下がりを、旅立つ人にあげて、その意味を腹で味わうなどとするのは、もはや不気味さすら感じる。
子供に酌をさせるのもそう。前からの解釈を無視しているからそうなる。空中分解。
(ちなみに、16段で有常の尼になると言って去った妻に当て、女物の寝巻を送られ喜び涙する一般の解釈も、同様に全く筋が通らないぶっとんだ解釈。
こういうことを普通倒錯という。だから、女物の服の贈物など、今も昔も一般でも何でもない。著者の職掌・得意分野だっただけ。)
いでてゆく 君がためにと 脱ぎつれば
これは「一肌脱いだ」ということ。
(文字通り脱ぐのは意味不明。それをあげるのも不気味かつ失礼甚だしい)
ここでは奮発して贈物をした。それを値札のように掛けてつけた。若干セコイ。
こういう笑いに走るところが、著者と有常の一貫した関係性(16段・38段)。
なお有常と業平は、歌でバトル(喧嘩)しているのが、上述した82段・渚の院の内容。
我さへもなく なりぬべきかな
そんなこんなで、私も色々泣きそうなんだって。
あなたが行って寂しくなり、懐も寂しくなって。
この歌は、あるがなかに面白ければ、
心とゞめてよまず、腹に味はひて。
この歌は、あるがなかに面白ければ
この歌は、一見ありそうな内容だが、中々他には無いように面白いので、
ここで「一見」を補うことは、「一肌」を補うことにかけて根拠がある。
女物と人肌と解き、その心は、恋しい。いと惜しい、とても名残惜しい。
心とゞめてよまず、腹に味はひて
心に留めて、口に出してその解釈は読まなかった。(ちみたちも)よくその意味を味わってくれたまえ。
とここで、著者「むかし、男」の感想に戻る。
面白いの後、腹が出てくるのだから、腹をかかえて笑った、とかかるしかない。(何の値札みたいなの? ちゃんと取らなきゃ!って)
寂しいからこそ笑う。その笑いで泣く。