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第42段 誰が通ひ路 |
伊勢物語 第二部 第43段 しでの田長 |
第44段 馬の餞 |
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目次
・あらすじ(大意)
・原文対照
・現代語訳(逐語解説)
親王:女をおぼしめし
♀我のみと思ひ
♂あまたあれば
♀しでの田長①(ホトトギス)
(鳥の鳴き声で泣く泣く田植え)
♂しでの田長②(リアル田長)
(女を田植えにおぼし召すおっさん)
→夢見てんじゃね~よって。たらたらしてんじゃね~よ。
夢も希望もない生活。しでーなおい。
夢は必要。夢想じゃなくて真っ当な理想のことね。
この段は、一般に、女一人に男複数の恋愛話とされるが違う。
伊勢=恋愛という思い込みが誤り。それは源氏でも否定されるところ(伊勢の海の深き心。世の常のあだことのひきつくろひ飾れるに圧されて)。
一つ一つの言葉にも文脈にも全く恋愛要素がないことは自明。解釈とは素直な語義から離れてこじつけることではない。
ほととぎす(死出の田長)を渡り鳥で浮気性とみるのも違う。
全く意味不明かつ筋が通らない。上の筋に合わせたこじつけ。前提が間違っている以上、必然的に誤り。
これは、親王が女を所望したことを聞きつけて、いけると思った田舎の女に、夢見るシンデレラはいいから、必死で田植えしろと田長が言った話。
大まかな構造は上の目次の表記を参照。
しでのたをさ 【死出の田長】:
ほととぎすの別名。その声で田植えを始めさせる鳥。
しで(死出)は、田植えの忙殺にかり出されること。
田長は、田んぼで働く者の長。
合わせて、ホトトギスの鳴き声(トキを告げる声)を聞いて、みなが田植えに泣く泣くかり出されることを表わす。
一般に「死出の山を越えて来る鳥の意」などとされるが意味不明。死出の山とは何か? そういう根拠はどこにあるのか。
それ自体で明らかになるから説明や黙示という。それ自体で通っていない、かつ根拠を示さないのは説明ではない。ドグマ(無理解の正当化)。
よって誤り。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第43段 しでの田長 名のみ立つ | |||
むかし、 | むかし、 | 昔 | |
♂ | 賀陽親王と申す親王おはしましけり。 | かやのみこと申すみこおはしましけり。 | かやのみこと申すみこ おはしましけり。 |
その親王、女をおぼしめして、 | そのみこ、女をおぼしめして、 | 其みこ女を | |
いと賢う恵みつかう給ひけるを、 | いとかしこくめぐみつかうたまひけるを、 | いとかしこう。めしつかひたまひけり。 | |
人なまめきて有りけるを、 | 人なまめきてありけるを、 | いとなまめきて有けるを。 | |
わかき人はゆるさゞりけり。 | |||
我のみと思ひけるを、 | われのみと思けるを、 | 我のみと思ひけるを。 | |
又人聞きつけて、文やる。 | 又人きゝつけてふみやる。 | 又人きゝつけて文やる。 | |
ほととぎすの形を書きて、 | ほとゝぎすのかたをかきて、 | 郭公のかたをつくりて。 | |
♪ 80 |
ほととぎす 汝が泣く里のあまたあれば |
ほとゝぎす ながなくさとのあまたあれば |
時鳥 なかなく里のあまたあれは |
なほ疎まれぬ 思ふものから |
猶うとまれぬ 思ふものから |
猶うとまれぬ 思ふ物から |
|
といへり。 | といへり。 | といへりけり。 | |
この女、気色をとりて、 | この女、けしきをとりて、 | この女けしきをとりて。 | |
♪ 81 |
名のみたつ しでの田長はけさぞ鳴く |
名のみたつ しでのたおさはけさぞなく |
名のみたつ してのたおさはけさそなく |
庵あまた 疎まれぬれば |
いほりあまた とうとまれぬれば |
庵數多に 疎まれぬれは |
|
時は五月になむありける。 | 時はさ月になむありける。 | 一時はさ月になんありければ。 | |
男返し、 | おとこ、返し、 | 男又返し。 | |
♪ 82 |
いほり多き しでの田長はなほ頼む |
いほりおほき しでのたおさは猶たのむ |
いほり多き してのたおさは猶賴む |
わが住む里に 声し絶えずは |
わがすむさとに こゑしたえずは |
我すむ里に 聲したえすは |
|
むかし、賀陽親王と申す親王おはしましけり。
その親王、女をおぼしめして、いと賢う恵みつかう給ひけるを
むかし
賀陽親王と申す親王おはしましけり
かや親王という親王がおわしました。
賀陽親王(かやしんのう、794-871年≒77歳)
これは本人に意味があるのではなく、カヤを「庵」の萱とかけているとみる。
さらに41段の「かのあてなる男」とかけ、カヤ当てなる男と解く。その心は、カヤ親王は高貴(あて)だけども、当ててだけ。
その親王女をおぼしめして
その親王が女を所望されるという
いと賢う恵みつかう給ひけるを
とても賢い人がいいと、いとかしこくも有難い言葉をたまわったので、
(今までの流れでいえばただの皮肉)
人なまめきて有りけるを、我のみと思ひけるを、又人聞きつけて、文やる。
人なまめきて有りけるを
とある、なめまかしい人(女)がいて(それを聞きつけ)
なまめく:
色っぽい。現代のなまめかしいと同じ。後述の「気色」ともかけている。
さらには、前段の「色好み」ともかかり、からかい半分。つまり賢いといっているのに色っぽい人が反応したと。多分賢くない。
加えて、清らかという意味ではない。それは表面的かつ断片的に捉えただけ。それが皮肉(表皮)。本質・本意ではない。
我のみと思ひけるを
これ(に相応しいの)は自分だけだわあ、と思っていたら
又人聞きつけて文やる
またある人(後述の男)がそれを聞きつけて、文をやる。
※この「又」で前の省略を補う。
素朴に考えて親王の相手は沢山いるし、何やらずれていると。
ほととぎすの形を書きて、
ほととぎす 汝が泣く里の あまたあれば
なほ疎まれぬ 思ふものから
といへり。
ほととぎすの形を書きて
郭公の絵を描いて
(なぜ絵を書いているか。相手の知能にあわせて。そこまで「賢く」ないという表現)
ほととぎす
ながなく(▲汝が泣く)里の
あなたが、里で長らく泣くように
あまたあれば
あなたのような人があまたいれば
なほ疎まれぬ
やはりどこでも、とっても疎まれる
→前段で「なほはた得あらざりける」とあり、はた迷惑と読む。
思ふものから
と思うものだから、この文を送ったりました。
といへり
というもの。
え、やばない?? だけども、その心は、
あなたのような色物は、都には掃いて捨てるほどいるから無理でしょ。まして田舎の人。
シンデレラじゃなくて、もう死出の田植えでしょ。
この女、気色をとりて、
名のみたつ しでの田長は けさぞ鳴く
庵あまた 疎まれぬれば
時は五月になむありける。
この女気色をとりて
そこで女がその様子をうかがい、
(つまり上の「人」は女より立場が断然上である。有無を言わせぬほど)
けしきとる 【気色取る】:
①ようすを見て取る。意向を探る。
②機嫌を取る。
気色:
①顔色・機嫌。
②意向・おぼしめし・寵愛という意味があり、副次的にはその暗示。
つまり上の歌の人の①意向と、話の大元の原因たる②を、わかろうとしている。
なお、ここで「なまめき」が色とかかることも示す。
名のみたつ
あの有名な(天下の人にも名を響かせる)
(39段から引き続く文脈でこう解する。
天下の色好み(39段)、かのあてなる男(41段)、色好みと知る知る女(42段)。
これらはいずれも冗談なのだが、ここではそれを大真面目に言うというおかしさ)
しでの田長(たおさ)は
しでのたおさ 【死出の田長】:
ほととぎすの別名。田植えを知らせる鳥の意。
しで(死出)は、田植えの忙殺にかり出されること。田長は、田んぼで働く者達の長。
合わせて、その(鳴き)声を聞いてみながかり出されることを表わす。
つまりここでは、そういう言葉を知っているというアピール。
ほととぎす? あ~「しでの田長」ね、これだから田舎は困るわー。あー田舎つれー オラ京都さいくだ。
けさぞ鳴く
今朝も泣いて(そんなことで)
庵(いほり)あまた(△に)
ウチも沢山
いほ 【庵】:
①農作業用の小屋(ボロ小屋)
②自分(のウチ)をへりくだって言う言葉。ウチのボロ小屋。仮住まい。ウチ。
疎まれぬれば
疎まれるんですか
と泣く泣く。(41段「せむ方もなくてたゞ泣きに泣きけり」とかけて。)
ウチの里は庵沢山やから、都にいっても気後れしないねん! え、都って立派な庵が沢山あるトコじゃないの?
それはさておき、
これは女が今朝泣いたということと、ホトトギスが今朝鳴いたとかけ、死出の田植えが始まるという死亡フラグを意味している。
だから皆から疎まれるといっている。あ~田植えやと。
時は五月になむありける
時は五月のことであった。(ホラ)
男返し、
いほり多き しでの田長は なほ頼む
わが住む里に 声し絶えずは
もの疑はしさに詠めるなり。
男返し
男がこれに返して、
いほり多き
庵(農作業小屋)が多いというのだから
(仕事はいっぱいあるぞ)
しでの田長は なほ頼む
必死の田長は なほ頼む
わが住む里に
私が住む里では
声し絶えずは
だまってはたらけー
ざわ…ざわ…
つまり、この男は、この女の里の田長なのであった。
ちゃんちゃん。