むかし物をよく言い交わした女(小町)に、年ごろあって(時を経て)こう言った。
古の しづのをだまき くりかへし 昔を今に なすよしもがな
昔から 糸をまきまき くるくると 古からも してきたように。
をだまき:機織のため、糸を玉状に巻いて立てて置く装置。
これを玉の緒(魂の糸)とかけ、くりかえし回る輪廻を表現している。だから、昔と今で同じ事をしているなと。
したがって、冒頭の「むかし」とは、古という意味も含み、むしろそちらの方がメイン。
続く「年ごろ」も、そういう含みがある。
小町という理由は、男と縫殿でつながっているから。同じ六歌仙。小町は「いにしえのそとほりひめのりう」(古今)という。これが古からの絆。
昔の女に言い寄った? なぜそういう軽薄な内容に貶めるのか。だからどこぞのボンボンの話じゃなく、真面目な話だって。違うのもあるけども。
なお、古今で小町を衣通姫と書いたのは貫之でも、伊勢にある歌を業平の作と認定したのは貫之とは限らない。一人の一存では決まらないだろう。
加えて、古今で唯一ある衣通姫の歌は、墨で消されており、正本扱いではない(墨滅歌)。その歌のすぐ下に、貫之の歌が一緒に墨滅されている。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
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第32段 しづのをだまき(倭文の苧環) | 欠落 | ||
むかし、 | むかし、 | ||
♀ | ものいひける女に、年ごろありて、 | ものいひける女に、としごろありて、 | |
♪ 65 |
古の しづのをだまきくりかへし |
いにしへの しづのをだまきくりかへし |
|
昔を今に なすよしもがな |
むかしをいまに なすよしもがな |
||
といへりけれど、 | といへりけれど、 | ||
なにとも思はずやありけむ。 | なにともおもはずやありけむ。 | ||
むかし、ものいひける女に、年ごろありて、
古の しづのをだまき くりかへし
昔を今に なすよしもがな
といへりけれど、
なにとも思はずやありけむ。
むかし、
ものいひける女に、
よく口を聞いた女に、
(小町のこと。織物・縫殿(同じ仕事場・六歌仙)つながりで、小町針。
小町は「そとおりひめ(衣通姫)」の流と、古今集仮名序では称される。
この時代は一緒に糸をつむいだ間柄。それだと一緒にいられるでしょう。一緒にいても仕事しているのだから、恋に怠けていることにはならない。
もとが織姫なら織物は得意かと思いきや、何とも思わずやありけむ。)
ものいふ 【物言ふ】
:ここでは、よく色んなことを言い交わしたという意味。
男女が情を通じるという意味が与えられるが、それは本来かすかな暗示。直接の意味ではない。本末転倒。<呼び会う→よばひ→結婚!>くらい安直。
よくしゃべった→色々つきあったという意味。例えば<七夕伝説→情を交わす>っておかしいでしょう。そういう要素は大きくても、色々省きすぎ。
伊勢の著者、この国史上最高峰のみやび、千年を超えて残る繊細な感覚を、現代一般人のチャラい発想の枠組みにはめこみ、勝手に納得してはいけない。
よって、ここでは「むかし」のかかり方が他の段と違う。
年ごろありて、
長い年月がたって、
(これが、他の段でいう「むかし」)
年ごろ:長年・数年。
適齢という意味は、「昔」とのかかりから、ここではない。
古の
(古代。冒頭の「むかし」を限定している)
しづのをだまき(倭文の苧環)
倭文(しず=賤)
:日本の織物。唐物と対比させた、麻などの粗い織物。「倭」とは卑しい人と当てた象形文字。
苧環(をだまき)
:糸巻。機を織り用の糸をぐるぐる巻きにして立てるもの。
糸とかけて、30段の玉の緒とかかっている(糸を巻けば玉状)。
くりかへし
(同じところでクルクル回る→輪転→輪廻。
前々段の玉の緒とかかり、魂の糸・意図・つながり・運命の糸、その堂々巡り。
こういう内容だから、後世(鎌倉?)でも好まれたのだろう。詳しくは知らんけど)
昔を今に
昔していたことを今でも
なすよしもがな
しているようだな
といへりけれど、
と言ったが、
なにとも思はずやありけむ。
何とも思っていないようである。
そんな昔のことは覚えていない(その繰り返し)。
正確にいえば、記憶をヨミがえらせられない。思い出せない。
朱にまじわり赤くなってしまった。
(だからこの言葉は良い意味ではない=良くはならない。古代の叡智が矮小化して幼くなるという意味。その些細な一例が、この言葉の意味の混同)
それを覚えていたら、というのが竹取の内容。
だから20年でも片時。少々年とっても心幼い。