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第77段 安祥寺のみわざ |
伊勢物語 第三部 第78段 山科の宮 |
第79段 千ひろあるかげ |
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前段の安祥寺の法要後、右大将藤原常行が、庭園が面白い山科の宮に寄って遊んでいくことにした。
その宮(親王)は喜び、もてなしの支度をした。
ただ、手ぶらではいかんよなと、常行は謀(はかりごと)をした。
かつてウチが帝に献上した「いとおもしろき石」があるが、それがなぜかある人の御曹司の所にあるようだから、ここにこそ相応しいともってこさせた。
そしてただ石コロを転がすだけでは芸がないよなと、人々に歌を詠ます。
そこで「右馬頭なりける人」が、なぜか苔を刻みながら詠んだ。
あかねども 岩にぞかふる 色見えぬ 心を見せむ よしのなければ
あ…アカン、これ俺のとこの岩じゃね? 動揺を見せてはいけないッ! よし、見せぬ見せぬ…。
いや、つーか常行は知ってるからね。
これが、「いとおもしろき石」の話。
前段末尾からのかかりでいえば、そんなに面白くもないけど(いま見ればよくもあらざり)。
~
石がある「ある人の御曹司の」が「馬頭なりける人」というオチ。それ以外ない。
「み曹司」は65段(在原なりける男)で初出、その次に出てきたのがここ。だから確実。
居所という意味と、ボンボンの意味に明確に掛けている(65段では区別していた)。
なお、65段は、在原が後宮にのりこみ、女につきまとって流された最悪の文脈。
物語一の長さで描き、後宮(縫殿)に仕える著者が最も嫌悪した内容。
以上のかかりから、美しい献上とかいう話じゃない。勘違いしないように。
だから「謀り」とか「おもしろ」ってどういう意味なの。言葉を都合よく見ないで。語義に忠実にみて。
そういうかかりを一切無視して、無難に都合よくねじまげるのがこじつけ。
いや、というか単にそういうかかりに誰も気づいていない。だから好き勝手言える。
「馬頭」は業平。
76段「近衛府にさぶらひける翁」
77段「右馬頭なりける翁」から
本段「右馬頭なりける人」とかけて、もうろく・ばか。
76段は二条の后が入内前でも翁。それを古今が認定するから業平と認定するのだが、77段はそう見ない。いやもうどういう頭よ。
古今の認定があればなーんにも考えず、整合性も考えず、ただ従う。その集大成が主人公業平説。業平翼賛会。不都合は全部著者のこじつけ。
古今の認定がなぜこじつけでないの。勅撰だから? お上のお墨付きがあるから? ほんと繰り返すよな。
だから著者はそういう肩書を嫌悪している。実にどーでもいい。だから無名。二条の后も「ただ人」(3段)。
それを業平業平ってなんだよ。それこそがこじつけだろ。
馬某の長官とかはどうでもいい。いや、かけてはいるけど、時間の前後はどうでもいい。翁の意味わかります? 蔑称。在五も。五男てw
馬頭になるにはまだ早くて史実と矛盾? 皮肉にマジになってどうすんの。これら全部振り返ってる話ってのはいいよね。そこから?
中将とか大将とかだった人を、いちいち子供扱いしないと矛盾するわけ? 最高到達点に合わせてるだけでしょうが。
つか生まれてこのかた常に馬頭なんでないの。この阿保の子。
著者のこじつけ? 便利な言い訳だな。いやありえない。失礼すぎる。盗人猛々しい。それより「むかし男」を業平とみるこじつけ、何とかならんの。
文面・文脈を悉く無視して結論ありき。何がなんでも青○苔刻みでも全部美化する。それがこじつけ。苔で蒔絵を汚し君が代の風情? ありえない夢想。
最後の歌の内容が献上って何。意味不明。言葉と相容れないことを次々補って。
言葉から真逆に離れて夢想するのは解釈ではない。それは伊勢物語ではない。
言葉に含まれる意味に即して説明するのが解釈。事情を補うことではない。説明できないなら言葉の理解が足りてない。解釈の意味から解釈せんとあかんの?
「謀り」を相談? そんな意味あるの? ないでしょ。100歩譲って工夫などといっても、良い意味ではない。当り前。
読解力がなくてこじつけた不都合を、なぜすぐ著者のせいにするのか。
古典の中の古典の著者に対して、作法があまりになってないだろ。
最古レベルの古典、国風の基礎を築いた記述をいとも簡単に軽んじ馬鹿にする、そんな先進国あるか。
別に褒め称えろというわけではなくて、わからんなら、これは何を意図してこう表現したのか? この言葉一つ一つにまず意味があると考えてほしい。
全て意図している。矛盾があるならそれ自体意味を持たせている。そしてそれらは矛盾ではない。関係性を認識できないから、そう思うだけ。
そこまで安易ではない。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第78段 山科の宮 | |||
むかし、 | むかし、 | 昔 | |
多賀幾子と申す女御おはしましけり。 | たかきこと申す女御おはしましけり。 | きたのみこと申すみこいまそかりけり。 | |
田村の御門のみこにおはします。 | |||
失せ給ひて、 | うせ給て、 | そのみこうせ給ひて。 | |
なゝ七日のみわざ安祥寺にてしけり。 | なゝなぬかのみわざ安祥寺にてしけり。 | なゝ七日のみわざ安祥寺にてしけり。 | |
♂ | 右大将藤原常行といふ人 | 右大将ふぢはらのつねゆきといふ人 | 右大將藤原のつねゆきといふ人。 |
いまそかりけり。 | いまそかりけり。 | ||
そのみわざにまうで給ひてかへさに、 | そのみわざにまうで給ひて、かへさに | 其みわざにまいり給ひて。かへさに | |
山科の禅師の親王 | 山しなのぜんじのみこ | 山しなのぜんじのみこの | |
おはします、 | おはします、 | 御もとにまいり給ふに。 | |
その山科の宮に、 | その山しなの宮に、 | その山科の宮。 | |
滝落し、水走らせなどして、 | たきおとし、水はしらせなどして、 | 瀧おとし水はしらせなどして。 | |
おもしろく造られたるに、 | おもしろくつくられたるに | おもしろく作れり。 | |
まうで給うて、 | まうでたまうて、 | まうで給ふて。 | |
年ごろよそにはつかうまつれど、 | としごろよそにはつかうまつれど、 | 年比よそにはつかうまつれど。 | |
近くはいまだつかうまつらず。 | ちかくはいまだつかうまつらず。 | まだかくはまいらず。 | |
こよひはこゝにさぶらはむ | こよひはこゝにさぶらはむ、 | こよひはこてにさぶらはん | |
と申し給ふ。 | と申したまふ。 | と申給ふを。 | |
親王よろこび給うて、 | みこよろこびたまうて、 | みこよろこび給ひ。 | |
夜のおましの設けさせ給ふ。 | よるのおましのまうけせさせたまふ。 | よるのおまし所まうけさせ給ふ。 | |
さるに、かの大将出でて | さるに、この大将、いでゝ | この大將いでて。 | |
たばかり給ふやう、 | たばかりたまふやう、 | 人にたばかり給ふやう。 | |
宮仕への初めに、 | 宮づかへのはじめに、 | 宮づかへのはじめに | |
たゞなほやはあるべき。 | たゞなをやはあるべき。 | ただにやは有べき。 | |
三条の大行幸せし時、 | 三条のおほみゆきせし時、 | 三條にみゆき有し時。 | |
紀の国の千里の浜にありける、 | きのくにの千里のはまにありける、 | きのくにの千里の濱にありける | |
いとおもしろき石奉れりき。 | いとおもしろきいしたてまつれりき。 | いとおもしろき石奉れりき。 | |
大行幸ののち奉れりしかば、 | おほみゆきのゝちたてまつれりしかば、 | みゆきの後奉れりしかば。 | |
ある人の御曹司のまへに | ある人のみざうしのまへの | あるみさうしのまへの | |
溝にすゑたりしを、 | みぞにすへたりしを、 | みぞにすへたりしを。 | |
島好む君なり、 | しまこのみたまふきみなり。 | このみこのみ給ふものなり。 | |
この石を奉らむ | このいしをたてまつらむ、 | かの石をたてまつらん | |
とのたまひて、 | とのたまひて、 | とのたまひて。 | |
御随身、舎人してとりにつかはす。 | みずいじん、とねりしてとりにつかはす。 | とりにつかはす。 | |
いくばくもなくて持てきぬ。 | いくばくもなくてもてきぬ。 | いくばくもなくてもてきぬ。 | |
この石聞きしよりは見るはまされり。 | このいし、きゝしよりは、見るはまされり。 | この石きくよりは見るまさりたり。 | |
これをたゞに奉らばすゞろなるべし | これをたゞにたてまつらばすゞろなるべし | これをたゞにたてまつらば。すゞろなるべし | |
とて、人々に歌よませ給ふ。 | とて、人ゞにうたをよませたまふ。 | とて。人々に歌よませ給ふ。 | |
右馬頭なりける人のをなむ、 | みぎのむまのかみなりける人のをなむ、 | むまのかみなりける人よめり。 | |
青き苔をきざみて蒔絵のかたに、 | あおきこけをきざみて、まきゑのかたに | ||
この歌をつけて奉りける。 | このうたをつけてたてまつりける。 | ||
♪ 141 |
あかねども 岩にぞかふる色見えぬ |
あかねども いはにぞかふるいろ見えぬ |
あかねとも 岩にそかふる色みえぬ |
心を見せむ よしのなければ |
こゝろを見せむ よしのなければ |
心をみせん 由のなけれは |
|
となむよめりける。 | となむよめりける。 | この石は。あをきこけをきざみて。 | |
まきゑをしたらむやうにぞありける。 | |||
むかし、多賀幾子と申す女御おはしましけり。
失せ給ひて、なゝ七日のみわざ安祥寺にてしけり。
むかし多賀幾子と申す女御おはしましけり
むかしたかき子というおなごがおわせられたが
失せ給ひて
亡くなられ
なゝ七日のみわざ安祥寺にてしけり
七七日の法要を安祥寺で行った。
七七日(なななのか)
:四十九日。大練忌(だいれんき)、もっとも重要な法要とされる。忌明けの日。
みわざ:ここでは法要。
ここまで前段に引き続いていることを示す。
右大将藤原常行といふ人いまそかりけり。
そのみわざにまうで給ひてかへさに、
右大将藤原常行といふ人いまそかりけり
右大将藤原常行という人がいて、
つまり、多賀幾子と比較して普通の人扱い。
常行とは兄妹(?)の関係とされ、立場もあるのに。
したがって、これは意図的。後述の「謀り」ともあいまって、著者は全く良く思っていない。
したがって、馬頭などもこじつけなどではない。そこまでバカにされるとは。
そのみわざにまうで給ひてかへさに
その法要に参って、帰り道に
かへさ 【帰さ】
:帰りがけ。帰り道。
山科の禅師の親王おはします、
その山科の宮に、
滝落し水走らせなどしておもしろく造られたるに、まうで給うて、
年ごろよそにはつかうまつれど、近くはいまだつかう間つらず。
こよひはこゝにさぶらはむと申し給ふ。
親王よろこび給うて、夜のおましの設けさせ給ふ。
山科の禅師の親王おはします
山科で坊主をしている親王がいらっしゃった。
山科の禅師の親王:山科宮と称した人康親王。
禅師:禅定に達した高僧。一般に僧の尊敬語。
その山科の宮に
その山科の居所に
この物語では、宮を特に多義的に用いる。
滝落し水走らせなどしておもしろく造られたるに
滝を落として水を流すなどして、面白く作った庭園に
まうで給うて
(大将が)参って
年ごろよそにはつかうまつれど
長年(ここでない)よそに仕えたが
近くはいまだつかうまつらず
このような所に近い所には、まだ仕えたことがない
こよひはこゝにさぶらはむ
今夜はここでお仕え申し上げましょう。
さぶらふ 【侍ふ・候ふ】
:お仕え申し上げる。貴人のそばに仕える謙譲語。
と申し給ふ
と申し上げた。
ここで重ねていることは意図。皮肉。というよりギャグ。
親王よろこび給うて
親王は喜びなさって
夜のおましの設けさせ給ふ
夜の寝床の準備をさせなさった。
おまし 【御座】:
①御座所。天皇や貴人がいる場所。
②御敷物。①に用いられる物の意から、敷物・ふとんなど。
泊まり(遊び)にくるというから準備をした。ここに宴会を含めても良いが、この時点でギャグ。
主に泊まる準備させといて、仕えましょうってなんだよ。全然マジメに言っていない。
つまりこの段の話、以降全部ギャグ。おもしろ話。
さるに、かの大将出でてたばかり給ふやう、
宮仕への初めに、たゞなほやはあるべき。
三条の大行幸せし時、紀の国の千里の浜にありける、いとおもしろき石奉れりき。
大行幸ののち奉れりしかば、ある人の御曹司のまへに溝にすゑたりしを、
島好む君なり、この石を奉らむとのたまひて、
御随身、舎人してとりにつかはす。
さるに、かの大将出でて、たばかり給ふやう
そんなところ、かの大将が来て、謀りを言った。(確信的いやがらせ)
さる 【然る】
:そのよう。
たばかり 【謀り】
:計略。謀略。
相談(あるいは良い意味での工夫)という意味は、この言葉にない。
宮仕への初めに
(そういえば)宮仕えの初めに
たゞなほやはあるべき
確か、やはり、このようなことがあっただろうか、いやないだろうかと。
(これが謀りの意図)
ただ+なほ(やはり)+やは(反語)+あるべき
ただ=ジャストモーメント。
三条の大行幸せし時
「三条の大行幸」を常行の父良相の西三条邸に御幸したこと(866年)と解し、年代が違うという見解があるが、
そのような特定の出来事のことを言っていると決める根拠も、文脈上の意義もない。
行幸というのは話のただのカマセ。うち自体三条にあるなら、別にその時でなくても、ウチに天皇が来たと大きく言うこともあるだろう。
だから「謀り」。あったか(いやなかったか)という反語にしている。それにギャグの時はこうしてちゃんと前置きしている。
ギャグやネタに対して、全部マジになって「史実に反する」などと滑稽なことを言わないように。それは、俳諧の心かなにかですか?
紀の国の千里の浜にありける、いとおもしろき石奉れりき
和歌山の千里浜にあったとても面白い石を、差し上げた。
大行幸ののち奉れりしかば、ある人の御曹司のまへに溝にすゑたりしを、
島好む君なり、この石を奉らむとのたまひて、
御随身、舎人してとりにつかはす。
大行幸ののち奉れりしかば
大行幸の後で差し上げたのだが、
ある人の御曹司のまへに溝にすゑたりしを
(帝が)ある人の御屋敷の前の溝に据えたりしたので(特にいらんようだから)
ある人:馬頭なりける人
根拠:65段(在原なりける男)で「御曹司(ボン+ボン)」と称された。この言葉はこの時にしか出てきていない。
もちろん在原なりける男は「在五」(63段)にかけている。
ざうし【曹司】
:部屋。居室。貴族や上流武家の邸内に設ける子弟や従者の部屋。ここでは人と部屋をかけている。この意図(区別)は65段でも示された。
女性の部屋という限定はない。むしろ違う。それが最後。
なぜそうやってすぐ根拠がないのに勝手に限定するのだろうか。
島好む君なり、この石を奉らむとのたまひて
島を好む君なので、この石を(やっぱこの人に)差し上げようとのたまって、
君なので山科の君。「島」は水走らせとかけ。
御随身舎人してとりにつかはす
お供の者をして盗りにやらせたのであった。
ずいじん 【随身】
:貴人の外出のとき、朝廷の命令で護衛として従った者。近衛府の舎人などが務める。
とねり 【舎人】
:天皇・皇族などの身近に仕え、護衛・雑役などに携わる下級役人。
とりに:千里浜の石を現地まで取りに行ける訳ない。
よって一度人に上げたものを、大事にされてないようだから、と盗りにいかせた。しかも前もって。だから謀り。
いくばくもなくて持てきぬ。
この石聞きしよりは見るはまされり。
これをたゞに奉らばすゞろなるべし
とて、人々に歌よませ給ふ。
いくばくもなくて持てきぬ
時を待たずに持ってきた。
いくばく 【幾許】
:打消を伴い、いくらも。たいして。
この石聞きしよりは見るはまされり
おお、この石は聞きしに勝るな
(つまり以前も人にやらせただけ)
これをたゞに奉らば、すゞろなるべし
ここれをただ上げるだけでは、どうということもない(つまらん。苦労話をきかせにゃな)
すずろなり 【漫ろなり】
:何ということもない。
とて人々に歌よませ給ふ
といって、(前段に引き続き)人々に歌を詠ませた。
これは前段の文脈では、馬頭がまごつくフラグ。
右馬頭なりける人のをなむ、
青き苔をきざみて蒔絵のかたに、この歌をつけて奉りける。
あかねども 岩にぞかふる色見えぬ
心を見せむ よしのなければ
となむよめりける。
右馬頭なりける人のをなむ
右馬頭:役職名。
前段「右馬頭なりける翁」とのかかりから業平。
青き苔をきざみて
青い苔を刻んで
蒔絵のかたにこの歌をつけて奉りける
芸術を汚(けが)している。
しかしみんな苦労するよな。こんなの擁護して。
蒔絵のように仕立て? なわけない。
あかねども 岩にぞかふる 色見えぬ
心を見せむ よしのなければ
となむよめりける
あ~この岩、こいつのじゃん。
常行いかしてるわ。なんで「いとおもしろき石」。
親王を祝福? そんな言葉は存在しない。