海に浮かぶ「たはれ島(風流島)」by ウィキペディア
全く風流ではないのに、風流を当てるとはこれいかに。
その心は、風にも流れにも当てられている。
そう解するのが、風流。
あ~侘しくて寂しい風景だのう、
それを風流に見れる表現にしてしまう、それがワビサビの心や!
なんやてー
昔男が筑紫まで行き、「これはこれは、スキモンね」と簾の内の人が言うのを聞き、
近くの川に例え「染河渡っても色物と限らんて」(ここらを流しても、そういう目線ではない)と。
そこで女、あの有名な、有明海の「たはれ島」も濡れ衣着とるとよ(?)と。いや全然有名じゃないけども? ナニそれ。
その心は、ここではみなみな濡れて戯れるねん。あんたもワタシも仲良く濡れ衣(イワれのない罪)きましょ。
つまりこの時代、筑紫は湯浴みとかかり(竹取、古今387。後述)、この段は湯女との会話。
簾の内とはその文脈での用語。
「このお方はあの有名な色好み(助平の○平)や!」と女が声をかけるという趣旨の訳 →×
簾の内にいる意味を全く無視している。普通の人が簾の内にいるなら、軽々しく声などかけない。いや、その時点で普通ではないが。
それに察知能力が異常。なぜ一瞬で有名な色好みとわかるのか。それは物語だからではなく、見立てがおかしい。
そうして女が声をかけながら、色街の話としているわけでもない。
こういうテキトーな認定は、全体に言える。
たはれ島(ただの岩礁)は、有名というか有明にかけたギャグ(伊勢から他作品等に波及したかもしれないが)。
その証拠に、現在に至るまで「たはれ島」の解釈がおかしい。
人も満足に上がれないただの岩を、浮気な島・淫行する島だって。どうしてそうなるの。ここでナニができるの? 無理でしょ。
有名とかは、著者には皮肉(39段・源の至。天下の色好み)。だから匿名。
だからこの物語も助平じゃなかった業平の話ではない。その人は登場段全てで非難している(63段、65段~106段)。
なんでもかんでも色目線。おかしいね。そういう内容。
いやでもそういう所を歩いたら、普通はそう見られる。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第61段 染河 | |||
♂ | むかし、男、 | むかし、をとこ、 | 昔 |
筑紫までいきたるに、 | つくしまでいきたりけるに、 | つくしまでいきたりける男有けり。 | |
これは色好むといふすきものと | これはいろこのむといふすき物と | これはいろこのむなるすきものぞと。 | |
簾のうちなる人の、 | すだれのうちなる人の | すだれのうちなる人の | |
いひけるを聞きて、 | いひけるをきゝて、 | いひけるをきゝて。男。 | |
♪ 110 |
染河を 渡らむ人のいかでかは |
そめがはを わたらむ人のいかでかは |
染河を 渡らん人のいかてかは |
色になるてふ ことのなからむ |
いろになるてふ ことのなからむ |
色になるてふ ことなかるへき (のなからん一本) |
|
女、返し、 | 女、返し、 | 女返し。 | |
♪ 111 |
名にし負はば あだにぞあるべき たはれ島 |
名にしおはゞ あだにぞあるべき たはれじま |
名にしおはゝ あたにそ思ふ (あるへき一本) たはれ嶋 |
浪の濡れ衣 着るといふなり |
なみのぬれぎぬ きるといふなり |
浪の濡衣 きるといふ也 |
|
むかし、男、筑紫までいきたるに、
これは色好むといふすきものと簾のうちなる人の、いひけるを聞きて、
染河を 渡らむ人のいかでかは
色になるてふ ことのなからむ
むかし男
むかし男が、
筑紫までいきたるに
筑紫までいったところ
筑紫とくれば、まず「湯浴み」(温泉)。
筑紫:福岡の一部だが、
これはこの時代、普通の意味ではなく湯女・遊女の暗語。前段の宇佐(大分)ともかけ。
しかし、行ったのは仕事の流れで(ただし前段は接待される内容だった。しかも女に。文脈は違うが)。
竹取筑紫の國に湯あみに罷らん
古今387源のさねかつくしへゆあみむとてまかりける
そして、古今の歌は白女という遊女の歌。
説明が符合しているが、これは古今が竹取を参照しているということ。
→古今集仮名序ふじのけぶりによそへて人をこひ
いまはふじのやまもけぶりたゝずなり
これは色好むといふすきものと
これはこれは。あんたもスキね、スキモンねと。
簾のうちなる人のいひけるを聞きて
簾の内にいる人が言うのを聞いて、
つまり遊女の営業。
そういう写真があるだろう。檻の中にいるみたいなやつ。
それを
「キャー!あの有名な!○平?色好みのお方ね!」というのは、ない(まして簾で顔を隠しているのに)。
どこまで名を轟かせているのかと。そもそも何を根拠に○平なのかと。
それはただ「筑紫」の含みを知らないだけ。
それに、男の「天(の)下の色好み」は、その素行と頭の悪さ・下品さを明らしめた(バカにした)表現だった(39段・源の至)。
染河を
福岡県中部、太宰府天満宮付近を流れる御笠川。逢初川。
前段宇佐八幡ともかかる。
渡らむ人のいかでかは
渡ろうとする人は、どうしても
色になるてふ
色になるという
ことのなからむ
こともなかろう
その心は、染川辺り(遊郭付近)を流しているといっても、必ずしも色物とは限らんだろ。
(色眼鏡でみんといて。好きは好きでも、風流のほうやねん。ここに来たのも社会見学)
この点、
ここに染まるしかないなどと見たり、あるいは、自分は違うがこの地のせいで染まったなととするのは、あまりに軽薄で、人として無責任な解釈。
女、返し、
名にし負はば あだにぞあるべき
たはれ島
浪の濡れ衣 着るといふなり
女返し
女が返し
名にし負はば
あの有名な
これは後述の「有明」と、潮にかけている。
この時点で著者の歌と確定。このレベルの芸当(当て)をしれっとするのは著者以外ない。
つまり遊女・芸者の心の声の翻案。
あだにぞあるべき
ニックキカタキの
(? その心は、いよっニクイね! 流石伊達じゃないね! とこちらは適当にあてた)
たはれ島
風流島(たはれじま・たわれじま)
:熊本県宇土の有明海に浮かぶ岩礁。
前段の宇佐ともかかる。
地名と意味は関係ない? ナンセンス。
意味があるから幾重にもかかっている。
浪の濡れ衣
着るといふなり
え、ちょーっと何いってるかわかんない。たはれって何? 誰もしらんし。
一般の訳は「たはれ島」を浮気島とか淫行する島とかいうけど、全然意味わかんない。ただの岩だからね? 大丈夫? 訳すならもうちょっと責任もって。
つまりその心は、こういう所にいるんだから、川とかじゃのうて浪かぶるっきゃないっしょ。男ならビッグにIKEA(海なのに池とはこれいかに)。
風流だか、何モンだかしらんけど、そういう汚名は大人しくかぶるもんやねん。
ここは湯浴み所だから、みなみな服濡れるねん。
アンタもワタシも、否が応でも、濡れ衣(無実の罪)かぶってたはむれる、そういう所とよ(?)
いや、そっちは明らかに無実じゃないじゃん! そういうオチ。
いやでもそういう立場の女性、別にばかにしてるわけじゃないので。
14段(陸奥の国)で声かけられて、ついつい思い入れた淡い思い出(15段・しのぶ山)。そして今は色々流れてしょっぱい海水に。
あ、だからやっぱり、こっちも無実じゃなかったわ。だから無名なのね。
このかかり、さすがにわかるよね。
そうして誰かにはわかってもらえると思ったら、全くあべこべに見られ続けたのが、この物語。
だから「色好み」ってそういう意味じゃねーって。
いやもちろんそういうヤらしい意味もあるけど、そういう賤しい意味にしか見れないのは、みやび(風流)ではないと物語全体で言っているの。
だから、遊女にウイットに富んだことをイワせているの。本人達が言えるわけないじゃない。現代の学者達でも容易にわからないようなかかりを。