伊勢物語 7段:かへる浪 あらすじ・原文・現代語訳

第6段
芥河
伊勢物語
第一部
第7段
かへる浪
第8段
浅間の嶽

 
 目次
 
 ・あらすじ(大意)
 
 ・原文対照 
 
 ・現代語訳(逐語解説)
 
 

あらすじ

 
 
 むかし男が京を発ち、伊勢と尾張の間の海面(伊勢湾)を行くとき、浪がいと白く立つのをみて、「いとどしく(あ、めっちゃやばい)」の歌を詠んだ。
 

 「かへる浪かな」で帰るかな。ザッツオール。
 
 でもオールじゃなくてセイルやねん。帆ぉ~
 
 その心は誰もよーせん(洋船)。 なに浪を無視している? 男は涙と言わない。あっ、波が目に入った! という歌である。

 

 「うらやまし」は仕事で帰れないから。つまり昔男は①二条の后に仕え(古今8,455)②三河の掾として赴任した文屋(古今938)。①②共に古今に独立した根拠がある。昔男の歌を業平のものとした古今の認定以外に業平には昔男と符合する実質的記録が何一つない。そして古今の業平の歌は伊勢物語の歌しかない。つまり業平から伊勢物語を取れば歌仙たる根拠は何もない(これが重要)、それは素性不明で圧倒的影響力(面白さ)を誇った和歌の手本を、卑官の作品とすることを断固認められない貴族と学者達が、正体不明であることに乗じて現状のようにおつむの緩い業平の物語と一方的にみなしたからであり(そのレベルが相手だから解釈が頓珍漢でもそういうものと正当化できる)、それで今に至るまで何の問題もなく筋が通る文屋を断固黙殺し続けている。多角的証拠に基づかず自分達が納得しやすい・御しやすい・受け入れやすいことが真実と思う人達。
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第7段 かへる浪 尾張のあはひ
   
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  昔男ありけり。
  京にありわびて東にいきけるに、 京にありわびて、あづまにいきけるに、 京にありわびて。あづまへゆきけるに。
  伊勢・尾張のあはひの海づらを行くに、 伊勢おはりのあはひのうみづらをゆくに、 伊勢おはりのあはひの海づらをゆくに。
  浪のいと白くたつを見て、 なみのいとしろくたつを見て、 なみのいとしろくたちかへるを見て。
      おもふ事なきならねば。おとこ。
       
♪8 いとゞしく
過ぎ行く方の恋しきに
いとゞしく
すぎゆく方のこひしきに
いとゝしく
過行かたの戀しきに
 うらやましくも
 かへる浪かな
 うらやましくも
 かへるなみ哉
 うらやましくも
 かへる浪哉
       
   となむよめける。 となむよめりける。  
   

現代語訳

 
 

むかし、男ありけり。
京にありわびて東にいきけるに、
伊勢・尾張のあはひの海づらを行くに、浪のいと白くたつを見て、

 

 むかし、男がいた。京にいることが、わびさびしくてとかけ、気落ちして都落ちという心で、あずましく(居心地が良いように)と東に行ったが、
(※あずましくは冗談。普通にみれば、仕事で行っている。任地が三河になった時の話。9段:東下りはそのくだり。○平とは無関係。前段参照)
 

 伊勢と尾張の間の海づら(海面つまり伊勢湾)を行くに、波のいと白く立つのを見て
(なにを意図したか)
 

いとゞしく 過ぎ行く方の 恋しきに うらやましくも かへる浪かな
 
となむよめける。

 
 いとどしく(更に東に・いさましく) 過ぎ行く方の (肩越しの) 
 (湊と都の) 恋しさに 裏ではやましく 帰る心の涙こと 
 

 などと、浪といとどにかけてよんだ。いかがだろうか、並だったろうかと、そんなことを問いかける人もいない。
 ちなみに、湊とは人が集まるところという意味。そしてもちろん津という港にもかけている。
 

 「かえる浪かな」=かえ(る)ろうかな。
 なん津って。ジョークじゃなくてマジでござるよ。マジ=真剣を逆にして剣心。だから普段は不真面目。え、すごくない? (返事がない…)
 っつーことは。著者も普段はふつーにしていたが、本気出した時マジ無双すると。それがこの物語のレベル。だから誰も身元を特定できないわけ。
 しかしその実力の片鱗が、地味~な役人なのになぜか六歌仙。貴族や坊主などの支持母体もなくこの名称。最高の実力者しかありえない。片鱗でこれ。
 そら、伊勢やら伊勢湾やら書けるわけ。実に自然。どこにも無理がない。○平はこの物語で勝手に騒がれ、勝手についてきたオマケ。それが前段の話。