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第18段 白菊 |
伊勢物語 第一部 第19段 天雲のよそ |
第20段 楓のもみぢ |
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昔男が、宮仕えしていた女方で女の方と知り合い、そして別れた。
しかし同じ所に(仕えて)いたので、女の目に入る所にいた。そのことを男はそこまで気にとめていなかったが、ある時、文(歌)を渡された。
天雲(あまくも)にかけ、「よその子にもそんなにあまくするなんて、あまりにめにあまる」と。その心は、雲のようにかる~く移り気だねと。
男は、これに返し(軽くゾっとし)「私の上の雲は(雨が)フっても移っていかない」と。その心は、かみなりこわいわ、いや振ってるよねと。
そうやって雷様を追い返し、また他の女と(仕事の)話に戻ったのであった。いやでも仕事は楽しく、互いに優しくする方がいいでしょう。
楽しいと不真面目とか優しくすると移り気とか、安易に混同しないでほしい。そんなん身がいくつあっても足りない。何より発想が幼いと。
~
なお、この歌の男女を、古今集では業平とその妻(紀有常の娘)としているが、これは違う。業平の歌という前提が成り立たない。
つまり細部を全く無視し、女が沢山出てくる=業平の日記とみなした。その勝手な認定を根拠に伊勢の歌を業平のものと、こじつけ続ける(循環)。
しかし、肝心の伊勢は業平の人格を端的に否定している(63段「在五」「けぢめ見せぬ心」、65段で後宮に「人の見るをも知でのぼりゐければ」)。
本段で「おなじ所」というように、女に囲まれていたのは仕事だから。縫殿の六歌仙。縫殿は後宮で女官人事をも担当する。
だから、65段では内部目線で記述しているし、後宮の局などの記述(31段)が出てくるし、そして二条の后とも近い。
古今集のその男の詞書には二条の后が二回も出てくる。二条の后という詞書は業平2つ・文屋2つだが、つまりいずれも後者の歌による。
業平の歌というのはいずれも伊勢のものでしかない。そしてその認定は誤り。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第19段 天雲のよそ | |||
♂ | むかし、男、 | むかし、おとこ、 | 昔男。 |
宮仕へしける女の方に、 | みやづかへしける女のかたに、 | みやづかへしける女・[の方にイ] | |
御達なりける人をあひ知りたりける。 | ごたちなりける人をあひしりたりける。 | ごたちなりける人をあひしれりけり。 | |
ほどもなくかれにけり。 | ほどもなくかれにけり。 | ほどもなくかれにけり。 | |
おなじ所なれば、 | おなじ所なれば、 | おなじところなりければ。 | |
女の目には見ゆるものから、 | 女のめには見ゆるものから、 | さすがに女のめには見ゆるものから。 | |
男はあるものかと思ひたらず。 | おとこはある物かとも思たらず、 | 男はあるものにもおもひたらねば。 | |
女、 | 女、 | をんな。 | |
♪ 32 |
天雲の よそにも人のなりゆくか |
あまぐもの よそにも人のなりゆくか |
天雲の よそにも人のなりゆくか |
さすがに目には 見ゆるものから |
さすがにめには 見ゆる物から |
流石にめには 見ゆる物から |
|
とよめりければ、男、返し、 | とよめりければ、おとこ、返し、 | とよめりければ。おとこ。 | |
♪ 33 |
天雲の よそにのみして経ることは |
あまぐもの よそにのみしてふることは |
行かヘり 空にのみしてふることは |
わが居る山の 風はやみなり |
わがゐる山の 風はやみなり |
我いる山の 風はやみなり |
|
とよめりけるは、 | とよめりけるは、 | とよめるは。 | |
また男 | またおとこ | あまた男 | |
ある人となむいひける。 | なる人なむといひける。 | ある女になむありける。 | |
むかし、男、
宮仕へしける女の方に、御達なりける人をあひ知りたりける。
ほどもなくかれにけり。
おなじ所なれば、女の目には見ゆるものから、男はあるものかと思ひたらず。
むかし、男、
むかし男が、
(この男=つまり主人公を、古今集をはじめとして業平と認定するが違う。
現状のように、憶測(=噂)で、安易かつ便宜的にみなされているだけ。
大元の根拠のない認定が、細部にまで波及した。その憶測に無理にひきつけ、言葉に忠実に解釈しない。だから各所で矛盾がでる。
この点は少々長くなるので、最後に段を分けて述べる。)
宮仕へしける女の方に、
宮仕えしている女方の女の方で、
(女の方:
ある女の方という人物と、
勤め先の女方という場所をかけている。
女方:女のいる所。女のはべる所
宮:二条。続く御達(位の高い女性)とあわせ、後宮)
御達なりける人をあひ知りたりける。
とある女の方と、あい知り合った(が)。
(ごたち (御達):
ご婦人。上級の身分のある女房に対する敬称。
ほどもなくかれにけり。
ほどなく、別れた。
(その仲は長くは続かなかった。
「かれ(離れ)」としたのは、
前段で枯れ菊を送ってきた女とかけている。
つまりそういうことが原因。だからこの段の歌もそう)
おなじ所なれば、
同じ所であった(だから出会った)ので、
(しかし、同じ所に勤めていたので、
(△さすがに)女の目には見ゆるものから、
女の目に見える(入る)ものであるから、
男はあるものかと思ひたらず。
男は見られているとは思い至らなかった。
(つまり彼と離れとかけ、そうそう見えていないと思っていたが、
物理的に近いだけあって、そう甘くはなかったということ)
このような一連の表現、常に見られていたという内容からも男は業平ではない。この点の説明は最後にまとめてするが、
つまり、男が女方に常に勤めているとみなければおかしい。歌の内容は、他の女の方にも甘くしていると嫉妬した内容。
女、
天雲の よそにも人の なりゆくか
さすがに目には 見ゆるものから
とよめりければ、
女、
女が
(この女を、古今集は紀有常の娘、つまり業平の妻と認定しているが、この見解は業平説から派生した後づけと見るべき。
何より「同じ所」の記述、「女の目に見ゆる」などの流れと、全く相容れない。言葉も文脈も全部断片的に、バラバラ分解して捉えるからそうなる。
なお伊勢が古今を参照したとみるのも無理。共通の別のソースを想定するのも、ご都合主義。
つまりこの物語の読みがあまりに断片的だから、簡単にそんなことを思える。その行き着いた先・象徴的見解が、複数人合作説。これはあまりにも。)
天雲の
(枕=布石)
よそにも人の なりゆくか
よその人にも、甘くもするか
(雲がフワフワ・あっちゃこっちゃ、気ままに移っていくように)
さすがに目には
さすがに目にも
見ゆるものから
あまるものだから
(あまくも=天雲とかけ)
とよめりければ、
と詠んで送ってきたので、
男、返し、
天雲の よそにのみして 経ることは
わが居る山の 風はやみなり
とよめりけるは、
また男ある人となむいひける。
男、返し、
男が返事をし、
(返しているということは、無視していない。
というのも前段で送られてきた、
しぼんだ菊を送ってきただけの時には「返し」ていない。
だって失礼でしょう。ここでは返して誠意は見せている)
あまぐもの
(天雲→雨雲)
よそにのみして 経ることは
よそにだけ甘くして、あなたを振るとみることは
わが居る山の
わたしがいる所の(だけ)
風はやみなり
風は止んでいるようだ。
??
(つまりよく考えてと。
頭上から雲が動かない。おかしいね。
やみなり→かみなり? こわいね。
だから、気分晴らしてって。
天気はみな平等。自分の都合の良い見方で、好き勝手言うのは違う。
だから、みんなに優しくしている。男は女に優しくする、それは作法でしょうと。
作法を守れない人には、優しくできないよ)
とよめりけるは、
と詠んだらば、
(なお、このように枕を合わせることは、前段も同じ。
そういう関係の暗示。そうやって誠意は見せている)
(△あ)また男
男はまた、
ある人となむいひける。(△なむありける)
ある人(女達)と話すこと(仕事)に戻ったのであった。
(女達は、御達の布石とあいまって、このように解釈すべき。)
この段で、この男の仕事に関連し、
女の方とおなじ所にいる、つまり女所・女方にいる、という記述があるので、この点について詳しく説明しよう。
端的にいえば、この物語の男が「宮仕え」とする場合、基本的には、後宮辺りで仕えていることと見るべき。
後宮とは、勿論、女の侍る(沢山いる+ひかえる)ところ。
だから、二条の后とかも出てくる。
65段『在原なりける男』には、女方に関して以下の記述がある。
「殿上にさぶらひける在原なりける男の、まだいと若かりけるを、この女あひ知りたりけり。
男、女方ゆるされたりければ、……例の、このみ曹司には、人の見るをも知でのぼりゐければ、この女思ひわびて里へゆく。」
ここから分かることは、以下の通り。
①殿上と女方は、領分が明確に区別されていること、
②「ゆるされた」とあるから、通常、殿上人でも許可なく入れないこと(逆にいえば「在原なりける」は、本来資格はなかったが、コネで入った)。
③以上より、普通の男を、仕事先が女方と「おなじ所」と解することは難しいこと。(よほどの特異事情がない限り。男を在原とみれば、無理。)
④この物語の著者は、物語全体に一貫し、女所を内部の目線で描写していること。(65段、3-5段の二条の后関連、39段「源の至」等。これが特異事情)
したがって、ここでの男(むかし、男=著者)は、女方に勤めていた男とみるのが自然(軍人の業平に、そんな記録はないだろう)。
女にまみれて仕事をする男(いってみれば三助)が、どういう目線で見られるか。もちろん高くはない(が、その経験を伊勢物語等に昇華させた)
そしてそのような役職についていた男が、六歌仙にいる(縫殿)。
その男には三河に赴任した記録があり(伊勢最大の象徴・東下りの段は、三河に着くところから始まる)、
加えてその男には、伊勢物語と全く独立して、二条の后の前で歌った記録が残っている(古今8、445)。
そして古今集で「二条の后春宮のみやすん所と申しける時に」から始まる詞書を、伊勢から独立して持っているのは、その男(文屋)のみ。しかも二つも。
これはもちろん、伊勢物語の象徴的なフレーズ。「むかし、男」の次に象徴的。
以上より、伊勢物語の著者(昔男)は、文屋と解するほかない。実力も十分。
だから、ただの役人なのに六歌仙と称される。
業平が六歌仙とされたのは伊勢があったから。
だから伊勢の歌が業平によるものではないとなれば、その称号に根拠は全くない。つまりそもそもの古今の認定がおかしい。
おかしいのに詞書を根拠にするのはどういうことかというと、貫之と他の撰者達の(つまり昔と今の一般の)意見が違っていたと見るから。
だから、伊勢の歌を業平と認定することと相容れない配置と説明を各所に散りばめている。そして古今に唯一収録される高子(4)に近いのは文屋(8)。
『在五が物語』とは、端的にいえば63段。物語全体ではない。さらに65段「在原なりける男」など、この辺りの話。
伊勢はこういう主体は明確に区別している。むかし男はあくまでむかし男。在五ではない。
それなら匿名にしている意味がないし、なにより在五のことは非難している。
「むかし男」の父は「ただ人」などの説明も相容れない(10段)。
こういう全体及び細部の記述を悉く無視して、主人公を業平の異名で呼んでいるなどとしてしまうのが、現状の滅茶苦茶な理解。
縫殿=服に詳しいから、初段が狩衣や信夫摺りという話をし、東下りの段でも、唐衣という宮中のしかも女物の服(十二単衣)を、男が持ち出す。
こう解すれば全て一貫する。そう見ないから、全てがちぐはぐ。
なお六歌仙に一人だけいる小町には、小町針というエピソードがある。したがって、両者が縫殿にいたと見れば素直に通る。
つまり、文屋が作詞で小町が歌った。実によく通る。なぜそうするかというと現代と同じ文脈。恋歌は女の子の方がいいというのもある。
加えて、小町針とは言い寄る男を拒絶しまくる話であるが、伊勢物語と双璧をなすとされる竹取物語は、まさにそういう物語。ということでそちらもそう。
業平説は、古今の認定が根本にある。古今は和歌における最大の権威の一つだから、それを参照して、無理があってもしぶとく残り続けると。
しかし、その認定はこうみれる。現状のような安易な一般の説(撰者達の多数決)に反し、貫之は違う認定をした(一人だけ。つまり文屋と接点があった)。
それが8・9の歌の配置。仮名序、全体の配置に示される(古今で先頭連続は、文屋・小町・敏行の三者のみ。そして業平は敏行=義弟に連続が崩される)。
16段で紀有常を大事にした描写があることからも、そのつながりで歌に熱心な貫之に何らかの教示をしたとみても、何の不思議もない。むしろよく通る。
このように、著者を文屋とみれば、あらゆる記述が無理なく符合し、さらに伊勢以外の独立した記録とも符合する。
こうみれば、現状のように伊勢の著者と「むかし男」を、無理に別人と解する必要も何もない。
何より、和歌最大の権威が伊勢。
その影響力は古今より強いのだから、その伊勢が、一々ちまちま、どこぞの歌集を参照し、そのツギハギで作ったと見るのは、著しく不自然。
これは、古今の詞書の伊勢への偏重ぶりからもそういえる。初段のように歌を引用する場合は、それをそうとちゃんと示している。
つまり論理が逆。この段の女のように自分の都合で見ている。自分達の認定を何とか維持しようとして、そう見ているだけ。
前提に無理があるから、それを維持しようとしても、どんどん錯綜していく。それをいくら積み上げても、砂上の何とか。