「年頃」訪れていないと言う(年頃の)人にかけた歌のやりとり。そして、この段は「昔」から始まらない唯一の段。
桜花からはじまり、雪がふるとかの言葉がでてくる。花は女性、雪が降るとは、気分が急に変わることの象徴表現。だから昔とかけない(女を)。
「消えずは有りとも」とは、前段からの紀有常とかけて、紀の家の有友とかけた友達の話。しかし内容は有友に関係ないので、紀のせいでしょう。
紀のともしびは消えないねん! って、あ~きえてもうた!
いや、真面目にいえば、前段の真面目な話に続けて、有常にした友達(著者)のおかしなお話。
東下りの段のように、前後でバランスをとっている。前段末尾の「あるは涙の降る」が、この段で雪が降るふらないの話にかかっている。
なお、この段の歌は業平とは全く関係ない(末尾で説明)。
端的にいえば、この物語の主体を業平と解する文面上の根拠がない。古今の認定以外に根拠がない。少なくとも物語中には存在しない(むしろ否定する)。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
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第17段 年にまれなる人 | |||
? | 年ごろおとづれざりける人の、 | としごろ、をとづれざりける人の、 | 昔。年比音信ざりける人の。 |
桜の盛りに見に来たりければ、あるじ、 | さくらのさかりに見にきたりければ、あるじ | 櫻見に來たりければ。あるじ。 | |
♪ 28 |
あだなりと 名にこそたてれ桜花 |
あだなりと 名にこそたてれさくら花 |
あたなりと なに社たてれ櫻花 |
年にまれなる 人も待けり |
としにまれなる 人もまちけり |
としにまれなる 人もまちけり |
|
返し、 | 返し、 | 返し。 | |
♪ 29 |
今日来ずは 明日は雪とぞ降りなまし |
けふこずば あすは雪とぞふりなまし |
けふこすは あすは雪とそ降なまし |
消えずはありとも 花と見ましや |
きえずは有とも 花と見ましや |
消すは有と 花とみましや |
|
年ごろおとづれざりける人の、
桜の盛りに見に来たりければ、あるじ、
あだなりと 名にこそたてれ 桜花
年にまれなる 人も待けり
年ごろおとづれざりける人の、
数年来来ていなかった人が
(年頃:長年の間。長年。数年間。数年来。
→女にかかる(暗示する)言葉。いわゆる序詞)
桜の盛りに見に来たりければ、
桜の盛りに(突如)見に来たので、
(花の盛り≒女盛り=成熟した女性。
ここでは歌にあるように桜=花。)
あるじ、
その家の主が、
あだなりと
(あだなり (徒なり):
①はかない・もろい(本命の意味)
②不誠実・浮気、疎略=ぞんざい)
名にこそたてれ桜花
その名を立てる桜花(=このワタシ)
(①=綺麗・繊細
②=サクラ→演技)
年にまれなる
まれにしかみえない(浮気な)
人も待(まち)けり
人でも待ち侍りけり(誠実に)
※つまり、ウチ(家≒ワタシ)が大事なんじゃないん? という歌。
こんな花盛りなのによーみーひんで(構ってくれない)。
主とあるが、こう見れば女性の歌としかいえない。
冒頭のおかしな「年頃」もそれを暗示している。普通なら長年なのに、あえて年頃。
返し、
今日来ずは 明日は雪とぞ 降りなまし
消えずはありとも 花と見ましや
返し、
来た人が返すには、
今日来ずは
今日こなければ、
明日は雪とぞ降りなまし
明日には雪も降って
(なまし:
きっと…〔事実と反する仮想〕
いっそのこと…たものだろうか。〔疑問語を伴ってためらいの気持ち〕)
…してしまえばよかったのに〔実現不可能な希望〕)。
消えずはありとも
消えてしま……わずにあると思いますが?
花と見ましや
花と見えますが?
(貴方は雪が降ってもそんなことで散るような花ではない。だって盛りなんだもの)
→たまにしかこない…? いやいや、そんなことないでしょう。
今日明日としたのは、昨日今日で何いっているのと。
明日は雪かな?
→なにを突然変なこと言い出すの。女心と春の空とかけ、突如いつもと全然違う(サムい)ことを吹いて言い出すの意味。(気分の急変)
突然来た風の人とかけ、突然北風。つまり、女が突如、ずっと捨て置かれた風のサムい演技をした歌であった。これが冒頭のおかしな「年頃」の意味。
いや、もちろん笑い話です。コントコント。今きたよ遅いよ師匠。懲りずに来たのに全然コントいうのや。どないせーっつーの。そういう話。
なお、この歌は業平作と古今集では認定されているが(春上63)、業平の作ではない。
なぜなら、その根拠になる記述はどこにもない。そんな知性・ウイットもないだろう。
むしろ明確に否定し(65段。人目をしのばず女に言い寄る在原)、相容れない描写は山ほどある(常に人目を忍ぶ性格。10段と84段。父はただの人)。
なにをおかしなことを言い出すのかと。つまり、女のことばかりだから業平、という安易な決めつけでそうなっただけ。
この時代、男女関係の認識は全く未熟。だからこういう認識になる。それをあらわしたのが竹取。ひたすらズレまくった男達の描写。
伊勢・竹取が発端になり、古今を経て、恋愛の文化が始まった。そしたらオッサン達までナヨナヨした歌を。だから小町に歌ってもらっていたのにと。
それまでは、いくら人麻呂が歌おうと下品な色物扱いされていた。自分達の発想で下品と認定する。だから業平説の人は発想がそのようである。