論語17-25 子曰 唯女子与小人(憎まれ愚痴):原文対訳

人之悪 論語
陽貨第十七
25
女子与小人
四十而見悪
原文 書き下し
漢文叢書
現代語訳
独自
子曰 子曰く、 孔子曰く、

女子與
小人

難養也
唯たゞ
女子じよしと
小人せうじんとは
養やしなひ難がたし
と為なす、
ただ、
女子と
小人は、
養い難い
ものである。
    ※女子と小人:孔子の妻子。後で詳述。
16-14で「君夫人」がいう「寡小君」
と同じへりくだり。
従来の説は婢妾・下僕とするようだが
論語の文脈に全く根拠がなく不適当。
近之
則不逊
之これを近ちかづくれば
則すなはち不孫ふそんなり、
これと近しくすると(互いに
適度な距離感・節度がなくなり、
遠之
則怨
之これを遠とほざくれば
則すなはち怨うらむ。
これを遠慮して距離をとると
恨むものだから。
    「不遜」は謙遜する邦君之妻と対照(16-14)
それは孔子の息子の章直後(16-13)にある。
裏返せばそれだけ濃い関係。
次章及び三年の父母の愛(17-21)参照。
なお、孔子家系図は世界一とギネス認定
    以下、下村湖人の訳
    × 先師がいわれた。
「女子と小人だけには
取扱いに苦労をする。
近づけるとのさばるし、
遠ざけると怨むのだから。」
人之悪 論語
陽貨第十七
25
女子与小人
四十而見悪

  

下村湖人による注釈

 
○「女子と小人は養いがたし」は、あまりにも有名な言葉で、孔子は論語の中にこの一句を残すことによつて、後世からその女性観に痛烈な批難をあびている。

 ところで、この批難は実は多少酷である。というのは、古来の論語学者の解説が正しいとすれば、ここにいう「女子」は婢妾を意味し、「小人」は下僕を意味するからである。

 もし孔子が、「女子」という言葉を用いて広く一般の女性を指し、「小人」という言葉を用いて道徳的に低劣な人間を指していたとすれば、なるほどこの一章は女性に対する大なる侮辱であり、孔子の極度に封建的な女性観を物語るものであつて、いささかも辯護の余地がない。況んや論語の全篇を通じて、孔子が女性を正面から問題にしたのはこの一章以外にはなく、これだけがその女性観を物語る材料であるにおいておやである。

 しかしもし諸学者の解説の通りだとすれば、少くとも女性の問題としては、この一章をさほど重大視する必要もあるまい。もしこの一章に問題があるとすれば、むしろ孔子の婢僕(男女にかかわらず)に対する封建思想にあるのではあるまいか。

 

 しかし、だからといつて、私は孔子の女性観が本来正しいものであつたとは決して信じない。元来孔子は父権時代、一夫多妻時代に生活して、その社会組識に何の疑いも抱いていなかつたし、女性の向上の重要性というようなことについて真剣に考えて見たこともなかつたのである。もし孔子が女性について何か考えていたとすれば、それは、女性は常に悪の根元であり、士君子にとつて最も警戒すべき対象である、というぐらいなことに過ぎなかつたであろう

 

 従つて孔子の女性観が今日批難の的になるのはやむを得ない。ただ私のいいたいのは、本章の一句だけをとらえて孔子の女性観を判断するのは誤りであるということである。

 

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女子と小人の理解:妻子(独自)

 
 しかし下村氏のいう「本来正しい」女性観が正しいという根拠、孔子が父権時代の社会組織に何の疑問も抱いてなかったという根拠は何か。触れていないから何の疑問も抱いていないとするのは、論理的にも常識的にも間違った推論。そういう論理を重ねるほど結論がおかしくなっていくが、そういう立論はこの国では珍しくない。つまり自説の反例はないか、という厳しいどころか単純な自問自答(15-15:如之何)を全くせず、有利な方に、有利な方に、安易にしか考えないのである。

 

 下村氏は、7-4「子之燕居 申申如也 夭夭如也」を「先師が家にくつろいでいられる時は、いつものびのびとして、うれしそうな顔をしていられた」と訳し、「孔子の家居の面目がよくあらわれている。彼は決してこちこちな儀式ばつた家庭人ではなかつたのである。」と注したことと整合性があるか。
 16-14では「邦君之妻」「君夫人」が対外的に「寡小君」と称したという章について、「こういう言葉が論語の一章になつているのは可笑しい。「孔子曰」も「子曰」も原文にないところを見ると、何かがまぎれこんだのではないかとも想像される」としつつ、18-10(周公謂魯公)、18-11(周有八士)という男の話題で「本章にも原文に「子曰」がないが、全体が孔子の言葉であろう」「これも原文に「子曰」がないが孔子の言葉であろう。」と何の留保もつけないのは、最早、明治生まれで九州熊本出身の下村氏の極めて強力な家父長的感性を投影して見たものと言わざるをえない。私には「君夫人」の章が女性の誉れを説いたものと思えこそすれ、「論語の一章になっているとは可笑しい」とは1ミリも思わない。というか何が可笑しいのかわからない。言わんとするこは分かるが、それは男尊女卑が甚だしく到底与せない。
 それが「近づけるとのさばる」という訳にも出ていると言えるだろう。

 

 しかるに下村氏の言う学者達の非難も、的外れと見て良いのではないか。孔子は身分を絶対視しなかった、それはつまり性別も当然絶対視しなかったと見るのが自然であり、先行していた「邦君之妻」の章はそれと何も矛盾しないのだから。

  

論語と本章の趣旨:×小我〇大我

 

 孔子が女子と小人を並べた趣旨は、論語総体の文脈に照らし、君子論(16-14の邦君之妻でいう邦君論、16-14は夫人論)を説いて回る孔子に対し、自分達の生活のことばかり言う幼い人、それが女子(子供のような女性)と小人(子供・精神的に子供のような大人)と解する他に筋が通らない。筋が通らない見立てを基づき批判を展開するのは論理的にも人としても過っており、こう見ると、養い難いとした文脈からも通るし、何の無理もない差別と無縁の表現でもある。
 何より上記学者の言うように、孔子は身分の上下で当否を区別しない(ある程度の相関はあるにしても、絶対視しない)。 

  

 「女子」は女性一般を言う訳ではないという意味で「小人」と並べる。
 即ち、論語では頻繁に「君子」と「小人」が対比されるが、これは徳性によるもので身分による区別ではない。身分が高い人を諫める用語が君子であるから。それが女子と小人になっているのだから、ここでも言動の仁徳性によるのである。突如ここだけ、奴婢のことだという根拠が論語総体の文脈上にない。
 

難養の意義:妻子と君子、憎まれ口


 また「難養」で養うことが当然の前提になっているから、第一に妻子、一般論ではそのようなもとより近い立場で我儘(聞き分けのないこと)を言ってくる人々(女子供)と解すべきなのである。伏線として先の16-13:君子之遠其子、17-10:子謂伯魚曰と、孔子の息子(伯魚)が続けて出て来て、両者は同じ文脈をいっており、そこでは孔子は息子を遠ざけていたというのであり、それは本章で遠近をいう文脈と完璧にリンクしている。したがって、これらと一続きで理解すべきなのである。

 しかも息子が出た17-10の直後、17-11で邦君之妻が論じられる。つまり女子について語った例が下村注釈のように本章以外ないのではなく、それらは既にセットで論じられていた。
 この一貫した文脈を無視して婢妾と下僕とする解釈が、いかに恣意的で不当か。

 

 そして「難養(養い難い)也」が、養いたくない(欲せず)としている訳ではない。面倒だなあといっても、それは別に嫌な訳ではない、というのが長年連れ添った関係性というものではないか。頭が固いとそういう文脈を解せない。そもそも孔子はらい病の弟子の伯牛にも駆けつけ握手した(6-8)人情家とされているのに、学説は通ってないだろう。

 

 さらに次章で「四十で憎まれるようでは人として終わり」(年四十而見惡焉其終也已)とあることも、本章と一体で理解すべきなのである。
 そこでは、人に憎まれるとはしていない。ただ憎まれる(見悪)とある。したがってこの「見悪」は、前章末尾の「即怨」が対応し、「女子(妻)」を念頭に置いたものと見なければならない。それが文脈というものだろう。こう見れば自然に通せるのに、なぜ解釈を弄して分断させる解釈が妥当か。

 

 以上の一続きの文脈をまとめると、

 もっと近くに居て家のことをして・面倒を見てと言ってくる女性や子供(妻と子供)は養い難い、それでも養うべき妻子らに悪く思われては終わりだと思う。なぜならそれは世の中に対する君子の態度の延長であるからで、それが孔子の思う父権で、守るべき義(責任)だと理解すべきなのである。

  

 上記の注釈的な理解・歴代学者教育者の血肉に染みついた価値観を投影した侮蔑的な見立ては、改められなければならない。