原文 | 書き下し |
現代語訳 下村湖人+【独自】 |
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儀封人 請見 曰 |
儀ぎの封人はうじん 見まみえんと請こふ。 曰く、 |
儀ぎの関守せきもりが 先師に面会を求めて いった。 |
君子之 至於斯也 |
君子の 斯こゝに至いたるや、 |
「有徳のお方が この関所をお通りになる時に、 |
吾未嘗 不得 見也 |
吾われ未いまだ嘗かつて 見まみゆるを 得えずんばあらずと。 |
私がお目にかかれなかったためしは、 これまでまだ一度もございません。」 |
×お供の門人たちが、 彼を先師の部屋に通した。 やがて面会を終って出て来た 彼は、門人たちにいった。 |
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從者 見之 |
從者じゆうしや 之これに見えしむ。 |
【すると従者が奥から 見えて |
出 曰 |
出いでて 曰く、 |
出て来て 言った。】 |
二三子 何 患於喪乎 |
二三子 何ぞ 喪さうを患うれへん、 |
「諸君は、 先生が野やに下られたことを 少しも悲観されることはありませんぞ。 |
天下之 無道也 久矣 |
天下てんかの 道みちなきや 久ひさし、 |
天下の 道義が地におちて すでに久しいものですが、 |
天將 以夫子 爲 木鐸 |
天てん将まさに 夫子ふうしを以て 木鐸ぼくたくと 為なさんとすと。 |
天は、 先生を一国だけにとめておかないで、 天下の木鐸ぼくたくに しようとしているのです。」 |
○この一節は孔子が魯の官をやめ、天下を周遊して道を説いていた頃のことで、門人たちは、どこに行つても孔子が用いられないので、気をくさらしていたのである。