藤原道綱母(936頃-995)による『蜻蛉日記』。954-974年(著者18-38歳)、即ち道綱の出生前年から数え年20歳の出来事が記され、成立は975頃とされる。
息子・道綱(955-1020)の年齢を基準にすると、この日記は道綱の成長と共に書かれたと見れる。つまり道綱の母としての日記(比較対象として、更級日記は孝標娘の日記とされるが息子は生んでいる)。
一般にいう夫への恨み・兼家(929-990)との関係が専らの執筆動機ならそれを20年も継続しながら、974年以降突然何も記さなくなるのは不自然。夫の宣伝説は、日本社会の世界的男性偏重本位目線の投影と思う。
・題名の由来:陽炎×蜻蛉=すぐ消える日記(哀愁)。最古の用例・蜻蛉をアキズ(古事記)と読めば、よく飽きない日記(20年)。このような多角的解釈から、夫の宣伝説は論者の嗜好の投影。そもそも日本という男性社会で妻による宣伝など印象は悪くなりこそすれ、良くなりなどしない感覚位は、女性が個人名を出さない社会では当然だろう。そうではなく、女性の素朴な自己表現と見るのが、18-38歳頃という著者の年齢的にも自然。
・和歌一覧:311首(261+付録50)。うち長歌3、連歌2。相当な多作。女性で長歌は珍しい(土佐日記の影響)。例えるなら、ラインやインスタが主流の中、メールで長文を送る女性。
・原文全文:括弧句読点を除き約8万2千字。原稿用紙で約205枚。
年号 西暦 |
道綱 年齢 |
あらすじ※ | |
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上巻 | |||
天暦8年 954年 |
秋:兼家と和歌の贈答。 | ||
天暦9年 955年 |
0 | 道綱が生まれる。 | |
9月:兼家は他の女に通い始める。 | |||
10月:嘆きつつ一人寝る夜のの歌。 | |||
天暦10年 956年 |
1 | ||
天徳元年 957年 |
2 | 兼家の女が子を産んだと聞き嫉妬する。兼家から頼まれた衣を縫わずに返す。いさかいが絶えない。 | |
天徳2年 958年 |
3 | 兼家の女が捨てられたと聞きよろこぶ。 このころから自然美に眼を開く。 | |
天徳4年 960年 |
5 | ||
応和元年 961年 |
6 | ||
応和3年 963年 |
8 | ||
康保元年 964年 |
9 | 母を亡くし、悲しさのあまり、道綱を連れて山にこもる。 | |
康保2年 965年 |
10 | 母の一周忌の法事を、ありし山寺で行なう。この秋、頼もしき人の遠くにいくを送る。 | |
康保3年 966年 |
11 | 3月:をば君の病が重くなり、山寺に上る。とある夕べ、をば君を山寺に訪れ、しめやかに語らう。 | |
5月:兼家と双六をうち、勝って物見に出ると約束する。秋、ふとしたいさかいの果てに、鐘鋳を怒らせる。 | |||
康保4年 967年 |
12 | 6月:村上天皇の崩御、兼家はまもなく蔵人頭になる。天皇の寵愛あつかった女御に同情の和歌を送る。 | |
7月:兵衛佐という人が山に上って法師になり、若い美しい妻もその後を追って尼になると聞き、同情の和歌をその尼に送る。 | |||
安和元年 968年 |
13 | 9月:初瀬に行く。 | |
中巻 | |||
安和2年 969年 |
14 | 正月:兄とこといみなどして遊ぶ。 | |
3月3日:節供など試み、ここかしこの人を招く。 | |||
3月25、6日:西の宮の大臣高明の流罪を悲しむ。 | |||
6月15日:兼家は御嶽詣を思い立ち、道綱を連れて出発する。愛児の旅路の安泰を祈る。 | |||
天禄元年 970年 |
15 | 3月10日:内裏で賭弓のこと。道綱がそのなかに加わり、勝ったことを聞き喜ぶ。 | |
6月:唐崎に祓いに向かう。兼家の愛がしだいにうすらぐ。 | |||
7月:亡母の盆のこと。石山の10日ばかりこもる。 | |||
11月:道綱元服。 | |||
12月:人の心は次第に遠ざかりていわむ方もない。 | |||
天禄2年 971年 |
16 | 正月元日:兼家来ず。近江という女のもとに通うといううわさ。2日ばかりして兼家が来るが、ものも言わない。 | |
2月:呉竹を庭に植えて寂しさを慰める。 | |||
4月:道綱と長精進を始めようと思う。このころいちじるしく感傷的になる。 | |||
6月:西山に渡る。兼家は迎えに来るが従わない。とある日、たのもしき人のためにむりやり連れられて京都に帰る。ふたたび初瀬に思い立つ。 | |||
10月20日:屋根におく霜の白さに驚きの目を見張る。 | |||
12月:雨の激しく降る日、兼家が来る。愛児の成長を見て母らしい喜びを味わう。 | |||
12月25日:つかさめしに兼家は大納言になる。 | |||
下巻 | |||
天禄3年 972年 |
17 | 3月:詩人らしい眼で春を見る。かつて兼家の通ったことのある源宰相兼忠の女の腹に、美しい姫君のあると聞き、その姫君を迎え、養女としようとする。 | |
6月:庭をはく翁の言葉に、詩人らしい耳を傾ける。 | |||
天延元年 973年 |
18 | 2月:紅梅の枝を兼家に送る。 | |
9月:中川に遊ぶ。 | |||
12月:田上に詣でる。祓殿のつららに驚きの眼をはなつ。 | |||
天延2年 974年 |
19 | 正月15日:道綱の雑色の男の子らが儺をして騒ぐ。 | |
2月:右馬頭が養女に懸想し、作者にとりなしを頼む。 | |||
11月:臨時の祭の日、ひそかに物見に出て、貴公子らしくふるまっている道綱の姿を見て父が衆人の中で面目を施しているのを見る。 | |||
付録:和歌262-311 |
※Wikipedia「蜻蛉日記」より引用