紫式部集 和歌一覧 126首

全文 紫式部集
和歌抜粋
126首
第一部
若かりし頃

 
 紫式部集の和歌抜粋126首(歌数は定家本系最善本とされる実践女子大本による)。リンクで詞書付き原文対訳全文と詳細な逐語分析に通じさせた。

 

 内訳:88(紫式部)、6×2(人、不明)、4(小少将の君(局))、2×3(思ひわづらふ人、文散らしの人、殿=道長)、1×26(一首のみの特定人物、最後は加賀少納言)

 人定は、独詠と人名ない贈答の片方を紫式部とみなし、その他は解釈を入れず原文表記に基づく。

 

 有名な一番歌(めぐり逢ひて)の現状の解釈は、詞書「友だち」三文字で女友達と決めつけて、「めぐり逢」の字義とそれに即した源氏物語唯一の男女の運命的恋歌用例も、源氏最初の男女離別の歌風も無視した本末転倒解釈なので、別ページで解説し改めた。

 解釈とは著者の総体的文脈に即して意味を具体化させることで(実態に無理なく即すこと)、土佐冒頭で貫之を女の私とするように数文字だけ見て意味を確定させるものではない。一般的語義と多角的文脈、その両輪による。語義が一般普遍的で文脈が多角的であるほど強い。根拠がないから友達の親の赴任地はどこかという想像を膨らませることになる。

 「月影」は源氏物語で光源氏の意味で用いられる歌詞で、その前の「雲がくれ」も源氏没後(光隠れたまひし後)とリンクしている。これで女友達との再会の歌とするのが通説で、現状の和歌の読解水準なのである。その根拠は「友だち」三字以外ない。

 少しぼかされると決め打ちし、昔男も業平とみなし、言葉を断片化させ狭く見るほど解ると思い緻密と思う。マクロ分析が感覚的で破綻した大方針を断固認めず改めず、些末な技術論を連呼し続ける悪習。

 

 主体が明示されない独詠歌を紫式部とみなすと88首、数字をそろえるのが別格の古典(土佐日記55日・60首、枕草子和歌33首+連歌3+今様1、奥の細道・和歌俳句66首)。一首のみ26人を除けば、丁度100首で切りが良い。

 以下で2回出てくる空白行(17の後、79の前)はそこに歌があれば、いずれも紫式部の歌というのが素直だが、定家本・古本系ともに空白で共通している。

 

 
紫式部集
目次
(章立ては独自)
第一部:若かりし頃
1
2
3
4
5
方違への人
6
筑紫行人の娘
7
8
思患う人
9
10
思患う人
11
物思患う人
12
13
14
15
16
西の海の人
17
津の国の人
18
19
筑紫肥前の人
 
第二部:近江・越前
  20
21
22
23
24
25
26
27
28
 
第三部:言い寄る夫
  29
30
31
32
33
文散らしの人
34
35
文散らしの人
 
第四部:夫の死
  36
37
38
39
40
41
42
亡くなりし人の女
43
44
45
46
47
48
   
第五部:転機
  49
門叩き帰りにける人
50
51
52
53
54
55
 
第六部:初々し出仕
  56
57
58
語らひける人
59
60
宮の弁のお許
61
62
63
紫or?
64
?or紫
65
66
67
 
第七部:栄花と追憶
  68
紫or小少将局
69
小少将局or紫
70
71
小少将の局
72
小少将の君
73
74
戸叩きし人
75
76
77
殿=道長
78
79
?or紫
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
殿=道長
 
第八部:月影の人
  90
91
92
93
94
95
96
97
98
 
第九部:宮中と女房
  99
100
隣の中将
101
102
103
104
105
106
107
弁宰相の君
 
第十部:天の川の人
  108
109
110
?or紫
111
紫or?
112
113
 
第十一部:終の予感
  114
115
小少将の君
116
117
大納言の君
118
119
120
?or紫
121
紫or?
122
123
124
125
126
加賀少納言
       

 

和歌抜粋

定家

異本



原文
実践女子大本
(定家本)
現代語訳
(渋谷栄一)
【人定と改訳は当サイト】
   

第一部:若かりし頃

1
めぐり逢ひて
 見しやそれとも
 わかぬまに
 雲がくれにし
 夜はの月かげ
〔紫式部〕久しぶりに出逢ってお会いしたのに
 昔のままのあなたであったかどうであったか見分けのつかないうちに急いで
 姿を隠してしまった夜半の月影のようなあなた【の面影】でしたね
2
鳴きよわる
 まがきの
 とめがたき
 秋の別れや
 悲しかるらむ
〔紫式部〕鳴き弱った垣根の虫も行く秋を止めがたいように
 わたしもあなたが遠い国へ下って行くのを止められません
 秋の別れは何と悲しいことなのでしょう
3
露しげき
 よもぎが中の
 の音を
 おぼろけにてや
 人の尋ねむ
〔紫式部〕露がしとどにおいた草深い庭の虫の音のようなわたしの琴の奏法を【尋ねるように】
 並み大抵の【良くわからないものなのに】人は訪ねて来【るでしょうか、いや来】ないでしょう【=本当はどういうつもりですか】、まことにご熱心なこと
4
おぼつかな
 それかあらぬか
 明けぐれの
 そらおぼれする
 朝顔の
〔紫式部〕はっきりしませんね。そうであったのか、そうではなかったのか、まだ朝暗いうちに
 ぼんやりと咲いている朝顔のような、今朝の顔は
5
いづれぞと
 色分くほどに
 朝顔の
 あるかなきかに
 なるぞわびしき
〔方違へにわたりたる人〕どちらからの筆跡かと見分けているうちに、朝顔の花のように
 萎れてしまいそうになるのが辛いことです
6
西の海を
 思ひやりつつ
 見れば
 ただに泣かるる
 ころにもあるかな
〔筑紫へ行く人のむすめ〕西の海を思ひやりながら月を見ていると
 ただ泣けてくる今日このごろです
7
西へ行く
 の便りに
 たまづさの
 かき絶えめやは
 雲のかよひぢ
〔紫式部〕西へ行くあなたへの手紙は毎月のように
 けっして書き絶えることはしません、空の通路を通して
8
深く
 奥山里の
 もみぢ葉

 かよへる袖の
 色を見せばや
〔思ひわづらふ人〕露が深く置いている奥山里のもみぢ葉に
 似かよった袖の色をお見せしたいですね
9
吹く
 遠山里の
 もみぢ葉

 もとまらむ
 ことのかたさよ
〔紫式部〕烈しい風が吹く遠くの山里のもみぢ葉は
 露を少しの間でも留まらせることが難しいように、あなたも都に留まることは難しいのでしょうね
10
もみぢ葉
 誘ふ
 早けれど
 木の下ならで
 行く心かは
〔思ひわづらふ人〕もみぢ葉を誘う嵐は疾いけれど
 木の下でなくては散り行く気持ちにもなれません
11
霜氷り
 閉ぢたるころの
 茎は
 えも書きやらぬ
 心地のみして
〔もの思ひわづらふ人〕霜や氷りが閉ざしているころの筆は
 十分に書ききれない〈何とも書いてやれない〉気持ちばかりがしています
12
行かずとも
 なほ書きつめよ
 霜氷り
 の上にて
 思ひ流さむ
〔紫式部〕たとい筆が進まなくても今まで同様に便りを書き集めて送ってくださいね、
 霜や氷に閉ざされたわたしの心も
 あなたの便りによってもの思いを流せましょうから
13
ほととぎす
 声待つほどは
 片岡の
 森の雫に
 立ちや濡れまし
〔紫式部〕ほととぎすの鳴く声を待つ間は、車の外に立って、片岡の
 森の雫に濡れましょうかしら
14
祓へどの
 のかざりの
 みてぐらに
 うたてもまがふ
 耳はさみかな
〔紫式部〕祓へどの神の前に飾った御幣に
 いやに似通った紙冠ですこと
15
北へ
 雁の翼に
 言伝てよ
 雲の上がきかき
 絶えずして
〔紫式部〕北へ飛んで行く雁の翼に便りを言伝てください
 雁が雲の上を羽掻きするように、手紙を書き絶やさないで
16
めぐり
 誰れも都に
 鹿蒜山
 五幡と聞く
 ほどのはるけさ
〔西の海の人〕遠くへ行っても廻って都に、鹿蒜山ではありませんが、帰ってきますが
 また五幡ではありませんが、何時のことかと聞くだけでもはるか先に思われます
17
難波潟
 群れたる
 鳥のもろともに
 立ち居るものと
 思はましかば
〔津の国の人〕難波潟に群れている水鳥のようにあなたと一緒に
 暮らしていられるものと思えたらいいのですが
    (二行空白) 〔紫式部〕
(二行空白)
18
あひ見むと
 思ふ心は
 松浦なる
 
 空に見るらむ
〔紫式部〕あなたにお逢いしたいと思うわたしの心は、松浦に鎮座する
 鏡の神が空からお見通しくださることでしょう
19
行きめぐり
 逢ふを松浦
 には
 誰れをかけつつ
 祈るとか知る
〔筑紫の肥前の人〕めぐり逢うことを待つという、松浦の鏡の神に対して
 誰を心にかけつつ祈っているとあなたはお分かりでしょうか
   

第二部:近江・越前

20
三尾の海に
 網引く民の
 手間もなく
 立ち居につけて
 都恋しも
〔紫式部〕三尾の海で漁民がせわしなく網を引いて働いている
 その立ち居を見るにつけても都が恋しいことよ
21
磯隠れ
 同じ心に
 田鶴鳴く
 なに思ひ出づる
 人や誰れそも
〔紫式部〕磯の隠れた所でわたしと同じ気持ちで鶴が鳴いているが
 何を思い出し誰を思ってなのだろうか
22
かき曇り
 夕立つ波の
 荒ければ
 浮きたる舟ぞ
 しづ心なき
〔紫式部〕空がかき曇って夕立ちのために波が荒くなったので
 浮いている舟の上で落ち着いていられない
23
知りぬらむ
 行き来にならす
 塩津山
 世にふる道は
 からきものぞと
〔紫式部〕知っているのだろう、行き来に慣れた塩津山の
 古くからある世渡りの道は辛く塩辛いものだと
24
おいつ島
 島守る
 いさむらむ
 波も騒がぬ
 わらはべの浦
〔紫式部〕おいつ島を守る神様は静かになさいと諌めるのでしょう
 波も騒がないわらわべの浦ですこと
25
ここにかく
 日野の杉むら
 埋む
 小塩
 今日やまがへる
〔紫式部〕ここ越前の国府にこのように日野山の杉むらを埋める雪は
 都で見た小塩山の松に今日は見まちがえることです
26
小塩
 の上葉に
 今日やさは
 峯の薄
 花と見ゆらむ
〔?〕小塩山の松の上葉に今日はおっしゃるように
 雪が降って、その峯の薄雪は花と見えるのでしょう
27
ふるさとに
 帰る山路の
 それならば
 心やゆくと
 も見てまし
〔紫式部〕故郷に帰るという鹿蒜山の雪ならば
 気も晴れるかと出て見ましょうが
28
春なれど
 白根の深
 いや積もり
 解くべきほどの
 いつとなきかな
〔紫式部〕春とはなりましたが、白山の深雪はますます降り積もって
 いつ雪解けとなるかは分かりませんわ
   

第三部:言い寄る夫

29
湖の
 友呼ぶ千鳥
 ことならば
 八十の湊に
 声絶えなせそ
〔紫式部〕湖の友を呼ぶ千鳥よ、同じことならば
 たくさんの湊に声をかけなさい
30
四方の海に
 塩焼く海人の
 から
 焼くとはかかる
 投げ木をや積む
〔紫式部〕あちこちの海で塩を焼く海人のように自分から
 焦がれているとはこのような嘆きを重ねているのでしょうか
31
紅の
 涙ぞいとど
 疎まるる
 移る
 色に見ゆれば
〔紫式部〕紅の涙がますます疎ましく思われます
 心変わりする色に見えますので
32
閉ぢたりし
 上の薄氷
 けながら
 さは絶えねとや
 山の下
〔紫式部〕春になって閉ざされていた谷川の薄氷もせっかく解け出したというのに
 それでは川の水のように絶えてしまえとおっしゃるのですか
33
東風に
 くるばかりを
 底見ゆる
 石間の
 絶えば絶えなむ
〔文散らしの人〕春の東風で解けるくらいの氷ならば
 石間の水は絶えるなら絶えればいいのだ
34
言ひ絶えば
 さこそは絶え
 なにかその
 みはらの池
 包みしもせむ
〔紫式部〕絶交するならばおっしゃるとおり絶交しましょう、なんでその
 みはらの池の堤ではありませんが、腹立ちを包んでいられましょう
35
たけからぬ
 人数なみは
 わきかへり
 みはらの池
 立てどかひなし
〔文散らしの人〕立派でもなく人数にも入らぬわたしは、沸き返らせて、
 みはらの池の腹を立てましたが、あなたには負けましたよ
   

第四部:夫の死

36
折りて見ば
 近まさりせよ
 の花
 思ひ隈なき
 惜しまじ
〔紫式部〕手折ったら近まさりしてください、桃の花
 わたしの気持ちを理解しない桜など惜しみません
37
といふ
 名もあるものを
 時の間に
 にも
 思ひ落とさじ
〔人〕桃という名があるのですもの、わずかの間に
 散ってしまう桜より思ひ落とすまい
38
花といはば
 いづれか匂ひ
 なしと見む
 り交ふ色の
 異ならなくに
〔紫式部〕花といったら桜と梨とどちらが〈匂い〉色つやがないと見ようか
 散りかう色はどちらも違わないのだから
39
いづかたの
 路と聞かば
 訪ねまし
 列離れけむ
 雁がゆくへを
〔紫式部〕どちらの雲路へ行ったと聞いたなら、訪ねもしましょうものを
 一羽だけ列を離れて行った雁の行方を
40
の上も
 もの思ふ春は
 墨染めに
 む空さへ
 あはれなるかな
〔人〕宮中でも〈雲の上の人も〉悲しみに沈んでいる諒闇の春は薄鈍色に
 霞んでいる空までがしみじみと思われます
41
なにかこの
 ほどなき袖を
 濡らすらむ
 の衣
 なべて着る世に
〔紫式部〕どうして取るに足りないわたしごときが夫の死を悲しんで泣いていられましょうか
 国母が崩御されて国中が薄鈍色の喪に服しているときに
42
夕霧に
 み島隠れし
 鴛鴦の子の
 跡を見る見る
 惑はるるかな
〔亡くなりし人の女〕夕霧のために島蔭に隠れた鴛鴦の子のように
 父の筆跡を見ながら悲嘆に暮れています
43
散る花を
 嘆きし人は
 木のもとの
 寂しきことや
 かねて知りけむ
〔紫式部〕散る花を嘆いていた〈人〉は散った後の木のもとの〈子どもが〉
 寂しいことをかねて御存じでいたのでしょうか
44
亡き人に
 かごとはかけて
 わづらふも
 おのが心の
 にやはあらぬ
〔紫式部〕もののけ〈亡き人〉にかこつけて手こずっているというが〈苦しんでも〉
 実は自分の心の鬼に責められているのではないでしょうか
45
ことわりや
 君が心の
 闇なれば
 の影とは
 しるく見ゆらむ
〔?〕ごもっともですね、夫君〈あなた〉の心が迷っているので
 心の鬼の影をはっきりと見えるのでしょう
46
春の夜の
 闇の惑ひに
 色ならぬ
 心に花の
 香をぞ染めつる
〔紫式部〕春の夜の闇に〈惑って〉梅の花の色は見えないが
 心のうちに花の香を染めたことである
47
さ雄鹿の
 しか慣らはせる
 萩なれや
 立ちよるからに
 おのれ折れ伏す
〔紫式部〕雄鹿がいつもそのように慣らしている萩なのでしょうか
 童女が近付くと同時に自然と萩が折れ伏すことよ
48
見し人の
 煙となりし
 夕べより
 名ぞ睦ましき
 塩釜の浦
〔紫式部〕連れ添った〈よく見た〉人が火葬の煙となった夕べから
 その名前が親しく思われる、塩釜の浦よ
   

第五部:転機

49
世とともに
 荒き風吹く
 西の海も
 磯辺に
 寄せずとや見し
〔門叩き帰りにける人〕いつも荒い風が吹く西の海にも
 その磯辺に波の寄せないことがありましょうか
50
かへりては
 思ひ知りぬや
 岩角に
 浮きて寄りける
 岸のあだ
〔紫式部〕お帰りになってわたしの思いがお分かりになったでしょうか、岩角に
 浮わついて打ち寄せた岸のあだ波のあなたには
51
誰が里の
 春の便りに
 鴬の
 霞に閉づる
 宿を訪ふらむ
〔紫式部〕どなたの春の里を訪れたついでに、鴬は
 霞に閉ざされたわたしの宿を訪ねるのでしょうか
異52   折からを
 ひとへにめづる
 花の色は
 薄きつつ
 薄きとも
〔?〕
52
異53

消えぬ間の
 身をも知る知る
 朝顔の
 露と争ふ
 を嘆くかな
〔紫式部〕死なない間のわが身を知りつつ朝顔のように
 はかない露と先を競う世を嘆くことよ
53
異54

若竹の
 生ひゆく末を
 祈るかな
 このを憂しと
 厭ふものから
〔紫式部〕若竹が成長してゆく先を祈っていることよ
 わたしはこの世を厭わしく思っているのに
54
異55

数ならぬ
 をば
 まかせねど
 にしたがふは
 なりけり
〔紫式部〕人数にも入らないようなわたしの心のままに身の境遇を合わせることはできないが
 身の境遇に従って変わるのは心なのであったわ
55
異56

だに
 いかなるにか
 かなふらむ
 思ひ知れども
 思ひ知られず
〔紫式部〕せめて心だけでもどのような身の上に満足するのだろうか
 分ってはいるけれどもなかなか悟ることができないことよ
   

第六部:初々し出仕

56
異91

の憂さは
 のうちに
 慕ひきて
 いま九重ぞ
 思ひ乱るる
〔紫式部〕身の嫌なことは、心の中では宮中を慕ってきたが
 いま宮中を見て、幾重にも物思いに心が乱れることよ
57
異92

閉ぢたりし
 岩間の氷
 うち解け
 をだえの水も
 影見えじやは
〔紫式部〕閉ざしていた岩間の氷が〈うち解ければ〉わずかに解け出すように春になったら
 途絶えていた水も姿を現さないでしょうか、わたしもきっとまた出仕しましょうよ
58
異93

山辺の
 花吹きまがふ
 谷風に
 びし水も
 解け
ざらめやは
〔ほのかに語らひける人〕深山のあたりの花が散りまがう谷風には
 凍っていた川も〈解けないままのことがありましょうか〉解けないでしょうか、解けましょう
59
異94

吉野は
 春のけしきに
 霞めども
 ぼほれたる
 雪の下草
〔紫式部〕み吉野は春の景色に霞んでいるけれども
 依然としてかじかんでいる雪の下草です
60
異57

憂きことを
 思ひ乱れて
 青柳の
 いと
久しくも
 なりにけるかな
〔宮の弁のおもと〕嫌なことに思い悩まれて青柳のように
 たいそう久しくなってしまいましたね
61
異ナシ

つれづれと
 長雨降る日は
 青柳の
 いと
憂き世に
 乱れて経る
〔紫式部〕所在なく長雨が降るのを眺めながら送る日は青柳のように
 ますます嫌な世の中に悩まされて日を送っています
62
異58

わりなしや
 人こそ人と
 言はざらめ
 みづから身をや
 思ひ捨つべき
〔紫式部〕しかたないことだわ、あの人たちはわたしを一人前の人と思わないでしょうが
 自分自身からわが身を見捨てることができましょうか
63
異59

忍びつる
 根ぞ現はるる
 菖蒲草
 言はぬに朽ちて
 やみぬべければ
〔紫式部or?〕隠れていた根が引かれて現れ出たように今日は菖蒲の節供に
 ちなんでわたしの心根を表します
 何も言わないうちに朽ちて終わってしまいそうなので
64
異60

今日はかく
 引きけるものを
 菖蒲草
 わがみ隠れに
 濡れわたりつる
〔?or紫式部〕今日はこのように菖蒲草を引き抜いてお言葉をかけてくださったのに
 わが身は水隠れに家に籠って涙に濡れています
65
異日1

妙なりや
 今日は五月の
 五日とて
 五つの巻の
 あへる御
〔紫式部〕〈絶妙なこと〉素晴しく尊いことだわ、今日は五月五日に
 第五巻が重なったこの御法会よ(日記ナシ)
66
異日2

篝火の
 影も騒がぬ
 水に
 いく千代まむ
 の光ぞ
〔紫式部〕篝火の影も騒がない池の水に
 いく千代までも澄んで宿ることでしょう、御法会の光は(日記ナシ)
67
異日3

める
 底まで照らす
 篝火の
 まばゆきまでも
 憂きわが身かな
〔紫式部〕澄んでいる池の底まで照らす篝火が
 まぶしく恥ずかしい嫌なわが身ですこと(日記ナシ)
   

第七部:栄花と追憶

68
異61

見ても
 憂きわが涙
 落ち添ひて
 かごとがましき
 滝の音かな
〔紫式部or小少将の局〕遣水に映る姿を見ても嫌なわたしの涙が落ち加わって
 恨みがましい滝の音ですこと
69
異ナシ

一人居て
 ぐみける
 水の面に
 浮き添はるらむ
 やいづれぞ
〔小少将の局or紫式部〕一人で涙ぐんでいらっしゃった遣水の面に
 映り加わっている姿はあなたとわたしのどちらでしょうか
70
異日4

なべて世の
 憂きに泣かるる
 菖蒲
 今日までかかる
 はいかが見る
〔紫式部〕世間一般の嫌さに涙ぐまれる菖蒲草
 今日までこのような長い根はどうして見たことがありましょうか(日記ナシ)
71
異日5

何ごとと
 菖蒲は分かで
 今日もなほ
 袂にあまる
 こそ絶えせね
〔小少将の局〕どのようなことと、菖蒲ではないがものの条理は分かりませんで、今日もやはり
 袂にあまる長い根の泣く音が絶えません(日記ナシ)
72
異67

天の
 の通ひ路
 鎖さねども
 いかなる方に
 叩く水鶏ぞ
〔小少将の君〕宮中の通路は閉ざしてないのに
 どちらで戸を叩く水鶏なのでしょうか
73
異68

槙の
 鎖さでやすらふ
 影に
 何を開かずと
 叩く水鶏ぞ
〔紫式部〕槙の〈あの御方→中宮の〉戸も閉ざさないで休んでいる〈月夜に〉×月光のもと
 何を〈飽きずに戸が開かないと〉開かないで不満だといって鳴く水鶏なのでしょうか
74
異日15

夜もすがら
 水鶏よりけに
 泣く泣くぞ
 槙の口に
 叩き侘びつる
〔夜更けて戸を叩きし人〕一晩中水鶏よりもはっきりと泣きながら
 槙の戸口を叩きあぐねました(日記17)
75
異日16

ただならじ
 ばかり叩く
 水鶏
ゆゑ
 開けてはいかに
 悔しからまし
〔紫式部〕ただ事では済まないことと、戸ばかりを叩く水鶏ゆえに
 戸を開けたらどんなに悔しい思いをしたことでしょう(日記18)
76
異69

女郎花
 盛りの
 見るからに
 分きける
 身こそ知らるれ
〔紫式部〕女郎花の花盛りの色を見ると同時に
 露が分け隔てしているようにわが身の上が思われます(日記1)
77
異70


 分きても置かじ
 女郎花
 心からにや
 の染むらむ
〔道長〕白露は分け隔てをしないでしょう、女郎花は
 自分から色を染めたのではないでしょうか(日記2)
78
異62

忘るるは
 憂き世の常と
 思ふにも
 身をやる方の
 なきぞ侘びぬる
〔紫式部〕人を忘れることは嫌な世の常と思うにつけても
 わが身のやり場がないのが寂しく泣き暮らしています
    (四行空白) 〔?〕
 (四行空白) 古本系「返し やれてなし」(破れてなし)
79
異63

誰が里も
 訪ひもや来ると
 ほととぎす
 心のかぎり
 待ちぞ侘びにし
〔?〕誰の邸にも訪れ来るのだろうかと、ほととぎすを
 心のかぎりを尽くして待ち侘びていました
80
異71

ましもなほ
 遠方人の
 声交はせ
 われしわぶる
 たごの呼坂
〔紫式部〕猿よ、おまえもやはり遠方人として声を掛け合えよ
 わたしが越えかねているたごの呼坂で
81
異72

名に高き
 の白山
 雪なれて
 伊吹の岳を
 何とこそ見ね
〔紫式部〕名高い越の白山に行き、その雪を見慣れているので
 伊吹山の雪は何とも思わないことだ
82
異73

あてに
 あなかたじけな
 苔むせる
 仏の御顔
 そとは見えねど
〔紫式部〕あて推量に、ああ畏れ多い、苔のむした
 仏の御顔を卒塔婆に、それとは見えないけれども
83
異74

け近くて
 誰れも
 見えにけむ
 言葉隔て
 契りともがな
〔人〕〈色々近くて、誰でも人に見せないところまで見えてしまうでしょう〉近しくなってお互いに心は見えたでしょう
 〈それでも素直に言い合える〉人伝てでない仲となりたいものですね
84
異75

隔てじと
 ならひしほどに
 夏衣
 薄き心を
 まづ知られぬる
〔紫式部〕わたしは隔て心を持ちませんと〈言われたように私も〉常に思っているのに、「人伝てでなく」とおっしゃるとは、夏衣のような
 あなたの薄い心がまっ先に知られました
85
異76

峯寒み
 岩間凍れる
 谷水の
 行く末しもぞ
 深くなるらむ
〔人〕今は峯が寒いので岩間で凍っている谷水のように浅い水ですが
 行く末は水嵩も増して深くなっていくでしょう
86
異77

めづらしき
 光さしそふ
 盃は
 もちながらこそ
 世をめぐらめ
〔紫式部〕新しい光がさし加わった盃は
 持ちながら満月のまま千年もめぐっていくことでしょう
87
異78

曇りなく
 千歳に澄める
 水の面に
 宿れる月の
 影ものどけし
〔紫式部〕翳りなく千年も澄んでいる水の面に
 宿っている月の光ものどかなこと
88
異79

いかにいかが
 数へやるべき
 八千歳
 あまり久しき
 君が御世をば
〔紫式部〕五十日のお祝に、いかにしていかほどと数えやったらよいのでしょうか、八千年もの
 あまりに久しい若君の御寿命を
89
異80

葦田鶴の
 齢しあらば
 君が代の
 千歳の数も
 数へとりてむ
〔道長〕鶴のような長寿があったならば若君の年齢の
 千年の数も数え取ることができよう
   

第八部:月影の人

90
異81

折々に
 書くとは見えて
 ささがにの
 いか
に思へば
 絶ゆるなるらむ
〔男〕折々に返事を書くとは見えたが、ささがにのように
 どのように思えば絶えることになるのでしょう
91
異82

霜枯れの
 浅茅にまがふ
 ささがにの
 いか
なる折に
 書くと見ゆらむ
〔紫式部〕霜枯れの浅茅に見まぎれるささがにの
 蜘蛛の巣はどのような折に掛くと見えたのでしょうか
92
異83

入る方は
 さやかなりける
 月影
 上の空にも
 待ちし宵かな
〔紫式部〕月の入る方角ははっきりしていた月光〈月の面影〉を
 ぼうっと上の空で待っていた〈夜の入り〉夕べでしたわ
93
異84

さして行く
 山の端も
 みなかき曇り
 も空に
 消えし月影
〔人〕目指して行く山の端もみなすっかり曇って
 心も上の空に消えてしまった月光〈月の面影〉です
94
異85

おほかたの
 のあはれを
 思ひやれ
 月に
 あくがれぬとも
〔紫式部〕世間一般の秋の〈哀れ〉情趣を思いやって〈よ〉ください
 月に〈心が〉誘われて心は〈離れてしまった〉浮かれ出たとしても
95
異86

垣ほ荒れ
 寂しさまさる
 常夏に
 置き添はむ
 までは見じ
〔紫式部〕垣根〈ウチ〉は荒れて寂しさがまさる常夏〈撫子の盛り〉に
 露〈涙が〉が置き加わる〈体のほてりがおさまる日は〉秋までは見ることができないでしょう
96
異87

花薄葉
 わけの
 何にかく
 枯れ行く野辺に
 消え止まるらむ
〔紫式部〕花薄の葉ごとに分けて置く露はどうしてこのように
 枯れて行く野辺に消え止まっているのでしょう
97
異88

世にふるに
 なぞ貝沼の
 いけらじと
 思ひぞ沈む
 底は知らねど
〔紫式部〕世の中に生きているなかでどうして貝沼ではないが、生きる甲斐がないと
 思い沈むことだ、どこそこと池の底は知らないけれど
98
異89

心ゆく
 水のけしきは
 今日ぞ見る
 こや世に経つる
 貝沼の
〔紫式部〕心が晴れ晴れとする水の様子は今日見ました
 これがこの世に生きる甲斐があると伝わった貝沼の池でしょうか
   

第九部:宮中と女房

99
異90

多かりし
 豊の宮人
 さしわきて
 しるき日蔭を
 あはれとぞ見し
〔紫式部〕大勢の豊の明りの節会に参集した宮人の中から取り分けて
 はっきりと日蔭の鬘を着けたあなたをしみじみと見ました
100
異95

三笠山
 同じ麓を
 さしわきて
 霞に谷の
 隔てつるかな
〔隣の中将〕三笠山の同じ麓なのに区別して
 霞が谷を隔てるように分け隔てしていますね
101
異96

さし越えて
 入ることかたみ
 三笠山
 霞吹きとく
 風をこそ待て
〔紫式部〕谷を越えて入ることが難しいので三笠山の
 霞を吹き晴らす風を待っているのです
102
異97

埋もれ木の
 下にやつるる
 梅の花
 香をだに散らせ
 雲の上まで
〔紫式部〕埋もれ木のように目立たずに咲いている梅の花よ
 せめて薫りだけでも散らしておくれ宮中〈雲の上〉までも
103
異98


 匂ふを見れば
 がり
 ねて来たる
 春の盛りか
〔紫式部〕八重桜が九重の宮中で咲いているのを見ると、桜のもとに
 重ねてやって来た春の盛りでしょうか
104
異99

神代には
 ありもやしけむ
 山
 今日の挿頭に
 折れるためしは
〔紫式部〕神代には有ったのでしょうか山桜を
 今日の祭の挿頭のために折り取った例は
105
異100

改めて
 今日しもものの
 悲しきは
 身の憂さやまた
 さま変はりぬる
〔紫式部〕新年になった今日、何となく悲しい気持ちがするのは
 わが身の嫌さがまた様変わりしたのであろうか
106
異101

めづらしと
 し思はば
 着て見えむ
 摺れる
 ほど過ぎぬとも
〔紫式部〕素晴しいとお思いになりますならば、摺衣を着てお目にかかりましょう
 五節のころは過ぎたとしましても
107
異102

さらば
 山藍の
 過ぎぬ
とも
 恋しきほどに
 着ても見えなむ
〔弁宰相の君〕それではあなた山藍の摺衣を着る時期は過ぎたとしましても
 恋しいと思っているうちにそれを着てお見せください
   

第十部:天の川の人

108
異103

うち忍び
 嘆き明かせば
 しののめの
 ほがらかにだに
 夢を見ぬかな
〔人〕〈人目を忍び、思い偲び、嘆き明かすと〉ため息をつきながら一夜を明かすと、〈東雲の〉
 明け方になってもはっきりとあなたの夢を見ることができませんでした
109
異104

しののめの
 空霧りわたり
 いつしかと
 秋のけしきに
 世はなりにけり
〔紫式部〕明け方の空が霧りわたっており、〈いつの間にか〉早くも
 秋の様子に世の中は、あなたもわたしに飽きておしまいになったようですわ
110
異105

おほかたに
 思へばゆゆし
 天の川
 今日の逢ふ瀬
 うらやまれけり
〔紫式部or?〕普通に思うと縁起でもないが、天の川の
 年に一度の今日の逢う瀬は羨ましく思われます
111
異106

天の川
 逢ふ瀬

 よその雲井にて
 絶えぬ契りし
 世々にあせずは
〔?or紫式部〕天の川の逢う瀬は他人の雲井のことです
 絶えないあなたとの夫婦の仲は世々に〈来世でも〉褪せな〈いものよ〉ければ永遠です
112
異107

なほざりの
 たよりに訪はむ
 人言に
 うちとけてしも
 えじとぞ思ふ
〔紫式部〕何でもない折に訪ねようという人の言葉に
 うちとけた様子はけっして見せまいと思っています
113
異108

横目をも
 ゆめと言ひしは
 誰れなれや
 秋の月にも
 いかでかは

〔?〕△他の女性に関心を寄せることなどけっしてしません

 〈横目でも、私の夢(、でももうそうしまい)〉と言ったのは誰〈なのか〉でしょうか
 〈秋の月でも、どうにかして見てたのか〉昨夜の秋の月見もどのようにして見たのでしょうか

   

第十一部:終の予感

114
異日6

菊の露
 若ゆばかりに
 袖触れ
 花のあるじに
 千代は譲らむ
〔紫式部〕菊の露で若返るほどに袖を拭って
 この花の主人に千代の齢はお譲り申し上げましょう(日記4)

異日7
  水鳥を 水の上とや よそに見む
 われも浮きたる 世を過ぐしつつ
〔紫式部〕日記6
115
異日8

雲間なく
 眺むる空
 かきくらし
 いかにしのぶる
 時雨なるらむ
〔小少将の君〕物思いに雲の切れ間なく眺める空もわたしの心同様にかき曇って
 どのように堪えて降る時雨なのでしょうか(日記7)
116
異日9

ことわりの
 時雨
 雲間あれど
 眺むる袖ぞ
 乾く世もなき
〔紫式部〕ごもっともな時雨の降る空は雲間はありますが
 眺めているわたしの袖は乾く間もありません(日記8)
117
異日10

浮きせし
 水の上のみ
 恋しくて
 鴨の上毛に
 さえぞ劣らぬ
〔大納言の君〕浮き寝をした水の上ばかりが恋しく思われて
 鴨の上毛の冷たさにも負けない侘しさです(日記11)
118
異日11

うち払ふ
 友なきころの
 覚めには
 つがひし鴛鴦ぞ
 夜半に恋しき
〔紫式部〕上毛の霜をうち払い合う友のいないころの夜半の寝覚めには
 つがいのように親しく過ごしたあなたを恋しく思われます(日記12)
119
異109

なにばかり
 心尽くしに
 眺めねど
 見しに暮れぬる
 秋の月影
〔紫式部〕どれほどの物思いを尽くして眺めたわけではないが
 見ていたうちに涙に暮れてしまった秋の月〔影〕であった
120
異110

たづきなき
 旅の空なる
 住まひをば
 雨もよに訪ふ
 もあらじな
〔?or紫式部〕よるべない旅の空のようなわたしの住まいを
 雨の中を訪ねて来る人もいないでしょうね
121
異111

挑む
 あまた聞こゆる
 百敷
 相撲憂しとは
 思ひ知るやは
〔紫式部or?〕相撲に挑む人が大勢いると聞こえた宮中の
 相撲が中止になって、どんなに残念なことかと分っていただけるでしょうか、
 宮仕え生活の辛さも思い知られましょう
122
異112

恋ひわびて
 ありふるほどの
 初雪
 消えぬるかとぞ
 疑はれける
〔人〕あなたを恋しく思っている折に降って来た初雪は
 積もる間もなく消えてしまわぬかと心配されました
123
異113

経ればかく
 さのみまさる
 
 荒れたる庭に
 積もる初雪
〔紫式部〕生きているとこのように辛さばかりが増える世の中なのを知らずに
 荒れたわが庭に積もる初雪よ
異114   いづくとも
 身をやる方の
 れねば
 しと見つつも
 ながらふるかな
〔紫式部〕(詞書なし)
124
異64

暮れぬ間の
 身をば思はで
 人の
 哀れをるぞ
 かつは悲しき
〔紫式部〕日が暮れない間のはかない身であることを考えないで、人の寿命の
 悲哀を知るとは一方では悲しいことです
125
異65

誰れか
 永らへて見む
 書き留めし
 跡は消えせぬ
 形見なれども
〔紫式部〕いったい誰が世に永らえて見るのでしょう、書き留めた
 筆跡は消えない故人の形見ではありますが
126
異66

亡き人を
 偲ぶることも
 いつまてぞ
 今日のあはれは
 明日のわが身を
〔加賀少納言〕亡くなった人を悲しみ慕うこともいつまででしょう
 今日の無常は明日のわが身の上でしょうよ