紫式部集 全文 原文対訳

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(原文・訳)の内容をを統合し、レイアウトを整えた(全文使用許可あり)。速やかな理解に資すると思うが、この趣旨は上記リンク参照。

 

 目次はこちらから。

(以下の前置き説明は多少量があるため、不要な人は目次から飛んでほしい)

 

 紫式部集の写本には、定家本系(代表は実践女子大本。流布本。数十本)、古本系(代表は陽明文庫本。異本系。七本)、重視されない別本系とあり、この中で量質備えた最善本とされる実践女子大本に本ページは基づく(伝本本数は岩波文庫191p)。

 実践本は126首。陽明本は114+日記歌17=131首、それとの対応を併記している(古本系は大系・集成等が採用しているので学習研究の便宜のため)。

 

 この点、古本系のみ末尾に「日記歌」という分類が付属しているが、これこそ定家本との最大の違いかつ古本系の致命的問題である。その冒頭5首と末尾1首は日記に存在せず、よって現実の日記の歌の順とも最初から異なり、さらに古本本編にも日記の歌があるが、末尾の「日記歌」はそれ以外をまとめたものとして新大系・集成は通し番号をふる(つまり一体と見る。通し番号にしない本もあるが)。

 しかし古本系学説はそれにまつわる問題点(即ち、①この歌集を主観性・簡潔性・非説明調(論者は「緊密」という)で自撰とするのに、その特徴・性質と「日記歌」という項目立て自体が整合しないこと、とりわけ②日記歌末尾にありながら日記にない一首、その詞書が本人の手として極めて不合理な「題しらず」にそこだけなっていること)と全く向き合わず、古本について何を根拠にか「いずれに依拠すべきか微妙だが…後の改削が少ないと見られ」(新大系552p)、「『紫式部集』の古い形を伝える」(集成190p)と当然のようにみなし、他方で上記問題が全くない定家本につき定家の恣意的編集補訂を仮定し②を採用する。よって②は学問的に不当。

 その主旨は古本は編集されているが古いから良い・古いから編集は少ないだろうというもの。しかしそもそも編集前提の時点で写本として論外だし、編集性が一見して外形的に強いのは上述赤字の通り古本である(定家本への批判のように詞書の表現が微妙と言うまでもない)。つまり古本は本質的に他撰で別の本。「古本や定家本の粗本は、紫式部の自撰であったと考えられる」とする集成193pはそれを自認している。また定家本が編集された説も古本基準に考えたもので、論者は定家本が原形態という可能性をはなから考えない。

 しかし配列を対照すると、古本系の配列は明らかに定家本の各パートから綺麗に集約させた類纂構造となっている(定家本配列古本系配列)。そして集成は定家本56-59に該当する古本系配列について「綴じ違えか何らかの理由で順序が違った」「実践女子大本のように…本来あった」とするが、その理由も、定家が定家本を基にした古本の編集性をアピールする意図として多角的根拠をもって説明できる(一つに、定家本では「さしわきて」という対句の二首があるところ、古本では丁度その間に定家56-59が挿し込まれている。もちろんそれ以外に前後の関連はない。だから集成のような記述になる)。

 また古本原形態論は、古本採用説でも上述した数多の理由で絶対とれないが、定家本原型論は一切の理論的矛盾なくとれる。一つに最大の問題の「日記歌」と「題しらず」がないから。それがアンタッチャブルな時点で古本採用説は着眼点が的外れ。だから論理的にも定家本が最古本。

 古本系学説の趣旨、古本の編集は定家本がしたはずの編集補訂より少ないはずで信頼できるという、推測に推測を重ねる感覚論は古文界ではごく普通だが、当事者の前世ならともかく、一つの手がかりから想像を膨らませるのは学問ではなく、根拠は直接多角的で自然でなければならない。しかるに総じて自説に安易で一方的だし、読解も「」で道長の恵みとみなすなど和歌の通例(涙)と字義を全く無視して恣意的過ぎる。これがジェンダーギャップ中国以下インド並みの国。そういう自覚がない。むしろ感覚的に、西洋的で先進的で論理的で自分達は良くやっているし女は喜んでいるに決まってると思っているので、男女認識のギャップが甚だしいことになっている。

 自分達は最高と思っているので、GHQの修正でも入らない限り議論の立て方自体がおかしいとも認められない。

 ひるがえり①②の本数の違いが積年の支持率(数十vs七)、代表本が支持層(私的一般女子vs浮世離れ公的権威男)を象徴している(陽明文庫は公益財団法人で近衛家の設立+宮内庁書陵部)。これが上記のギャップの一例。

 

 
紫式部集
目次
(章立ては独自)
第一部:若かりし頃
1
2
3
4
5
方違への人
6
筑紫行人の娘
7
8
思患う人
9
10
思患う人
11
物思患う人
12
13
14
15
16
西の海の人
17
津の国の人
18
19
筑紫肥前の人
 
第二部:近江・越前
  20
21
22
23
24
25
26
27
28
 
第三部:言い寄る夫
  29
30
31
32
33
文散らしの人
34
35
文散らしの人
 
第四部:夫の死
  36
37
38
39
40
41
42
亡くなりし人の女
43
44
45
46
47
48
   
第五部:転機
  49
門叩き帰りにける人
50
51
52
53
54
55
 
第六部:初々し出仕
  56
57
58
語らひける人
59
60
宮の弁のお許
61
62
63
紫or?
64
?or紫
65
66
67
 
第七部:栄花と追憶
  68
紫or小少将局
69
小少将局or紫
70
71
小少将の局
72
小少将の君
73
74
戸叩きし人
75
76
77
殿=道長
78
79
?or紫
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
殿=道長
 
第八部:月影の人
  90
91
92
93
94
95
96
97
98
 
第九部:宮中と女房
  99
100
隣の中将
101
102
103
104
105
106
107
弁宰相の君
 
第十部:天の川の人
  108
109
110
?or紫
111
紫or?
112
113
 
第十一部:終の予感
  114
115
小少将の君
116
117
大納言の君
118
119
120
?or紫
121
紫or?
122
123
124
125
126
加賀少納言
       
校訂

 

※人定は独詠と贈答の片方(双方無表記なら先方)は紫式部とみなし、その他は原文表記によった。?は無表記。

 

 

原文対訳


原文
実践女子大本

(定家本)

現代語訳
(渋谷栄一)
【当サイトで適宜改め】

1

→【詳解  
 はやうよりわらは友だちなりし人に、年ごろへて行きあひたるが、ほのかにて、十月十日のほど、月にきほひて帰りにければ、  早くから童友だち【幼馴染】であった人に、長年経て行き逢ったが、【ほのかに淡い気持ちを人知れず抱いて】×ほんの少しの時間で、十月十日のころに、月と競って帰ってしまったので、
   
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに
 雲がくれにし 夜はの月かげ
久しぶりに出【めぐり】逢ってお会いしたのに
 昔のままのあなたであったかどうであったか見分けのつかないうちに急いで
 姿を隠してしまった夜半の月影のようなあなた【の面影】でしたね
   

2

→【詳解  
 その人、とほき所へ行くなりけり。
 秋の果つる日きたるあかつき、虫の声あはれなり。
 その人は、遠い国へ下って行くというのであった。
 秋の終わりの日が来た、その早暁に、虫の声がしみじみと鳴いていた。
   
鳴きよわる まがきの虫も とめがたき
 秋の別れや 悲しかるらむ
鳴き弱った垣根の虫も行く秋を止めがたいようにわたしもあなたが遠い国へ下って行くのを止められません
 秋の別れは何と悲しいことなのでしょう
   

3

→【詳解  
 「箏の琴しばし」と書いたりける人、
 「参りて御手より得む」とある返り事に、
 「箏の琴をしばらくお借りしたい」と文に書いて寄こした人が、
 「参上して、あなたから直接に習いたい」と言ってきた返事に、
   
露しげき よもぎが中の 虫の音を
 おぼろけにてや 人の尋ねむ
露がしとどにおいた草深い庭の虫の音のようなわたしの琴の奏法を【尋ねるように】
 並み大抵の【良くわからないものなのに】人は訪ねて来【るでしょうか、いや来】ないでしょう【=本当はどういうつもりですか】、まことにご熱心なこと
   

4

→【詳解  
 方違へにわたりたる人の、なまおぼおぼしきことありとて、帰りにけるつとめて、朝顔の花をやるとて、  方違えのためにやって来た人が、何となくはっきりしないことがあるといった格好をして、帰って行ったその朝早くに、こちらから朝顔の花を送ろうと思って、
   
おぼつかな それかあらぬか 明けぐれの
 そらおぼれする 朝顔の花
はっきりしませんね。そうであったのか、そうではなかったのか、まだ朝暗いうちに
 ぼんやりと咲いている朝顔のような、今朝の顔は
   

5

→【詳解  
 返し、手を見わかぬにやありけむ、  返歌は、筆跡を見分けることができなかったのであろうか、
   
いづれぞと 色分くほどに 朝顔の
 あるかなきかに なるぞわびしき
どちらからの筆跡かと見分けているうちに、朝顔の花のように
 萎れてしまいそうになるのが辛いことです
   

6

→【詳解  
 筑紫へ行く人のむすめの、  筑紫へ行く人の娘が、
   
西の海を 思ひやりつつ 月見れば
 ただに泣かるる ころにもあるかな
西の海を思ひやりながら月を見ていると
 ただ泣けてくる今日このごろです
   

7

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
西へ行く 月の便りに たまづさの
 かき絶えめやは 雲のかよひぢ
西へ行くあなたへの手紙は毎月のように
 けっして書き絶えることはしません、空の通路を通して
   

8

→【詳解  
 「遥かなる所に、行きやせむ、行かずや」と、思ひわづらふ人の、山里より紅葉を折りておこせたる、  「遥か遠い任国に、行こうか、行くまいか」と、思い煩っていた人が、山里から紅葉を手折って寄越した歌、
   
露深く 奥山里の もみぢ葉に
 かよへる袖の 色を見せばや
露が深く置いている奥山里のもみぢ葉に
 似かよった袖の色をお見せしたいですね
   

9

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
嵐吹く 遠山里の もみぢ葉は
 露もとまらむ ことのかたさよ
烈しい風が吹く遠くの山里のもみぢ葉は
 露を少しの間でも留まらせることが難しいように、あなたも都に留まることは難しいのでしょうね
   

10

→【詳解  
 又、その人の、  再び、その人が、
   
もみぢ葉を 誘ふ嵐は 早けれど
 木の下ならで 行く心かは
もみぢ葉を誘う嵐は疾いけれど
 木の下でなくては散り行く気持ちにもなれません
   

11

→【詳解  
 もの思ひわづらふ人の、うれへたる返り事に、霜月ばかり、  もの思いして悩んでいた人が、嘆き訴えてきた返事に、霜月ごろに、
   
霜氷り 閉ぢたるころの 水茎は
 えも書きやらぬ 心地のみして
霜や氷りが閉ざしているころの筆は
 十分に書ききれない気持ちばかりがしています
   

12

→【詳解  
 返し、  返歌、
行かずとも なほ書きつめよ 霜氷り
 水の上にて 思ひ流さむ
たとい筆が進まなくても今まで同様に便りを書き集めて送ってくださいね、霜や氷に閉ざされたわたしの心も
 あなたの便りによってもの思いを流せましょうから
   

13

→【詳解  
 賀茂に詣うでたるに、「ほととぎす鳴かなむ」と言ふあけぼのに、片岡の木末をかしく見えけり。  上賀茂神社に参詣した時に、「ほととぎすが鳴いてほしい」という明け方に、片岡の森の木末が趣き深く見えたことであった。
   
ほととぎす 声待つほどは 片岡の
 森の雫に 立ちや濡れまし
ほととぎすの鳴く声を待つ間は、車の外に立って、片岡の
 森の雫に濡れましょうかしら
   

14

→【詳解  
 弥生の朔日、河原に出でたるに、傍らなる車に法師の紙を冠にて、博士だちをるを憎みて、  三月の朔日に、賀茂の河原に出た時に、隣の牛車に法師が紙の冠をつけて、陰陽博士めいた格好をしているのを憎らしく思ったので、
   
祓へどの 神のかざりの みてぐらに
 うたてもまがふ 耳はさみかな
祓へどの神の前に飾った御幣に
 いやに似通った紙冠ですこと
   

15

→【詳解  
 姉なりし人亡くなり、又、人のおとと失なひたるが、かたみに行きあひて、「亡きが代はりに思ひ交はさむ」と言ひけり。
  文の上に姉君と書き、中の君と書き通はしけるが、おのがじし遠きところへ行き別るるに、よそながら別れ惜しみて、
 わたしの姉だった人が亡くなり、一方で、妹を亡くした人が、お互いに出あって、「亡くなった姉妹の代わりに思い合いましょう」と言ったのだった。
  手紙の上書きに姉君と書き、また中の君と書き通わしていたのだが、それぞれ遠い国へ行き別れるので、それぞれ別の所から別れを惜しんで、
   
北へ行く 雁の翼に 言伝てよ
 雲の上がきかき 絶えずして
北へ飛んで行く雁の翼に便りを言伝てください
 雁が雲の上を羽掻きするように、手紙を書き絶やさないで
   

16

→【詳解  
 返しは、西の海の人なり。  返歌は、西の海へ行った人である。
   
行きめぐり 誰れも都に 鹿蒜山
 五幡と聞く ほどのはるけさ
遠くへ行っても廻って都に、鹿蒜山ではありませんが、帰ってきますが
 また五幡ではありませんが、何時のことかと聞くだけでもはるか先に思われます
   

17

→【詳解  
 津の国といふ所よりおこせたりける、  摂津国という所から寄越したのであった。
   
難波潟 群れたる 鳥のもろともに
 立ち居るものと 思はましかば
難波潟に群れている水鳥のようにあなたと一緒に
 暮らしていられるものと思えたらいいのですが
   

 返し、  返歌、
(二行空白) (二行空白)
   

18

→【詳解  
 筑紫に肥前といふ所より、文おこせたるを、いとはるかなる所にて見けり。
  その返り事に、
 筑紫にある肥前国というところから、手紙を寄越したのだが、とてもはるかなところで見たのであった。
  その返事に、
   
あひ見むと 思ふ心は 松浦なる
 鏡の神や 空に見るらむ
あなたにお逢いしたいと思うわたしの心は、松浦に鎮座する
 鏡の神が空からお見通しくださることでしょう
   

19

→【詳解  
 返し、又の年もてきたり。  返歌は、翌年に持って来た。
   
行きめぐり 逢ふを松浦の 鏡には
 誰れをかけつつ 祈るとか知る
めぐり逢うことを待つという、松浦の鏡の神に対して
 誰を心にかけつつ祈っているとあなたはお分かりでしょうか
   

20

→【詳解  
 近江の湖にて、三尾が崎といふ所に、網引くを見て、  近江の湖で、三尾が崎という所に、網を引いているのを見て、
   
三尾の海に 網引く民の 手間もなく
 立ち居につけて 都恋しも
三尾の海で漁民がせわしなく網を引いて働いている
 その立ち居を見るにつけても都が恋しいことよ
   

21

→【詳解  
 又、磯の浜に、鶴の声々鳴くを、  又、磯の浜に、鶴が声々に鳴くのを聞いて、
   
磯隠れ 同じ心に 田鶴ぞ鳴く
 なに思ひ出づる 人や誰れそも
磯の隠れた所でわたしと同じ気持ちで鶴が鳴いているが
 何を思い出し誰を思ってなのだろうか
   

22

→【詳解  
 夕立ちしぬべしとて、空の曇りてひらめくに、  夕立ちが来そうだと言って、空がかき曇って稲妻がひらめくので、
   
かき曇り 夕立つ波の 荒ければ
 浮きたる舟ぞ しづ心なき
空がかき曇って夕立ちのために波が荒くなったので
 浮いている舟の上で落ち着いていられない
   

23

→【詳解  
 塩津山といふ道のいとしげきを、賤の男のあやしきさまどもして、「なほからき道なりや」と言ふを聞きて、  塩津山という道がたいそう草木が繁っているので、下男が粗末な身なりをして、「やはりつらい道だな」と言うのを聞いて、
   
知りぬらむ 行き来にならす 塩津山
 世にふる道は からきものぞと
知っているのだろう、行き来に慣れた塩津山の
 古くからある世渡りの道は辛く塩辛いものだと
   

24

→【詳解  
 湖に、おいつ島といふ洲崎に向かひて、わらはべの浦といふ入り海のをかしきを、口ずさびに、  琵琶湖で、おいつ島という洲崎に向かって、わらわべの浦という入り海がおもしろいので、口すさみに、
   
おいつ島 島守る神や いさむらむ
 波も騒がぬ わらはべの浦
おいつ島を守る神様は静かになさいと諌めるのでしょう
 波も騒がないわらわべの浦ですこと
   

25

→【詳解  
 暦に「初雪降る」と書きたる日、目に近き日野岳といふ山の雪、いと深う見やらるれば、  暦に「初雪降る」と書いてある日、目近に見える日野岳という山の雪が、たいそう深く積もっているように眺められるので、
   
ここにかく 日野の杉むら 埋む雪
 小塩の松に 今日やまがへる
ここ越前の国府にこのように日野山の杉むらを埋める雪は
 都で見た小塩山の松に今日は見まちがえることです
   

26

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
小塩山 松の上葉に 今日やさは
 峯の薄雪 花と見ゆらむ
小塩山の松の上葉に今日はおっしゃるように
 雪が降って、その峯の薄雪は花と見えるのでしょう
   

27

→【詳解  
 降り積みて、いとむつかしき雪をかき捨てて、山のやうにしなしたるに、人びと登りて、「なほ、これ出でて見たまへ」と言へば、  雪が降り積もって、たいそうやっかいな雪をかき捨てて、山のようにした所に、人びとが登って、「雪は嫌だと言っても、やはり、ここへ出て来て御覧なさい」と言うので、
   
ふるさとに 帰る山路の それならば
 心やゆくと 雪も見てまし
故郷に帰るという鹿蒜山の雪ならば
 気も晴れるかと出て見ましょうが
   

28

→【詳解  
 年かへりて、「唐人見に行かむ」と言ひける人の、「春はとく来るものと、いかで知らせたてまつらむ」と言ひたるに、  新年となって、「唐人を見に行こう」と言っていた人が、「春は早く来るものと、何とかしてお知らせ申そう」と言ったので、
   
春なれど 白根の深雪 いや積もり
 解くべきほどの いつとなきかな
春とはなりましたが、白山の深雪はますます降り積もって
 いつ雪解けとなるかは分かりませんわ
   

29

→【詳解  
 近江守の女、懸想すと聞く人の「二心なし」など、常に言ひわたりければ、うるさくて、  近江守の娘に、求婚しているという評判の人が、「あなた以外に、二心ありません」などと、いつも言い続けていたので、わずらわしくなって、
   
湖の 友呼ぶ千鳥 ことならば
 八十の湊に 声絶えなせそ
湖の友を呼ぶ千鳥よ、同じことならば
 たくさんの湊に声をかけなさい
   

30

→【詳解  
 歌絵に海人の塩焼くかたを描きて、樵り積みたる投げ木のもとに書きて、返しやる。  歌絵に海人が塩を焼いている絵を描いて、木を切って積み上げた薪の側に書いて、返歌をやる。
   
四方の海に 塩焼く海人の 心から
 焼くとはかかる 投げ木をや積む
あちこちの海で塩を焼く海人のように自分から
 焦がれているとはこのような嘆きを重ねているのでしょうか
   

31

→【詳解  
 文の上に朱といふ物をつぶつぶと注きかけて、「涙の色」など書きたる人の返り事に、  手紙の紙面に朱というものを点々とふりかけて、「わたしの涙の色です」などと書き送ってきた人への返事に、
   
紅の 涙ぞいとど 疎まるる
 移る心の 色に見ゆれば
紅の涙がますます疎ましく思われます
 心変わりする色に見えますので
   
 もとより人の女を得たる人なりけり。  もともと妻のいる人なのであった。
   

32

→【詳解  
 「文散らしけり」と聞きて、「ありし文ども、とり集めておこせずは、返り事書かじ」と、言葉にてのみ言ひやりければ、「みなおこす」とて、いみじく怨じたりければ、睦月十日ばかりのことなりけり。  「わたしの送った手紙を他人に見せた」と聞いたので、「いままでのわたしの手紙を、すべて集めて返さなければ、もう返事は書きません」と、使者に口上で言わせたところ、「すべてお返しします」と言って、ひどく恨んでいたので、それは睦月十日ころのことであった。
   
閉ぢたりし 上の薄氷 解けながら
 さは絶えねとや 山の下水
春になって閉ざされていた谷川の薄氷もせっかく解け出したというのに
 それでは川の水のように絶えてしまえとおっしゃるのですか
   

33

→【詳解  
 すかされて、いと暗うなりたるに、おこせたる、  気持ちがなだめられて、たいそう暗くなったころに寄越した歌、
   
東風に 解くるばかりを 底見ゆる
 石間の水は 絶えば絶えなむ
春の東風で解けるくらいの氷ならば
 石間の水は絶えるなら絶えればいいのだ
   

34

→【詳解  
 「今はものも聞こえじ」と、腹立ちたれば、笑ひて、返し、  「もう何も言いません」と言って、腹を立てているので、笑って返歌。
   
言ひ絶えば さこそは絶えめ なにかその
 みはらの池を 包みしもせむ
絶交するならばおっしゃるとおり絶交しましょう、なんでその
 みはらの池の堤ではありませんが、腹立ちを包んでいられましょう
   

35

→【詳解  
 夜中ばかりに、又、  夜半ごろに、再び、
   
たけからぬ 人数なみは わきかへり
 みはらの池に 立てどかひなし
立派でもなく人数にも入らぬわたしは、沸き返らせて、
 みはらの池の腹を立てましたが、あなたには負けましたよ
   

36

→【詳解  
 桜を瓶に挿して見るに、とりもあへず散りければ、桃の花を見やりて、  桜を花瓶に挿して見ていると、すぐに散ってしまったので、桃の花を眺めて、
   
折りて見ば 近まさりせよ 桃の花
 思ひ隈なき 桜惜しまじ
手折ったら近まさりしてください、桃の花
 わたしの気持ちを理解しない桜など惜しみません
   

37

→【詳解  
 返し、人、  返歌、ある人が、
   
桃といふ 名もあるものを 時の間に
 散る桜にも 思ひ落とさじ
桃という名があるのですもの、わずかの間に
 散ってしまう桜より思ひ落とすまい
   

38

→【詳解  
 花の散るころ、梨の花といふも、桜も夕暮れの風の騒ぎに、いづれと見えぬ色なるを、  桜の花の散るころ、梨の花といっても、桜も夕暮れ時の風の騒ぎで、どちらとも見分けられない色なので、
   
花といはば いづれか匂ひ なしと見む
 散り交ふ色の 異ならなくに
花といったら桜と梨とどちらが色つやがないと見ようか
 散りかう色はどちらも違わないのだから
   

39

→【詳解  
 遠き所へ行きにし人の亡くなりにけるを、親はらからなど帰り来て、悲しきこと言ひたるに、  遠い所へ行った友人が亡くなってしまったことを、親や兄妹などが京に帰ってきて、悲しいことを言ったので、
   
いづかたの 雲路と聞かば 訪ねまし
 列離れけむ 雁がゆくへを
どちらの雲路へ行ったと聞いたなら、訪ねもしましょうものを
 一羽だけ列を離れて行った雁の行方を
   

40

→【詳解  
 去年より薄鈍なる人に、女院崩れさせたまへる春、いたう霞みたる夕暮れに、人のさし置かせたる。  去年から薄鈍の喪服を着ている人に、女院(東三条院)がお崩れになった春、たいそう霞んでいる夕暮れに、ある人が持たせて置いていった歌。
   
雲の上も もの思ふ春は 墨染めに
 霞む空さへ あはれなるかな
宮中でも悲しみに沈んでいる諒闇の春は薄鈍色に
 霞んでいる空までがしみじみと思われます
   

41

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
なにかこの ほどなき袖を 濡らすらむ
 霞の衣 なべて着る世に
どうして取るに足りないわたしごときが夫の死を悲しんで泣いていられましょうか
 国母が崩御されて国中が薄鈍色の喪に服しているときに
   

42

→【詳解  
 亡くなりし人の女の、親の手書きつけたりけるものを見て、言ひたりし。  亡くなった夫の娘が、父親の筆跡で書きつけてあったものを見て、詠んで寄越した歌。
   
夕霧に み島隠れし 鴛鴦の子の
 跡を見る見る 惑はるるかな
夕霧のために島蔭に隠れた鴛鴦の子のように
 父の筆跡を見ながら悲嘆に暮れています
   

43

→【詳解  
 同じ人、「荒れたる宿の桜のおもしろきこと」とて、折りておこせたるに、  同じ人が、「荒れた我が家の桜の花が美しいこと」と言って、折って寄越したので、
   
散る花を 嘆きし人は 木のもとの
 寂しきことや かねて知りけむ
散る花を嘆いていたのは散った後の木のもとの
 寂しいことをかねて御存じでいたのでしょうか
   
 「思ひ絶えせぬ」と、亡き人の言ひけることを思ひ出でたるなり。  「心配が絶えない」と、あの亡くなった方が言っていたことを思い出したのである。
   

44

→【詳解  
 絵に、もののけ憑きたる女の醜きかた描きたる後ろに、鬼になりたる元の妻を、小法師の縛りたるかた描きて、男は経読みて、もののけ責めたるところを見て、  絵に、もののけの憑いた女の醜い姿を描いた背景に、死んで鬼になった先妻を、小法師が縛った姿を描いて、夫は経を読んで、もののけを退散させようとしているところを見て、
   
亡き人に かごとはかけて わづらふも
 おのが心の 鬼にやはあらぬ
もののけにかこつけて手こずっているというが
 実は自分の心の鬼に責められているのではないでしょうか
   

45

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
ことわりや 君が心の 闇なれば
 鬼の影とは しるく見ゆらむ
ごもっともですね、夫君の心が迷っているので
 心の鬼の影をはっきりと見えるのでしょう
   

46

→【詳解  
 絵に、梅の花見るとて、女、妻戸押し開けて、二三人ゐたるに、みな人びと寝たるけしき描いたるに、いとさだ過ぎたるおもとの、つらづゑついて眺めたるかたあるところ、  絵に、梅の花を見ようとして、女が妻戸を押し開けて、二三人座っているが、他の人々は皆寝ている様子を描いている中に、たいそう年取った身分ある女房が、頬杖をついてもの思いに耽っている姿が描いてあるところ、
   
春の夜の 闇の惑ひに 色ならぬ
 心に花の 香をぞ染めつる
春の夜の闇に梅の花の色は見えないが
 心のうちに花の香を染めたことである
   

47

→【詳解  
 同じ絵に、嵯峨野に花見る女車あり。
  なれたる童の、萩の花に立ち寄りて折りたるところ、
 同じ絵に、嵯峨野で花を見ている女車がある。
  もの慣れたる童女が、萩の花の側に立ち寄って手折ったところ、
   
さ雄鹿の しか慣らはせる 萩なれや
 立ちよるからに おのれ折れ伏す
雄鹿がいつもそのように慣らしている萩なのでしょうか
 童女が近付くと同時に自然と萩が折れ伏すことよ
   

48

→【詳解  
 世のはかなきことを嘆くころ、陸奥に名ある所どころ描いたるを見て、塩釜、  世の中のはかないことを嘆いていたころ、陸奥国の名所をあれこれ描いた絵を見て、塩釜、
   
見し人の 煙となりし 夕べより
 名ぞ睦ましき 塩釜の浦
連れ添った人が火葬の煙となった夕べから
 その名前が親しく思われる、塩釜の浦よ
   

49

→【詳解  
 門叩きわづらひて帰りにける人の、つとめて、  わたしの家の門を叩きあぐねて帰っていった人が、翌朝、
   
世とともに 荒き風吹く 西の海も
 磯辺に波は 寄せずとや見し
いつも荒い風が吹く西の海にも
 その磯辺に波の寄せないことがありましょうか
   

50

→【詳解  
 と恨みたりける返り事、  と恨んで寄越した返事に、
   
かへりては 思ひ知りぬや 岩角に
 浮きて寄りける 岸のあだ波
お帰りになってわたしの思いがお分かりになったでしょうか、岩角に
 浮わついて打ち寄せた岸のあだ波のあなたには
   

51

→【詳解  
 年返りて、「門は開きぬや」と言ひたるに、  年が明けて、「門は開きましたか」と言ってきたので、
   
誰が里の 春の便りに 鴬の
 霞に閉づる 宿を訪ふらむ
どなたの春の里を訪れたついでに、鴬は
 霞に閉ざされたわたしの宿を訪ねるのでしょうか
   

52(異:53)

→【詳解  
 世の中の騒がしきころ、朝顔を人のもとへやるとて、  世の中の騒然としていたころ、朝顔を人のもとへ贈るとして、
   
消えぬ間の 身をも知る知る 朝顔の
 露と争ふ 世を嘆くかな
死なない間のわが身を知りつつ朝顔のように
 はかない露と先を競う世を嘆くことよ
   

53(異:54)

→【詳解  
 世を常なしなど思ふ人の、幼き人の悩みけるに、唐竹といふもの、瓶に挿したる女ばらの祈りけるを見て、  世の中を無常だなどと思う人が、幼い子が病気になったので、唐竹というものを、花瓶に挿した女房が祈ったのを見て、
   
若竹の 生ひゆく末を 祈るかな
 この世を憂しと 厭ふものから
若竹が成長してゆく先を祈っていることよ
 わたしはこの世を厭わしく思っているのに
   

54(異:55)

→【詳解  
 身を思はずなりと嘆くことの、やうやうなのめに、ひたぶるのさまなるを思ひける。  わが身を思うにまかせない不遇だと嘆くことが、だんだんと常のことになり、一途なありさまになっていくのを思った歌。
   
数ならぬ 心に身をば まかせねど
 身にしたがふは 心なりけり
人数にも入らないようなわたしの心のままに身の境遇を合わせることはできないが
 身の境遇に従って変わるのは心なのであったわ
   

55(異:56)

→【詳解  
   
心だに いかなる身にか かなふらむ
 思ひ知れども 思ひ知られず
せめて心だけでもどのような身の上に満足するのだろうか
 分ってはいるけれどもなかなか悟ることができないことよ
   

56(異:91)

→【詳解  
 初めて内裏わたりを見るにも、もののあはれなれば、  初めて宮仕えして宮中のあたりを見るにつけても、しみじみと感慨深く思われるので、
   
身の憂さは 心のうちに 慕ひきて
 いま九重ぞ 思ひ乱るる
身の嫌なことは、心の中では宮中を慕ってきたが
 いま宮中を見て、幾重にも物思いに心が乱れることよ
   

57(異:92)

→【詳解  
 まだいと初々しきさまにて、古里に帰りてのち、ほのかに語らひける人に、  まだ宮仕えにたいそう物慣れない状態で、実家に帰って後、わずかに話し合った人に、
   
閉ぢたりし 岩間の氷 うち解けば
 をだえの水も 影見えじやは
閉ざしていた岩間の氷がわずかに解け出すように春になったら
 途絶えていた水も姿を現さないでしょうか、わたしもきっとまた出仕しましょうよ
   

58(異:93)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
深山辺の 花吹きまがふ 谷風に
 結びし水も 解けざらめやは
深山のあたりの花が散りまがう谷風には
 凍っていた川も解けないでしょうか、解けましょう
   

59(異:94)

→【詳解  
 正月十日のほどに、「春の歌たてまつれ」とありければ、まだ出で立ちもせぬ隠れがにて、  正月十日のころに、「春の歌を奉るように」とあったので、まだ出仕もしてない実家で、
   
み吉野は 春のけしきに 霞めども
 結ぼほれたる 雪の下草
み吉野は春の景色に霞んでいるけれども
 依然としてかじかんでいる雪の下草です
   

60(異:57)

→【詳解  
 弥生ばかりに宮の弁のおもと、「いつか参りたまふ」など書きて、  三月のころに宮の弁のおもとが、「いつ参上なさいますか」などと書いて、
   
憂きことを 思ひ乱れて 青柳の
 いと久しくも なりにけるかな
嫌なことに思い悩まれて青柳のように
 たいそう久しくなってしまいましたね
   

61(異:ナシ)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
つれづれと 長雨降る日は 青柳の
 いとど憂き世に 乱れてぞ経る
所在なく長雨が降るのを眺めながら送る日は青柳のように
 ますます嫌な世の中に悩まされて日を送っています
   

62(異:58)

→【詳解  
 かばかり思ひ屈しぬべき身を、「いといたうも上衆めくかな」と言ひける人を聞きて、  これほどふさぎこんでしまいそうなわが身を、「とてもひどく上臈ぶっていらっしゃるわ」と言った人がいるとを聞いて、
   
わりなしや 人こそ人と 言はざらめ
 みづから身をや 思ひ捨つべき
しかたないことだわ、あの人たちはわたしを一人前の人と思わないでしょうが
 自分自身からわが身を見捨てることができましょうか
   

63(異:59)

→【詳解  
 薬玉おこすとて、  薬玉を贈りますといって、
   
忍びつる 根ぞ現はるる 菖蒲草
 言はぬに朽ちて やみぬべければ
隠れていた根が引かれて現れ出たように今日は菖蒲の節供にちなんでわたしの心根を表します
 何も言わないうちに朽ちて終わってしまいそうなので
   

64(異:60)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
今日はかく 引きけるものを 菖蒲草
 わがみ隠れに 濡れわたりつる
今日はこのように菖蒲草を引き抜いてお言葉をかけてくださったのに
 わが身は水隠れに家に籠って涙に濡れています
   

65(異:115/日記歌1)

→【詳解】日記ナシ  
 土御門殿にて三十講の五巻、五月五日に当たれりしに、  土御門殿で法華経三十講の五巻が、五月五日に当たっていたので、
   
妙なりや 今日は五月の 五日とて
 五つの巻の あへる御法も
素晴しく尊いことだわ、今日は五月五日に
 第五巻が重なったこの御法会よ
   

66(異:116/日記歌2)

→【詳解】日記ナシ  
 その夜、池の篝火に御明かしの光りあひて、昼よりも底までさやかなるに、菖蒲の香いまめかしう匂ひ来れば、  その夜、池の篝火に御灯明が光り合って、昼よりも水底まで鮮明な上に、菖蒲の香りまでがはなやかに匂って来るので、
   
篝火の 影も騒がぬ 池水に
 いく千代澄まむ 法の光ぞ
篝火の影も騒がない池の水に
 いく千代までも澄んで宿ることでしょう、御法会の光は
   

67(異:117/日記歌3)

→【詳解】日記ナシ  
 公事に言ひ紛らはすを、向かひたまへる人は、さしも思ふことものしたまふまじきかたち、ありさま、よはひのほどを、いたう心深げに思ひ乱れて、  型通りに言い紛らわしたのを、向かい合っていらっしゃる方は、それほどにも物思いがおありでないような容姿、有様、年齢のほどなのに、たいそう深刻に思い悩んで、
   
澄める池の 底まで照らす 篝火の
 まばゆきまでも 憂きわが身かな
澄んでいる池の底まで照らす篝火が
 まぶしく恥ずかしい嫌なわが身ですこと
   

68(異:61)

→【詳解  
 やうやう明け行くほどに、渡殿に来て、局の下より出づる水を、高欄を押さへて、しばし見ゐたれば、空のけしき、春秋の霞にも霧にも劣らぬころほひなり。
  小少将の隅の格子をうち叩きたれば、放ちて押し下ろしたまへり。
  もろともに下り居て眺めゐたり。
 だんだんと夜が明けて行くころに、渡殿に来て、局の下から湧き出ている遣水を、高欄を押さえて、暫く見ていると、空の様子は、春秋の霞や霧にも劣らない時節である。
  小少将の君の局の隅の格子をちょっと叩くと、半蔀を上げ放って下格子を外しなさった。
  一緒に庭に下りて眺めていた。
   
影見ても 憂きわが涙 落ち添ひて
 かごとがましき 滝の音かな
遣水に映る姿を見ても嫌なわたしの涙が落ち加わって
 恨みがましい滝の音ですこと
   

69(異:ナシ)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
一人居て 涙ぐみける 水の面に
 浮き添はるらむ 影やいづれぞ
一人で涙ぐんでいらっしゃった遣水の面に
 映り加わっている姿はあなたとわたしのどちらでしょうか
   

70(異:118/日記歌4)

→【詳解】日記ナシ  
 明かうなれば入りぬ。
  長き根を包みて、
 明るくなったので室内に入った。
  長い菖蒲の根を包んで、
   
なべて世の 憂きに泣かるる 菖蒲草
 今日までかかる 根はいかが見る
世間一般の嫌さに涙ぐまれる菖蒲草
 今日までこのような長い根はどうして見たことがありましょうか
   

71(異:119/日記歌5)

→【詳解】日記ナシ  
 返し、  返歌、
何ごとと 菖蒲は分かで 今日もなほ
 袂にあまる 根こそ絶えせね
どのようなことと、菖蒲ではないが、ものの条理は分かりませんで、今日もやはり
 袂にあまる長い根の泣く音が絶えません
   

72(異:67)

→【詳解  
 内裏に水鶏の鳴くを、七八日の夕月夜に、小少将の君、  宮中で水鶏が鳴くのを聞いて、七八日の夕月夜に、小少将の君から、
   
天の戸の 月の通ひ路 鎖さねども
 いかなる方に 叩く水鶏ぞ
宮中の通路は閉ざしてないのに
 どちらで戸を叩く水鶏なのでしょうか
   

73(異:68)

→【詳解  
 返し、  返歌、
槙の戸も 鎖さでやすらふ 月影に
 何を開かずと 叩く水鶏ぞ
槙の戸も閉ざさないで休んでいる月光〔月影〕のもと
 何を開かないで不満だといって鳴く水鶏なのでしょうか
   

74(異:129/日記歌15)

→【詳解】日記17  
 夜更けて戸を叩きし人、つとめて、  夜が更けて局の戸を叩いた人が、翌朝に、
夜もすがら 水鶏よりけに 泣く泣くぞ
 槙の戸口に 叩き侘びつる
一晩中水鶏よりもはっきりと泣きながら
 槙の戸口を叩きあぐねました
   

75(異:130/日記歌16)

→【詳解】日記18  
 返し、  返歌、
ただならじ 戸ばかり叩く 水鶏ゆゑ
 開けてはいかに 悔しからまし
ただ事では済まないことと、戸ばかりを叩く水鶏ゆえに
 戸を開けたらどんなに悔しい思いをしたことでしょう
   

76(異:69)

→【詳解】日記1  
 朝霧のをかしきほどに、御前の花ども色々に乱れたる中に、女郎花いと盛りなるを、殿御覧じて、一枝折らせさせたまひて、几帳の上より、「これただに返すな」とて、賜はせたり。  朝霧が美しい時分に、前栽の花どもが色とりどりに咲き乱れている中に、女郎花がたいそう花盛りであるのを、殿が御覧になって、一枝折らせなさって、几帳の上から、「これをむだには返すな」とおっしゃって、お与えなさった。
   
女郎花 盛りの色を 見るからに
 露の分きける 身こそ知らるれ
女郎花の花盛りの色を見ると同時に
 露が分け隔てしているようにわが身の上が思われます
   

77(異:70)

→【詳解】日記2  
 と書きつけたるを、いととく、  と書いたのを、とても素早く、
   
白露は 分きても置かじ 女郎花
 心からにや 色の染むらむ
白露は分け隔てをしないでしょう、女郎花は
 自分から色を染めたのではないでしょうか
   

78(異:62)

→【詳解  
 久しく訪れぬ人を思ひ出でたる折、  久しく訪れなかった人を思い出した折、
忘るるは 憂き世の常と 思ふにも
 身をやる方の なきぞ侘びぬる
人を忘れることは嫌な世の常と思うにつけても
 わが身のやり場がないのが寂しく泣き暮らしています
   
(四行空白) (四行空白)
   

79(異:63)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
誰が里も 訪ひもや来ると ほととぎす
 心のかぎり 待ちぞ侘びにし
誰の邸にも訪れ来るのだろうかと、ほととぎすを
 心のかぎりを尽くして待ち侘びていました
   

80(異:71)

→【詳解  
 都の方へとて鹿蒜山越えけるに、呼坂といふなる所のわりなき懸け路に、輿もかきわづらふを、恐ろしと思ふに、猿の木の葉の中より、いと多く出で来たれば、  都の方へ帰るというので、鹿蒜山を越えた時に、呼坂という所のとてもひどく険しい路で、輿もかき難じているのを、恐いと思っていると、猿が木々の葉の中から、たいそうたくさん出て来たので、
   
ましもなほ 遠方人の 声交はせ
 われ越しわぶる たごの呼坂
猿よ、おまえもやはり遠方人として声を掛け合えよ
 わたしが越えかねているたごの呼坂で
   

81(異:72)

→【詳解  
 湖にて伊吹の山の雪いと白く見ゆるを、  琵琶湖で伊吹山の雪がたいそう白く見えるのを、
   
名に高き 越の白山 雪なれて
 伊吹の岳を 何とこそ見ね
名高い越の白山に行き、その雪を見慣れているので
 伊吹山の雪は何とも思わないことだ
   

82(異:73)

→【詳解  
 卒塔婆の年経たるが、まろび倒れつつ人に踏まるるを、  卒塔婆の年を経て古くなったのが、転び倒れているのが人に踏まれるのを、
   
心あてに あなかたじけな 苔むせる
 仏の御顔 そとは見えねど
あて推量に、ああ畏れ多い、苔のむした
 仏の御顔を卒塔婆に、それとは見えないけれども
   

83(異:74)

→【詳解  
 人の、  あの人が、
   
け近くて 誰れも心は 見えにけむ
 言葉隔てぬ 契りともがな
近しくなってお互いに心は見えたでしょう
 人伝てでない仲となりたいものですね
   

84(異:75)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
隔てじと ならひしほどに 夏衣
 薄き心を まづ知られぬる
わたしは隔て心を持ちませんと常に思っているのに、「人伝てでなく」とおっしゃるとは、夏衣のような
 あなたの薄い心がまっ先に知られました
   

85(異:76)

→【詳解  
   
峯寒み 岩間凍れる 谷水の
 行く末しもぞ 深くなるらむ
今は峯が寒いので岩間で凍っている谷水のように浅い水ですが
 行く末は水嵩も増して深くなっていくでしょう
   

86(異:77)

→【詳解】日記5  
 宮の御産屋、五日の夜、月の光さへことに隈なき水の上の橋に、上達部、殿よりはじめたてまつりて、酔ひ乱れののしりたまふ。
  盃の折にさし出づ。
 若宮の御産屋の五日目の夜、月の光までが格別に明るく遣水の上の渡殿の橋にさして、上達部や殿をはじめ申して、酔い乱れて、大騒ぎなさる。
  酒盃の折にさし出した歌、
   
めづらしき 光さしそふ 盃は
 もちながらこそ 千世をめぐらめ
新しい光がさし加わった盃は
 持ちながら満月のまま千年もめぐっていくことでしょう
   

87(異:78)

→【詳解  
 又の夜、月の隈なきに若人たち、舟に乗りて遊ぶを見やる。
  中島の松の根にさしめぐるほど、をかしく見ゆれば、
 次の夜、月が明るいので若い女房たちが、舟に乗って遊ぶのを眺める。
  中島の松の根もとに舟が漕ぎ廻るところが、趣き深く見えるので、
   
曇りなく 千歳に澄める 水の面に
 宿れる月の 影ものどけし
翳りなく千年も澄んでいる水の面に
 宿っている月の光ものどかなこと
   

88(異:79)

→【詳解】日記9  
 御五十日の夜、殿の「歌詠め」とのたまはすれば、  御五十日の夜、殿が「歌を詠め」とおっしゃったので、
   
いかにいかが 数へやるべき 八千歳の
 あまり久しき 君が御世をば
五十日のお祝に、いかにしていかほどと数えやった らよいのでしょうか、八千年もの
 あまりに久しい若君の御寿命を
   

89(異:80)

→【詳解】日記10  
 殿の御、  殿の御歌、
   
葦田鶴の 齢しあらば 君が代の
 千歳の数も 数へとりてむ
鶴のような長寿があったならば若君の年齢の
 千年の数も数え取ることができよう
   

90(異:81)

→【詳解  
 たまさかに返り事したりける人、後に又も書かざりけるに、男、  時たまに返事をした人が、後に再び書かなかったところ、男が、
   
折々に 書くとは見えて ささがにの
 いかに思へば 絶ゆるなるらむ
折々に返事を書くとは見えたが、ささがにのように
 どのように思えば絶えることになるのでしょう
   

91(異:82)

→【詳解  
 返し、九月つごもりになりにけり。  返歌は、九月晦日になってしまった。
   
霜枯れの 浅茅にまがふ ささがにの
 いかなる折に 書くと見ゆらむ
霜枯れの浅茅に見まぎれるささがにの
 蜘蛛の巣はどのような折に掛くと見えたのでしょうか
   

92(異:83)

→【詳解  
 何の折にか、人の返り事に、  何の折であったか、あの人への返事に、
   
入る方は さやかなりける 月影を
 上の空にも 待ちし宵かな
月の入る方角ははっきりしていた月光〔月影〕を
 ぼうっと上の空で待っていた夕べでしたわ
   

93(異:84)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
さして行く 山の端も みなかき曇り
 心も空に 消えし月影
目指して行く山の端もみなすっかり曇って
 心も上の空に消えてしまった月光〔月影〕です
   

94(異:85)

→【詳解  
 又、同じ筋、九月、月明かき夜、  再び、同じ心持ちを、九月の月の明るい夜に、
   
おほかたの 秋のあはれを 思ひやれ
 月に心は あくがれぬとも
世間一般の秋の情趣を思いやってください
 月に誘われて心は浮かれ出たとしても
   

95(異:86)

→【詳解  
 六月ばかり、撫子の花を見て、  六月ころに、撫子の花を見て、
   
垣ほ荒れ 寂しさまさる 常夏に
 露置き添はむ 秋までは見じ
垣根は荒れて寂しさがまさる常夏に
 露が置き加わる秋までは見ることができないでしょう
   

96(異:87)

→【詳解  
 「ものや思ふ」と、人の問ひたまへる返り事に、長月つごもり、  「何か悩み事がおありなのですか」と、ある方がお尋ねなさった返事に、九月の晦日に、
   
花薄葉 わけの露や 何にかく
 枯れ行く野辺に 消え止まるらむ
花薄の葉ごとに分けて置く露はどうしてこのように
 枯れて行く野辺に消え止まっているのでしょう
   

97(異:88)

→【詳解  
 わづらふことあるころなりけり。
  「貝沼の池といふ所なむある」と、人のあやしき歌語りするを聞きて、「心みに詠まむ」と言ふ。
 病気をしているころのことであった。
  「貝沼の池という所がある」と、人の不思議な歌語りをするのを聞いて、「試みに歌を詠もう」と言う歌。
   
世にふるに なぞ貝沼の いけらじと
 思ひぞ沈む 底は知らねど
世の中に生きているなかでどうして貝沼ではないが、生きる甲斐がないと
 思い沈むことだ、どこそこと池の底は知らないけれど
   

98(異:89)

→【詳解  
 又、心地よげに言ひなさむとて、  今度は、気持ちよさそうに詠んでみようとして、
   
心ゆく 水のけしきは 今日ぞ見る
 こや世に経つる 貝沼の池
心が晴れ晴れとする水の様子は今日見ました
 これがこの世に生きる甲斐があると伝わった貝沼の池でしょうか
   

99(異:90)

→【詳解  
 侍従宰相の五節の局、宮の御前いとけ近きに、弘徽殿の右京が、一夜しるきさまにてありしことなど、人びと言ひ立てて、日蔭をやる。
  さし紛らはすべき扇など添へて、
 侍従の宰相(藤原実成)が奉った五節の舞姫の部屋は、中宮(彰子)の御前にたいそう近いのに、弘徽殿女御の右京が、先夜はっきり目立った様子でいたことなどを、女房たちが言い立てて、日蔭の鬘を贈る。
  顔を隠すための扇などを添えて、
   
多かりし 豊の宮人 さしわきて
 しるき日蔭を あはれとぞ見し
大勢の豊の明りの節会に参集した宮人の中から取り分けて
 はっきりと日蔭の鬘を着けたあなたをしみじみと見ました
   

100(異:95)

→【詳解  
 中将、少将と名ある人びとの、同じ細殿に住みて、少将の君を夜な夜な逢ひつつ語らふを聞きて、隣の中将、  中将の君や少将の君などと呼び名を持った女房たちが、同じ細殿に住んでいて、わたしが少将の君と毎晩逢って親しく語るのを聞いて、隣の中将の君が、
   
三笠山 同じ麓を さしわきて
 霞に谷の 隔てつるかな
三笠山の同じ麓なのに区別して
 霞が谷を隔てるように分け隔てしていますね
   

101(異:96)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
さし越えて 入ることかたみ 三笠山
 霞吹きとく 風をこそ待て
谷を越えて入ることが難しいので三笠山の
 霞を吹き晴らす風を待っているのです
   

102(異:97)

→【詳解  
 紅梅を折りて里より参らすとて、  紅梅を折って里から差し上げようとして、
   
埋もれ木の 下にやつるる 梅の花
 香をだに散らせ 雲の上まで
埋もれ木のように目立たずに咲いている梅の花よ
 せめて薫りだけでも散らしておくれ宮中までも
   

103(異:98)

→【詳解  
 卯月に八重咲ける桜の花を、内裏にて、  四月に八重に咲いた桜の花を、宮中で見て、
   
九重に 匂ふを見れば 桜がり
 重ねて来たる 春の盛りか
八重桜が九重の宮中で咲いているのを見ると、桜のもとに
 重ねてやって来た春の盛りでしょうか
   

104(異:99)

→【詳解  
 桜の花の祭の日まで散り残りたる、使の少将の挿頭に賜ふとて、葉に書く。  桜の花が賀茂祭の日まで散り残っていたのを、勅使の近衛少将の挿頭に中宮から賜るというので、その葉に書く。
   
神代には ありもやしけむ 山桜
 今日の挿頭に 折れるためしは
神代には有ったのでしょうか山桜を
 今日の祭の挿頭のために折り取った例は
   

105(異:100)

→【詳解  
 睦月の三日、内裏より出でて、古里のただしばしのほどにこよなう塵積もり荒れまさりにけるを、言忌みもしあへず、  正月三日に、宮中から退出して、実家がただわずかのうちにすっかり塵が積もって荒れ方がひどくなってしまったのを、不吉な言葉を慎しむこともしきれず、
   
改めて 今日しもものの 悲しきは
 身の憂さやまた さま変はりぬる
新年になった今日、何となく悲しい気持ちがするのは
 わが身の嫌さがまた様変わりしたのであろうか
   

106(異:101)

→【詳解  
 五節のほど参らぬを、口惜しなど、弁宰相の君ののたまへるに、  五節のころに参上しないのを、残念ですなどと、弁の宰相の君がおっしゃっていたので、
   
めづらしと 君し思はば 着て見えむ
 摺れる衣の ほど過ぎぬとも
素晴しいとお思いになりますならば、摺衣を着てお目にかかりましょう
 五節のころは過ぎたとしましても
   

107(異:102)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
さらば君 山藍の衣 過ぎぬとも
 恋しきほどに 着ても見えなむ
それではあなた山藍の摺衣を着る時期は過ぎたとしましても
 恋しいと思っているうちにそれを着てお見せください
   

108(異:103)

→【詳解  
 人のおこせたる、  あの人が寄越した歌、
   
うち忍び 嘆き明かせば しののめの
 ほがらかにだに 夢を見ぬかな
ため息をつきながら一夜を明かすと、明け方になっても
 はっきりとあなたの夢を見ることができませんでした
   

109(異:104)

→【詳解  
 七月朔日ごろ、あけぼのなりけり。  七月上旬ころの、夜明け方の事であった
 返し、  
   
しののめの 空霧りわたり いつしかと
 秋のけしきに 世はなりにけり
明け方の空が霧りわたっており、早くも
 秋の様子に世の中は、あなたもわたしに飽きておしまいになったようですわ
   

110(異:105)

→【詳解  
 七日、  七日、
   
おほかたに 思へばゆゆし 天の川
 今日の逢ふ瀬は うらやまれけり
普通に思うと縁起でもないが、天の川の
 年に一度の今日の逢う瀬は羨ましく思われます
   

111(異:106)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
天の川 逢ふ瀬は よその雲井にて
 絶えぬ契りし 世々にあせずは
天の川の逢う瀬は他人の雲井のことです
 絶えないあなたとの夫婦の仲は世々に褪せなければ永遠です
   

112(異:107)

→【詳解  
 門の前より渡るとて、「うちとけたらむを見む」とあるに、書きつけて返しやる。  門の前を通るので、「うちとけている様子を見たい」と寄越したので、それに書いて返した歌。
   
なほざりの たよりに訪はむ 人言に
 うちとけてしも 見えじとぞ思ふ
何でもない折に訪ねようという人の言葉に
 うちとけた様子はけっして見せまいと思っています
   

113(異:108)

→【詳解  
 月見る朝、いかに言ひたるにか、  月を見ていた翌朝、どのように言って来たのであったか、
   
横目をも ゆめと言ひしは 誰れなれや
 秋の月にも いかでかは見し

△他の女性に関心を寄せることなどけっしてしません

〈横目でも、私の夢(、でももうそうしまい)〉と言ったのは誰〈なのか〉でしょうか
〈秋の月でも、どうにかして見てたのか〉昨夜の秋の月見もどのようにして見たのでしょうか

   

114(異:120/日記歌6)

→【詳解】日記4  
 九月九日、菊の綿を上の御方より賜へるに、  九月九日の重陽の節に、菊の綿を殿の奥方から賜ったので、
   
菊の露 若ゆばかりに 袖触れて
 花のあるじに 千代は譲らむ
菊の露で若返るほどに袖を拭って
 この花の主人に千代の齢はお譲り申し上げましょう
   

115(異:122/日記歌8)

→【詳解】日記7  
 時雨する日、小少将の君、里より、  時雨の降る日、小少将の君が実家から、
   
雲間なく 眺むる空も かきくらし
 いかにしのぶる 時雨なるらむ
物思いに雲の切れ間なく眺める空もわたしの心同様にかき曇って
 どのように堪えて降る時雨なのでしょうか
   

116(異:123/日記歌9)

→【詳解】日記8  
 返し、  返歌、
   
ことわりの 時雨の空は 雲間あれど
 眺むる袖ぞ 乾く世もなき
ごもっともな時雨の降る空は雲間はありますが
 眺めているわたしの袖は乾く間もありません
   

117(異:124/日記歌10)

→【詳解】日記11  
 里に出でて、大納言の君、文賜へるついでに、  実家に退出していて、大納言の君が、手紙を下さった折に、
   
浮き寝せし 水の上のみ 恋しくて
 鴨の上毛に さえぞ劣らぬ
浮き寝をした水の上ばかりが恋しく思われて
 鴨の上毛の冷たさにも負けない侘しさです
   

118(異:125/日記歌11)

→【詳解】日記12  
 返し、  返歌、
   
うち払ふ 友なきころの 寝覚めには
 つがひし鴛鴦ぞ 夜半に恋しき
上毛の霜をうち払い合う友のいないころの夜半の寝覚めには
 つがいのように親しく過ごしたあなたを恋しく思われます
   

119(異:109)

→【詳解  
 又、いかなりしにか、  又、どのような折であったか、
   
なにばかり 心尽くしに 眺めねど
 見しに暮れぬる 秋の月影
どれほどの物思いを尽くして眺めたわけではないが
 見ていたうちに涙に暮れてしまった秋の月〔影〕であった
   

120(異:110)

→【詳解  
 相撲御覧ずる日、内裏にて、  相撲を御覧になる日、宮中で、
   
たづきなき 旅の空なる 住まひをば
 雨もよに訪ふ 人もあらじな
よるべない旅の空のようなわたしの住まいを
 雨の中を訪ねて来る人もいないでしょうね
   

121(異:111)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
挑む人 あまた聞こゆる 百敷の
 相撲憂しとは 思ひ知るやは
相撲に挑む人が大勢いると聞こえた宮中の
 相撲が中止になって、どんなに残念なことかと分っていただけるでしょうか、宮仕え生活の辛さも思い知られましょう
   
 雨降りて、その日は御覧とどまりにけり。
  あいなの公事どもや。
 雨が降って、当日は帝の御覧が中止になってしまった。
  つまらい公事であったわ。
   

122(異:112)

→【詳解  
 初雪降りたる夕暮れに、人の、  初雪が降った夕暮れに、ある人が、
   
恋ひわびて ありふるほどの 初雪
 消えぬるかとぞ 疑はれける
あなたを恋しく思っている折に降って来た初雪は
 積もる間もなく消えてしまわぬかと心配されました
   

123(異:113)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
経ればかく 憂さのみまさる 世を知らで
 荒れたる庭に 積もる初雪
生きているとこのように辛さばかりが増える世の中なのを知らずに
 荒れたわが庭に積もる初雪よ
   

124(異:64)

→【詳解  
 小少将の君の書きたまへりしうちとけ文の、物の中なるを見つけて、加賀少納言のもとに、  小少将の君が生前にお書きになった心を許した手紙が、何かの中にあったのを見つけて、加賀の少納言のもとに、
   
暮れぬ間の 身をば思はで 人の世の
 哀れを知るぞ かつは悲しき
日が暮れない間のはかない身であることを考えないで、人の寿命の
 悲哀を知るとは一方では悲しいことです
   

125(異:65)

→【詳解  
   
誰れか世に 永らへて見む 書き留めし
 跡は消えせぬ 形見なれども
いったい誰が世に永らえて見るのでしょう、書き留めた
 筆跡は消えない故人の形見ではありますが
   

126(異:66)

→【詳解  
 返し、  返歌、
   
亡き人を 偲ぶることも いつまてぞ
 今日のあはれは 明日のわが身を
亡くなった人を悲しみ慕うこともいつまででしょう
 今日の無常は明日のわが身の上でしょうよ
   
 本云  本に云ふ
 以京極黄門定家卿筆跡本 不違一字 至于行賦字賦隻紙勢分 如本今書写之于 時延徳二年十一月十日記之   京極黄門定家卿筆跡本を以て、一字違はず、行賦・字賦・隻紙勢分に至るまで、本の如く、今之を書写す。
 時に、延徳二年(一四九〇)十一月十日、之を記す。
     癲老比丘判     癲老比丘判
 天文廿五年 夾鐘上澣 書写之   天文廿五年(一五五六)夾鐘(二月)上澣(上旬)之を書写す。
   

渋谷校訂

校訂01 書い(底本「かひ」は「かい」の仮名遣い誤写と認めて改める)  
校訂02 生ひ(底本「おい」は「おひ」の仮名遣い誤写と認めて改める)  
校訂03 思ひ屈(底本「思う(う$そ)」は「う」をミセケチにして「そ」と改める、陽本「思ひくし」に従う)  
校訂04 ける(底本「けり」、諸本によって改める  
校訂05 埋もれ(底本「むまれ」、諸本によって改める  
校訂06 雲間(底本「くまも」、諸本によって改める  
校訂07 初雪(底本「はつつき」、諸本によって改める