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紫式部日記 和歌一覧 |
紫式部集 概要 |
定家本と古本系 | → |
・概要:
・性質:
・特徴:126首+空白2首
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・定家本と古本系:
・詞書付き全文:
・和歌抜粋一覧: |
AI×改め手直し紫式部
見た目幼いので(若紫)、機を見てもっと大人にしようと思う。
しかしAIは髪飾りなしでと注文しても常に沢山つけるのはなぜなのか。
それがAIの愛のアルゴリズム…?
紫式部集は、公的客観な紫式部日記に対し、私的主観の回顧録。物語調日記18首が竹取15首に、簡潔な詞書と和歌が連続する紫式部集126首が伊勢125段に対応している(独自)。歌数・歌序は本により前後するが、定家系最善本とされる実践女子大本では126首。
式部集が伊勢物語を受けていることは、①源氏物語や紫式部日記の長編物語調と対極的に簡素な詞書と和歌の連続であること、②最初が「はやうよりわらは友だち」から始まり、最後が「亡き人を偲ぶる…明日のわが身」として人生の流れに合わせていること、土佐(赴任記録)・蜻蛉(夫婦親子)・和泉式部(恋愛)各日記はこのような構成ではないことから、確実に言える。また、実名を一切排し高位の者が少ない(道長など数首)ことも勅撰系公的歌集と異なり、客観的な説明調でなく「ほのかに」「おぼろけ」など紫式部(源氏物語)らしい主観調であること(このことから自撰集と説明される)。これは歌風というのもあるが、端的にプライベートだからこそぼかしているものと見る。
紫式部集・実践女子大本では、有閑時代~父の赴任地の越後越え~夫の無節操な言い寄りといざこざと亡き後~出仕して打ち解けず住み辛い宮中~死の話題という大きな流れがあり、歌風は哀傷・離別・恋歌が基調。これは源氏先頭歌「限りとて別るる道の悲しきに」(桐壺更衣の独詠)ともリンクし、学説的な分類ありきの観念的分類ではない。
ほのかで淡い・おぼろげな心情説明が紫式部の和歌の最大の特徴だが(1番詞書「ほのかにて」)、それにつき女心と対極にある公的男性(もっといえば紫式部が絶対好まない人)が支配する学説が、悉く即物的説明と取り違えて論じてきたところに、この歌集の二次的な悲劇がある。
「前半生は人生に肯定感が強く明るい作品が多いが、後半生は否定的で荒涼とした作風」という説もあるが、それは道長と紫式部が愛人関係という類の、古文にありがちな宙に浮いた主観的評価で(式部集冒頭枕詞は、1「めぐり逢ひて~雲がくれ」2「鳴きよわる」3「露しげき」2「おぼつかな」で、これのどこが肯定感が強く明るいのか)、むしろ「彼女が人生で感じていた不条理、虚無感といった生涯にわたる心理」、つまり無常観(理想の恋しさと切なさと心弱里)で一貫しており、これが源氏物語のメインヒロインに共通する性格でもある。
夫についても、節操のなさと暴言の歌(絶えば絶えなむ)が連続している。そうではない歌もあるというなら、それは歌集後半の「人」に夫を代入したもの。しかし夫は他人に心を移しながら(紫式部は後妻)、若い美男子を描いた紫式部は暴言を吐いた親ほどの夫の死後も一途に思い続けるとは、男都合の思い込みしかない。そういう思い込みが解釈の根拠とされているので、要所ほど改めなければならない。同僚女房は辛辣に批判しているとしながら、道長親子を幼稚と批判したとは断固としてみず、通説は「露」を道長の恩恵とする。露ほどの恩恵。世が世なら打ち首。根本でなめている。
紫式部最大の作品である源氏物語は一般に竹取伊勢の融合とされているところ、それは源氏にとどまらず、日記と式部集を合わせた多元的三位一体の理解が、古文和歌史総体を貫く骨太の体系的理解で、紫式部の作品全体に貫かれている精神でもある。これは上記のように、古文でお決まりの記述から宙に浮いた観念論ではない。
一貫して簡素で主観的で説明調でない詞書、126首という歌数、最後「形見」「亡き人」で終わることから、125段で最後が「つひにゆく」の伊勢物語の影響を受けた紫式部の人生回顧作品と捉えたい(源氏物語・絵合では「伊勢物語」と直接言及される)。
また、紫式部日記が公務日誌的性格を持つのに対し(それが当時本来の日記とされるし、式部は儀式人事担当とされ、日記では宮中儀式や人物評を描いている)、紫式部集はプライベート主体の内容を記したものといえる。
日記18首中4首から式部集126首中2首と、道長の割合が極端に減っていることも、日記と式部集の公私の性質の違いを強く裏付けている。
日記の歌も式部集に収録されているが、それは私的なことに強くまつわる内容のもの。
第三者がどれだけ推理しても絶対知りえないが、本人に近いほど特有の言葉で説明なく分かる、それがプライベートの基本的性質。
プライベート性が強いということが、日記に比して非常に簡潔な描写ということの説明と根拠にもなる(みだりには公開したくない。肝心程ぼかす)。
なお、ここで論じている内容は独自のもので、参考にした文献は原本以外ない。
紫式部集は、長文の紫式部日記や超長文の源氏物語に比して、説明(詞書)が簡潔でほぼ一定の分量で一貫している。紫式部のスタイルからすると、意図的に和歌の必要最小限の背景説明に絞ったものと言える。
歌集の特徴について「大きく二層に分かれ、前半生は人生に肯定感が強く明るい作品が多いが、後半生は否定的で荒涼とした作風が目立つ[2]」という説明もある。
しかしこの点については、簡素な原文を通して見ても印象は淡々としたもので、最初の二首の「雲がくれにし夜はの月かげ」「秋の別れや悲しかるらむ」からも、強く明るい前半のような二分的情緒を感じることは難しい。何事も最初は全体の象徴であって、これとかけ離れた分類には違和感がある。
またもう一つの特徴として「独詠が少なく贈答歌が多いのは,式部の生涯での知己,友人関係を重視したことが知られ」という説明もあるが、贈答歌が頻繁に連続するのは紫式部(もっと言えば女性歌)の基本的歌風で、紫式部の個性とまでいえず、さらに源氏物語と紫式部日記の二作品に比べると、紫式部集の独詠歌は多いとすら言える。795首の源氏物語で独詠5首連続は一度もないが(4首連続は明石・宿木の2巻)、126首の紫式部集では5首連続独詠がある。
通常、歌集として想定される勅撰歌集(他人が選んだ他撰集)は、男達が支配するもので、かつ断片的な歌の寄せ集めであるから、基本が独詠で必然贈答歌が乏しくなり、それと比べると贈答歌が多くなるのは当然と思う(名を出す男の歌作品で贈答歌=色恋歌は基本ではなく、一人での情景描写が基本。例えば貫之や芭蕉)。
つまり「独詠が少なく贈答歌が多い」というのは、勅撰歌集のような断片的な男的歌集と比べればそう言えるに過ぎず、その説明は女性の歌人につけるとほぼ当てはまる(例:和泉式部日記への一般評「平安時代を代表する歌人である和泉式部にふさわしく、日記のなかに和歌の贈答の場面が頻出し、この作品を大きく特徴付けている」)。
紫式部としては独詠・独白が多め、それが紫式部集。それはいきなり贈答から始める蜻蛉・和泉式部両日記の先頭と比べるだけでも言え、配置でも多角的根拠がある。
簡素なのは、両作品と比較して小学生でも認識できるレベルと思う。そして歌集だから詞書は簡素で当然という理屈は、万葉や古今で要所で分厚い題詞・詞書があり、源氏物語・紫式部日記と長文だった著者の本歌集で、そのような長い詞書が全くないことからも当てはまらない。つまり自分の心は多くは見せたくないという動機付けが働いている(紫式部日記の以下の記述参照:世の人の忌むといひはべる咎をも、かならずわたりはべりなむと憚られて、すこし奥にひき入りてぞ、さすがに心のうちには尽きせず思ひ続けられはべる)。
具体例は捨象し、露骨ではなく洗練された形で表現したかった。その心の機微(「すきものと」言ってきた道長に対する返しのように色物認定されたくない)を解せず、女友達とのドタバタ劇と認定されたと。