段 | 冒頭 |
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1 | 恐ろしかるべき夜の御酔ひなめりと見て |
2 | 和歌一つ仕うまつれ。さらば許さむ |
2a | ♪いかにいかが(紫式部) |
3 | あはれ、仕うまつれるかな |
3a | ♪あしたづの(道長) |
4 | さばかり酔ひたまへる御心地にも |
5 | 宮の御前、聞こしめすや。仕うまつれり |
6 | さることもなければ |
7 | 殿の上、聞きにくしとおぼすにや |
8 | 宮なめしとおぼすらむ |
原文 (黒川本) |
現代語訳 (渋谷栄一) 〈適宜当サイトで改め〉 |
注釈 【渋谷栄一】 〈適宜当サイトで補注〉 |
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1 |
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恐ろしかるべき夜の 御酔ひ なめり と見て、 |
何か恐ろしいことになりそうな今夜の ご酔態 ぶりだ と見てとって、 |
〈直前で男達が酔い乱れ女性が危ない目にあったこと。「権中納言、隅の間の柱もとに寄りて、兵部のおもとひこしろひ聞きにくきたはぶれ声」〉 |
事果つるままに、 宰相の君に 言ひ合はせて、 隠れなむ とするに、 |
祝宴が終わるとすぐに、 宰相の君と 示し合わせて、 どこかに隠れよう とすると、 |
〈宰相の君(藤原豊子)は紫式部が特に目をかける可愛い娘的存在。昼寝中に式部がいたずらしたエピソード・人前で目立ってしまったと恥じらい一々可愛く思った話がある〉 |
東面に 殿の君達、 宰相中将 など入りて、 騒がしければ、 |
東面の間に 殿の御子息たちや 宰相中将 など入って来て、 騒がしいので、 |
【殿の君達】-道長の御子息頼通と教通。 【宰相中将】-右宰相中将藤原兼隆。二十四歳。 |
二人 御帳の後ろに ゐ隠れたるを、 |
二人とも 御帳の後ろに 隠れていたのを、 |
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取り払はせ たまひて、 |
殿は、 それをお取り払い になって、 |
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二人ながら 捉へ 据ゑさせ たまへり。 |
二人とも 捕まえ 側に座らせ なさった。 |
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2 |
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「和歌一つ 仕うまつれ。 さらば 許さむ」 と、 のたまはす。 |
「和歌を一首 お詠みいたせ。 そうすれば 許そう」 と おっしゃる。 |
【和歌一つ】-底本「わかひとつつゝ」とある。『絵詞』『栄花物語』には「わかひとつ」とある。『全注釈』と『新大系』は『絵詞』に従って「和歌一つ」と改める。『集成』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。 |
いとわびしく 恐ろしければ 聞こゆ。 |
とても〈心許なく〉困って また恐ろしいので、 お詠み申し上げる。 |
【いとわびしく】-底本「いとわしく」とある。『絵詞』に従って改める。 |
【いかにいかがかぞへやるべき八千歳のあまり久しき君が御代をば】-「いか(如何)」と「五十日」の掛詞。『紫式部集』第八八段。題詞「御五十日の夜、殿の「歌詠め」とのたまはすれば」。『続古今集』(賀 一八九五 紫式部)に「後一条院生まれさせたまひての御五十日の時、法成寺入道前摂政「歌詠め」と申しはべりければ 紫式部」として入集。 | ||
いかにいかが かぞへやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば |
いったいいかように 数えあげたらよいのでしょう 幾千年もの あまりにも久しい 若宮様のお齢を |
〈これは学者や教育者がどう言おうと、無理やり詠ませるから訳分からないの作りました作品。それで赤子に八千歳〉 |
3 |
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「あはれ、 仕うまつれるかな」 |
「ああ、 よく詠んだものよ」 |
〈これも道長にはこの句のおかしさがわからず素人的という描写。式部的にはそれで良かったが、次に道長が繰り出す歌が問題〉 |
と、 二たびばかり 誦ぜさせたまひて、 |
と、 二度ほど 声に出して詠みなさって、 |
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いと疾う のたまはせたる、 |
とても早く お詠みになった、 |
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殿の歌、 | 【あしたづの齢しあらば君が代の千歳の数もかぞへとりてむ】-『紫式部集』第八九段。題詞「殿の御」。『続拾遺集』(賀 七五〇 法成寺入道前摂政太政大臣)に「題しらず」として入集。 | |
あしたづの 齢しあらば 君が代の 千歳の数も かぞへとりてむ |
わたしにも千年の寿命を保つ鶴ほどの 齢があったならば、 若宮の御代の 千年の数も かぞえとることができるだろうよ |
〈これは式部に比して調子の全く異なる風雅な枕詞・葦田鶴しかも夜なのに「あした(朝・翌朝)」とあるから事前の仕込み(公任か赤染辺り)で、紫式部に記録を残させるため即興で詠んだ風にしたものと見る。以下の文章はその点の演出性の感想。 |
ちなみに前回の夜の宴会時、紫式部は月にかけた歌を準備した(めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ)。即興と思うのは素人的な見方。人より陰でめちゃめちゃ準備しているから応用ですぐできる。もっと言えば賀歌は少ないしヨイショは和歌王道でもない。御用系学者は元から勘違いしているが、人麻呂は男女恋愛離別と神代、弟子の赤人は四季と花鳥風月。象の一部だけ見れば何とでも言える〉 | ||
4 |
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さばかり 酔ひたまへる 御心地にも、 |
あれほど 酔っていらっしゃる 御心地でも、 |
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おぼしける ことのさま なれば、 |
お心に掛けていらっしゃる ことの〈次第〉 なので、 |
△趣旨 〈仕込みを怠らないこと。世間に影響力ある紫式部を最後に抑える重要性が分っている。なお本章直前の兵部のおもと事件を流したことは一応留意で、そこが御用学者系の描写と異なる点〉 |
いとあはれに ことわりなり。 |
〈何ともしみじみと、この権勢も〉、 もっともなことである。 |
×まことにご立派なのも 〈ここまでするかという嘆息〉 |
げにかく もてはやし きこえたまふ にこそは、 |
〈まさにこのような憎い配慮の次第で 人々に褒められ 名が通っている〉 からこそ、 |
×なるほどこのように 若宮を大切にお扱い 申していらっしゃる |
よろづの かざりも まさらせ たまふめれ。 |
すべての 〈しつらいも 他所よりお勝りに〉 なるのであろう。 |
△栄光も おまさりに 〈つまり準備演出・人への見せ方が上手いと言っている。普通は基本作って終わりで見せ方は関係ないと思う。日本の苦手分野〉 |
千代も あくまじき 御ゆくすゑの、 |
千年でも まだ満足できそうにない 御将来が、 |
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数ならぬ 心地にだに 思ひ続けらる。 |
わたしのような人数に入らない 気持ちでさえ 思い続けられる。 |
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5 |
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「宮の御前、 聞こしめすや。 仕うまつれり」 |
「中宮様よ、 お聞きあそばしましたか。 よくお詠み申しました」 |
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と、 われぼめし たまひて、 |
と、 ご自賛 なさって、 |
〈これもこの話を将来の帝に聞かせるであろうことによる演出〉 |
「宮の御父にて まろ悪ろからず、 |
「中宮の御父君として、 わたしは悪くはありませんし、 |
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まろがむすめにて 宮悪ろくおはしまさず。 |
またわたしの娘君として 中宮も悪くはいらっしゃいません。 |
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母もまた 幸ひありと思ひて、 笑ひたまふめり。 |
母君もまた 幸運であると思って、 笑っていらっしゃるようだ。 |
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良い夫は 持たりかし、 と思ひたんめり」 |
良い夫君を 持ったことだ と、思っているであろう」 |
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と、 たはぶれ きこえ たまふも、 |
と、 ご冗談を 申し上げ なさるのも、 |
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こよなき 御酔ひの まぎれなり と見ゆ。 |
この上ない 御酔態による しわざである と見える。 |
〈ここはその場のノリだろう。の意味〉 |
6 |
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さることも なければ、 |
それほどの 御酔態でもないので、 |
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騒がしき 心地は しながら めでたくのみ 聞きゐさせたまふ。 |
中宮様は落ち着かない 気持ちは しながらも 素晴らしいとばかり 聞いていらっしゃる。 |
〈術中にはまっとる。世の親子でも式場のコメントなどでそういう気持ちがするものか、それとも親父頑張っているとほほえましく思ったか〉 |
7 |
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殿の上、 聞きにくしと おぼす にや、 |
殿の北の方は、 聞きにくいと お思いに なってであろうか、 |
〈恐らく先の道長発言の「母もまた幸ひありと思ひて笑ひたまふ」が気に障った〉 |
渡らせ たまひぬる けしきなれば、 |
お渡りに なろうとする 様子なので、 |
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「送りせずとて、 母恨み たまはむ ものぞ」 |
殿は、 「お見送りをしないと言って、 母はお恨み なさる でしょう」 |
〈「恨み」は機嫌を損ねた自覚があるという意味〉 |
とて、 急ぎて 御帳の内を 通らせたまふ。 |
とおっしゃって、 急いで 御帳台の中を お通り抜けなさる。 |
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8 |
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「宮 なめしと おぼすらむ。 親のあればこそ 子もかしこけれ」 |
「中宮様は 〈母を重んじ娘を軽んじている〉と お思いになるでしょう。 親がいればこそ 子も立派というものです」 |
△失礼な 〈なめし:現代の「なめている」。学説の解説では語感が失われるが、これは、なめている(軽んじている)の意味〉 |
と、 うちつぶやき たまふを、 人びと 笑ひきこゆ。 |
と、 殿が 〈ふと〉つぶやき なさるのを、 女房たちは お笑い申し上げる。 |
〈ここの笑いは、強気な道長が弱気につぶやているから。つまり何でも思いのままにする道長の思いのままにならないのは妻というあるあるの面白さ〉 |