段 | 冒頭 |
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1 | その日、新しく造られたる舟ども |
2 | 行幸は辰の時と、まだ暁より |
3 | 暁に少将の君参りたまへり |
4 | 御輿迎へたてまつる船楽 |
5 | 御帳西面に御座をしつらひて |
6 | その日の髪上げ麗しき姿 |
7 | 左衛門の内侍、御佩刀執る |
8 | 弁の内侍はしるしの御筥 |
9 | 近衛司、いとつきづきしき姿 |
10 | 藤中将、御佩刀などとりて |
原文 (黒川本) |
現代語訳 (渋谷栄一) 〈適宜当サイトで改め〉 |
注釈 【渋谷栄一】 〈適宜当サイトで補注〉 |
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1 |
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その日、 | 行幸の当日、 | 【その日】-『絵詞』にナシ。 |
新しく造られたる 舟ども さし寄せて 御覧ず。 |
殿は 新しく造られた 二艘の舟を 池辺に漕ぎ寄せて 御覧になる。 |
【さし寄せて】-底本「さしよせさせて」、使役助動詞「させ」が付加。『絵詞』は「さしよせて」とある。『全注釈』は「さしよせて」と校訂するが、『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本「さしよせさせ」のままとする。 |
龍頭 鷁首の 生けるかたち 思ひやられて、 |
龍頭や 鷁首の 生きた姿が 想像されて、 |
〈龍頭鷁首(りゅうとう げきしゅ):船首の飾り。鷁(げき)は想像上の水鳥〉 |
あざやかに うるはし。 |
際立って 美しい。 |
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2 |
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行幸は 辰の時 と、 |
行幸は 辰の時(午前八時頃) ということで、 |
〈先ほどの龍頭と関連を見る。ただし独自〉 |
まだ暁より 人びと けさうじ 心づかひす。 |
まだ早朝から 女房たちは 化粧をし 準備をする。 |
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上達部の 御座は 西の対なれば、 |
上達部の 御座席は 西の対なので、 |
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こなたは 例のやうに 騒がしうもあらず。 |
こちらの東の対は いつものように 騒がしくはない。 |
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内侍の督の 殿の御方に、 |
内侍督の 御殿では、 |
【内侍の督】-中宮彰子の妹の尚侍妍子。 |
なかなか 人びとの 装束なども、 |
女房たちの 衣装などが、 |
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いみじう ととのへ たまふ と聞こゆ。 |
かえってこちら以上に たいそう念入りに 支度なさる と聞く。 |
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3 |
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暁に 少将の君 参りたまへり。 |
早朝に 小少将の君が 里から帰参なさった。 |
【少将の君】-小少将の君〈前出。紫式部集で最多の固有名詞人物〉 |
もろともに 頭けづり などす。 |
一緒に 髪を梳ったり などする。 |
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例の、 | 例によって、 | |
さ いふとも 日たけなむと、 |
辰の時とは いっても 日中になってしまうだろうと、 |
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たゆき心ども はた ゆたひて、 |
わたしたちの怠け心は つい のんびりして、 |
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扇の いと なほなほしきを、 |
桧扇が たいそう 平凡なので、 |
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また人に いひたる、 持て来なむ と待ちゐたるに、 |
他の人に 言って 持って来てもらおう と待っているうちに、 |
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鼓の音を 聞きつけて 急ぎ参る、 |
合図の鼓の音を 聞きつけて 急いで参上するが、 |
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さま悪しき。 | その体裁の悪いこと。 | |
4 |
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御輿 迎へたてまつる 船楽 いとおもしろし。 |
御輿を お迎え申し上げる 船楽が たいそう興趣深い。 |
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寄するを 見れば、 |
御輿を 階に寄せるのを 見ると、 |
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駕輿丁の さる 身のほど ながら、 |
駕輿丁が あのような 卑しい身分 ながら、 |
〈駕輿丁(かよちょう):神輿を担ぐ仕丁(雑用係の下男・下僕)〉 |
階より昇りて、 いと苦しげに うつぶし伏せる、 |
階から担ぎ昇って、 たいそう苦しそうに 伏せっている姿は、 |
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なにの ことごとなる、 |
何の 違いがあろうか、 |
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高き まじらひも、 身のほど かぎりあるに、 |
高貴な人々に 交じっての宮仕えも 身分には 限度があることだから、 |
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いと 安げなし かしと見る。 |
ほんとうに 安らかな気持ちがしない こと〈よと思って見る〉 |
△ことだと思いながら見ている。 〈かし:…よ。…ね。念押し・言い聞かせ〉 |
5 |
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御帳 西面に 御座を しつらひて、 |
御帳台の 西面に 帝の御座所を 設けて、 |
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南の廂の 東の間に 御椅子を 立てたる、 |
南廂の 東の間に 御椅子を 立ててあるが、 |
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それより 一間隔てて、 |
そこから 一間を隔てて、 |
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東に当たれる際に 北南のつまに 御簾を掛け 隔てて、 |
東に当たる境に 北と南との端に 御簾(みす)を掛けて 仕切って、 |
【当たれる】-底本「あれたる」とある。「ある」は「離(あ)る」の意。『栄花物語』には「あたれる」とある。『全注釈』『新編全集』『学術文庫』は「あれたる」と校訂。『集成』『新大系』は「あたれる」のままとする。 |
女房の ゐたる、 |
女房たちが 控えているが、 |
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南の柱 もとより、 |
その南の柱の もとから |
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簾をすこし ひき上げて、 内侍二人 出づ。 |
簾をすこし 引き上げて、 内侍が二人 出て来る。 |
【内侍二人】-後文の左衛門内侍〈7〉と弁内侍〈8〉。 |
6 |
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その日の 髪上げ 麗しき姿、 |
その日の 髪上げした 端麗な姿は、 |
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唐絵を をかしげに 描きたる やうなり。 |
唐絵に 美しく 描いた ようである。 |
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7 |
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左衛門の 内侍、 御佩刀 執る。 |
左衛門の 内侍が 御剣を 捧持する。 |
【左衛門の内侍】-主上付き女房で中宮付きも兼務。橘隆子。 【御佩刀〈みはかし〉】-三種の神器の一つ御剣。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。行幸の際に持参した。 |
青色の 無紋の唐衣、 |
青色の 無紋の唐衣で、 |
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裾濃の裳、 | 裾濃(すそご)の裳を付け、 | |
領巾、 裙帯は 浮線綾を 櫨緂 (はじだん)に 染めたり。 |
領巾(ひれ)や 裙帯(くんたい)は 浮線綾(ふせんりょう)を 櫨緂 (はじだん)に 染めていた。 |
〈浮線綾(ふせんりょう):線が浮き出た綾織物〉 〈櫨緂(はじだん):白と橙の段々模様〉 |
上着は 菊の五重、 |
上着は菊の 五重襲に、 |
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掻練は紅、 | 掻練(かいねり)は紅色で、 | 〈掻練(かいねり):柔らかな絹織物。練り絹〉 |
姿つき もてなし、 |
姿形や 振る舞いに、 |
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いささか はづれて 見ゆる かたはらめ、 はなやかに きよげなり。 |
扇からすこし 外れて 見える 横顔は 明るく 清楚である。 |
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8 |
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弁の内侍は しるしの御筥。 |
弁の内侍は 御璽の御筥(みはこ) を捧持する。 |
【弁の内侍】-主上付き女房で中宮付きも兼務。出自未詳。〈前出〉 【璽〈しるし・じ〉】-三種の神器の一つ御璽。八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)。行幸の際に持参した。 〈渋谷原文は「璽」のところ、新大系・全集・集成の「しるし」によった〉 |
紅に 葡萄染めの 織物の袿、 |
紅の掻練に 葡萄(えび)染めの 織物の袿(うちき)、 |
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裳、唐衣は、 先の 同じこと。 |
裳と唐衣は、 前の左衛門の内侍と 同じである。 |
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いと ささやかに をかしげなる人の、 |
とても 小柄で 〈ほほえましい感じの〉人が、 |
×美しい 〈現代の東京的学説は「をかし」を全く誤解しているが、これは京女の心髄で単純皮相的な褒め言葉であることはない。基本上から目線の揶揄。ここでは文脈から悪い意味ではないが上から目線。文脈もまさにそうなっている〉 |
つつましげに すこし つつみたるぞ、 |
恥ずかしそうに やや 固くなっているのが |
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心苦しう 見えける。 |
気の毒そうに 見えた。 |
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扇より はじめて、 好み ましたり と見ゆ。 |
桧扇を 始めとして、 趣向が 左衛門の内侍より まさっている ように見える。 |
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領巾は 楝緂 (あふちだん)。 |
領巾は 楝緂 (おうちだん)である。 |
〈楝緂(おうちだん):白と薄紫の段々の模様〉 |
夢のやうに もごよひのだつ ほど、 よそほひ、 |
夢のように うねり歩く さまや 衣装は、 |
【もごよひのだつ】-「展転(もごよひゆきめぐ)りて」(大唐西域記・長寛点)。領巾がひらひらと翻りなびくさま。諸校訂本「もこよひのだつ」と読む。 |
むかし 天降りけむ 少女子(おとめご)の姿も かくや ありけむ とまで おぼゆ。 |
昔 天降ったという 天女の姿も こんなで あったろうか とまで 思われる。 |
〈少女子(おとめご):新大系の表記。このようにルビをふる。全集と集成は「をとめご」。 主要本は言及しないが源氏絵合で直接言及した「かぐや」を意識。独自。他の伝説をあれこれあげるより、竹取は式部にとって極めて特別。なお、源氏渋谷校訂定家本本文には一応「かくや」もある〉 |
9 |
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近衛司、 いと つきづきしき 姿して、 |
近衛司の役人が たいそう 似つかわしい 服装をして、 |
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御輿のことども おこなふ、 |
御輿のことなどに 奉仕しているが、 |
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いと きらきらし。 |
とても まぶしい。 |
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10 |
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藤中将、 |
藤中将 兼隆が |
【藤中将】-『全注釈』『集成』『新編全集』『学術文庫』は「藤中将」と改める。藤原兼隆。『新大系』は底本のまま。 |
御佩刀 などとりて、 |
御剣 などを受け取って、 |
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内侍に 伝ふ。 |
左衛門の内侍に 伝え渡す。 |