原文 (黒川本) |
現代語訳 (渋谷栄一) 〈適宜当サイトで改め〉 |
注釈 【渋谷栄一】 〈適宜当サイトで補注〉 |
---|---|---|
1 |
||
十月十余日までも 御帳 出でさせたまはず。 |
十月十日過ぎまでも、 中宮様は御帳台から お出でましにならない。 |
|
西の側なる 御座に 夜も昼も さぶらふ。 |
わたしたちは東の母屋の 西側の 御座所の側に 夜も昼も 伺候している。 |
|
2 |
||
殿の、 | 殿が、 | |
夜中にも暁にも 参りたまひつつ、 |
夜中にも 早朝にも参上なさっては、 |
|
御乳母の懐を ひき さがさせ たまふに、 |
乳母の懐にいる若宮を 〈ひっきりなしに 覗き込みになり なさるが〉 |
×探して(通説同旨)いらっしゃるが、 〈ひきさがす:探す、「ひき」は接頭語=ひっきりなし=きりなく。独自。学説は一致して探すとする。その趣旨は不明だが、一連の儀式の中で居場所が不明なことはありえないし、乳母の胸で赤子が見えないこともありえない〉 |
うちとけて 寝たるとき などは、 |
乳母が気をゆるして 眠っているとき などは、 |
〈「うちとけて寝たる」は乳母あるいは赤子、むしろ上記の乳母から赤子へフォーカスしたと見るべきだが、学説は乳母と限定断定し乳母が道長に気を許した時と見る。しかしこの一連の文脈で式部が乳母を「いとほし」とする意味があるか。学説が乳母に限定するのは、先行説がそれしかないという日本的な認知バイアスによる刷込みと思う〉 |
何心もなく おぼほれて おどろくも、 |
無心に 眠っていて はっと目を覚ますなども、 |
|
いと いとほしく見ゆ。 |
とても 〈愛おしく〉見える。 |
×気の毒に(通説) |
〈学説は一致して「いとほし」を(恐らく乳母につき)の気の毒と解するが、それは俯瞰で見て文脈と素直な語義に相応しいか。とても気の毒としながら、直後よろこばしくなるのはどういう了見か。こういう粗い情緒で古文の字義を無視した語義は決められている。続く解釈の当否と合わせて考えてほしい〉 | ||
3 |
||
心もとなき 御ほどを、 |
まだ何もお分かりでない〈おぼつかない〉 ころなのに、 |
〈「心もとなき」を赤子の首のすわらないこととする説は、以下の通り不適〉 |
わが心を やりて ささげ うつくしみ たまふも、 |
〈思う心を 言って 聞かせ/差し上げ〉 可愛がり なさるのも、 |
×ご自分だけは(全集同旨) ×良い気持ちになって(全集・全注釈同旨、集成:満足そうに) △抱き上げて〈全集同旨。全注釈:高い高い〉 〈うつくしみ (慈しみ・愛しみ):可愛がること、慈愛〉 |
ことわりに めでたし。 |
〈もっともなことで よろこばしい〉 |
△ごもっともなことで 素晴らしい(全集:結構なことである) |
〈上記学説は皮肉を言って最後に素晴らしく結構とするが最早学者の意見。「心もとなき」で首がすわらないとし「わが心やりて」を自己満と超解釈し「ささげ」を高い高いとするから最後辻褄が合わなくなる。首がすわらないのに高い高いは、理でもめでたくもうつくしみでもないと思うが良識に照らしてどうか〉 | ||
4 |
||
ある時は、 わりなき わざしかけ たてまつり たまへるを、 |
ある時には、 若宮が困った ことをおしかけ なさっ〈て 差し上げ〉たのを、 |
|
御紐 ひき解きて、 |
殿は直衣の紐を 解いて、 |
|
御几帳の 後ろにて あぶらせたまふ。 |
御几帳の 後ろで 火にあぶってお乾かしになる。 |
|
「あはれ、 この宮の 御尿に濡るるは、 うれしきわざかな。 |
「ああ、 若宮の御尿に 濡れるのは、 うれしいことだなあ。 |
|
この濡れたる あぶるこそ、 思ふやうなる 心地すれ」 |
この濡れたのを あぶっていると、 思いが叶った 気分になることだ」 |
|
と、 喜ばせたまふ。 |
と言って、 お喜びなさる。 |
|
5 |
||
中務の宮 <具平親王>わたりの 御ことを 御心に入れて、 |
殿は中務宮 具平親王家の 御事について 御熱心で、 |
【中務の宮わたりの御こと】-村上天皇の第七皇子具平親王(四十五歳)の娘隆姫と道長の長男頼通(十七歳)との縁談をさす。 |
そなたの 心寄せある人 とおぼして、 |
わたしをその宮家に 縁故のある者 とお思いになって、 |
【そなたの心寄せある人】-紫式部が具平親王家と縁故のある人。父為時がかつて家司を務めたり、夫宣孝も家司であったらしいこと。さらに親王が文人として源氏物語の理解者でもあったことなどが想像される。 |
語らはせ たまふも、 |
親しく話し掛けて くださるのも、 |
|
まことに 心のうちは 思ひゐたること 多かり。 |
ほんとうは 心中では 思案にくれることが 多かった。 |